遺跡へ(10)
サキは驚いて大声を出したリュードッグの顔を見た。彼がサキに対してこんなに大きな声を出すことなど滅多にない。周りの者も驚いて二人を見ていた。
サキは周りからの視線を感じると、無言でリュードッグの腕を引き村人から離れ、屋敷の裏に連れて行った。屋敷の裏側は防壁の構築も終わり、数人の村の男達が疎らに並んで不安そうに闇の向こうを覗いているが、雨の音にかき消されて二人の会話を気に留める者はいなかった。
「一体どうしたんだ? 大きな声を出して」
「それがしにはサキ様を守る使命がありまする。どこへ行くにしてもお供します」
声を潜めて問いかけるサキに、リュードッグは当然のことのように答える。
「でも、それじゃここの守りが……」
「関係ありませぬ」
リュードッグは静かに、だが断固として首を振った。
「それがしが守るのはサキ様一人。サキ様がここに居るのであれば、ついでに村人を守るのもやぶさかではありませぬが、サキ様が居られぬのに村人を守る道理はありませぬ」
「ドグ、頼むよ。お前がここを守っていてくれれば、アタシは安心してマリーを探しに行ける」
「その頼みは聞けませぬ。マリー嬢を探しに行きたければこの村を、この村を守りたければマリー嬢のことを諦めることです。どちらも選択するという事は出来ませぬ」
「それこそ出来ない! マリーが助かったって、この村が壊滅していたら意味がないじゃないか!?」
「それも、それがしには関係ありませぬ。たとえサキ様が泣くことになろうとも、それがしはただ御身をお守りいたすのみ。極端なことを言えば、サキ様が無事でさえいればこの村が壊滅しようが、マリー嬢の命が失われようが……」
「ドグ!!」
サキは鋭く、甲高い声で叫んだ。男のふりをする余裕もない。
「それ以上は言っちゃダメ!」
「いいえ、サキ様がお耳にしたくない事でも必要があれば言いまする。それがし、サキ様をお守りするためならば、それ以外の何人の命が失われようと……」
言葉を続けようとするリュードッグに、サキは黙って近づいた。そして、彼の鋼の鎧で覆われた胸に俯いて己の額を寄せる。
リュードッグは驚いてサキの頭を見下ろした。
「ドグ、それ以上は言わないで。お願い……」
リュードッグからはサキの表情は見えなかったが、彼女が涙をこぼしているのが声だけで分かった。
主従の肩を降り続ける雨が打つ。
「サキ様……」
リュードッグの鋼鉄の両手が、男装のサキの両肩をそっと包む。見た目こそ少年のようであっても、手のひらに伝わる感触は華奢な少女のもので間違いなかった。
「アタシの知ってるドグはそんなこと言わない……」
「……」
「アタシが小さいころから見て来たリュードッグはそんなことを言わないよ」
力なく振り上げられたサキの右手が、小さくトンとリュードッグの鋼鉄の胸を叩いた。
「アタシの知ってるリュードッグはいつだって皆が憧れる正義の味方だった」
もう一度、今度は少し強く、リュードッグの胸が叩かれた。
「自慢話が大好きで、大酒のみで、いつもくだらないことばっかり言ってるけど」
「……」
「曲がったことが大嫌いで、弱い者をいつだって守ってくれた。誰かが泣いていたら、いつだって飛んで来てくれた」
「……」
「そんなリュードッグがいつも傍にいてくれるのが、アタシの自慢だった」
「姫様……それがしのために泣いてくださるのか……」
「あの頃のリュードッグはもういないの? アタシが我儘を言ってリュードッグを連れだした所為で、アタシが大好きだったリュードッグはいなくなってしまったの?」
最後にもう一度、強く鋼の胸を叩こうとしたサキの白い手を、リュードッグの掌が受け止めた。
「姫様、それがし思い違いをしておりました」
顔を上げてリュードッグを見上げるサキの瞳は潤んで、まつ毛が濡れていた。それは決して雨の為ばかりではない。
「姫様と旅ができること、この老いぼれにとっては無上の喜びでござる。決して姫様は間違っておりませぬ。……思えば、我らは弱者の悲歎を見るためにこの旅に出たわけではござりませなんだ。目の前に涙に溺れる者が居れば、救うのが人の道、王者の務め。そう姫様に教えて差し上げたのはそれがしだというのに、そのそれがしの眼が曇っておりました」
リュードッグはサキの手を恭しく放すと、そっとしゃがみ込んで、濡れた地面に片膝をついて頭を垂れた。
「姫様、どうかそれがしにお命じくだされ」
サキはリュードッグの言う事が一瞬分からなかったが、すぐにその意を解すると破顔した。その顔から、最後にもう一粒涙が零れる。
「ドグ。お願い、みんなを守って」
「御意!」
リュードッグは勢い良く立ち上がると、自らの胸を強く叩いた。
「このリュードッグにお任せくだされ! 猫の子一匹、殺させはしませぬ!!」
「……ありがとう、ドグ。どうか無事で」
「姫様も、ご無理なされませぬように」
優しい表情で言うリュードッグにサキは「分かってる」と頷くと、視線を西に向けた。強く降り続ける雨の向こうに、黒々とした山の輪郭が微かに見えている。遺跡は既に光を放ってはいなかった。
「マリー、待っていて」
サキは小さく呟くと、リュードッグにもう一度「頼んだよ」と声をかけて、西へ向かって走り出した。数日前にマリーを探すために走ったのと同じ道だ。
遠ざかっていくサキの背中を、リュードッグは瞬きもせずに見つめていた。そして、その背中が闇に消えるのを確認すると、リュードッグは「さてさて」と自分自身に声をかけた。
「負うた子に諭されるとは。……道理で髪が白くなるわけだな」
次回は7/17(日)に更新します。




