episode69・進化と安息
その後のことだ。傷裏が要請してやってきた警察によって、赤井は逮捕された。兵藤の狙撃は正当防衛と認められたため捕まることはなかった。
その赤井だが、逮捕の直前、傷裏にあるものを渡していた。
『君は私の研究を中断させた。よって、君は私の研究を推進させる義務があります』
やはり、たった数分で人格が変わるわけではなかった。
そして、今回の仕事の責任者である赤井がいなくなったことにより、思考操縦システムの開発計画は永久凍結、傷裏たちに報酬は支払われるものの、翌朝には帰ることになった。
そんな折りのことだ。
『相談がある』
アウラは皆にそう告げた。告げたとは言っても、今回は携帯のメモで言葉を打ったのでみある。
『僕の過去と決別しなければならない。悪いけど力を貸してほしい』
「過去?」
『昨日会った異形の女も関係している』
この言葉に、全員が身構えた。それほどまでに、アレは衝撃的だった。
傷裏一行の5人は誰にも邪魔されない場所……ブレイン社の屋上で集まった。兵藤はいない。おそらく自ら身を引いたのだと、アウラは直感した。
『皆にはインパクトが強いと思うけれど、実は僕、普通の人間ではない』
「アロラさん、それって一体……」
『傷裏先輩は似たようなものと出会ったと聞いている』
「似たような?」
『クローン』
「っ!」
傷裏の表情がより強張る。
東郷が作り出したクローン。リーダーの意のままに動く生体兵器。
『あれは遺伝子情報を元に人間を作り出していたけど、僕は既存の人間を元に遺伝子改造を施された存在。僕たちを作った研究者は「進化個体」という群体名をつけた』
「ちょっ、ちょっと待ってアロラさん! 進化個体? 一体なんの話を……」
『驚くのも無理はない。でも事実だ。僕は人であって人ではない。より強い人間になるために、改造手術によって生み出された』
計画名、Revolutionプログラム。
それはまさに、突拍子もない真実だろう。いきなり「私は人間ではありません」と言われて素直に信じる人間などいるわけがない。
『進化個体のコンセプトは「無限に進化し続ける人間を作る」こと。私はそのテスト個体、個体名、アウラ・アロラなの』
「でもアウラちゃん……。あなたには人間らしい感情があるじゃない。負けず嫌いだったりウサギを愛でだり……」
『そうですね、戸田さん。進化個体はあくまで人間の限界を超える存在なだけであって、別に主の命令によってのみ動く人形ではないんです。異常なまでの学習能力、成長能力を省けば普通の人間です』
ここで一区切り、アウラは文字を打つ指を止めた。
ジッと携帯を見つめ、手を震わせながら。
携帯を、そっとポケットに仕舞った。
「…………ぅは」
覚悟を決める。
いつの間にか口数が減り、今となっては無表情となってしなったアウラが、大勢の前で。
口を開く。
「……僕は、生まれて早くに、両親を亡くした。そこで、児童養護施設に……預けられ、ある軍人の一家に、引き取られた。そこで……」
口が止まる。
思考が止まる。
この情報を口にすることを、思い出すことを、自然と恐怖していた。
だが、それではダメだ。
決めたんだ。
信じてみると。
傷裏か、戸田か、あるいは兵藤か、もしくは全員か。
誰かに感化され、アウラは人を信じることに、興味が湧いた。
「そのまま、ある研究所に引き渡された。そこで僕は……進化個体のテスト個体に任命された。脳や遺伝子をいじくり回され、生体兵器に改造された。僕以外にも、身寄りがない人も……子供も、大人も……」
「そんな……酷い……」
黒崎は両手で顔を覆う。信じられないことだろう。特に黒崎のような感受性の高い人間には刺激の強い話だ。
「僕はそこで、バーバリアンパイロットになるべく、教練を受けた。進化個体である僕は、知識や技術の吸収力が高く、1年で技術を得ることに成功、そのまま、進化個体のみで構成された実験部隊「マッド隊」に配属された」
そこはまさに地獄だった。繰り返される投薬の毎日、終わらない実戦実験、正真正銘の地獄。
「皆はマインドコントロールを受けていた。感情なき操り人形ではなく、自らの意思で命令に忠実に従う、絶対服従」
「皆『は』っていうことは、アウラちゃんは違うってことね?」
「戸田さん、理解が早い。僕は初期ロットの試作品だったため、マインドコントロールが十分ではなかった。研究者たちは完璧にかけていると思っていたようですが、実際は僕がかかっているように欺いているだけでした」
