古の塔(4)
その生き物は、赤黒い肌をしていた。乾いて固まった血のような色である。
背丈は遺跡の塔の四分の一ほどで、それでも人間の十倍以上は大きかった。
体の形こそは人と同じである。
二本の腕に、二本の脚。一つの頭。
だがその頭部にある眼球の数はたった一つだけだった。
全体的に薄汚れた生き物であった。充血した巨大な目の縁には膿のような目やにがついていて、鼻は汚らしく濡れ、顎の関節まで開いた巨大な口の中には黄ばんだ牙のように尖った歯が並んでいるのが見えた。体は体毛に覆われている。人間の人差し指ほどの長さの体毛だが、単眼鬼の巨躯に生えていると産毛が密集しているように見えた。その体毛にも垢じみた汚れが付いている。近くで匂いを嗅いだら異臭がすることは間違いなさそうだ。
その単眼鬼の頭部の眼球が、ギョロリと動くと、サキを見つめた。
――嗤った。
サキはそう感じた。怪物の眼の表情だけでそれが分かった。
「ドグ、これを使うよ」
サキは自分の制御結晶を見せながらリュードッグへ言う。
「仕方がありませぬな。四級ともなると生身でまともに相手をするのは骨が折れますからな」
級とは大陸全土で使われる魔物の大きさの等級である。一級の四カレヌ以上八カレヌ未満(約二メートル以上四メートル未満)から始まり、二級は八カレヌ以上十六カレヌ未満、と等級の数字が増えるほど大きな魔物を現す。四級であれば、三十二カレヌ以上六十四カレヌ未満(約十六メートル以上三十二メートル未満)が該当した。
「それがしの魔動鎧があれば、サキ様の手を煩わせる事もありませぬが、普通の魔動鎧は小さく仕舞ってはおけませぬからな。それがしが時を稼ぎまする」
言うが早いか、リュードッグは琥珀色の瞳をギラリと光らせると、剣を引き抜いて巨大な怪物に向かって走り出した。
サキは、首から金の鎖を外すと、右手で制御結晶を高く掲げた。
青い結晶が光る周期がだんだんと短くなり、やがて周囲は淡く青い光で満ち溢れる。それと同時に高く澄んだ音が発せられて、周囲に響いた。
青い光を切り裂いて、白い光線が制御結晶から地面に照射される。光を受けた地面は、その光が焼き付いたかのように白く光を発した。光線が動くと、地面に光の軌跡が刻まれた。やがて、その軌跡は複数の曲線と直線が組み合わさった複雑な文様を描き出した。書きあがった文様の中央では六芒星が一段と眩く光を放っていた。
その光の中に、黒い影が落ちる。いや、地面から影が染み出てきたといったほうが良いかもしれない。
その影は初めのうちは平面であったが、不意にムクムクと膨らんで立体の人影となった。
闇を纏ったような、黒い、黒い人影である。
その形は鎧であった。
東国風の飾り気の少ない質実剛健な鎧に似ている。
飾りと言えるものは、闇のように黒い鎧の表面を血管のように縦横に走る、鮮血の色をした線のみである。
大きさは人の背丈よりもずっと大きい。
その鎧が、手も触れぬうちに背中をサキに向けて片膝をついて跪いた。
腰から後頭部までの継ぎ目がバックリと口を開けると、中には流体金属が銀に輝いていた。それは、重力に逆らい継ぎ目から零れ落ちることなく波打っている。
魔動鎧である。
サキは、開いた継ぎ目から手足を滑り込ませると、最後に頭を兜の中に収めた。
開いていた背後の継ぎ目が勝手に閉じると、鎧は立ち上がった。
魔動鎧の中で、サキの諸感覚が鎧のそれと繋がっていく。
最初に視覚が繋がった。
