10
赤のチューリップ : 愛の告白
彼女の手を引き、エレベーターに乗ると五階で降りた。
ナースステーションで看護師に軽く挨拶を済ませ、目指す場所へと向かう。
左右に病室の入り口が続く長い廊下を進み、突き当たりを左に曲がる。少し歩き右側にある扉の前で立ち止まった。
526号室と書かれた病室には名前が貼られていない。
扉を開き、彼女と一緒に部屋に足を踏み入れる。
真っ白な壁にベッドが二つ。テレビ付きの床頭台がその両端に置かれ、二つのベットを仕切り囲むようにカーテンが取り付けられている。
そしてその真っ白な部屋に、切り取られて貼り付けられたような窓には、いつものように灰色の空が覗いていた。
その部屋を不思議そうに辺りを眺めていた彼女を横目に見て、握っていた手に力を込めた。
どうか勇気をくれないか。
弱い自分に打ち勝つ勇気を。
おもむろに唇を開き、言葉を紡ぐ。
「ここに居たんだ」
「シキ君が入院していた部屋なの?」
「そう。ここに居たんだよ」
昔の記憶が走馬灯のように駆け巡り、たどたどしい口ぶりで話していた。
多くの時間を過ごしたこの部屋にはあまり良い想い出がなかった。
闘病中はどうやってもここから逃げ出すことができなくて、それがとても辛かった。
何故ここに居るんだろう、居なきゃいけないんだろ、どうして一人なんだろう、誰も居ないんだろ、辛い思いをしなきゃいけないのは何故だろう、生きる意味は何処にあるのか…そんなことをずっと考えていた。
しかし、いくら嘆いても答えをくれる者は居らずただ苦しみ続けるだけで、どうしてと足掻く日々が続いた。
ベッドの中で酸素マスクを付け忙しなく呼吸を繰り返し、朦朧とする意識の中で願った。
もう楽になりたいと。
生きていくことに疲れて、生きることを放棄したんだ。
だからかもしれない。
神はその願いを叶えることなく、苦しみながらも生きていく道を選ばせた。死ぬことは許されず、生きることを諦めた罰として生きる上で支障のない色彩感覚を奪った。
おまえはこの暗闇の中で一人で生きていくのだと突き放された気分だった。
「色がない世界ってどんな感じ?」
「全部が白黒だよ。色によってコントラストが違うくらい」
「携帯のカメラみたいな?」
「たぶん、そんな感じだと思う。でもサキが色を言うと、物に色が灯る。このリボンの色言ってみて」
「赤?」
みるみるうちに黒かったリボンが赤に変化していく。モノクロの世界に一つだけ輝く赤の色。何度見ても不思議な光景だ。
「信じられないかもしれないけど、今は赤が見えてるんだ。それも一瞬ですぐに戻ってしまうけど。だから魔法使いかって聞いた。俺こそ変な発言して悪かった」
「気にしてないよ! いや、ホントは気にはなったけど今知ることができてよかったよ」
握っていた手をブンブンを振って慌てて否定する彼女を見て、心が少しずつ穏やかになっていく。しかし、彼女の顔は曇っていった。
「ねぇ、シキ君。シキ君は、人に好かれるのはいや?」
消え入りそうな声で尋ねてきた。その表情は今にも泣き出しそうに瞳を揺らしている。
「特別扱いされるのは好きじゃない。前は特殊な中に居たし、人数も少なかったから目立つことはなかったけど」
「特殊?」
「小さい頃から、院内学級に通っていた。そこに通う子はもちろんみんなケガや病気を持ってる。みんな特殊だから、自分だけが特殊じゃない。でも普通の学校に行けば嫌でも自分は周りとは違うと思い知らさせる。病気持ちだと色眼鏡で見られる…それがかなり堪える。だから人前に出たり悪目立ちするは好きじゃないんだ。普通に過ごしたい」
「そっか。だからあんな態度だったんだ…」
「今を生きるのに精一杯でこれからなんて考えられない。だから友達も…そう。いつ入院するか分からないやつと友達になるやつが可哀想だから、一人で生きていこうと決めたんだ。誰の干渉も受けずに好かれることがないように突き放した。だけどあいつら絡んでくるから…それに君も」
「私?」
「冷たくしたのにどんどん踏み込んでくるから正直困ってる。どうしたらいいかわかんないから」
「どうしたらって…このままでいいんじゃない?」
「はっ?」
「シキ君が今を楽しいって思ってくれるなら私も嬉しい。その中に居ることができて嬉しい、役に立てて嬉しい、今隣に居て話をしてくれて私は嬉しいよ」
そう言って彼女は微笑んだ。
やっぱり離れていかない。そして笑ってくれるんだね。
彼女が俺の瞳が色を映していないと気付いて真っ直ぐに見つめられたそのときに知った気持ち。
この子に嫌われたくない。
好かれたいんだって。
「付き合って」
どうしたらいいのかも分からず、素直な気持ちがそのまま言葉に出てしまい慌てて誤魔化した。
あの時、気付いてしまった。色を灯したあの言葉を聞いた時から、惹かれていたということを。
彼女のキラキラと煌めく色取り取りの世界が観てみたい。どのくらい綺麗でどんな色をしているのか。
傍に居たいと、居てほしいと思ったんだ。
彼女が放つ言葉で俺の瞳は色を付けるから。彼女と同じものを観れていることが嬉しかった。
そうか。
こんなにも単純なことだったんだ。彼女の笑顔に惹かれて、言葉に興味を持って、彼女と接しているうちに好きになってしまっていた。
彼女は俺が望む言葉をくれる。微笑んでくれる。ここに居ていいんだよと、ここが俺の場所なんだってやっと言ってもらえた気がするんだ。
あぁ、ヤバイな。嬉し過ぎる。
どうしよう、どうしてやろうか…どうしたらこっちを振り向いてくれる?
