第10話
殿下が公爵家を訪れたのは、お父様との密談から僅か三日後のことだった。久しぶりに朝から晴れていて、窓からの日差しが眩しい。
お父様が殿下を書庫の方に誘導してくれるから、わたしは先回りして待機する。服はやっぱり黒にした。柚希を助けるために、柚希の色を纏う。
「おや、ネフェルティーナ嬢。読書中かい? 邪魔をしてしまってすまない」
「お久しぶりですわ、殿下」
殿下が書庫の扉を開いて入ってきた。いつの間にか見慣れてしまった金髪と碧眼だ。わたしを見つけて微笑む殿下に向かって、わたしは深々と頭を下げる。
「今日は殿下にお願いがあってお待ちしておりました!」
「か、顔をあげてくれ! 話は聞くから……」
「殿下、お願いします! 王家に【戦術魔術書 下】があれば見せてください!」
「……流石にすぐに返答はできないな。詳しく聞かせてくれるかい?」
殿下に促されて顔をあげた。正面の殿下は、真面目な顔つきをしている。この国の王太子として、禁書を望むわたしを見定める瞳。それはどこか妃候補の頃にわたしを見ていたものと似ている。けれど、わたしの中には殿下の協力を得られなければ柚希との再会が絶望的になってしまうかもしれないという、崖っぷちの感覚だけがあった。
「前に、わたしがもう一人が中にいたら、とお話ししたことを覚えていますか?」
「もちろんだ」
「それは、例え話ではなく真実なのです」
わたしの告白に、殿下は眉一つ動かさなかった。おそらく、当時のわたしの口ぶりで真実であることは察していたのだろう。
「……そのもう一人、【柚希】は、本日王家に献上させていただく禁術によってわたしが誤って異世界から召喚してしまいました」
殿下の目が、わかりやすく見開かれた。何か話そうとしているのを見て、わたしは口を閉じる。あまりの衝撃で言葉にもならないのか、数拍の沈黙が流れた。
「どういうことだい? ネフェルティーナ嬢。君はなぜ禁術を行使して……」
「意図的ではありませんわ。ただ、未熟だったわたしから勝手に魔術書へ魔力が流れてしまいましたの。そして、禁術の効力で魂を召喚しましたの」
そこで一度、言葉を切る。殿下を伺い見ると、どうにかわたしの説明を飲み込んでくれているようで、質問も特になく続きを話す。
「そして、召喚された魂はわたしに宿りました。共存できていたのですが、八年を過ぎたつい最近、柚希とわたしの魂が融合し始めましたの」
「それは……大丈夫なのかい?」
「はい、わたしは平気ですわ。……融合を防ぐため、一ヶ月ほど前に神官様が柚希をわたしの中に封印しましたの。でも、わたしはこんな終わりが嫌なんです! もしかしたら、柚希を救える打開策が、下巻にあるかもしれないと思いました! だからどうか、力を貸してください!」
わたしは言い切って、再び頭を下げた。殿下は、何も言わない。やはり、こんな自分の失敗と私利私欲が理由では協力を得られないだろうか? しかし、だからといって嘘を重ねるのも違う気がした。そもそも、下巻がどういう魔術かもわからないのにその禁術だけが知りたい理由の捏造なんてできはしない。
「……事情は分かった。確認なのだけど、ネフェルティーナ公爵家で発見された、ユズキくんを呼び出してしまった禁書は【戦術魔術書】の上巻で合っているかい?」
「はい。間違いありませんわ」
「……結論から言おう。その禁書の下巻は王家で保管されている。記されている禁術もまあ、ネフェルティーナ嬢が望む用途でも使えるだろう」
殿下の歯切れが悪い。わたしに禁書を読ませても良いものかという葛藤より、禁書そのものへの何かのように感じる。殿下は、眉を寄せながら言葉を続けた。
「この上下巻は、その来歴がはっきりと現王家まで受け継がれている。禁書の中でも特に倫理観が欠如した魔術だ」
