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魔族大公の平穏な日常  作者: 古酒
魔王大祭編 後編
110/176

103.後半戦を迎えて僕はドキドキです

「じゃあ、お兄さま! 行って参りますわ」

「あー。今日も元気にいってらっしゃい」

 今にもぴょんぴょん跳ね出しそうな妹を、俺は居住棟の玄関で力なく見送った。

 元気な妹とは対照的に足取りも重く、本棟へと向かう。


 パレードがこの領地にやってきてからというもの、妹は毎日毎日、その後を追いかけに行っている。パレードを……というか、まあ、正確にはアレスディアの後を、だ。

 一方で俺は、あれ以来わざわざパレードに近づきはしないが、それでも心にダメージが蓄積される一方だ。

 記憶がない間にやらかしてしまったらしいことへの自責の念が、日に日に強くなっていっているのだ。

 どうしよう……ある日突然、あなたの子供です、とか言って赤ん坊を連れてくる女性がいたりしたら……。

 いやいやいや。いくらなんでもそんなバカな。

 さすがに公衆の面前で、そこまではやっていないはず……だよな。

 せいぜい膝に乗せただけだよな?

 そりゃあ太股とか、もしかすると撫でたりしたかもしれないけど、それくらいだよな?

 大丈夫だよな、俺。信じていいよな、俺。

 一応、アリネーゼが止めてくれたって言ってるし、朝はその彼女と迎えたんだ。


「せめて記憶があれば……記憶さえあれば、何をしでかしたとしても覚悟できるのに!」

 俺は執務室の戸を打ち付けた。


「旦那様」

 背中にかかる、優しい声。

 セルクだ。

「そこまで御心配されずとも、いかに酩酊しておられたとはいえ、旦那様がそのような不祥事を起こされるはずもございません」

 酒宴の件はわざわざ言いふらしたりはしていないが、もちろん全幅の信頼を寄せる家令と、それから近頃親身な筆頭侍従には、業務上の理由もあって詳細を伝えてある。

 だからセルクは俺の心配も全て知った上で、それでもこの信頼ある言葉を寄せてくれているのだ。


「そうかな……でも、酒に酔うと本能が勝るっていうから……」

 俺だって、魔族にしては少し固いかもしれないが、一応は普通の男なのだ。

 女性のことは大好きだし、いい出会いがないものかと常々思っているし、いずれは結婚だってしたいと考えている。

 だから心配でたまらない。大丈夫、自分を信じろと鼓舞しても、どうしても本能に対する不安が湧き出てくる。


「常々心配になるほど奥手な旦那様のことです」

「えっ」

「むしろそれでお手つきなさるのなら、私は喜んでその酒を手に入れ、後でどんなお叱りを受けることになろうとも、こっそり差しだしましょう!」

「えっ!」

「なにせ、昨晩の舞踏会でのご様子を思い出してみましても……」


 ため息をつき、憂い顔で首を左右に振るセルク。

 そんな態度を取られるほどのことを、俺がしたというのだろうか。

 昨晩……?

 昨晩なら、仮装舞踏会に参加していた。珍しくジブライールが発案してくれた舞踏会で、参加者はそれぞれ思い思いの仮装をして参加するのだ。

 正直、虫の交尾中、とか、犀の発情期、とか、盛った猫、とか、とんでもない格好をしてくる者が多いのではないかと心配だったが、それは杞憂に終わった。

 みんな確かに奇抜ではあった。それはもう、ユリアーナばりの奇抜さだったと断言しよう。

 だが肌の露出は少なかったし、少なくとも下品な装いは、俺の見たところでは一つとして見受けられなかった。


 俺自身はせっかく変装できるのだからと、髪を魔王様ばりに黒く染めて長髪の付け毛をつけ、目に硝子玉のはめ込まれた仮面で顔全体を覆い、肉襦袢を着込んでプートなみのマッチョになってやった!

 ふふふ……正直、見破られた気がしない。


「完璧な変装だったと思うが……」

「特別賛同もいたしかねますが、今は変装の出来について申しているのではありません」

 ちなみに肉襦袢がバレてはいけないのであまり踊らず、男性諸君とばかり話していた。さすがに密着しては、本物の筋肉でないことがバレてしまうかと思ったからだ。

 仮装して参加しているのだからバレても気まずいことはないが、男のプライド的な問題で、やはり歓迎できるものではない。


 ――ああ、だからか。

 男とばかり話していたから、それで呆れられてるのか。


「仮装舞踏会なんてめったにないし、いつもはもっとちゃんと女性と踊ってるよ?」

「……旦那様」

 またもため息。

「昨夜はどなたと踊っておいででしたか?」

 どなたと?

「ジブライール」


 さすがに副司令官である彼女には、正体を隠し通すことはできなかった。というか、驚くことに一目で見破られたのである。

 そんなわけで肉襦袢を気にすることもなく、踊っていられたのがジブライールというわけだ。

 しかし、踊る時にむしろ気になったのが手だ。

 俺の手に重ねられた手の、その肉球の柔らかさときたら……。


 そう、仮装大会の発案者であるジブライールは、頭の上にピンと立った犬の耳をつけ、手にはまるでもとからそうであったかと思われるような犬の手のグローブをはめ、体の線を隠さないスカートの後背に長くてふさふさの犬の尻尾をつけていたのだ。


 それでつい、その手をにぎにぎしてしまい、舞踏を終えた後も何度も感触を確かめさせてもらった。なんというか、とても覚えのある――具体的にいうと、ティムレ伯の肉球を触っているかのような感触だったからだ。

 あとはあの耳……毛並みがよくて、ふんわりさわさわだった。

 それから尻尾。ティムレ伯の尾は蠍の尾なので、触りたいとも思わなかったが、犬の長いふさふさ尻尾なら大歓迎である。ついつい触りまくってしまい……。


 これか!

