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episode20・人的価値

「私は黒崎グループ社長、黒崎獅童の命であなたに接触した」


 2人は散らかった総務課オフィスで正対した。傷裏の片腕が崩壊しているが、今はそんなことどうでもいい。

 傷裏の無傷の手にはナイフ。不本意だが、最悪の場合は使わざるをえない。


「目的はあなたの戦闘データ」

「用途は?」

「……」


 黒崎が言うのを渋っているようなので、傷裏はナイフを指の上でくるくると回す。

 黒崎の体がビクッと動いた。確実にトラウマ的な何かを植えつけてしまったようだ。


「……あなたの戦闘パターンをトレースした、AIの開発」

「AI?」

「バーバリアンに搭載するAIは、パイロットの負担を軽減させるのがせいぜい。でも、黒崎グループはパイロット自体をAIに置き換える技術の開発に成功したの」


 つまり無人兵器。人が死なない兵器。死を知らず、恐怖を知らない兵器。


「だけど、それは以前浅原工業が失敗し、実現不可能と判断された技術じゃなかったっけ?」


 2年前に浅原工業が大々的に発表した一大プロジェクト、『神風計画』はAIにバーバリアンを搭乗させる計画。

 しかし、あらゆる戦況に対応するだけの複雑な情報処理能力をAIに備えることは不可能と判断され、計画は凍結した。


「でも、あらゆる戦況に対応した一流パイロットの戦闘データをそのままトレースすれば、問題点は全て解消される」

「なぜ僕を選んだの? 僕より操縦技術が高いパイロットはいくらでもいるだろうに」

「必要なのは操縦技術だけでなく、極限状況においてどれほど冷静に、最適な選択を取れるか、なの」

「最適な選択?」

「普通なら思いつかないような、イレギュラーというか邪道というか……そういうスキル」


 黒崎グループが総力をあげた結果、そのスキルが最も高かったのが傷裏龍だったということだった。


「これが全てよ」


 語られた。

 その間、傷裏は黒崎の表情……というより顔の筋肉の動きを随時観察していた。

 結果、傷裏は嘘をついていないと心理学的に証明された。


「1つ確認したい。黒崎さんは、本当に深雪の件でトラウマを負ったんだよね? 真意がなんであれ、それも理由の一片に含まれているんだよね?」

「……えぇ。そこを偽る気はないわ」

「そう……ならいい」


 会話に区切りを打つ。

 1分のどうとも言えない微妙な沈黙を傷裏が破る。


「黒崎さんは、これでよかったの?」

「え?」

「親の命令で危険な、最悪捕まって拷問されるかもしれない任務を受けて、本当によかったの? これは、黒崎さんが望んでしていることなの?」


 黒崎は黙る。沈黙の檻に逃げ隠れる。

 傷裏はそれを認めない。


「黒崎さん、答えて。他の誰でもない、あなたの意思を」


 まだ、答えない。


「黒崎さん!」


 感情をぶつける。

 意思を求める。


「……る、じゃない……」


 そして、黒崎は口を開く。


「嫌に決まってるじゃない! 親のために身を削って、精神も削って、そんなの自らやるはずがないじゃない! 私がいつもどれだけ恐怖していたかわかる⁉︎ あなたにも、市原さんにも、お父さんにも! 全てに恐怖してるのよ、今も! どうして私がこんな身に余ることをしなくちゃならないの? どうして普通の高校生活を送れないの? あんまりじゃない! 親の莫大な金なんかいらない、天性の操縦技術なんかいらない、お願いだから、私を普通にしてよ!」


 悲痛の叫び。

 今までずっと内側に溜め込んでいた淀みを、黒崎は発散した。

 叫び終えると、黒崎は全身が弛緩したようにその場に座り込んだ。


「確かに私はあなたを欺いてたけど、楽しかったのよ。学校で笑い合って、映画見て、カフェで恋バナして、洋服買って」


 黒崎の目には、うっすらと涙が。

 そこに含まれているのは、悲しみや苦痛ではない何か。


「私さ、辛かったんだ。騙すのが、今の幸せを壊すのが。だからあなたに全てを話した。だって普通に考えたらおかしいでしょ。戦って負けたからって全部喋るとか」


 満足気に、意思を語り尽くした。


「……なるほどね。うん、わかったよ」


 傷裏は理解した。

 理解すれば、あとは簡単だ。

 行動を起こす。


「黒崎さん、獅童さんに連絡を取ってくれないかな?」

「……え?」


 傷裏は満面の笑みで、黒崎を迎える。


「いっちょ反乱しようじゃないか」




 黒崎獅童のPCにテレビ電話回線が入った。相手は娘の黒崎梨々香。


「……こんな時間に珍しいな」


 梨々香が獅童にテレビ電話をかけるのは傷裏龍の情報の定時報告。この通信が外部に漏れるのは避けるべき事態ゆえ、人との接触が限りなく薄い夜にかけるよう言ってある。

 それを夕方の5時、それも定時報告以外となると、何を指し示しているのかは決まってくる。

 回線を開き、画面に映し出される愛娘の姿。


「梨々香、定時報告ではないこの時間に連絡をしてきたということは……」

『えぇ、お父さん……』


 黒崎は画面から姿を消す。どこか別の場所に置いてある入手したデータを取りに行っているのだろうか?

