episode51・影響と北欧
「人が人に与える影響……か」
唐突に、傷裏が呟く。
場所は変わって、ブレイン社からさほど遠くないファミレス。傷裏一行はそこで少し遅めのランチに興じていた。
時間は午後の1時。午前のうちはまださして問題はなかったが?夏本番ということもあってか、外は異常な猛暑に見舞われていた。
そんな中、傷裏は兵藤に言われたことを思い出していた。
人間は何かしら、どんな些細な点であろうともどこか、他者と影響を受けたり与えたりする存在だ。
他者なくして自身はない。以前傷裏が考えていた対比の問題と通ずる所がある。
「ん、どうしたの?」
それにいち早く反応したのは、傷裏の右横に座る黒崎だ。左横にはアウラ、対面側の席に戸田と神野が座っている。
「いや……ね。僕が他人に与えてきた影響ってどういう害悪を生んだんだろってね」
「兵藤さんが言ってたこと?」
「うん。きっと僕の場合は、多くの人を殺したことが悪影響なんだろうね」
「そんなこと言ったらキリがないじゃない」
「そうなんだけどね……気にしなかったらそれこそ人として終わっちゃうよ。ある程度は割り切っているつもりなんだけどね」
傷裏は何回か自分で言っているが、何も聖人君子ではない。この世の全ての問題点を浄化できるとは思っていない。自分の仲間を守れればそれでいいと思っている。
だが、それで全て吹っ切っているわけではない。割り切ったつもりでいても、多少なりとも罪悪感はある。
例えば、以前の『ヤマタの集い』の一件。あの時傷裏は朝垣木村の2名を殺害した。彼らはテロリストと言えどれっきとした人間であり、それゆえ家族や友人がいただろう。そんな人たちにも、間接的な影響を与えたに違いない。
「それ以前にも、僕は仕事という大義名分で多くの人を殺してきた。それは正当化できない。でも、だからといって殺さずに戦えるほど、僕は優しくなれない」
優しくできないくせに、苦悩する。
傷裏の苦悩など、周囲に与えた悪影響と比べれば大したことはない。
「私は……」
それをしっかりと聞いた上で、黒崎は言う。
「私は……傷裏君の意見を捻じ曲げる権利も根拠もないけど……でもね」
ズイッと黒崎が詰め寄る。
「傷裏君が与えた影響は、何も悪いことばかりじゃない。それを理解しておいてほしい」
「え?」
「私は傷裏君に救われた。だから今、私は幸せでいられる。恩を感じている。戸田さんだってそうですよね?」
「そうねぇ〜。私がチューナーにかかっていることを傷裏が気づいてくれなかったら、私は変わることはできなかったわねぇ」
「そういうことだよ、傷裏君。人を殺していることは確かにいいことではないし、負い目だって感じなくちゃいけない。覚悟もしなくちゃいけない。でも、だからといって自分の全てを否定する必要はないってことを、わかってほしい」
黒崎の一言一句は、傷裏の心の荷を軽くしてくれる。安らぎを与えてくれる。
そうだ、つい先日に思ったではないか。傷裏は自身のワガママを押し通してでも先に進む。他人の意見より自身を優先させる。
それが正しいと信じて。
他者の未来を奪ってでも、貫きたい正義がある。
決めたじゃないか、その罪を背負うと。
「……ありがとう」
ここで彼女を信用しないという選択肢を、彼は有していなかった。それほどまで、傷裏は彼女を信頼していたのだ。
これこそ兵藤の言う『人が人に与える影響』というものだと、狂信的、盲信的なものと、傷裏は理解していなかった。
「さぁさぁ、空気を変えよう。ここはボクが奢るから、皆好きなだけ食べていいよ」
神野が場を和ますように言う。その裏表のない性格のおかげで、傷裏は心を落ち着かせることができた。
「お、課長、今言ったこと絶対だよ? 男に二言はないんだよ?」
「えぇ、どんとこいです。今回の仕事では旅費に宿泊代はブレイン社持ちですからね、今日は財布に余裕があるんです」
「ほぉほぉ、それはそれは、なら遠慮なくいくよー!」
戸田の陽気な言葉を機に、食事はスタートした。
「ちょっ、皆さん、結構食べますね……」
神野の柔和だった顔色は徐々に青白く変貌しつつあった。
30分ほど経過した現在、レシートに記載された合計金額は5ケタを超えた。
まずは傷裏と黒崎。彼らは別に少食というわけではないのだが、神野への配慮を考えてそれぞれ800円程度のセットメニューにとどめている。
次に戸田。彼女は見たままの豪快さがそのまま食欲に反映されているらしく、現在の時点で既に大皿が3皿、しめて3500円相当を1人で食していた。
問題は最後、アウラである。何度でも言うが、彼女は表情に出ないだけで感情は豊かな少女だ。よって、無口だからといって少食という固定概念を持つのは得策ではない。
たとえ1人で8000円相当の食事を平らげ、それでもなお注文を続けていても(相変わらず声は出さないため傷裏が代弁している)、それはありえない話ではないのだ。
ちなみにアウラが食しているのは全て肉系(ハンバーグも込み)であり、無表情で淡々とかつ高速で胃の中に吸い込んでいく様子はさながら掃除機やブラックホールのようであり異常にシュールだ。