鎧の外の風景が、サキ自身の瞳で見ているかのように知覚することができた。魔動鎧越しに見る視線の先では、単眼鬼の巨躯の周りでリュードッグが地を滑るように走ったり宙を飛んだりしている。そればかりではない。彼女の視界は普段の視野角以上に拡張され、彼女の後方に何があるかすら知覚することが出来た。見えぬのは己の足の下くらいのものである。
次に聴覚が繋がった。
巨大な怪異の咆哮、そして動き回るリュードッグを狙って力任せに払った腕が低木の若木をへし折る破裂音が響いてきた。怪異に対して小さく吐き捨てられたリュードッグの悪態までも聞き取ることが出来る。
続いて触覚。
足元の地面の感覚だけでなく、鎧の表面を撫でる風すら感じることが出来た。
最後に嗅覚。
饐えたような魔物の体臭はサキ自身の鼻を突くようだ。
味覚は繋がらない。
人間にとっては重要な感覚だが、この戦うためだけに作られた魔術仕掛けの傀儡には必要のないものであった。
『ドグ、下がれ!』
鎧が声を発する。
サキの声だが、彼女自身の声帯を震わせて発されたものではない。
青い結晶がサキの思考を読み取り、魔動鎧の面頬の奥に設えられた人工声帯を震わせて発された声である。
「承知!」
後ろ向きに跳躍してリュードッグは怪物との距離を空けた。
その空隙に黒い鎧が滑り込む。
単眼鬼は寸時、躊躇したようであった。今まで狙っていた薄鈍色の鎧の老兵を狙うべきか、突然眼前に現れた黒い鎧を狙うべきか。
単眼鬼は、サキもリュードッグもどちらも脅威だとは考えていないようであった。
単眼鬼はそう考えるだけの強さを持っていた。
だが、魔犬ほどの野生の勘は持っていなかった。
今や狩る者と狩られる者の立場は完全に逆転していた。ただ、巨大な怪異のみがその事実に気が付いていなかった。
「サキ様、斬魔刀をお使いくだされ」
『ザンマ? ああ、刀だな。……何とかならないのかその名前』
「せっかく、それがしが考えて差し上げたというのに……」
ブツブツと文句を言うリュードッグを尻目に、サキは単眼鬼との距離をさらに詰める。右手を開いて単眼鬼へ向けると、鎧の黒い掌の先に、地面に描かれたものと同じ光の文様が現れた。
その文様の中央から、鋭く尖った闇が飛び出した。
サキは走りながら、矢のように飛ぶその闇を空中で引っ掴んだ。
それまではっきりとしていなかった闇の輪郭が、像を結んで形を得る。
それは、黒光りする巨大な刀であった。
人の背丈の倍以上もある魔動鎧が持っていてさえ、なお大きく見える。
規格外の大刀であった。
その大刀をサキは両手で握り八双に構え、そのまま疾駆した。
走り寄るサキに狙いをつけて、単眼鬼は拳を打ち下ろす。
瀑布のような猛烈な勢いで、巨大な拳が迫りくる。だが、サキはそれを走りながら一刀のもとに断ち割った。
怪異の拳から流れ出る鮮血が周囲に豪雨のように降り注ぐ中、サキは足を止めずにそのまま走り抜けた。
単眼鬼の股下を潜り抜けて背後に回る。
サキの背後で、単眼鬼は叫び声をあげながら大地に膝まづいた。彼女は股下を通り抜ける際に行きがけの駄賃とばかりに、脛を薙ぎ払っていたのである。
黒い鎧は大刀を回して逆手につかむと、大地に跪く巨躯の背に後ろから飛び乗り、黒い刃を深々と首の裏に突き刺して頸椎を打ち砕いた。
サキが突き刺した大刀を引き抜いて背から飛び降りると、単眼鬼は轟音を立てて大地に突っ伏して四肢を震わせた。
その震えもすぐに止んだ。魔物が事切れたのである。
黒い鎧が出現してから一分と経ってはいなかった。




