キャッチ
誤差、0.00024度。
「もう一度、調整を」
了解、ときっかり0.5秒遅れて、地上から。
許される誤差の範囲は、角度にしてこの半分。時刻はもっとシビアだ。
調整の時間は、まだある。もう一度、最初からやり直しだ。
瀬野陽葵、という女がいた。
宇宙工学技術者で、物理学者で、宇宙飛行士。合同宇宙ステーションで約2年間、複数の研究プロジェクトに参加したあと、慣性制御技術の実験に志願した。
実験は失敗した。いや、ある意味では成功だった。陽葵の乗った宇宙船は加速を続け、太陽系を飛びだしていった。銀河系の重力中心を大きく周回した後、加速は終了したが、その時にはすでに亜光速に達していた。
「調整、終了しました。誤差、0.00002度。ゼロ4つです」
「了解。このまま」
ほっと一息つく。あとは、時間がくるまで待機だ。ぼくは、コックピットに唯一持ち込んだ、陽葵の写真のプリントアウトを見た。屈託のない笑顔。旅行先の長野で撮ったもので、温泉旅館の前で、Vサインを出している。たしか、この時は24歳。
──時間になった。
リンクさせた7つの子機を宇宙空間に展開し、時空干渉網を形成する。これが、キャッチャーミットになる。この見えざる網から、およそ1kmの縦深で、突入角度と逆向きの慣性力を発生させ、加速度を与えることなく急激に地球との相対速度を変化させる。
彼女を捕まえる、唯一の方法だ。
慣性制御技術はずいぶん安定したが、いまだに、このレベルのエネルギー網は危険とされている。もし、突入角度がずれていれば、最悪の場合、あらぬ方向に重力波が発生して、ぼくの船が粉々になる可能性もある。
だから、ぼくが志願した。この役目は、他の人間には任せられない。
亜光速で飛ぶ彼女の船は、通常の手段では観測できない。ただ、重力波による間接的な観測と計算によって、位置はわかっている。角度と、時間も。
──あと3秒。
デジタルの数値をじっと睨む。ほかにできることはない。ただ、慣性制御装置から送られてくる7つの数値とエラーログを監視するだけ。いざという場合に備えて。
その時は、結局こなかった。……成功だ。
ぼくの船と、慣性制御装置の子機とぴったり同じ相対速度、つまり、ゆるやかに地球のまわりを回る周回軌道にのって、彼女の実験船はそこに存在していた。
汗ばんだ手を、……ゆっくりと布でぬぐって、ぼくは、計器を操作した。ディスプレイに、古くさい通信ソフトの起動画面が映る。すぐに、SOSを受信。チャンネルは、前もってちゃんと設定してある。
通話画面がひらく。とまどった顔の、彼女の顔がうつる。小柄な女性。ぼくと同じ作業着だが、デザインはふた世代前の。
ずいぶん、若くみえる。まるで少女のように、というのはいいすぎか。ともかく、ぼくより2つ年下なのだ。
「……こちらは、国際宇宙開発連盟の実験船『セッカ』、船長の瀬野です……、」
うわずった英語で。こちらは、日本語で返す。
「こちらも瀬野です。……あなたを、助けにきました」
瀬野陽葵。ぼくの曾祖母。加速実験の直前に遺した凍結卵子から、ぼくの祖父が生まれ、その62年後にぼくが生まれた。それから、さらに28年。
彼女にとっては、まだ、たった一晩だ。不思議なことに。
「おかえりなさい。」
ともかく、そういってぼくはにっこりと笑ってみせた。話したいことはたくさんある。大丈夫だ。時間は、たっぷりあるのだから。
https://twitter.com/kusunoki_umou/status/1420219976120619009




