episode25・父
柳沢織の家は小さな小料理屋を経営している。和風メインの古き良き、というものだ。
そんな親の元に生まれたからか、柳沢織の料理スキルは半端なものではなかった。例えるとアニメなどで見るような、一口食すだけで元気が100倍になるような料理を柳沢織は作ることができる。
加えて、柳沢家には『女性は家内になるにしろ働くにしろ、家事一式はこなす義務がある』という家訓があるらしく、料理以外の家事スキルも一通りこなせる。
そんなわけで、傷裏が退院するまでの間、傷裏宅の家事を柳沢に頼むことにしたのである。
入院した翌日、腕がある程度自由になった傷裏に、柳沢から電話がきた。
『ドラちゃんおっひさー。事故に遭ったんだってぇ? 大変だねぇ』
「うん。それで……」
『わかってるよー、家事を手伝えばいいんだっしょ? 引き受けたろうごぜぇやす』
「ありがとう」
『いえいえ、その分報酬は弾ませてもらいますよぅ?』
「わかってるよ。今度高級レストランでディナーでもご馳走するよ」
給料高いしこれぐらい余裕、という気持ちで過大すぎる代替案を提示した傷裏であり、こういう時柳沢は大抵笑って流して「牛丼チェーン店でヨロ!」という風になると思っていたのだ、が。
『え……ディ、ディナー⁉︎ それって……それって……デー……あわわわわ⁉︎』
柳沢は、今までのキャラ設定をぶち壊すレベルで慌てふためいていた。カフェでの一件……もう2度とないと思われていたテンパりモード、発動である。
「柳沢さん、大丈夫?」
『だ、だだだだ大丈夫! バッチグー! バッチリカッチリオッケーバッドだよ!』
「オッケーかバッドかどっち⁉︎」
安堵した。いつもの柳沢だ。
傷裏の柳沢に対しての価値基準が酷いのであった。
「あ、やっぱ嫌? 柳沢さんってマナーとかそういう堅苦しいの嫌いだしね」
『あ、いや…………いいの、かな?』
「オッケーだよ、問題ない。じゃあそれについては追って連絡するよ」
『……ん』
小さい返事。可愛い。
「僕の家と居候の存亡は君にかかってる。何とぞ、よろしくお願いします」
『……よ、よかろう。その任務、しかと引き受けた。ではまたぁ』
若干どもりながらも、完全復帰した柳沢は通話を切る。
(さて、これで僕の家の爆破炎上事件は未然に防がれたか。……あの2人の家事講座も頼めばよかったかな)
そんなことを考えていた時だ。
「やぁやぁ傷裏君。元気してる?」
「以下同文だから省略」
獅童と室井がやってきた。獅童の手にはフルーツバスケット。見舞いに来てほしくない人の2位と3位が同時ときた。ちなみに2位が獅童、3位が室井、1位は東郷である。
(もう泣きたい)
「おいおい、俺たちが来た途端嫌そうな顔をしないでくれよ。俺たちってそこまで嫌われてるのか?」
「……いえいえ、そんなことないですよ。わざわざご足労ありがとうございます。仕事が忙しいでしょうに」
「心配することない。社長なんて座にいると、暇な日はとことん暇なんだよ」
精一杯の作り笑顔でその場を乗り切ろうと奮闘する。正直、とっとと出て行ってほしい。室井だけならまだしも、獅童と2人セットとくるとメンタルがすり減る程度ではすまない。
「そもそも、お2人はなんで僕が入院したこと知ってるんですか?」
「黒崎グループの情報網は伊達ではないということだよ、と言いたいが……実際は梨々香から室井に伝達が来た。遠慮はいらないよ。君には本社を守ってくれたことと娘を預かってもらってることの借りがあるからな。まぁ、この程度では全額返金とはいかんが」
獅童は近くの椅子に腰掛ける。室井が立ったままなのは職務上の問題だろうか。
「そういえば獅童さん、室井さん。例の依頼はどれほど進んでますか?」
「もう8割ぐらいは完成しているはずだ。そうだったな、室井君?」
「はい。あとは君の尽力次第、といったところだ」
獅童に対してと傷裏に対しての口調には違ったニュアンスがあるが、片方は上司なのだから当然だろう。
だが何か別の、敬語とは違うニュアンスを、獅童に対して含んでいるように感じられた。
「それはそうとだな、傷裏君……」
「はい?」
そんな室井の謎のニュアンスには気づかず、獅童が不安げに尋ねてきた。
「うちの娘は……大丈夫だろうか?」
「と、言いますと?」
「梨々香は操縦技術は高いんだが……それ以外はからっきしアウトなんだよ。家事とか事務仕事とか」
「えぇ、この身で理解させてもらいました」
「あ、あぁ……時すでに遅しか。申し訳ない、俺の責任だ」
獅童が頭を掻きむしる。
後悔するように、懺悔するように、苦悩するように。
いや、『ように』という類似や例えではなく、実際にそうなのであろう。
「俺は、愚心に侵されてしまったのか。娘を道具としか扱わず、ろくなスキンシップなんてとったことがない。社の利益を最優先に、それ以外は捨ててきた。娘にはもっと、楽しい人生を歩ませてやるべきだったな……」
いや、違うな。
そう呟き、獅童は訂正する。
「俺は愚心に侵されたんじゃない。俺そのものが愚者だった。人間にとっての、忌むべき感情の塊だ。高校にも行かせてやるべきだった。友達とも遊ばせてやるべきだった。家事も事務も仕込んでやるべきだった。……才能があるからといっても、これは、残酷だな」
それはまさしく懺悔だろう。
罪の清算ではない。同意を求めるわけでも、許しを請うわけでもない。
言ってしまえば自己満足。自身の荷を下ろすための行為。