偽っていた。
そうでないと、『処分』されてしまうとわかっていたから。
「だから僕は、この地獄から皆を解放できる策を探した。その結果……」
見つけた。
アウラは小さなUSBを皆に見せる。
「レクイエム。Revolutionプログラムの全体管理を司るデータであると同時に、プログラムの最上位権限を持つ司令塔。この中にはマインドコントロールの手法も記載されていた。これなら、何か解決法もあると思って、強奪した」
強奪して、脱走した。
行くあてなどなかった。生まれてこのかた戦場しか知らないのだ、頼りなどあるはずがない。
しかし、今すぐ命を狙われる危険があるというわけでもなかった。レクイエムが人質の役割を果たしていたからだ。これが消失してしまえば研究所もタダでは済まない。派手な動きはできなかった。
「逃げ場を求めて彷徨っていると、市原さんと出会った。あの人は僕の境遇を既に知っていて、匿ってくれた。衣食住を提供してくれた」
「市原さん……一体何者なのよ……」
頭を抱える戸田の疑問に、答えられる者はいなかった。
「あの異形の女は……僕と一緒の部隊にいた仲間だった。他に、初日に僕たちを襲ったスーツの男も、それに……異形の女と戦っていた時に先輩を狙撃したのも同じ部隊だった」
「あのタコ足は……その進化が原因?」
「そう、傷裏先輩。人間の可能性は無限なんだ。それはいい意味でも悪い意味でも。人体が状況に即した進化を求めれば、あぁいう異形が生まれても不思議じゃない」
でも……。
煮え切らない接続詞が付属された。
「あの人の進化ルートは、そこじゃなかったはずなの。進化ルートを変えるには……」
「ちょっと待ってアロラさん。まずその進化ルートの解説を」
「あ、うん……。モンスターを育てるRPGとかで、1体のモンスターが数種類の派生進化するのってあるでしょ? あれと同じで、個体によって進化する傾向ってのがある」
「傾向?」
「思考力の進化する傾向が強い個体、筋力の進化する傾向が強い個体、パイロット技能の進化する傾向が強い個体と、様々。あの女性の場合はパイロット技能のみに焦点を当てていたはずなのに、あの進化の仕様は……何かある。いやそれ以前に……」
アウラは1度、レクイエムに目を向ける。
「向こうが進化のルートを変えることは……できない。それができるのは、レクイエムだけだから」
「……そもそもだけど」
ここでようやく、神野が口を開く。
「その元仲間は、話から察するにアウラさん……もしくはアウラさんの持つレクイエムを狙っている、そうだね?」
「……はぃ」
「それは矛盾しないかい? 君はさっき、レクイエムが人質の役割を果たしているから向こうも派手な動きができないと言った。けど、昨日のあれは明らかに派手な動きでしょ」
「でも……避難警報で人を避けた」
「それでも、死体は残った。向こうからしたら、これは結構マズイんじゃないのかい?」
アウラに反論はなかった。
ということで、と神野は人差し指を上に突き立てる。
「だとしたら答えは自ずと決まってくる。……向こうのとって、レクイエムは最早不要の存在となった。これ以外にないと思うよ」
「不要……?」
「例えば、レクイエムと同質のレプリカが完成した、とか」
最上位権限があれば進化ルートの変更が可能となる。
ならば、最上位権限が手に入ればルートの変更ができる。
当たり前の事実だ。
「……そんなの」
「アウラさん、君が脱走してからどれぐらい経つ?」
「……1年」
「1年もあれば、オリジナルの複製は不可能ではないんじゃないのかな?」
これもまた、反論の余地はなかった。
しばらく、無言の空間が一帯を覆った。
それを砕くのは、傷裏だ。
「それで、アロラさん。君はこれからどうしたいんだい?」
「…………ぇ?」
「ただ話しただけ、なわけないよね。君は最初に力を貸してほしいと言ったんだ。つまり、研究所で被害を被っている仲間たちをどうにかしたい、でも戦力が足りない。だから僕たちに協力してほしい。だろ?」
「…………手伝って、くれるの?」
「今更何を言うのさ。僕たちは君の力になる。特に理由はない。仲間が辛いのなら、それ相応の力を貸す。それだけだよ」
アウラは皆を見る。
傷裏、黒崎、戸田、神野。
皆、嫌な顔をしない。
皆、笑顔だ。
力強い、覚悟を決めた顔だ。
(……あぁ、そうか)
ここでようやく、アウラは理解した。
アウラは、皆を信頼したいと。
「……じゃあ、お願い、します」
精一杯の力で、アウラはそう告げた。




