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その十五

 リハーサルスタジオ。ギターを弾きながら歌う颯斗の背中に瑠衣の姿が重なって見えた。本番のことを考えると吐きそうなほどの重圧がぼくにのしかかっていた。


 長くまともな生活をせずに、まるで外界との交流を遮断していたのに、いきなりの大舞台で果たして演奏なんて出来るのだろうか。考えることすら遮断して眠りに就きたくなるほど、ぼくは現実から逃避したかった。それでも逃げればもう二度と自分を変えることは出来ないと自らに云い聞かせた。何とかここで踏ん張るしかない。だけど、どうしても背を向けて俯いてしまう。


「なぁ、日和。初めてRock Tripでライブやった時、失敗こいたよなぁ。構わねぇ。思いっきり再現しちゃおうぜ!」


 顔を上げると颯斗がにやっと破顔していた。


「それもぼくらの音だよね」


 忍も同じように破顔した。顔を上げれば颯斗も忍もいる。そしてはっきりと聞こえたもう一人の声。


「がんばれ」


 いつも聞いていた声。忘れようにも忘れられなかった声。聞き覚えのある声に少し懐かしさすら感じた。そうだ、人との交流は遮断していたが、いつだって音とは会話をしてきたじゃないか。時に救われながら、時に苦しめられながら、交流してきたじゃないか。


〝がんばってみるから。もう少し、がんばってみるから〟


 安心感を与えてくれたその声に、ぼくはベースの音で返事をした。


 あの日颯斗からもらった電話を振り返った。行けば何か変わるかもしれないし、わかるかもしれない。行こう。最後はそんな感じだった。行ってみるものだ。居心地のよさで行き先や居場所を決めずに、何にこの身を捧げるのかという明確な答えに向かって動いたのは随分と久しい。


「ガキのままいるからロックなんだろう」


 そう云い放った颯斗が眩しかった。出逢った時からどこまでも変わらない、むしろ荊棘(けいきょく)を乗り越えてさらに強くなった彼が誰よりも誇り高くぼくの目に映じた。


 モニター越しに会場を眺めるとすでに超満員だった。店長も今日はRock Tripを閉めて奥さんと観に来てくれている。本番前は緊張するだろうからという気遣いで、終わった後に楽屋に来てくれることになっている。


 カメラが会場を流れるように移動してお客さんたちを移している。ぼくはその映像を見ながら思わず目を見開いた。移動するカメラワークの中で、何千人いる観客の中からはっきり映し出された人物がいた。招待席に坐る美紅が瑠衣の写真を抱えながら待っていた。こんな奇跡があるのだろうか。驚いたまま颯斗と忍の顔を見ると二人もしっかりとそれを確認したようで、互いに相槌を打った。


 きっと個々に起こる奇跡は神や誰かに与えられるものではなく、自らが起こすものだから奇跡と言うのだろう。しかし、今ある奇跡がもし何かによって導かれたものだとしたら、それは紛いなく来世で待つ瑠衣と現世にいる颯斗、二人のロックスターによってもたらされたものだろう。


 瑠衣はその歌声を颯斗に託したに違いない。そしてぼくらを再び舞台へ上がらせるように導いてくれたのだ。ぼくはそんな彼らの姿勢が今も好きだ。


 あの階段を上がれば、ステージだ。ぼくは初めてライブハウスに出た時の数段しかないあの階段を思い出し、ここまで来られたことの実感をしみじみと噛み締めた。


 不意に今のぼくを見て父はどう思うだろうと考えた。そういえば父と分かり合えた瞬間が一度だけあった。大学に入り免許を取り立ての頃、父親を駅まで迎えに行ったことがあった。車内で流れていたのは、ぼくの人生を変えたあのバンドの曲で、後々瑠衣と颯斗に出逢った時に合わせることになる曲だった。


 不意に父が、


「この曲良いな。特に(エイト)ビートが」


 そう声をかけてきた。父にリズムのことなんてわかるのだろうか? と思ったが、ぼくの人生を変えたバンドの曲をいいと云った父と初めて共通の認識を得られた気がした。


 あなた次第––––か。心の中で呟いた。このライブが終わったら久しぶりに実家に行くのも悪くないだろう。すべては自分次第なのだから。そう思うと、きっとあの奇跡の女の子もこの会場のどこかにいる気がした。


「日和、そろそろだ。行くぞ」


 我に返ったぼくは颯斗の声に頷き、先頭を行く彼の背中を見た。その背中にどれだけの重荷を背負って来たのだろう。バンドでなく、一人で勝負するのは相当な勇気が必要だっただろう。きっと自分だけデビューする時、颯斗は後ろめたさに打ちひしがれそうになったに違いない。だから喫茶店にぼくらを呼び出したのだ。テレビの生放送に出る時も、緊張を装ってわざわざ連絡して来たに違いない。


 ガキのまま、つまり自分に正直に生きて、貫いて、再びぼくらを表に引っ張り出してヘブモンを復活させてしまった。こんなこと、常人に出来るはずがない。ロックスターにしか出来ない。その姿勢は格好いいという形容以外に表現のしようがなかった。そんな男に助けられ、ぼくらは再び一緒に音を出す。


 少しの間、目を閉じた。拍手の音が思い出させる。慈雨の中で慌ててキャンパスを走り抜けた日も、もう過ぎ去った。


 そういえば、大学に入学して教授と面談した時に聞かれたことがあった。卒論のお題。その時、


「世界進出しているヴィジュアル系の文化について書きます」


 と答えた。日本のヴィジュアル系は海外アーティストの派手なメイクから想を得たものと言われているが、その海外アーティストたちは日本の伝統芸能である歌舞伎から影響を受けたと公言している。つまり歌舞伎という日本古来の伝統文化が巡り巡って形を変えてヴィジュアル系を生み出した。


 そのヴィジュアル系が欧米で人気を博している。こんな痛快な話はない。結局ぼくは卒論を書くには至らなかったが、今目の前にいる男こそが体感として教えてくれそうだ。それが卒論より面白いぼくの私的な詩的表現の詩的な私的物語。


「瑠衣はさ、天国にいるよ。天国からずっと見守ってくれてるよ。仮にもし生まれ変わりがあるなら、きっとすでにこの世のどこかでぼくらを見て笑ってるよ。そう思う」


 忍はそう云ってぼくに笑いかけた。


 ぼくらはメイクをして、再びHEAVEN’S MONSTERとして呼吸をする。


 気付くと耳鳴りが止んでいた。いい緊張状態に変わっている。心臓がまるで十六ビートのリズムを刻むように全身に脈打っている。久しぶりに感じた(せい)の実感。


 ぼくは震える足で瑠衣が待つステージへ駆け上がった。終わってしまえばすべてがあっという間だったと云えるのだろう。ならば、すべての始まりとすべての終わり、どちらを知りたいか。


【完】

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