殿下がここまで特定のものを悪く言うのは珍しい。それほどまでに恐ろしいのかと、聞くのをやめたくなる。けれど、殿下は下巻に記されているのはわたしの望みに沿える禁術かもしれないと言った。ならば、聞くことをやめることなんてできない。
「今から下巻の禁術の内容と、二つの禁書の起源を話そうと思う。それを聞いてから、本当に下巻を求めるのかを決めてほしい」
殿下は、わたしに下巻を見せてくれることに異はないらしい。あとは、わたしの意思次第。唾を飲み込んで、殿下の話に耳を澄ませた。
「……まず、この二種類の禁術が戦争の最中で生まれたことは知っているかい?」
「はい、神官様がそのように教えてくれました」
ただ、それ以上の情報は秘匿されているようで手に入らなかったらしいけれど。実際、この三日間でわたしも書庫の歴史書を読み漁ったけれど目ぼしい情報はなかった。
「なるほど。教会は古い組織だから当時の記録があったんだね。……話を戻すと、戦時中に開発された二つの魔術は、人を兵器として扱うためのものだったんだ」
「すみません、質問よろしいですか? なぜ、異世界から魂を召喚することが兵器になりますの?」
柚希と過ごしたからこそ分かるが、別に柚希は一人で一つの軍を壊滅させられるほど突出していたわけではない。風の適性は確かにとても強かったが、人間という枠には収まる程度だった。
「そうだね、異世界の魂そのものがこの世界の理を外れるほどに強いわけではない。むしろ、魔法の適性などはこの世界の人々と同じように個人差がある。……しかし、異世界から大量の魂を召喚し、回収できた兵士の身体それぞれに埋め込んだらどうなるだろう」
柚希の例を考えると、後天的な魂も宿った肉体を操作することができる。そして、正しい使い方で、遺体に魂を宿すならば競合する先住民もいない。いや、そもそも本来なら二度と動かないはずの身体が動かせるわけで……。
「兵士が無限に増え続ける、ですか?」
「概ね正解だ。一応、肉体を回収できなければ新しい魂を宿らせることができないから、正確にいうと穏やかに減少はするのだが……新兵の投入を含めれば基準値を下回ることはないだろう」
確かに、倫理観がないと言われてもおかしくない話だ。王家がその事実を隠蔽するのにも頷ける。しかし、これと並ぶほどに倫理観が欠如した下巻の禁術とは……?
「……上巻の扱われ方はこんなところだ。では、本題である下巻についての説明をしよう。下巻は上巻とは真逆、魂を起点に肉体を生み出すんだ」
「肉体を、生み出す……? とは、どういうことですか?」
「命は助かるけれど、もう戦線に復帰することができない兵士がいるだろう? 彼らの魂を肉体から離し、再び戦場に向かわせる。そうしたら、兵士はどうなってしまうと思うかい?」
復帰できないほどの大怪我ということは、おそらく手足の欠損とかになる。それを治されてまた戦場に行かされて、それを死ぬまで……。
「そんなことをしたら、精神が先に壊れてしまうのでは……?」
「そう。下巻がある限り、生き残ることが地獄になってしまう。そんな上下巻を軍事利用し、人の肉体も魂も食い物にした。これがこの禁術の起源だ。そんな曰く付きの禁術であっても、使いたいと思うかい?」
確かに、醜い使われ方をしたのかもしれない。そのせいで禁術にまでなったのかもしれない。でも、殿下は下巻の禁術を魂を肉体から剥がした上で新たな身体を生み出すのだと言った。まさに、柚希に必要なものだ。
「それでも、どれだけ血に塗れた魔術であったとしても、わたしはもう一度柚希に会いたいですわ!」
結局、それがわたしの答えだ。どんなに苦しくても、柚希とまた二人で暮らせる未来があるというのなら、諦めたくない。
「……禁術を使う場合の弱点が二つあるとしてもかい?」
「何か、代償がありますの?」
