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魔族大公の平穏な日常  作者: 古酒
魔王大祭編 後編
130/176

間話6.魔族大公と五人の奥方

 七大大公の序列一位であるプートの朝は早い。と、いうか、彼はそもそもあまり眠らない。

 魔族にとって、睡眠は必ずしも毎日必要なものではないが、それでもずっと起きていても仕方がないと思う者が多いからか、それともなんとなくの習慣からか、夜はきちりと寝室にこもる者も多い。

 もっとも大半は一人で就寝につくのではなく、その配偶者や恋人、あるいは一夜限りの相手と同衾するために、寝室にこもるのだ。


 謹厳に見えるプートだが、彼もその例に漏れていなかった。現時点でも五名の妻がおり、成人前の子は八を数える。

 もっとも、二千近い時を過ごした彼の妻子が、それだけの数ですむわけはない。

 死別や関係を絶った過去の相手も含めると、妻であった女性の名は数十に及び、子も成人している者を生死含まず数えると、百をゆうに越えた。

 それだけいればすでに亡い者も複数いたが、生き残っている中には親子の関係を清算して、臣下として仕えている者もいる。他の領地に旅立って、爵位を得て独り立ちしている者も多かった。


 そんな彼のことだ。毎夜順に妻の元を訪れ、あるいは自室に妻を呼びつけ、精力的に励んでいる。

 いや、いた。

 〈魔王ルデルフォウス大祝祭〉が始まるその日までは。


「あの日以来、旦那様は私のお部屋にも来てくれないし、旦那様のお部屋にも呼んでくださらないのよ! 次は、私の、番、だった、のに!!」

 興奮したその女性が熊の手でバンバンと机を叩くたびに、円卓に置かれた食器が浮き上がり、甲高い音を奏でた。

「その次は私だったわ!」

 モグラ顔の女性がワナワナと、しきりに大判のスカーフで目元を押さえながら叫ぶ。

「あなたは子供が二人いるからいいじゃない! 私はまだ、一人しか産んでいないのよ!」

 金切り声をあげたのは、アライグマの顔に立派な鹿の角を生やした女性だ。

「それをいうなら、私なんて一人もまだだ」

 ヒヒの顔をした女性が、男かと聞き紛う低い声で言った。

「まあ、落ち着きなさい。原因はわかっているのよ」

 どっしりと構えた、豊満な肉体を誇る猪顔の女性が、立派な牙についた汚れを拭き取りながら、他の四名を見回す。


 彼女たちこそが、プートの現在の妻である、その五名の女性たちであった。

 猪顔のマディリーンは、成人した者も含めると、プートに二十近い子を産んだ古株だ。

 熊手のラミリアは、五年前に婚姻を結んだ一番の新顔だった。

 モグラ顔のガガワーラはマディリーンの姪で、鹿角のココレースは一番の美女だ。

 そしてヒヒのモラーシアは、その実力から副司令官の一角も占めていた。


「原因って、それはいったい……」

 ラミリアが狐の顔をしかめる。

「あら、貴女以外はみんなわかりきってるわ。聞こえなかったの、あの一日目の旦那様の雄々しい咆哮が」

「ああ、素敵だったわね。ゾクゾクきちゃった!」

「本当にね。あれが私の名を呼ぶ声だったなら、どれだけ嬉しかったかしれないわ」

 奥方たちは、それぞれ想像を巡らせたのだろう。うっとりとした表情で、ホウッと息をついた。


「じゃあつまり、みんなは旦那様の御渡りがないのは、あのどこの卑しい娘かもわからない、アレスディアとかいう侍女のせいだと思っているのね」

 ラミリアの言葉に、ココレースが失笑を漏らす。

「なによ、ココレース!」

「あら、ごめんなさい。貴女が侍女を卑しい娘とののしるのが、おかしくて。なにせほら、私たちはモラーシア公爵の外は、みんな爵位を持たぬ身でしょう?」

 美女の挑発的な言葉に、ラミリアは顔を真っ赤にしたまま、けれど反論もなく黙り込んでしまう。


「だからといって、それを卑下する必要はありませんよ。そのか弱い身だからこそ、旦那様に守っていただく喜びも、いっそう深く感ぜられるというものなのだから」

 マディリーンが二人の諍いを終わらせるように、ため息をついた。

「それより、アレスディアという侍女のことです。旦那様は、彼女を六番目の妻にと望んでいるようです。その願いが叶うか、完全に砕かれるかするまでは、私たちへの御渡りは諦めねばならないでしょうね」

