旅立ち(8)
「おかしいね」
暫くしてから、父の胸に額をうずめたままマリーがそう呟いた。
「私、さっきも泣いたばっかりなのに、一日に何回泣くんだろう?」
マリーの言葉にバドは小さく笑った。
「そういうところは母さんとそっくりだな。母さんは芯の強い人だったけれど、涙もろさは人一倍だった」
「そうなんだ。母さんの話、もっと聞きたいな。私、今まで母さんの事を聞いちゃいけないって思ってた。聞いたら父さんが嫌な思いをするかもって。でも、聞いてもいいんだよね?」
「当たり前だろう? 私の方こそお前にゼルパの話をしてこなかった」
バドはそこで口角を上げてニヤリと笑う。
「娘にのろけ話を聞かせるのは気がひけるからな」
「それはそれは。お手柔らかにお願いします」
父娘は声を合わせて笑った。
ひとしきり笑った後、マリーはバドに促されて椅子に座りなおした。
「さて、他にもお前に話しておかないといけないことがある。キリクの都へ向かう準備は出来ているか?」
マリーは頷く。彼女は眠り続けるサキの様子を見る合間に、自分の身の回りの物をまとめて旅支度を整えていた。
「うん、大丈夫」
「そうか。まあ、道中はサキ様達もいるし、ガサキマ様も部下をつけてくださると言うから心配はいらないだろう。それで、キリクでの用事が終わってからの事だが……」
「心配しないで、分かってるよ。用事を済ませたら、サキと別れてすぐに帰って来るわ」
マリーはそう言ったが、バドは「いや」と首を振った。
「お前はそのままサキ様について行きなさい」
「え?」
バドの言葉が何を意味するか分からず、マリーは口を半開きにしたまま首を傾げた。娘の呆けた顔を見て、バドは同じ言葉を繰り返した。
「キリクでの用が済んだら、村へ帰らずにサキ様について行きなさい、と言ったんだ」
「え、どうして?」
「どうしてってお前、お前がそうしたいと思ってるからだ」
「で、でも、私がいなかったら父さんはどうするの? 左腕だって使えないし」
マリーが口にした疑問はバドにとっては想定済みの内容だったらしい。
「治療だったら呪い師の婆さんに頼むさ。それに……実はヨナを養子にしようと思ってる」
「えっ? ヨナさんを? どうして?」
「もともと考えてはいたんだ。あれもお前の事を憎からず思っているようだし、お前を娶らせて村長を継いで貰うのが良いんじゃないか、と」
「娶る⁉」
「ああ。だが、それは止めることにした。お前の幸せは、お前が自分で探したら良い。私が倒れている間、ヨナは良く村を取り仕切ってくれた。私は腕がこうなってしまったし、ヨナを養子にして行く行くは後を継がせようと、ポロとも相談して決めたんだ」
ポロはキノハで陳情を終えた後、その翌々日にはミノカ村へ戻って来ていた。おそらくその日の内にでも、バドとポロの間で話をしていたのだろう。
「そうなんだ……」
「だから、私の事は心配はいらん。お前は、お前のやりたいことをしなさい」
「父さん……ありがとう。でも、大丈夫。私のやりたいことは、父さんの傍にいることだよ」
床に目を伏せながら発せられたマリーの言葉に、バドは小さく笑う。
「嘘を吐く時に視線を反らすところも母さんにそっくりだな」
「嘘じゃないよ。私は父さんの娘だから、父さんが困ってる時には傍に居てあげたい。父さんを置いて私だけどこかに行くなんて、出来ないよ」
バドは口元に優しく笑みを浮かべながら、首を横に振った。
「マリー、無理をしなくて良いんだ。私だってお前の父だから、お前の足かせにはなりたくない」
「父さん……」
「自由に羽ばたくんだ、マリー。お前はそのための翼を持っている。その翼を与えたのが私達でないのは残念だが、お前はそんなことを気にせず自分の夢を追いかけるんだ」
マリーは視線を上げてバドを見た。父の視線はまっすぐに自分に注がれていて、その瞳の輝きは、彼の言葉が本心であることを教えていた。
「私の……夢?」