大抵の人間は、そんな獅童を哀れだ、最低だと思うだろう。
だが傷裏は違う。
彼は知っているのだ。人間がどれほど愚かで罪深く、何より自分自身が最低なことを。
少なくとも、獅童の罪は傷裏より薄く、柔く、芯がある。
傷裏の意思には芯が、定まったものがない。常にブレがあり、修正、改訂を繰り返す。
「獅童さん、あなたがしていたことは確かに愚かで、浅ましく、下劣です」
「あぁ……」
「でも、あなたは何か壮大な目標があるのだと、僕は思っています。高貴な目標を達成せんがために、娘を犠牲にした。逆に言うと、最愛の娘を犠牲にしてでも成就したい目標を、あなたが有しているということなんじゃないですか?」
「…………」
返答はなかった。室井も同様に、沈黙を保つ。
しかし、無言の感情がそこにはあった。
純粋な、不純物のない驚嘆。
「なぜ……」
言葉が、掠れた言葉が、必死の言葉が、紡がれるには相当量の時間が要された。
「なぜ……そう思うんだ、傷裏君。私は君を、利用していた。なのに、君のその台詞は、俺が『道を踏み外して悪の道に堕ちてしまった悲劇の善人』という前提で進んでいるじゃないか」
「はい、その通りです。僕はあなたが、比較的優しい人間だと思っています」
正しいではなく優しい。
道徳的ではないが、その先に見据えているのは光だ。先日の上宇治兄と近しいものだ。
「一応、証拠もあるんです。獅童さんが優しい人間だと信じることができる証拠が」
「……え?」
「獅童さん、黒崎さんを道具と称する割りには扱いが優しいんですよ。……例えば僕が黒崎さんを僕の家で預かることを宣言した時、あなたはそれを了承した。本当に道具として必要なら、特殊部隊に僕の家を襲撃させて奪還すればいいんですから。あなたはそれを行使する力を持っている」
「それは、君がデータを譲渡すると言ったから……」
「そもそもです。僕のデータが欲しいだけならBP機関のメインシステムにハッキングすれば済む話なんですよ。黒崎グループの力なら可能でしょう?」
そうは言ったものの、BP機関の中枢情報を守るファイアーウォールは世界有数のセキュリティを誇る。黒崎グループの力をもってしても、簡単ではないだろう。
「だから僕、思うんです。このスパイ行為は、黒崎さんを学校に行かせる無理やりな口実じゃないかって。本当は普通に行かせてあげたかったけど親子仲が犬猿なことに加えて獅童さんが仕事以外不器用なせいでうまいこといかない」
「俺不器用か?」
適当に言ってみただけだが、室井が神妙に頷いているところを見ると事実らしい。
「そこで、あなたはスパイ行為を名目として黒崎さんを僕と接触させ、情報収集を名目に学校へ編入させた。結果、黒崎さんは学校生活を満喫しているようですし成功でしょう」
しばらくの間、誰もが口を閉ざした。
その末、最初に開口したのは室井だ。
「社長、今傷裏君が述べたことは事実なのですか?」
その言葉の一文字一文字に鬼気迫るものが感じられた。
「……あぁ、事実だ。悪かったな、今まで騙していて」
そもそもだ。
普通父親というものは、いくら才能に恵まれていたとしても血の繋がった娘を危険な地に置くという行為をよしとできるだろうか?
少なくとも、獅童はそれを許容できるほど非情ではない。
そうなると、推察されることは絞られる。
役員会議による判断。
社長の一言で企業の全てが決定されるわけではない。大抵の企業は各担当部署長による役員会議や株主総会で方針を決める。
人材流出などの問題が積み重なり経営が停滞していた黒崎グループにとって、高性能な人材が手元にあるというのは思ってもみない事態であり、有効活用したいと思うのはごく自然な思考だろう。
きっと獅童は反対したに違いない。が、『娘だから』という私的な感情で全員が納得してくれるほど、企業は生易しいものではないのは明白だ。
「じゃ、じゃあ……戦闘データをトレースしたAI部隊の開発計画というのは……」
「それはスパイをさせるための口実だ。まぁ確かに魅力的な商品ではあるわけだし、採用の方向で進めるつもりだが」
「……わかっているのですか? あなたのその行為が、娘さんにどれほどのプレッシャーを与えたか。どれほど精神をすり減らしたか」
「……すまない」
「あの子は! ……あなたと仲を戻したいと……本気で考えているんですよ! なのにあなたはなぜ! チャンスがあるのに、それを投げ捨てるのですか!」
感情の爆発だった。
室井の脳内を占める感情は、憤怒と悲哀。
初めて見せた明確な感情。嘘偽りのない感情。
目頭を熱く、目尻には涙を溜め、室井は逃げるように部屋を出た。
「……すまないな、お騒がせした」
「いえ……それにしても意外でした。室井さんがあれほど感情を露わにするとは」
「まぁ室井にとって、梨々香は娘のようなものだからな……」
「え?」
話を聞くと、獅童の妻は3年前に病に侵されて亡くなっているらしい。
しかし、仕事人間である獅童は子育てに手が回らず、もっぱら住み込みの室井が母親代わりをしていたそうだ。
「俺は……どれほどの遠回りをしていたんだ。娘は強いと、過度の信頼を置きすぎていたんだな。……娘のためと言いながら、1番娘に辛い思いをさせていたのは……俺だ」
実の父親より、室井の方が黒崎梨々香の気持ちを理解していた。
それがたまらなく辛く、悲しく、虚しかった。
獅童が流す一筋の涙は、複雑に絡みあった全ての感情を代弁してるようだと、傷裏は静かに思った。