「ああ……ジブライールには申し訳なかった」

「まったくでございます」

 執務室への扉を開けながら、セルクは深く頷いている。

「触りまくられて、さぞや鬱陶しかったことだろう」

「……旦那様」

 なんだよ、その可愛そうな子を見るような目!

 しかもなんだよ、その深いため息!

 さっきの俺に対する無償の信頼感は、どこへ行ったんだよ!!


「そんなことよりも、だ」

 筆頭侍従にそんな目を向けられて傷心の俺は、咳払いを一つしつつ執務椅子に座った。

 キリがいいので話題転換をはかる。

「問題はパレードだ。幸い今のところ、俺の失態はそれほど噂にはなっていない。むしろ、臣下と親しげに語っていたと、好意的に捉えられているくらいだ」

「……さようでございますね」

「だが、ここに一つの要望書がある――」


 俺は一枚の紙を持ち上げた。

 裏面にぶりっこしたリスが描かれた紋章――ウォクナンの手による要望書だ。


「ここにはこう書いてある。『アリネーゼ大公領での酒宴に続き、デイセントローズ大公領では大公城の前地で、歓迎のための祝宴が張られました。荘厳な音楽がかき鳴らされ、艶やかな踊り手が舞い踊り、舌鼓を打つほど美味しい料理と、口に含めば天にも昇る心地よさのよい酒が振る舞われました。パレードの従事者たちは、このことを殊の外喜び、慣習となればよいのにと望みを語っております。故に、閣下は単なる一大公としてではなく、大祭主としてでもなく、パレードの担当大公であられるということから生ずる責任のために、先のお二方に倣われ、更にそれを上回る催しをなさることが肝要かと存じます。つまり』」

 俺はため息をついた。

「『祝宴を開いてください! それも、一番豪華なの!!』だ、そうだ」


 くそ、あのラマめ!

 今度はアリネーゼの真似か!

 なんでも先輩大公に倣えばいいってものでもないだろうに!


 リスもリスだ!

 アリネーゼの酒宴のところに朱い波線引きやがって!

 これはあれか……俺を暗に脅しているのか?

 言うこと聞いてくれないと、あの時のことをマーミルにばらしちゃうぞ、とか言うつもりじゃないだろうな!


「それで、旦那様はいかがなさるおつもりで?」

「いかがしよう……」

 俺はため息をついた。

 俺のところにはあの酒はないが、だからといって安心できるものではない。

 誰にどうしたかもわからないのに、あの日の続きだとか、約束をしただとかいって迫ってこられたら……どう反応すればいい?

 そんな者が一人二人ならなんとか躱すこともできるだろうが、それ以上いたとしたら?


「とにかく、俺は参加したくない」

「それでは祝宴は開いて、旦那様は不参加となさればいかがです?」

「いや、たぶんそれは無理だと思う。祝宴を開くとなると……マーミルが絶対参加したい、と言い出すだろう。俺が出ないのに、妹を出すのはおかしい。そうなると、アリネーゼのところで参加できたのに、俺の領地でできないだなんておかしい、とかなんとか言われたら、どう反論していいものか」

「むしろ、旦那様はご多忙故に、マーミル姫を名代となされた、という形でご出席をお許しになってはいかがですか?」

「いや……。マーミル一人で参加させて、いらないことを耳にされるのはもっと怖い」

「では、拒否なさいますか?」

「正直、拒否したい。だが……」

 朱線が気になる。


「ではいっそ、魔族の特性を利用なさってはいかがでしょう?」

「魔族の特性?」

「パレードに参加している者たちは、それこそずっと実家にも帰れず、おそらくは家族や恋人とも長らく会えていないはず。ですので、祝宴に彼らの親しい相手を招待する、という形をとってはいかがでしょう。さすがに配偶者や恋人、子供の前ではたいていの者は穏やかに傾くし、他の者のことなど構いますまい」

 自分とエミリーの関係を思い起こしながら言っているのだろうが、確かにその通りだ。淡泊な俺だって、やっぱりマーミルがいるといないとでは色々と対応が違ってくるのだから、セルクの意見には納得がいく。


「だが……今からその手配をするには、時間が足りなさすぎないか? ええっと、名簿を頼りに家族を訪ねて……それも全国に散らばっているのを、八百件も回るのはなぁ」

「旦那様」

 筆頭侍従は力強い口調で呼びかけてきた。

「常々思っておりましたが」

 えっ。

 今度はなに?

 女性関係の次は、何を心配されてるの!?


「旦那様は大公の権限を甘く見ておいでです。それはお心の御優しさ故なのでしょうが、時には配下に強く結果だけをお求めになっても、よいと存じます」

 つまり……望みを伝えてどうにかしろ、と、命令するだけでいいってこと?

「確かに……ネズ……ヴォーグリムが大公の時には、俺の辺りまでしょっちゅう無茶な命令が下ってきてた気はする」

 セルクがこくりと頷く。

「つまり、俺にもそれをやれと」

「普段はなさらない旦那様であればこそ、です」

 確かに同じ大公の連中から、「甘い甘い」と言われて、最近は配下との付き合い方も見直さないといけないかな、と思うことはあったりもした。


 そうだな……たまには試しにやってみるかな。

「では悪いがセルク。ジブライールを呼んでくれるか?」

「心得ました」

 筆頭侍従は優雅に一礼し、執務室を出て行った。


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