「そんな!」

 年若いラミリアが、悲痛な叫びをあげた。けれど、残りの四人はそれに冷ややかだ。


「貴女のときだって、そうだったのよラミリア。旦那様はいつだって、相手に恋をした最初は、その相手だけを誠実に見つめていらっしゃるのだから。それがすめば、また平等に愛してくださるのだから、心の中で不満があっても、私たちはこうして集まって不平を言うだけで、すまさなければならないわ」

「そんなの、冗談じゃ、ないわ!」

 ラミリアは机を叩きながら立ち上がると、マディリーンを炎の宿る目でにらみつけた。

「私は情けない貴女たちとは違う! 黙って待ってなんていないんだから! 見てなさい!」

 そうして唾を円卓にまき散らすや、ドタドタと騒がしくいってしまったのだった。


「若いわね」

 ぽつり、と、誰かが言った。

「ええ、若いわね」

 ふふ、と、誰かが笑った。


 ***


 ラミリアは奥方のお茶会を飛び出して、プートの姿を探し、〈竜の生まれし窖城〉を駆け抜ける。

 常日頃は、なるべく本棟には足を踏み入れてはいけないと言われていたが、幸いにも今は魔王大祭の最中で、彼女どころか領民は誰でも、一部を除いてどこもが無礼講だ。

 今日も他の妻たちと競い勝つようにとの思いから、装いにも全く手を抜いていない。むしろいつでも旦那様のお呼びがかかってもいいようにと、彼の好む上品で重厚なドレスできっちりと身を包んでいる。


「旦那様を見なかった? プート大公はどちら?」

 そうしてあちこち探し回って、ようやくパレードの中継が行われている大広間へ、彼女は足を向けた。その会場にはいないことを願って。

 だが。

 魔術を使って映像が転写されたその画面にもっとも近い最前列に、どっしりとした席を用意させ、そこにいつもの雄々しい胸をはだけてどっかりと座るプートの姿があった。


「旦那様!」

 彼女は声を限りに叫んだが、プートの反応はない。彼はどこか熱に浮かれたような瞳で、画面をじっと見つめている。

 ラミリアは息を整え、彼の傍らに近づいていくと、そのたくましい左腕にそっとふれる。

「旦那様。こちらにいらしたのですね」

「ラミリアか。どうした」

 上腕をなでると、やっとプートはラミリアをその目にとらえてくれた。

 だがそれも一瞥しただけで、視線はすぐ画面の上に戻ってしまう。

 ラミリアは自分を見てくれと叫びたくなる気持ちをぐっとこらえて、その足下に跪き、今度は太い太股を撫でた。


「旦那様。最近、ちっともかまってくださらなくて……私、寂しくて、気がどうにかなりそうですわ」

 なるべく気弱な感じを演出したが、それでもプートからの反応はなかった。

「旦那様。旦那様、聞いてらっしゃいますの?」

 苛立ちが声に出てしまっている。彼女は元来、我慢のよい方ではなかった。何かあるとすぐ感情を露わに、むくれてしまう。

 そしてその他の妃にはない幼さ、素直さが、プートに愛された長所でもあると、自分では思っている。

 だから彼女は深慮という言葉を、知りはしてもほとんど重視してはいなかった。

「旦那様! たまにはこちらも向いてくださいまし! 私は貴女の最愛の妻でしょう?」

 プートの膝をつねってみると、ようやく彼は視線をラミリアの上に留めた。


「どうした妻よ。そなたの申すとおり、我はそなたら五の妃を同様に愛しておる」

 同様に、という言葉がひっかかったが、ラミリアはぐっとこらえてプートの膝に這い登る。

 興味が自分に向いた今が、チャンスだと思ったのだ。


「旦那様。もちろん、私は旦那様の愛を疑ってはおりません。けれど、このところ全く寝所に来てくださらなくって……おわかりでしょう? 旦那様に触れられない日が五日以上も空いてしまっては、私が我慢なんてできるはずがないということが」