好きになってくれる?
言葉を紡いでくれる?
方法なんて知らない。こんな気持ち知らなかったから。
「サキ」
「なに?」
「好きだよ。付き合ってほしい。この前は誤魔化したけど、今回は本気」
目を見開いて、彼女は固まった。
「サキ? 大丈夫?」
「だ、大丈夫…あまりに真っ直ぐに言う、から、ビックリして。この前言われたときに勘違いだったんだ〜って思って一人で慌てちゃったんだよー!だから…」
「誤魔化さないで。返事は?」
「…っ」
下を向いて数回呼吸をしてから目を合わせ、満面の笑みを浮かべた。
「はい。よろしくお願いします!」
「ありがとう」
それに釣られて、俺も笑ってしまう。その直後、彼女がどんどん俯いていく。
「どうした?」
「シキ君の笑顔、格好良過ぎて、心臓に悪い…顔赤いかも」
どれどれと右手を彼女の顎に添えて上を向かせる。
「ホントだ…真っ赤。可愛い」
みるみるうちに上気していく彼女の顔を見て思わず吹きだしてしまった。
怒った彼女が肩をポカポカを叩いてくる。
「見ないで‼︎ なんで色分かるの⁉︎」
「サキが言うからだよ。可愛い。もっと見せて?」
叩いてた手を掴んで彼女を引き寄せると、彼女は勢いよく目線を下に逸らしてわなわなと震えだした。
「シキ君、キャラが違います…」
「だってサキが可愛いから。それに優しくされたいんでしょ?」
そう言って顔を近づけたら、思いっきり両手で押し返される。必死になって慌てふためく彼女の姿が可愛くて仕方ない。
そんな調子で彼女をからかっていると、あっと何かを思い出したようで話し始めた。
「そ、そういえばね、白のチューリップの花言葉の中に新しい恋っていう意味もあるの!」
彼女との出逢いのきっかけはこのチューリップだった。
あの日たまたまあの道を散歩していて、花屋を見つけた。そしてたくさんのチューリップに囲まれた彼女と出逢った。
この奇跡に感謝したい。
そのときの記憶が鮮明に蘇る。おもむろに手を持っていたチューリップのリボンを外し、花弁に巻きつけた。
「はい」
「はい?」
「赤のチューリップの花言葉は愛の告白って言ってたよね? 今度本物あげるから今はこれで」
「ありがと…嬉しい。はぁ…顔が暑い」
「見せてよ。赤いって言ってくれたら、サキの顔よく見えるのに」
「だから、シキ君キャラが違うよ‼︎」
「元から俺はこんなだよ」
彼女と居ると笑いが絶えない。こんなに笑ったのは久しぶりだ。
彼女の言葉を思い出していた。
彼女は俺の色を白だと言った。
だったらその白のキャンバスに色を灯すのは彼女だ。
声が、存在が、俺の世界をカラフルにする。
ふと窓に視線を移し、側に歩み寄る。窓を開け放つと心地の良い風が流れてくる。
「サキ、空は青い?」
嬉しそうに笑顔を浮かべ、彼女は俺の隣で囁く。
「うん、今日も空が青いよ」
「あぁ、今日も空が青いな」
どこかで聞いたことのある台詞に嬉しさを滲ませて零した。
どこまでも視界いっぱいに広がる蒼穹に、夏の気配を感じた。
ー end ー
完結しました‼︎
最後まで読んで頂きありがとうございました‼︎
感無量です‼︎
感謝、感謝!