「いや、禁術自体にはない。あるのは、ネフェルティーナ嬢が使う場合の危険だ。まず一つ目、既にユズキくんが封印の魔術を施されてしまっているから、それを解除しなくてはいけない。封印は確かに二つの魂を隔てるが、同時に封印された者をそこに縛り付けてしまう。二つ目は、下巻の禁術は一つの肉体に一人を想定しているため、どちらの魂が剥がれるかわからない。ただ、ユズキくんより十年間長く積み重ねがある本人の魂の方が肉体との結びつきが強いだろうという根拠のない賭けで実行することになる」
封印を解除されることは別にいい。むしろ、このまま現状維持を嫌がったが故の殿下への懇願だ。だから、そこは問題ない。ただ……。
「もし下巻の魔術が失敗したら、わたしの本来の身体に残されるということですか?一生、わたしの身体の中で……」
「いや、何度でも魔術をかけること自体はできる。ただ、戻すことはできない。もし失敗すれば、君の本物の身体は誰にも使われないことになる。」
お母様がお腹を痛めてくれた、わたしの本来の身体を手放すことになるかもしれない。自分が身体を失うのは怖くて、いつの間にか身体が震えていた。
でも、柚希はそれ以上にたくさんわたしを助けてくれた。わたしに急に呼び出されて自分の身体すらないのに、わたしを守ろうとしてくれた。今のわたしがいるのは、柚希がずっと支えてくれたから。それを、小さな恐怖だけで反故になんてできない。
「それでもわたしは、柚希を助けたいですわ」
「意思は固いね。……わかった。では、僕も協力しよう。大切な国民二人の幸福のために、王太子として」
「ありがとうございます! 殿下」
殿下の協力を取り付けた。これで、柚希を救う方法が明確になった。それも、また同じ身体の中で生きるだけじゃない。柚希だけの身体を渡すことができる。
「しかし、流石に禁書を持ち出すことはできない。王城に来てもらうことになってしまうが、そうすれば変な噂が……」
「全て受け入れますわ」
わたしの名誉はどうでも良い。ただ、柚希がもう一度、話ができるのならば、それだけでわたしが頑張る理由になった。
「では、詳しい日程はまた連絡する。できるだけ早く組み込めるように調整するから、覚悟しておいてくれ」
殿下が、書庫から出て行った。殿下との交渉が成立した。わたしは、まだ柚希と会うために頑張ることができる。今度はわたしが、柚希を助けられる。
「待っていてください、柚希。絶対に、迎えにいきますから」
口に出しても柚希に聞こえることなんてない。それでも、わたしは口に出した。柚希に会いたくて堪らない自分自身に言い聞かせた。もうすぐで柚希を助けられる。また、会うことができる。話すことができる。それだけのことが楽しみで仕方がないわたしがいた。
「ジュリ、どうなった?」
お父様が、書庫に入ってきた。おそらく、殿下に禁書を渡したり見送ったりの応対が終わったのだろう。
協力してくれたお父様にはとても感謝している。でも、きっと本当のことを話せば両親はまた親として、わたしへの危険を止めようとするだろう。それでもわたしにとっては、自分だけが自由な生活じゃなくて、柚希と二人で笑い合える生活の方が大切だ。だから……
「ひとまず、下巻の内容をお見せいただけることになりましたわ。そこからゆっくりと作戦を立てていくことになりそうです」
「そうか! 殿下が味方とは心強いな、頼むから危険な真似はしないでくれよ」
隠そうとしても、すぐに釘を刺される。それでも、本当のことを告げるつもりなんてない。
……柚希を助ける、それだけのためにたくさんの人がわたしの味方をしてくれた。わたしはその人たちの応援に応えないといけない。だから、逃げられない。逃げたくない。
その翌日、殿下から一通の手紙が届いた。簡素な見た目で、中には作戦の手順や日時が記されていた。今日から一週間後、大切な人を助けるために、わたしは、わたしにできることをする。