 ラミリアはプートの黒い髭を両手にしっかりとつかむと、とがった口から細い舌を出し、獅子の口元をぺろりと舐めた。


「ねえ、旦那様」

 続いて深い口づけを求めようとしたラミリアを、プートが立ち上がって床に打ち捨てる。

 妻は突然の乱暴に驚いて、夫を信じ難い思いで降り仰いだ。


「何とはしたない振る舞いをするのだ、我が妻よ。このように公的な場所で、好き勝手に振る舞ってよいと、我がそう申したか? それともそなたが判断したのか?」

「だ、旦那様……」

 ラミリアは、プートが鬣を逆立てて怒るその姿を初めて目にして、すっかり脅えてしまっている。

「それが序列第一位という、輝かしい地位にある夫の、貞淑な妻のとる態度であると、そう判断したのかと聞いておる」

「申し訳ございません。私はなにもそんな……そんな、大それたことをしたつもりは……」

「そなたの無邪気さは、確かに愛すべきものだ。だがそのせいで節度を越えるようであれば、我としてもそなたの処遇を、考えなおさねばなるまい」

「そんな……お許しください、旦那様!」


 ラミリアはプートの膝にすがって許しを乞うた。

 彼女としては、寝室でいつもやるとおり、甘えてみせただけのつもりだった。

 その身内となって未だ五年しかたたず、公的な場で堂々とした振る舞いを好む彼が、妻に公の場で公私を混同して振る舞うことを嫌っているとは、考えてもみたこともなかったのだ。

 ましてやそのことで、たった一度の失敗で、自分の大公妃としての身分まで危ういものになるとは。


「そのくらいでご寛恕願えませんでしょうか、旦那様」

 やんわりとした声が、二人の耳を打つ。

 猪顔のマディリーンが、こうなることを憂いて様子を見にやってきたのだった。

「古き妻よ」

 これはプートなりの、マディリーンへの尊敬と信頼を込めた呼びかけだった。

「そなたは許せと言うが、ラミリアの態度は大公の尊厳を著しく損ねるものである。それをなかったことにせよと申すのか」

「さようです、旦那様。たった一度、かわいい妻が愛情から態度を誤ったからと言って、ただちに処罰を考えられるとは、あまりにも情がないではありませんか。罰ならば、今でも我々は受けているも同然の身の上なのです。それを今一度、御考慮なさって、どうか、寛大なお心を、この愚妻ばかりでなく、臣下にもお示し遊ばして、旦那様へのいっそうの賞賛と引き替えになさいませ」


 長い付き合いの妻から出た恩情を願う言葉は、プートの心情を揺り動かしたようだった。

 彼は寛大な顔つきになって、膝にすがる五番目の妻を見下ろし、常の厳しくもあるが愛情のこもった声でこう言ったのだ。


「そなたの今の振る舞いについては、それが我に対する愛情からのものであると理解して、不問にいたそう。だがそなたはこれに増長することなく、マディリーンに深く感謝し、今後はその指導を仰いで身を慎むことを覚えるがよい」

「恐れ入ります」

 マディリーンはプートの膝から熊の手をほどくと、彼女を支えるようにその身を抱えた。

「では、失礼いたします、旦那様」

「うむ」

 プートが再び席につき、自分たちからすっかり興味を失ってしまうのを確認して、マディリーンはラミリアをつれてその場を辞した。

 画面の上で輝くばかりの美貌を誇る、蛇顔の女に冷たい目線を与えながら――


「マディリーン、私……私」

 先ほどまでの勢いはどこへやら、ラミリアは青ざめ、脅えた様子から回復しない。

「大丈夫ですよ、ラミリア。旦那様は許すとおっしゃったでしょう。あの方は、一度おっしゃったことを、覆したりはなさいませんよ」

「でも、あの女がやってきたら、私のことなんて、もう見向きもしてくれないんじゃ……」

「それも、大丈夫ですよ」

 マディリーンは目を細め、すっかり気弱になったラミリアに微笑みを与える。


「本人が望みでもしない限り、ジャーイル大公が彼女を自分の城から出すはずはありませんもの」

「そんなの……」

「本当よ。信じてらっしゃい、ラミリア。私はだてに、無爵の身でプート大公の第一の妃として、千年を過ごしてきたわけではないのだから」

 そう語るマディリーンに、初めてラミリアはプートに対してではなく、彼女自身に対する畏怖を込めた目を向けた。

 その視線の意味をしっかりと把握しながら、マディリーンは今後はラミリアも御しやすくなりそうだ、と、心中でほくそ笑んでいるのだった。


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