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また、数日が過ぎた。
療養する私の所には、孤児院の皆が何度も見舞いにやって来るし。
相変わらず謎の多いバラッドと、お互いの腹を探り合うような会話をしたり。
ネクラーケンと和解して、何度も会う内に友達になったり。
チョコザインが山盛りのチョコレートを差し入れに持ってきて、医者に説教されたり。
毎日が濃ゆい。平和だけれど、濃ゆい。
その日、私は神殿の柱の影で膝を抱えて座り込んでいた。
一口に神殿と言っても、広い敷地の中に複数の建物があって、私が運ばれたのはその中の宿泊所である。この敷地のどこかに祭壇や神像が祀られている聖堂もあるのだろう、神聖な場所ゆえ立ち入りは禁止されているが。
そこは宿泊所から離れた建物と建物の間にある場所で、背の高い木が一本植わっている他は何もなく、人目につかないひっそりとした場所だった。
私はその境に面したアーチ状の柱が並ぶ渡り廊下の端に潜んでいる訳だ。
ガルザは日がな毎日を、ここで隠れて自主トレーニングしながら過ごしているのだ。今丁度、腕立て伏せが九十五回目に差し掛かった。
この事を知ったのは、ついこの間のことだった。
いや、薄々とガルザが何かしているのには、気づいていたのだ。ただあいつはそれを隠そうとしていたし、私も口出しはしなかった。
口は出さなかったが、歩きまわってたら偶然見つけちゃったのである。
その時、一緒にいたバラッドは「男って、そういうもんなのさ」と私に言った。
「……俺が裏通りのあの現場へ行った時、ガルザは意識のない君を俺に託すしかなかった。悔しかったんだろうぜ、それからずっとあの調子」
「悔しいって……なにが」
「大事な人を守れなかったからさ」
バラッドの言葉に、私は胸の奥が痛んだ。それから、これからガルザに大事な人が増えればいいと思った。そうあってほしいと願った。
これからの未来は、きっと明るいものであってほしい。
長生きして、べつに真人間でなくていいから、朗らかに生きて。
この世界に愛があるかぎり、彼の周りにも愛があるようにと。
なにしろこの世界には愛の女神様が、存在しているのだから。
腕立て伏せ百回。そんなの序の口だ。ガルザは厳しいメニューを次々こなしていく。その姿に、もうすっかり、あいつは無茶に耐えられる体なのだと、悟った。特殊な力を身につけたからなのか、それとも本人が努力家なのか。
ガルザのガは我武者羅のガかもしれない。あとついでに頑固のガもつけよう。
見守るでもなく、ただそこにそうして座り。
日が傾く頃にガルザの特訓が終わると、私はそっと柱の影から抜けだして、通り道まで先回りしてガルザを待ち伏せた。
白い石で造られた神殿の廊下の先までいって、向こうからやって来たガルザと何食わぬ顔で鉢合わせると、汗にまみれた顔でガルザは「こんなとこで何してる」と言った。
「お前こそ、どこ行ってたんだ?」と私は軽く答えた。
「別に」
「あんまり無茶するなよ」
「ああん?」
「いや、すごい汗かいてるから、運動してたのかと思って」
指さすと、ガルザは眉根をギュッと寄せて私を睨んだ。
「放っとけ」
「お前、まだ怒ってるの」私は別の話題を出した。
私達にとって今もっとも気まずい話だ。
ガルザはみるみると表情を険しくした。
「……別に。あんな簡単にあいつを許しちまって、呆れてはいるがな」
「一発引っ叩いたけどな」頷きながら私は答える。
ガルザの言うあいつとはネクラーケンの事だ。
そう、私はネクラーケンを平手打ちにした。
なんやかんやで「これっきりこの件をグダグダ言うのはやめだ! 歯を食いしばれケン!」という台詞と共にあの小さなイカに暴力を振るったのである。
