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後半




 その日、私はいつものように翌日に使うローを取りに、果樹園へ向かっていました。

 しかし、非日常な出来事がその時起こってしまったのです。

 籠を持って歩いていた私の横の方から、一人の男性が飛び出して来ました。

 突然の事で避けられなかった私は、その男性とぶつかり倒れてしまいました。

 更に悪い事に、その男性は倒れた私を乱暴に引き上げると、鋭いナイフを私の喉元に着きつけてきたのです。

 目まぐるしく変わっていく自分の状況に、私は着いて行くことが出来ませんでした。唯、今の自分の状況が悪い方向に転んで行っているという事だけは、分かりましが。

 そして、私は他人事のように「ああ、大変な事が起こったな」と思いました。


 そんな事を考えると同時に、男が出てきた方向から大きな声が聞こえてきました。そちらに目を向けると、彼が上がった息を整えながら此方に少しずつ近づいているところでした。

 彼は私が男に捕えられているのを見ると、スッと表情を消しました。

 その表情の変化に、私は恐怖しました。

 自分を害すはずの男の存在よりも、静かな表情をする彼に恐怖を感じたのです。

 彼の醸し出す雰囲気は私をも切ってしまうのではと感じるほど、鋭いものでした。

 きっと私を捕えた男も、彼の変化に気付いたのでしょう。私を捕える腕をと着きつけるナイフを震わせます。

 彼は静かに男に向かって私を放すように言いました。

 しかし、恐怖で我を忘れた男は彼の言葉を聞かず取り乱します。

 取り乱した男の持っているナイフは、私の喉に浅く、傷を作りました。

 小さい痛みに、私は少し顔を歪めました。その行為が彼を更に追い詰める事だと、思わずに。

 男がうろたえているうちに、彼の後ろや別の道から他の自警団員がやって来ました。その事に男が気を取られているうちに、彼は動きだしました。

 一気に男との距離を詰めて来ます。

 それに驚いた男が私の喉元からナイフを離したのを機に、私は男の鳩尾を肘で殴りました。

 私は男が怯んだ隙に男の腕から脱け出します。そのまま勢いに任せて前へ進むと、彼が私を引っ張って自分の後ろの方に追いやりました。

 そして男の懐に入り込み、剣の柄で思いっきり腹を殴りました。

 痛みでしゃがみ込む男を駆けつけた自警団員が取り押さえ、騒動は終結しました。


 安堵から、胸に手を当てて息を吐き出す私に、ハンカチが差し出されました。

 何だろうと目線を上げると、困ったような悲しそうな複雑な表情をした彼がいました。


 血が出ているから。


 そう言いながら以前として差し出されているハンカチを、私は笑顔を浮かべて受け取りました。本当は他人の物を汚すのは気が引けるのですが、彼の好意を拒否するのも、嫌だったのです。

 ハンカチを首に当て、他の自警団員が事後処理をしているところを眺めていました。彼が直ぐに仕事戻らずに私の隣りにいるので、行かなくていいのかと声をかけようと彼の方を見た時、私は硬直しました。

 彼の表情が再び消えていたのです。

 私の視線に気づいたのでしょう、彼が私の方に視線を向けてきました。

 その顔には表情が戻っていましたが、いつも見る彼とは違う、どこか憂いを帯びた表情でした。


 傷つけて、守れなくてごめん。


 彼の言葉に、私は首をかしげます。

 彼は私を助けてくれました。助けてくれた後も男から守ってくれました。

 謝ることなんてない、私を助けてくれたではないかと彼に告げると、弱弱しく彼は首を振りました。


 家まで送っていくと彼に言われましたが、それを丁重にお断りし、私は果樹園へ向かいました。

 一人歩いて、私は心の整理をします。

 あの時、私の心を乱しているのは、彼のあの表情。

 いつも穏やかに笑う彼が見せる、人と戦う時の表情。

 彼はその穏やかな人柄の中に、冷たい刃の様な感情を持っているのだと言う事に、私は不安を感じました。

 何時かその冷たい刃が彼自身を傷つけるのではないかと、不安になりました。






 そして、その不安は現実となり、今…傷つき過ぎた彼が、私の目の前に現れたのです。




 久しぶり。


 そう告げる懐かしい彼の声に、私はすぐに返事を返す事が出来ませんでした。

 何も言えない私に構わず、彼は私に話しかけます。


 今から帰るところ?一人で帰るのは物騒だから、送って行くよ。


 昔と変わらない穏やかな声音に、私は涙が溢れました。

 彼は変わっていない。

 でも、世界は、人々は…彼を変えた。

 私には分からないいくつもの悲しみや苦痛を乗り越え、傷つきすぎた彼に、自分は何が出来るのだろうかと。


 ずっと前から感じていた彼を想う恐怖は、この時、私の中にありませんでした。


 首を振りながら否定を示し、私は彼の方へ歩いて行きました。

 私の不可解な行動に彼は何も言わず、私の好きなようにさせてくれました。

 彼の近くまで行き、彼の服の裾を少し掴みます。


 いきなり居なくなってしまったから、驚きました。

 うん。

 いきなり居なくなってしまうから、傷つきました。

 ごめん。

 時折聞こえてくる貴方の噂だけが、貴方の生きている証でした。

 俺の事気にかけてくれてたんだ。


 嬉しそうに笑う彼は、私の良く知っている彼でした。


 どうして笑うんですか。私は怒っているんです。

 だって嬉しいから。君にとって俺の存在が大きいんだって分かったから。

 どうして…嬉しいんですか。



 私の問いに答える前に、彼は私をその両腕の中に捕えました。

 突然の事に驚いて、流れ始めていた涙が止まりました。


 だって、…君の事が昔から好きで、愛しくて仕方なかったから。


 彼の言葉に、止まったはずの涙が、再び流れ始めます。

 嬉しくて、切なくて。

 初めての感覚に、私が今まで塞き止めていた想いが涙と共に溢れだします。


 私も、貴方が愛しくて仕方ありませんでした。貴方に囚われてしまう自分を、恐れてしまうほどに。






 お互いを求め、私たちは夜を共に過ごしました。

 目を覚ました時、彼の姿はもうありませんでした。

 重い体を引きずりながら、遅い開店の準備をしていると、トーネがやってきました。

 沈んだ面持ちの彼女の話によると、彼は朝に町を出発してしまったそうです。

 私の気持ちを知っているトーネは、店の開店を遅らせるほど、避けなくても良いのにと言いました。

 その言葉に苦笑を漏らし、私は準備を再開します。


 もう、私の中に彼への想いに対する恐怖はありません。

 心が苦しくならないと言えば嘘になります。

 だけど、この空の下のどこかで彼が彼らしく生きていてくれる。それを思うだけで心が温かくなるのは嘘ではありません。



 もう二度と、彼はこの町に戻ってこないのかもしれません。

 もう二度と、私の事を愛していると言ってはくれないかもしれません。


 それでも、構わないと思いました。







 彼と私が再会して半年後、彼は世界を救った英雄となりました。


 それから後、私は一つの命をこの世に産み落としました。


 今も、彼が何をしているのかは、噂でしか知る事が出来ません。


 ただ、私は彼が彼らしく生きていてくれればと、祈ります。

 愛しい幼い私達の息子と共に。




 



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