深き孔の底で(9)
サキの指先が白銀の球体に触れた。その瞬間に彼女の指先にチクリと痺れるような痛みがあった。だが、それは刹那の事ですぐに痛みは引き、球体に何の変化も現れないところを見ていると、その感覚自体が幻覚だったのではないかと思い始めた。
しかしそれは幻覚ではなかったようだ。
二人の見ている前で、金属の帯がゆっくりと解け始めた。帯が解けるにつれ中から漏れ出る光が強くなり、二人はその眩さに手を翳さずにはいられないほどだった。
二人が目を瞬かせている間にも金属の帯はどんどん解れていき、ほどけた帯は螺旋状に渦巻いて宙に漂う。その解けた帯の中心に人の姿が浮いていた。
次第に光が収まり初め、金属の帯がゆっくりと床に落ちた。それまでは柔らかく軽く羽衣のように宙に漂っていたそれが、床に触れた部分から硬く重い金属の塊と変わった。その金属の渦の中心に僅かに足音を響かせて、少女が一人降り立った。
サキやマリーよりもさらに若い。幼いと言っても良いだろう。年のころは十歳ほどではないかと思われる。ぱっちりとした愛くるしい瞳に長いまつ毛。整った鼻筋と桜色の唇。成長すれば比類なく美しい娘になるであろうことが、誰の眼にも一目で明らかだ。その美しき少女が一糸纏わぬ姿で、先ほどまで球体があった場所のすぐ下に立っている。
だが、その少女が尋常の者ではないことは一目で分かった。
彼女の腿まである長い髪は青く、瞳は金色に輝いていた。まるでおとぎ話に登場する妖精のように可憐で、神秘的で、そして非現実的な容姿だった。
大陸広しと言えども、サキもマリーもそんな髪の色や瞳の色を持つ民族の話は聞いたことが無かった。
――彼女はこの世ならざる存在なのだろうか? それとも、神の使いなのかもしれない。
サキはそう思った。この遺跡が秩序の神か、あるいはその陣営に属する何者かに作られたのならば、髪の青い人間を作ることも不可能ではないのかもしれない。
青髪の少女は己の白い裸体を見られても恥じる素振りもなく、黒髪の少女と杏色の髪の少女を交互に見やって、ゆっくりと口を開いた。
「ようやく来てくださいましたね。計画通りとは言え、五百年の月日はやはり長いものです」
その小さな口から、横笛の響きのように高く美しい声が発せられた。
サキとマリーは瞬時茫然としてから、互いに目を合わせた後で辺りを見回したが、もちろん二人のほかには誰の姿も周囲には見当たらない。どうやら青い髪の少女が自分たちに話しかけているらしいと分かると、二人は無言で頷きあった。
「君は一体誰? それに、ここは一体何の為の場所なの?」
二人の共通の疑問をサキが代表して質問する。
「わたくしはこの施設の案内役で、ここは先行投下区画の制御室です」
「先行投下? 制御室?」
サキは青い髪の少女の言葉に首を傾げる。彼女の言う事は何一つ理解できなかった。
「良く分からないけれど、その制御室っていうのには何故あんな扉が付いているの?」
サキは上を指さしながら言う。青い髪の少女はそれにつられて頭上を見上げた。その視線の先には天井に水平に取り付けられた扉があった。
「ああ、あれですか。確かにあれは地上では不便ですね」
「地上では……?」
「その話は後にしませんか? 今はもっと大切な話があるはずです」
目の前の少女の言葉に、サキは少し考えてから頷いた。
「……分かった。その前にちょっと良いかな?」
サキは己の外套を脱ぎながら、先ほどまで宙を漂っていた帯の山を跨いで少女に近づく。自分の外套を少女に羽織らせて、ひもを結んでその前を閉じた。サキの外套は青髪の少女には明らかに大きく裾を引きずりそうであったが、白い裸体を隠すという役割は十分果たしていた。
服に着られたような状態の少女は、しげしげと己が身にまとった外套を観察し、不思議そうに小首を傾げるとサキを見上げた。
「休止状態が終わった今、この部屋の温度は一定に保たれますので、衣服による体温調整を行う必要は認められません」
「服は寒さを凌ぐためだけにあるわけじゃないのよ。特に女の子ならね」
サキに代わってマリーがそう答える。
「はあ、そういうものでしょうか?」
――この子は一体何なのだろう? あまりにも常識から離れすぎている。
面立ちに幼さの残る少女だが、さすがに全裸で居ることに恥じらいを感じないのはおかしくサキには感じられた。いや、そもそもこんな何百年も閉ざされていた場所に人がいること自体がおかしいのだ。
「ねぇ、あなたは一体誰なの? 計画通りって言ってたけど、私たちがここに来ることを知っていたの?」
考え込むサキの後ろからマリーが声をかけた。青い髪の少女は小さく頷いてその桜色の唇を開く。
「わたくしは、当施設の機能の維持の為に作られた疑似生命体です」
次回は8/27(土)に更新します。




