拉致(1)
サキとリュードッグが遺跡で巨大な怪物と戦闘した翌日、ミノカ村西方の森の泉の畔にはマリーの姿があった。
太陽は中天まで登っていたが、その光の大半は厚い雲に阻まれて地上に届くのは薄暗い光だけだった。南側からどんよりとして湿った風が吹き込んできていて、雨が近づいてきているのを感じさせた。
マリーは、このところ毎日のようにこの場所を訪れていた。
十代も半ばともなれば、農村においては重要な労働力である。マリーの場合は、どうしても彼女がしなければならないという仕事は少ないが、普段ならば率先して細々とした仕事をこなしている。だが、ここ数日は何にも身が入らない様子で、ぼんやりと過ごしては、思い出したようにこの泉にやって来るのであった。
何も目的が無いわけでは無い。
だが、泉の傍にいるほとんどの時間は、サキと二人で腰掛けた倒木に一人でちょこんと座って、彼女と語らったことを思い返していた。時々何かを思い出しては、口元に笑みを浮かべたり、逆に口をへの字に結んだりしている様子は、気が触れたように見えるかもしれない。しかし、そうしてひとしきり百面相をした後は、決まって感情のない顔でため息をついては膝を抱え込むのであった。
最後に思い出すのは決まって、サキが村を離れた朝のことである。
短く別れの挨拶を告げてサキは馬上の人となると、リュードッグを従えて街道を南に進もうとする。
マリーはそれを呼び止めた。しかし、呼び止めたのは良いものの、暫くの間何も話かけることが出来なかった。
前日の晩、眠れぬまま寝台であれこれと考えていた気の利いた別れの言葉は、どこか寂し気なサキの顔を見た途端、何一つ思い出せなくなってしまった。
ただ絞り出すように「元気でね」とだけ声をかけた。
サキは「マリーもね」と頷くと、「アタシ、行くね。またいつか」と続けて微笑んだ。その、少年の姿のサキの微笑みは、マリーの瞼の裏に焼き付いているかのように今でも鮮明に思い出すことが出来る。
――私、どうしちゃったんだろ?
マリーは自分自身に問いかける。サキのことを思い出すと、居ても立ってもいられない気持ちになる。そして、今すぐ村を飛び出して行ってサキに付いていかないといけないという強迫観念に駆られるのだ。
――妄想だ。
それは、マリー自身も分かっている。今更追いかけたところでサキに追いつけるはずもないし、そんなこと土台出来っこない話なのだ。
それでも、マリーは妄想を続けてしまう。サキと一緒に世界中の各地を旅する自分の姿を。
――どうしてこんなことばかり考えるのだろう?
記憶の中にある最後のサキが少年の姿をしてたからと言って、その中身は自分と同じ少女である。彼女に恋をしたというわけでもあるまい。同性愛というものに決して寛容とは言えない農村において、マリーがそれについて持っている知識は決して多くはない。多くはないが、しかし自分が同性愛者だとは思ったことはなかった。もっとも、異性が好きかと言われるとそうでもなかった。ただしそれは、村の同世代の少年たちがいかにも子供っぽくて頼りがいがない所為かも知れない。せめて彼女と同居する赤毛の青年の半分ほどの包容力を少年たちが持っていたら、話はまた変わっただろう。
「いつまでもこうしてはいられないし、しっかりしないと」
暫く膝を抱えたままで時間を過ごしてから、そう言って気だるい様子で立ち上がった。
重い足を引きずるようにして、東へ続く下り坂を下りていく。
雑木林の外、大麦畑の西の果てに出ると、照り付ける陽光の下で大麦の葉が青々と輝いてる。その間を進んで、自分の家が見える位置まで来ると、大勢の見慣れない男たちが屋敷の傍に立っている事に気付いた。皆、鈍く光る鎧を着て、槍や戦槌などを担いでいるところを見ると、兵士の一団らしい。少し離れたところには、馬が何頭も繋がれていて、この辺りではめったにお目にかかれない四頭立ての立派な箱型四輪馬車の姿もあった。それだけではない。一団の中には、巨大な剣を背負った異様に大きな鎧の姿が四つ。マリーは本物を見るのは初めてだが、どうやらそれが噂に聞く魔動鎧だろうと見当がついた。
――魔獣がまた出た時の用心のために呼んだという兵隊さんかしら?
そう思いながら、見慣れない男たちの中心の男を見た。その男は、どことなく誰かに似ている気がした。
――そう、似ているのは目もとだ。
彼女が毎日鏡の中に見る人物と、その男は目元がそっくりだった。
マリーは男が誰に似ているか考えるのに注意を取られて、その男の足元に跪く人物に気づくのに時間がかかった。
そこに居たのは村長のバドである。彼は舗装のない土の道の上に膝をついて、頭を垂れているのだ。その様子を遠巻きに村人たちが心配そうに見守っていた。
バドの白髪交じりの後頭部を見下ろしている男の着る物が、この辺りでは見かけない高級な物ばかりであることや、兵士を従えている事を考えると、彼は大公の部下なのだろう。
そうであれば、村長であるバドが頭を垂れるというのは、おかしな事ではないのかもしれない。だが、バドを見下ろす男の、自分とよく似た目元でありながらまったく似ていない冷たい眼差しに、彼女の胸には不快な気持ちがよぎった。あるいは、それは不吉の予感だったのかもしれない。
反射的にマリーは身を屈めた。
家の周りを囲む石垣が視線を遮るので、屈むだけで身を隠すことが出来た。
そのまま、そっと石垣の傍によると、話し声が聞こえてきた。
「長よ、何度も同じことを言わせるな。大公が貴様に預けたものを返せと言っているのだ」