「ああ。世の中を見て来たいのだろう?」
「そんなの、夢だなんていう程、立派な物じゃないよ」
「立派じゃなかったら、追いかける必要が無いとでも言うのか? 年寄りみたいな事を言うじゃないか」
バドは小さく笑うと言葉を続ける。
「私の為を思ってくれるなら、なおさらだ。お前が私のために自分の夢を追いかけることをやめて、この村で才能を腐らせていくなんて、想像するだけで恐ろしい」
それでもマリーは踏ん切りがつかない様子で「でも……」と言葉を発した後、沈黙した。
「ちょっと悪いんだけど、入らせてもらうよ」
扉の外からそう声がかけられたのは、マリーが沈黙してから数十秒も経ってからの事だった。中からの返事を待たずに部屋の扉が開き、黒い外套に身を包んだ老婆が入って来た。老婆の目には光は映らないはずであったが、そんな様子は微塵も見せずにひょこひょこと歩いて二人に近寄って来る。
「婆さん、どうした? 今、二人で話をしてるんだ。用なら後にしてくれないか?」
「アンタ達に聞かせておかないといけない話があってねぇ。どうしても、今じゃなきゃ駄目なのさ」
老婆がそう言うと、バドはマリーに視線を送った。マリーが無言で頷いたのを見て、バドは「手短にな」と老婆に告げた。
「はいはい、分かってますよ。さて、どこから話そうかね……。そう、昔はね、この儂も村一番の美人と呼ばれていたんじゃ」
「婆さん、冗談なら後にしてくれないか?」
バドがうんざりしたように言うと、老婆は「なんだい、失礼だねぇ」とぼやいた。
「まぁ、そう慌てずに聞きなさいな。幼いころから儂は呪い師……儂が若い頃はまだ森の賢者と呼ばれていたが、その賢者になるために修行を積んでいたんじゃ。 だけど、年相応に異性にも興味があってね。ある時、ある村人と恋仲になったのさ」
「おいおい、婆さんの恋愛話が大事な話だっていうのか?」
「そうさ。なんたって、アンタの爺さんがそのお相手だからねぇ」
「なっ!?」
茶々を入れていたバドが驚くのを見て、満足げに老婆は話を続ける。
「儂とアンタの爺さんはね、将来を誓いあっていたのさ。だが、それは子供じみたおままごとの延長の話。儂は賢者になる様に育てられていたし、あの人は村長になるのを期待されていた。結局二人の間は引き裂かれてね。あの人はアンタの婆さんと結婚したのさ。話がそれだけで終われば、まあ、子供同士の恋愛ごっこで済んだんだけどねぇ。……間を引き裂かれて暫くしてから、儂が身籠ってることが分かったのさ」
「何だって⁉」
「そりゃあ、あんた、大変な騒ぎになったよ。堕ろせの堕ろさぬの。でも儂は、反対を押し切って子供を産んだのさ。その子がエミリア。アンタの伯母さんさね」
「伯母が、アンタの娘だっていうのか? いや、伯母はこの家で育てられたと聞いたぞ?」
「取り上げられたのさ。それが儂が子供を産むことを認めさせる条件だったのじゃ。その頃にはあんたの爺さんは村長を継いでいて、エミリアは村長夫婦の子供として育てられた。その方があの子にとっても幸せだっただろうさ。こんな、年中薬臭い女に育てられるよりはね。そう思えばこそ、子供を引き渡す条件を飲んだんだ」
「あんたが伯母の母親って事はつまり……」
「ああ、そう言う事さ」
バドと老婆の間では、何事かの事実が共有されたらしい。だが、マリーにはそれが何か分からなかった。老婆が何のために身の上話を始めたのかも分からないし、自分が聞くべき話でもないと思った。居心地の悪い思いをしながら、僅かに開いた窓に歩み寄ると外を覗き見て、二人の会話が終わるのを待っていた。その窓の隙間から、サキとシアンが西の方へ歩いて行くのが見えた。
――西の森に向かうのかしら?
マリーはそんなことを何気なく考えていたが、バドが発した言葉で二人の会話に引き戻された。
「つまり、アンタはマリーの曾婆さんって事になるのか!?」
次回は1/15(日)に更新します。