「傷裏君傷裏君……」
そんなアウラを驚きながら見つつ、傷裏の肩を小さく叩いて耳元まで顔を近づける。
「あの子怖いよ。とても怖いよ。無表情過ぎてバイオレンスというかカオスというかダークネスというか……今あの子どんな表情してるの⁉︎」
小声だが感情の緊迫感はしっかりと伝わってきた。一応話の内容は聞いているのだが、傷裏としてはここまで至近距離に来られると何か青少年として大事なものを失いそうで、むしろそこが怖いのであるが、そんなことを本人に言えるはずもないのであった。
「……感無量、って顔に埋め尽くされているよ」
「あの顔でその感情ですかい……」
ここで黒崎は、傷裏にアウラについて色々聞く。
「あの子、少なくとも日本人じゃないよね? どこ? 北欧系?」
「うん、アロラさんはフィンランド生まれフィンランド育ちの生粋のフィンランド人だよ」
日常ムードのところ申し訳ないが、ここで政治的な余談だ。
先ほどから傷裏はフィンランドフィンランドと言っているが、現代、フィンランドなる国は存在しない。
いや、フィンランドという国がないわけではないのだが、国とは認知されず、EUCフィンランド領と呼称される。
欧州連合共同体、通称EUC。欧州の国々が同盟を結んだことで生まれた国家群。正確には国ではなくあくまで同盟国全体を総称した際の呼び名でしかないのだが、同盟国としても他国からしても、それは立派な国である。
EUCが国と認知される同時に、同盟国群は国ではなく地名と認識され、イギリス領、フランス領と称される。
各国代表によって構成される議会を中心に政治は行われ、EUC全体としての利益を最優先とする。
その性質上、それぞれの国が自国の利益を前提として行動するため意思の分裂化が懸念されるが、EUCではそのような基本的に問題は発生しない。前述した通り、EUCは同盟国群を指すと同時に国としても認知される。同盟国は独立はしていても、経済システムはある程度連帯されており、軍事的文化的にも共存関係を結んでいる。日本では地方ごとに公共団体が存在して独自の経済体制を作っているのと同じようなものだ。
「それで、あの子は機関の職員なんだよね?」
「うん。諸事情は僕も詳しくは知らないけど、1年前に市原さんが迎え入れたって聞いてるよ」
「あの子何者? シミュレーションであの子が使ってた……オーディン、だっけ? あんなオーバースペックな機体、見たことない」
「なんか彼女、昔は軍にいたんだって。その時の愛機のデータがあれ。原本……というか本物は軍に預かってもらってるらしい」
「軍……ねぇ。なるほど、それならある程度は納得できるわね」
「あと、黒崎さんと似たところもあるよ」
「え?」
「彼女、機関で療養中なんだよ。精神の」
「あ……なるほど」
考えてみれば当然の話だ。先刻の戦闘でアウラの戦闘力が相当のものとは判明したが、彼女はまだ若き女子高生。精神的負担がない方が異常だ。現に傷裏や黒崎も、そういった精神の疲労はある。先ほどの傷裏の独白がそれである。
BP機関のような、バーバリアンパイロットへの精神療養を専門的に行っている施設というのは世界的に見ても多くはない。そのため、そういった施設は重宝される。永世中立国ゆえ基本的にどこの国の患者も引き受けてくれる日本の、となればなおさらだ。
「だから、あまり踏み込んだ質問は控えてあげてほしいんだ。アロラさんへの気遣いもそうだけど、単純に僕たちのこの仲を裂くような事態は勘弁だからね」
「……うん、わかった」
黒崎は素直に引いた。自分と照らし合わせ、あれこれ質問されたら嫌な思いをすることを理解したからだろう。
しかし、である。
「…………」
「あ」
これは当人の真横でするべき会話ではなかった。アウラが毎度おなじみの無表情で傷裏を見つめていた。その表情は懐疑心。何を話していたのか、と聞きたげであった。
傷裏はアウラに気づかれないように安堵、胸を小さく撫で下ろす。よかった、アウラは会話の内容までは聞いていなかったようだ。
しばらく見つめられたが、なんとか平静の表情をキープすることで懐疑心を落ち着かせることに成功した。
そんな懐疑心と入れ替わるように、アウラの表情が希望に変化する。その右手にはメニュー表(これもまた 他のものと同様にホログラム形式である)があり、左手で1点が指差されている。
夏限定超高級スイーツパフェスーパーエクストラデラックス。価格、2300円。
まさかこれを食べるというのか。現状アウラはさらに3品の主食系の注文待ちをしているというのに、その上でこれ。この店でおそらく最も金額の高い、かつ巨大なこれを。朝のニュース番組でも特集されるような これを。
アウラの感情。
希望希望希望希望希望希望希望希望希望希望希望希望希望希望希望希望希望希望希望。
隙間なく希望。
チラッと神野を見る。彼は自身の財布とにらめっこの最中だ。遠目で見る限り、予算にはまだ余裕がありそうだ。最悪はクレジットカードもあるようだ。
そうとわかれば決断する。
傷裏は手元の呼び出しブザーも鳴らした。
「すいませーん」
神野の絶望ボルテージが上昇した。




