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08 来客告げる雨音、きみを待つ(2)

「んー、いいねえ。愛しい妻が作ったクッキーに美味しい紅茶、傍らにはかわいい女の子。たのしいねー」

「はい、わたしも楽しいです!」


 のほほんと、周囲に花を撒き散らして会話をするエイレンティアとブルーノ。それぞれの使い魔も、テーブルの隅で仲良くじゃれあっている。純白の鳥と純白の竜が一緒に遊んでいる光景は、そうそう見られるものではない。セオドリークとしては受け入れ難い現実ではあるものの、二人の気が合うのは確かだった。でなければ、何十年も「友達」などやっていられないのだろうが。


「セオ、クッキー食べました? すっごく美味しいのですよっ」

「あ、いえ。頂きます」


「どうぞどうぞー」と勧めるブルーノの声を聞き流しながら、クッキーの山に手を伸ばす。エイレンティアに合わせたのか彼の妻が元々そういった好みなのか、兎や花など可愛らしい形をしている。特にこだわりもなく手に取った一枚は、ウィンクした猫だった。口に運べば、さくさくと軽快な音が響く。


 絶妙な焼き加減、甘さのバランス、見た目。一般人にしてみれば上手い方なのだろう。だが、浮かんだ感想はそれだけだった。セオドリークの心を揺さぶるのは、エイレンティアが作る物のみだ。丸焦げになっていたとしても、迷わず彼女が作った方を選ぶ自信がある。


「か、体痛くないですか? 寒くないですか? あ、スープ作ったのですっ。たべませんかっ」


 彼女が自分を助けてくれた、あの日から――――……


「はい、美味しいですね」

「ですよねっ。どうやって作るのでしょう? レズーレの味がほのかにする感じなのですけど」

「ああ、リンがレズーレ嫌いでねえ。あのふにょっとした触感と黒い形状が嫌らしくってさー。食べさせようと工夫したみたいだね。今度レシピ聞いておこっかー」

「ぜひお願いしますっ。そうしたらセオに作りますね!」

「心待ちにしております」


 表面的な賛辞を述べた先程とは異なり、すんなりと言葉が出ていく。嘘偽りのない心からのものだと伝わったからか、エイレンティアは益々笑みを深くした。彼女を見て、セオドリークもそっと微笑む。


 ふたりの世界を作ってるなあ。

 存在を忘れ去られたブルーノは、のんびりと紅茶を飲む。クッキーと合うように、と注文をつけたのもあってか甘さは控えめで、城で出しても文句をつける人物はいないだろうほど完璧に淹れられていた。いっそ嫌味なまでに。しかしそれも全てエイレンティアのために他ならないと、ブルーノは知っている。親愛と恋情。どこまでいっても交わらない彼らの想いに、いつかは決着がつくのだろうか。その時、彼女はどうするのだろうか。


「でもルノ、アイリスさんよかったのです?」

「うん?」

「お腹、大きくなってる時期ですよね。会いに来てくれるのは嬉しいのですけど、大丈夫なのかなって」

「うんだいじょぶー。リンに任せてきたんだ」


 外見年齢十九歳、実年齢三桁のブルーノには、十五歳になる息子がいる。彼がリンと呼ぶ少年、リンデグレン・イーズデイルだ。そしてもう一人、彼の妻のお腹には新しい命が宿っていた。