ただ、それで私の気は済んだが、ガルザの気持ちはまた別である。ネクラーケンと仲良くしだした事で、私達の間には妙な緊張感が生まれてしまったのだ。
「よくもまあ、あんなイカと仲良く出来るもんだな。あいつが何したか、お前忘れてるんじゃねえのか?」
「別に忘れてないけど、でも」と、言いかけるのをガルザが遮る。
「操られてたから仕方ない、てっいうんじゃねえだろうな? そんな言い訳が通るかよ。俺は許さないからな」
「……お、おう……」
ぎこちなく答えながら、私はものすごく複雑な気持ちだった。
ガルザとネクラーケンの仲を取り持ちたい訳ではない。それを今やると、余計にこじれる。ただ、ガルザの気持ちをこう真っ直ぐ聞くと、なんか余計な事を言いそうになり、いや自分、そんな訳知り顔で説教していい身分じゃないからな? 大体何から話していいかもわからないしな? と自問自答して。結果言葉に窮すのである。
そんな風にぐるぐる考えていたら、鎖骨の辺りを指で突かれた。
いつのまにか間近に詰め寄ったガルザは、まぶたを半分下げた呆れたような目をして、ため息を吐く。
「……一旦落ち着け、アホ。怒ってねえって言ったろうが。さっさと部屋に帰るぞ、座りっぱなしで体に無理させてんじゃねえよ」
と、ぶっきらぼうに言い。スタスタと宿泊所の方へ歩き出す。
私は後ろ手に隠し持ったまま、渡しそびれていたタオルを、その後ろ頭に投げかぶせた。
「バレてたか」
「バレてねえと思ってたのか」
かぶせたタオルで汗で濡れた顔を吹きながら、ガルザが鼻で笑う。お見通しだった事にじわじわ恥ずかしくなり、俯きがちになりながらその隣を歩く。
「なあ、ガルザ」
ポツ。と私は呟いた。
「……許されないのって案外、辛いもんだからさ」
ガルザは一瞬だけ、私を見て。しかし何も言わなかった。
私も口を閉じて、今の自分はどんな顔しているのだろうと、ぼんやり考えていた。
石の廊下に足音だけが響いていた。何だか淋しい音だった。
そしてその翌日、ガルザ達はマジマージの国へと旅立っていった。
別れ際、大事な事を言い忘れていたので、私はガルザを捕まえて、その耳元に小声で素早く言った。
「ガルザ、なんか大変な事になったら」
「なんだよ」
「東のモグモグ山にいるガンセキ仙人を頼れ」
「誰だ、その訳わからねえのは、どっから出てきた!」
「シッ! 声がでかい!」
周りに人がいるんだぞこのバカ。私が言うのへガルザは、顔を寄せたままボソリと。
「これから、一人になっても大丈夫かよ」と言う。
別れ際のそんな言葉に、私は最後に景気良く一発ガルザの背を叩き。
「そっちこそ、達者でやれよ!」と元気に言い返した。
仕返しにまた頬をぐにっと伸ばされ、また軽くじゃれ合い、私達の別れはそんな風だった。
マジマージ国の一団は、仰々しくも来た時とは違い慎ましく去っていった。
遠くなる馬車の列を見送って、私はいつまでも手を降ったけれど。
街の門が閉じてしまえば、後にはただこの数日の名残があるだけで、夢から覚めたみたいな気分だった。
少なくともガルザは、自分の力を恐れることも、恐れられることもなくなり。
気がかりなことはあるが、世界も多分平和な方に進んで行くと思う。
小さな頃の友達の事も、やがては思い出となり薄れていくだろう。
ああ、めでたし、めでたし、だ。
私は孤児院へ帰る前に、一人であの裏路地へ行ってみた。
そこは瓦礫の山になっていて、二人で過ごした場所は跡形もなくなっていた。
立ち止まって、私は少しだけ泣いた。
私達が再会したのは、それから九年後の事だった。
ご拝読ありがとうございました。
この後しばらく更新まで間が空きますが、何卒お許し下さい。
次回から幕間を挟んで、第二部へ移る予定です。




