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過去の音

 ──ちょっと壁が薄くて。

 不動産屋からは、それだけ。家賃は格安で、文句を言う筋合いはない。しかし、どう聞いても、俺がいる部屋のまんなかから声がする。

 声は、ちょうど人の顔ぐらいの高さ。ぼそぼそと、よく聞くと喧嘩しているような。耳を近づけてみる。

 電話、らしい。耳をすますと、あいての声も聞こえてくる。

 どうやら、別れ話だ。

 俺は思わず笑った。声は反応しない。こちらの音は、むこうに聞こえないらしい。

 しばらくすると、声は聞こえなくなり、そのかわりに、ごそごそと何かをさぐるような音、ちょっと苛立ったような足音。テレビの音。

 チャンネルを何度もかえて、やっとニュース番組に落ち着く。流れてくるニュースに聞き覚えがある。何かを小さく叩きつける音、また足音。ドアの音。出ていったらしい。テレビは、つけっぱなしで。

 この部屋には、テレビはない。けれども、確かに、ニュースの音声が今も流れている。壁のむこうでも上でも下でもなく、間違いなくここから。

 ニュースキャスターが日付を口にする。なんと、一ヶ月ちょっと前のニュースだ。

 過去の音、であるらしい。

 その日から、俺と過去の音の、奇妙な同居生活が始まった。

 こちらから話しかけることはできない。過去の音なのだから、当然だ。電話の会話なんかをつなぎ合わせると、どうも、もうすぐ出ていってしまうらしい。……なるほど、その後に、俺が引っ越してくるわけだ。

『……じゃ、明日。9時に』

 引っ越し作業の打ち合わせをしている相手は、恋人のようだ。別れ話はなくなったらしい。

「よかったじゃないか」

 そう、つぶやく。むろん返事はない。

 明日から、この音はどうなるのか。なんにせよ、格安の家賃だ。出ていく気はない。

https://twitter.com/kusunoki_umou/status/1294833780054786050

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