「それに実は、ティアちゃんに会いに来たのはアイリス絡みでもあるんだよー」

「ど、どうかしたのです? わたしに出来ることならなんでも言ってくださいです!」


 なんでもなんて言っちゃまずいんじゃないかなあ、と内心思いつつ、用件を切り出す。


「あのね、つわりがひどいみたいでねえ。軽減する薬、ティアちゃんなら持ってるんじゃないかなって」

「あ、はい。この前作ったのです! でも言ってくれたら送ったのに……」

「ティアちゃんに会いたかったのも本心だからね。元気そうでよかったよ。セオくんも」


 優しい台詞ではあったが、どことなく含みがあるのをセオドリークだけは感じ取っていた。


「じゃあわたしは薬を探してきますねっ。ちょっと待っててくださいです!」

「うん、ゆっくりでいーよぉ」


 にこにこと手を振るブルーノに答えて、エイレンティアは自身の部屋へと姿を消す。


「……さって、どの程度かかるかなあ」

「三十分、といったところでしょうね」

「ええー? あの子ほんと整理整頓苦手だよねー。かわいいからいいけど」

「わざとらしいですよ。大体、薬など必要ないでしょう。――――救済の魔法使い」


 声をワントーン落として彼の呼び名を口にすると、ブルーノが纏う雰囲気が目に見えて変わる。ほのぼのとした空気からは一転し、張り詰めた空気が二人の間に流れた。


「きみと二人になるための口実に使ったのは確かだけど、別に嘘じゃないよー? 片時も離れずアイリの傍にいられるならいいけど現実はそうじゃないからね」

「ご自分で作られたらいかがです。貴方にも知識はあるでしょう」

「女の子が作った方が効く気がするじゃないー? それにぼく集中力ないんだよねえ、細かい作業だめなんだよ」


 ブルーノは別段おかしな事を言っているわけではない。だがしかし、どこまでも薄っぺらかった。国家魔法師など大抵は性格が捻じ曲がっているものだが、彼もまた例外ではないのである。


「しっかしさー、きみってほんとティアちゃん大好きだよねえ。きみのような人、巷ではなんて言うかご存知ー? ”ろりこん”って言うらしーよぉ。やだねえ、こわいねえ、我が子を近づけられないよねー」

「私が惹かれるのはあの方限定です。そういった趣味の方と一緒にしないでください」

「ま、そうなんだろうけどね。でもきみがそういう態度取るから「セオには別の人生があったはずなのに」ってあの子が思い悩むんだよ」

「……やはり、あの方に余計な事を吹き込んだのは貴方でしたか」


 近頃、エイレンティアがやたらとセオドリークを気遣う――というよりも距離を置いていたのを不可解に思っていたのだ。以前からあったとはいえ、ここまで露骨ではなかった。何かきっかけがあったのだとすればそれはこの男しかいないというセオドリークの予想は当たっていたらしい。大方、ブルーノが「じゃあティアちゃんがしっかりしなきゃねー」だとか言ったのだろう。素直な彼女が実行した結果がああだったわけだ。


「余計なこと、ってのはひどいなあー。ぼくはただ思ったままを手紙に書いただけで、実際に行動したのはティアちゃんだよ?」

「何が思ったまま、ですか。何故今になってこんな事をしたんです」


 そう、今更だ。適度な距離を保って長い間干渉してこなかったというのに、一体どんな心境の変化だというのか。追求するように鋭い眼差しを向けるセオドリークに、ブルーノは軽く目を伏せる。


「……生まれてくる子がね、女の子だってわかったんだよ」


 意味深に呟いた後、ティーカップを置く。中身は既に空だ。


「それで色々考えた。ティアちゃんが自分の娘だったらどうかな、って。大事に大事にしたいけど、でも鳥かごに入れるのは違うなって思ったんだよ」

「それは、受け入れるだけの強さがある場合です」

「うん、そうだね。でも少なくともあの子は、このままじゃ駄目だと思ってる。現状を変えたいと願ってる。手を貸してあげるのも、愛情じゃないの?」


 痛いまでの正論に、セオドリークは何も言い返せなかった。貴方に何が分かるんですか、と苛立ちが胸に湧いたけれど、その言葉に意味がないのを知っているからだ。ブルーノは、無責任に喋っているわけではない。エイレンティアとの長い付き合いの中で彼は彼なりにエイレンティアを理解し、誠意を尽くしている。時として、セオドリーク以上に。


「結局きみってあの子達をどう思ってるのかなあ、ってちょっと疑問を覚えたのもあるんだけどね」

「どう、とは」

「きみが彼女を好きなのは分かるよ。でもそれは個々の人してなのか、同じ人としてなのか、ぼくには判断がつかなかった。だってきみ、普段はストレートなのに意図的に避けてる部分があるでしょう」


 セオドリークの中で、明確な答えはある。しかし、それを彼の前で口にする気にはなれない。本人にもわざと伝えていない事を、どうして他人に話さなくてはならないのか。余計なお世話というものだ。


 彼のこういったところが好きになれないのだと、改めて思う。そして彼はセオドリークの苦々しい気持ちも見抜いた上でエイレンティアにくっついたりこんな発言を繰り出したりするのだから、腹立たしいことこの上ない。皆で仲良くしたいという彼女の気持ちを尊重して、「ブルーノがセオドリークを嫌わないでいられる範囲」でしか反論出来ないのも何もかも把握しているのだ、この人物は。


