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 さすがのわくわくワールドでも、日常的にイカの触腕に襲われるわけはない。

 これは緊急事態である。


 しかしこういうシチュエーション自体は、ありがちだろうか。

 悪役が子供を縛り上げて人質に取り、脅しの道具に使うのだ。卑怯な手である。

 この場合、男の背中から生えたイカの触腕、人の腕より太いそれが縄の代わりをしている。

 最悪だ。自分の体を生まれて初めてぐるぐる巻きにされた感想は、生臭くてぬるぬるするというものだった。あと吸盤の粘着力がすごい。


 路地の向こうから現れたイカ男は、私とガルザを手元に引き寄せ、ねちっこい笑い声を立てた。

 睨み見れば、背中からイカ足が生えてる以外は、理知的そうな見かけをした男だ。身長はスラリと高く、きっと年はまだ若いだろう。二十代にも満たないかもしれない。


「クックックッ、ごきげんようチョコザイン様。おっと、動かないでいただきたい、さもなくばこの子供達を痛めつけることになりますよ」


 脅しではないという様に、締め付けが強くなった。ねじれ痛い。

 衝撃に私の手首を掴んでいたガルザの手が離れる。掴みなおそうとする気配はしたが、抵抗むなしく引き離されてしまった。

 チョコザインの顔つきが、険しいものへと変わる。


「やめろ、すぐにその子達を離すのだ!」

「さて、それは貴方様次第です」


 と、なにやら緊迫した展開が始まったわけだが、イカ男の目当てはチョコザインらしい。

 狂気に侵され、禍々しい笑みを浮かべているイカ男。なんてこったと私は心の中でうめいた。 


「質問に答えてもらいましょう。貴方様がここに来た目的。女神の予言と聞きましたが、その内容をすべて洗いざらい白状してもらますよ」イカ男が言った。

「なんだと! なぜその様な事を聞きたがる。貴様は一体……?」


 魔王の手下なんですよね。知ってます。

 私はこのイカ男の事を知っている。『魔装鎧伝ユウマ!』の悪役が一人、海辺の知将こと水の――。とにかくチョコザインの将来の部下で、ガルザの同僚だ。


 イカ男を通して伝わってくる。ぞわぞわと怖気立つような気配が波のように、体を這いまわる。正体を知っているからか、私にはそれが気のせいではないと分かっていた、魔王がその片鱗を見せている。


 いや、大体このイカ男の姿を見れば、もはや彼が魔王に毒されている事は一目瞭然なのだ。


「質問しているのは私ですよ。さあ、答えなさい! さもなければ」

「むむむ! 卑怯者め!」


 イカ男が私達を怯えさせようと、イカの触腕を振り回し持ち上げる。

 だがあいにくと私達は「きゃーたすけてー」と叫ぶタイプではなく、この脅しへの反応も薄かった。

 すると二、三度ぶんぶん振り回した後、イカ男が咳払いをしてから私達をたぐり寄せ、小声でささやいてきた。


「え、ええい! 貴様らもっと怯えないか! いいですか、もっと泣くなりなんなりしてもらわないと困るんですよ! ほら、お嬢さんちょっとは悲しい顔しなさい。そっちの小僧は睨むんじゃない! なんて凶悪な顔してるんですか! 私が怖いわ!」


 こしょこしょこしょ! と打ち合わせを強要してくる悪党。

 話の内容のせいで、一気に脱力感がこみ上げてきたが、仕方ないと思う。


 ガルザは、とても殺気立っており、今にもイカ男に噛み付きそうだ。

 イカ男もそう思ったのか、にゅるにゅるっとガルザを遠ざけて、その口をイカ足で塞いだ。これで良し、みたいな顔をしているのがイラッとする。


「さあチョコザイン様! この子供達が見えませんか、怖くて声も出ないようですよ! くーはははは! おおっと、噛んでも無駄ですよ小僧! やめなさい小僧!」


 やけくそ気味のテンションで、この脅しを成立させようと必死のイカ男。

 茶番にしか見えないが、このぐらいの修羅場なら乗り切れるかもしれない。


 そう思った瞬間だった。


「う、ぐ」急にイカ男が挙動を止め、目を開いて苦しげに呻いた。近くにいた私だけがその後に続く呟きを聞く。思わずこちらがギクリとするような、追い詰められた声だ。

 彼は「ば、馬鹿にするな。私はもう前の私とは違う」と繰り返した。そう呟くたびに、真っ暗なものが彼の中に流れこむようだった。


「よせ!」私はイカ男に向かって叫んだ。イカ男の瞳がみるみると淀んでいく。


 魔王の仕業だと。私は見て知っている。

 じわじわと人の心を負の感情で満たして、都合のいい操り人形へと変えてしまう力。


「子供達を放せ!」

 チョコザインがこの隙に、飛び込んできた。真っ直ぐな拳がイカ男の顔面に叩き込まれる。その攻撃にイカの触腕が緩んだかと思うと、ガルザと私はチョコザインに抱きかかえられて確保された。流れるような動きだった。


「む、まだ立つか……」意外そうにチョコザインが言った。


 チョコザインの拳に体制を崩したイカ男だったが、その姿は糸からぶら下がった操り人形のようで、俯いた顔からは表情が伺えない。


 異様な光景だった。感覚だけだったソレがとうとう目に見える形で現れる。

 イカ男の輪郭を、闇が縁取っていた。それは、どくどく、どくどく、と脈打つように紫色に点滅し波打つ。


「なんだよ、あれ」ガルザが呟く。


 あれが見えているのは、私だけではないらしい。

 イカ男の姿がみるみるうちに変貌していく、体に文様のような刺青が浮かび上がり、白いイカの触腕もどす黒い色に染まってゆく。


 そして最後に、メキメキと音を立てて、イカ男を縁取る闇が鎧に変身した。

 それは、まるで何かに喰われたような光景だった。

 鎧に覆われたその体は、不吉な力で満ちている。


 イカ男が、もう一段深いダーク―サイドに堕とされたのだ。

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