 そう考えた獅童は、浅はかだった。

 そもそもだ。

 獅童が黒崎梨々香に頼んだのはデータのコピー。しかもコピーされたデータは自動で獅童のPCに送られる手はず。

 それがない時点で、違和感に気づくべきだった。


『お久しぶりです、黒崎獅童さん』


 黒崎梨々香に代わって現れたのは少年だった。

 傷裏龍。


「……梨々香、これは一体どういうことだ?」

『1つ言っておきますが、あなたの娘さんは仕事をしっかりこなしましたよ。ただ、相手が悪かった』


 見ると、傷裏の片腕が原型を留めていなかった。何があったか、聞かずとも大体の想定はついた。

 つまり、傷裏は『あの』黒崎梨々香と生身で渡り合い、勝利を手にしたのだろう。


「化け物が……っ」

『なんと呼称しようと構いません。そんなものに意味はありませんからね』


 悪びれもなく言う。

 いや、本当に悪意はないのだろう。それ以前に悪ですらない。

 法を犯しているのはこちらなのだから。


「……その様子だと、大方は聞いているんだろ?」

『はい。それでですね……』


 傷裏は表情を変えずに言う。

 感情の起伏もなく。

 平坦に。


『獅童さんの計画に乗ります』

「…………………………………………………………………………………は?」

『理解できないなら言い方を変えます。僕の戦闘データをトレースしたAI開発に協力します』


 理解が追いつかないという現象を、獅童は初めて実感した。

 言葉を表で受け取るなら喜ばしい宣言だろうが、こういう事象には当然の如く裏が生じる。


「……何が目的だ」

『人の代わりにAIを乗せる。素晴らしい案だと思いますよ。嘘ではありません。これなら戦死者はぐっと減ることになるんですから』


 相手側の戦死者は考慮されているのか、と聞きたいところだったが止めた。その答えは『ツァリーヌ』襲撃後の会合で話されたのだから。

 きっと言うだろう。「知らない人まで心配する必要はない」と。


「そう言ってくれるのはありがたいの一言に尽きるが、君からの要望はなんだね? まさか無条件で協力してくれるわけではないだろう?」

『えぇ。こちらからの要望は2つ。まず1つ目は、黒崎梨々香さんの正式な転職の確認をしてもらいます』

「……転職?」

『はい。黒崎さんは本日より黒崎グループのテストパイロットを辞職、BP機関への再就職しました』


 先ほどから驚かされてばかりだが、これにはさすがに怒りを見せた。


「一体なんのつもりだ! そう簡単に受け渡すと思っているのか!」

『もちろん思ってません。あなたにとって黒崎梨々香さんは大事な愛娘であり貴重なテストパイロットですから』

「なら!」

『ですがそんなこと、もう遅いんですよ。これはあくまで事後報告なんですから』


 傷裏は「確認」と言った。つまり、そういうことなのだ。

 頭が壊れそうだった。理解に苦しむ。

 傷裏の背後に、暗い面持ちで立った黒崎梨々香を見つけ、なんとか言葉を絞り出す。


「梨々香、これは……お前の判断なのか?」


 黒崎梨々香は傷裏と代わって前に出る。

 覚悟を決めたように、真っ直ぐに獅童を見つめる。


「えぇ、お父さん。これは私が決めたこと。もう私は、普通に生きたいの。企業のテストパイロットとか、スパイとか、そういうのはもう嫌なの」

『だそうです。あ、心配せずとも彼女は事務方の仕事を回すので大丈夫です』


 事務仕事を教えるのは大変そうですが、と傷裏は苦笑いと共につけ加えた。


「……そっちがその気なら、こっちは生活代の支給を止めさせてもらうが構わんのだな? 家に帰って来ても入れる気はないのだが、そういう覚悟なんだな?」

『そこは大丈夫ですよ。僕の家に住まわせるつもりですし』


 次に生じたのは憤怒ではなく、至極真っ当な倫理的感情だった。


「…………はぁ⁉︎ おま、何考えてんだ! 俺の娘をどうする気だ⁉︎」

『ちょっ、お父さん⁉︎ 私別にそういう展開になったわけじゃないからねガチで!』


 やんややんやと黒崎親子が騒ぎ立てる。先ほどまでのシリアスムードはどこへやら。

 2人は数分かけて落ち着きを取り戻し、頭を掻きながら獅童が先に口を開く。


「これはあれだな、完全に詰んだということだな。……了承した。娘が望むのなら致し方あるまい。それで、2つ目の要望とは?」

『はい。実は……』


 傷裏は2つ目の要望を告げた。


「なるほど……意外とがめついな、君は」

『えぇ。貰えるものは貰っておかないと』


 あまりにも唐突な請求。

 突拍子もなく脈絡のない要望。


『以上の2つを条件に、僕の戦闘データを提供致しましょう。いかがなさいますか?』


 黒崎梨々香を手放すのは色々な面で惜しいが、まぁ大丈夫であろう。

 傷裏の大胆不敵なその眼差しは、いい意味でも悪い意味でも、黒崎梨々香を任せてもいいと思えた。


「いいだろう。その要望、しかと受け入れた!」


 こうして、傷裏は新たなコネクションを手に入れることに成功した。

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