「……ま、ぼくもきみのこと説教なんて出来ないんだけどさー。家族をティアちゃんに会わせない本当の理由、言えないままだし」

「本当の理由、ですか」

「リン――リンデグレンなんだけど、あの子たぶん、ぼくに似ちゃってる気がするんだよねえ」

「それは……魔法使いの素質があるかもしれない、と?」

「うん」


 簡素に頷いた彼は、苦い顔をしていた。息子に自分と同じ道を歩ませたくないと思っているのは一目瞭然だ。


「きっと、きみ達に出会ったら開花してしまう。でもぼくは、普通に生きて欲しいと願ってる。……まっさかティアちゃんには言えないでしょうよ、あの子達はきみの魔力引き出しちゃったの後悔してるんだから」


 魔力発動のタイミングは人それぞれであり、生まれた瞬間に発動するタイプと、十八歳までに何らかのきっかけがあって発動するタイプとで分かれている。エイレンティアは前者、セオドリーク、ブルーノは後者である。見方を変えれば、きっかけさえなければ何も知らない一般人として生きられる可能性もあるという事だ。


「きみを紹介されたときは驚いたねえ。てっきりあの子は一生弟子を取らないものだと思ってたもの。まあ、それだけ責任を感じていたのかもしれないけど」

「真面目な方ですからね」

「そーだねえ。だからあの子は自分の力を呪ってる。きみがあの子の魔法の大半を受け継げなかったのは、救いだったんだろうと思うよ」

「戦争の道具になるから、ですか」


 ブルーノは黙り込む。だが、肯定なのは明らかだった。


「ひどいものだったよ。ぼくですら、未だに夢に見る」


 百年前にセレディナ国とエストレーラ国との間で戦争が起きた際、当時既に名のある魔法使いだったブルーノも戦場に放り込まれた。初めて緋色の魔女を目にした時の事は決して忘れられないと、彼は言う。


「ぼくはきみと同じで支援型だからさ、後方にいたんだよ。そしたら突然前方が炎に包まれて、人も木も建物も何もかも巻き込んだ。なにごとかと思って遠目の魔法使ってびっくりしたねえ。ちっちゃな女の子が、ぼっろぼろ泣きながら魔法使ってたんだもの」

「泣きながら、ですか。それは……」

「まだ別の子が生まれる前だったんだろうね。あの性格で大勢の命を奪ったんだ、泣きたくもなるさ」


 彼女の生き様は、ブルーノにとって衝撃的だった。どれほど涙を流していても、ロッドを握る手が震えていても、仲間達の表情が怯えに変わっていっても、彼女は逃げなかったからだ。そのせいで耐えきれなくなり、もう一人の彼女が生まれてしまったわけだけれど。


「きみがそうなってしまった経緯も、全く理解出来ないわけじゃない。責められるほどぼくは立派な生き方はしてきていない。でも……いずれあの子が自分の力で乗り越えなきゃならない壁だよ」

「いずれ、でしょう?」

「まあ、ね。いやほんとねえ、きみの気持ちも分からないでもないんだよ。そのせいで余計困るっていうか? ひとりぼっちで死にかけていた時にあーんな可愛くて強い子に助けられて尽くしてもらったらそりゃ惚れるよね。でっれでれに跡形もなくとけちゃうよねみたいな?」


 真剣な空気はがらりと変わり、ブルーノはからかいも込めた口調で話しかける。


「ですからあの方をそういった目で見るのは止めてください。そもそも、貴方にだけはロリコンだのなんだのと言われたくありませんよ。奥様が結婚可能な年齢になると即籍入れて孕ませたのはどこのどなたです。一体いくつ歳離れてるんですか」

「えーそれはひっみつだよ。国家機密だよー?」

「しょうもないですね」

「本当にな」


 突如加わった第三者の声に、二人は揃って目を丸くする。


「……お師匠様?」

「あの子が毒薬の瓶を割りそうになったんでな、強制的に変わった。あの部屋はどうにかならないものか……」


 その変化を見抜くのは、久しぶりに会ったブルーノでも難しくはなかった。普段の彼女の声はもっと高く無邪気だし、丁寧でありながらもどこか子供っぽい話し方をするからだ。それに、対処出来ない出来事に遭遇した場合、彼女なら涙を溜めているはずである。――緩やかな黒髪を背中に流し、ひどく切実そうに深い溜息をつくのは、交代人格の方だ。


「や、ティアちん久しぶりー。そこまでひどいならきみが掃除しちゃえばいいんじゃない?」

「無理を言うな、知らないうちに物の位置が変わっていたら恐怖でしかないだろうに。ほら、ブルーノ」


 ぽいっと無造作に投げられた瓶を受け取る。瓶には、恐らく飲み方が記されているのだろう紙が巻きつけてあった。署名が街で使用している「ティア」ではなく「エイレンティア・ルーン・アンブローズ」になっているのを考えると、交代人格の彼女がブルーノのためにわざわざ書いてくれたのだと窺える。基本人格の彼女が書いている暇はなかっただろうし、筆跡を考慮してもその推測は外れていない自信がブルーノにはあった。やっぱり真面目だよねえ、と再確認してポケットに瓶をしまう。


「じゃあな、私は戻る」

「戻る、って自室にー?」


 踵を返そうとした彼女に、ブルーノが尋ねる。基本人格の彼女と交代するにしても、ここですればいい話だと思ったからだ。


「今あの子は眠っている。起きたらいきなり移動していた、というのは避けたい」

「ああ、なるほどねー。夢遊病かと疑っちゃうかもしれないもんねえ」

「そういう意味でもないんだが……まあいい」


 説明するのがめんどくさい、といった風に会話を打ち切り、すたすたと歩き出す。小さくなっていく背中を見送りながら、ブルーノは不意に言葉を投げかけた。


「きみも、セオくんも。あの子が大切で仕方ないんだね。他に何も求めないほどに」

「……当然だろう。「私」はあの子を守るために生まれたんだ」


 消え入りそうな、儚い呟き。彼女の想いの全てが詰まった一言でもあった。それを聞いたセオドリークは無言で立ち上がり、ブルーノを残して彼女を追う。


「またね、ティアちん。近いうちに会うことになるかもしれないけど」


 返事はなかった。自分が会う事はないと、暗に言いたかったのかもしれない。


 申し訳なさを抱いて生きる基本人格と、基本人格を最優先する交代人格、二人をひたすらに愛する弟子。どうにも複雑な関係に、さてどうしたものかねーとブルーノは苦笑いを浮かべる。彼だって、無遠慮に引っ掻き回したいわけではなかった。叶うのなら誰もが皆幸福であればいいと、願ってもいる。誰かが己の意思を曲げない限り、きっとそれはどうやっても叶わないのだろうと、一人悟ってもいたけれど。


◇◇◇


「じゃ、ぼくは帰るねー。ティアちゃん、パン焼いてくれるって約束忘れないでね」

「もちろんです! 頑張って焼きますっ」

「セオくんもまったねー?」

「ええ、また」


 ブルーノは満足げに笑って、カシェの背に乗る。白竜が一度羽ばたけば、巨大な風を巻き起こした。エイレンティアとセオドリークは思わず目を瞑ってしまい、再度開けた時には彼の姿はすっかり遠くなってしまっていた。


「ルノ、いっちゃったですね……」

「はい、そのようですね」


 セオドリークにしてみれば清々しくてたまらないのだが、寂しそうに空を見つめる彼女を前にするとそんな考えも消えていく。彼の事は好きになれなくても、彼女の悲しむ顔が見たいわけではなかった。


「鳥かごに入れるのは違うなって思ったんだよ」


 どういう意味なのか、セオドリークも頭ではきちんと理解している。だが、こうなるくらいならその方がよっぽど良いではないか。彼女が少しも傷つかないでいられる世界に二人でいたい、それの何が悪いというのだろう。


「お師匠さま、家の中に入りましょう?」

「あ、はい、雨も強くなってきましたもんね」


 心あらずといった様子の彼女は、今何を考えているのだろうか。「出来る限り私を意識せず生活してほしい」という交代人格の頼みを受け入れ、彼女が出ていた時間についてはごまかしたが、ひょっとしたら感づいているのかもしれない。幼少時の環境が原因で上手く人と接する事が出来ないだけで、頭の回転が遅いわけではないのだ。


「お師匠さま、私はずっと貴方の傍にいますよ」


 この雨が止んでも、いつか虹が出ても、その先もずっとずっと。


「……はい」


 例え、未来がどんなものであったとしても――――。

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