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data19:サラダとパスタとオムライス

 ────,19



 あくる日のランチは進捗報告会と化していた。

 もちろんその内容はオフィスでの作業ではなく、アマランス疾患だのヒナトのそっくりさん事件だのといった、花園的にアングラで闇に閉ざされた部分の調査についてである。


 ヒナトからは何も新情報を提供できないのが心苦しかったが、そもそもサイネたちはヒナトにそこまで期待していなかったらしい。


 悪い意味ではなく、情報収集もそう簡単ではないしヒナトに任せてまだ日が浅いから、というような雰囲気だった。

 気が楽でありがたい。


 とはいえこの調子が今後も続いてはいけない。

 ヒナトとしては、自然な流れを装って職員さんたちと雑談する機会をもっと増やすべく、何らかの手を講じなければならないと感じた。


 問題はその何らかというやつがさっぱり思いつかないことなのだったが。


「適当にソーヤの具合がどうとか言って医務部に愚痴りに行けば? あんた愚痴は得意でしょ」

「と、得意じゃないもん」

「あはは……さすがにその言いかたはきついよサイちゃん」


 なにやら今日は女王様のご機嫌がよろしくないらしい。


 アツキに苦笑しながら窘められ、サイネは苛立ちを隠せないようすで水をあおる。

 ごくごくと飲んでから勢いよくトレーに戻し、ふーっと溜息めいたものを長々と吐き出したら少しは落ち着いたのか、サイネは怒られた猫みたいな顔になって「……ごめん」と謝ってきた。


「なんかお疲れだねえ。ユウラくんとなんかあったの?」

「……察したんならそれ以上聞かないでくれる? あとヒナトは聞きたそうな顔しないで。言いたくないから」

「わ、わかった……」


 気にならないこともない、そんなわけがないヒナトだったが、わざわざサイネの機嫌を悪化させてまで聞きたいとも思わなかったのでふるふると首を振った。


 さすがに命は惜しい。どうしても気になったらあとでアツキに聞けばいいし。


「あ、そだ。

 医務部の空きベッド調査はひと段落って感じだから、次は生活棟のほう調べようかと思うんだけど、どうかなあ? けっこう空き部屋あるし、ラボの宿舎階なんてほとんど入ったことないから……」

「ああそれ、もうユウラがざっとデータとってきたから大丈夫。それよりアッキーには植木鉢の調査を頼みたいんだけど」

「おーさすが仕事はやーい。でもなんで植木鉢? 何を調べたらいいのかな?」

「例のアマランス疾患の『リクウ論』がいろいろひっかかるから、問題点を洗い出そうと思って。

 項目はとりあえずは植木鉢全体の数と、稼働率かな……それだけならシステム覗けばいいんだけど、隣接してるラボとか休眠室そのものの雰囲気も見てほしい」

「わかった~」


 その単語にヒナトの耳がぴくりと動く。


 ソアだけがなる遺伝病、ソーヤやかつて花園にいた多くのソアたちを苦しめてきた諸悪の根源だ。

 サイネたちが真剣に調べてくれるのなら治療法も見つかるだろうか。


 いや、サイネたちだけに任せて結果だけ待つのはちょっとダメだ。

 大したことができなくても、なんでもいいからヒナトもその調査の手伝いがしたい。


 こちらの眼の色が変わったのに気付いたか、サイネが胡乱げな眼差しを寄越してきた。


「……あんたも仕事欲しいの?」

「うん!」

「ラボの聞き込みで成果が出たら考えてあげるから、まずはそっちをがんばりなさい」


 うう。やはり何か頼まれるには実績が必要ということなのか。


 しょげつつもヒナトはごはんを食べた。

 ちなみに今日はサラダ丼にした。健康的なチョイスではあったが、ほんとうは牛丼がよかったところを、あまり情報収集が進んでいないしという自責の念から控えたのだ。


 こうなったら今日の午後に本気を出してどーんと成果を挙げ、明日のお昼に心置きなくお肉がっつりなメニューを選べるようにしたい。

 サラダ丼も悪くない、というかふつうに美味しいのだが、この薄っぺらいハムではタレの染みた牛肉のゴージャスさに勝てないのだ。


 それこそサイネの言うようにソーヤをダシに使うくらいのことはしなきゃいけないのかもしれない。


 他にいい案も思いつかないし、そもそもヒナトの行動理由は彼のためなのだ。

 だから精神的に若干お手伝いいただいてもいいんじゃないかな、とか思ったり、しちゃあ、ダメだろうか……。


 ヒナトが悶々としながらドレッシングの染みたお米をもぐもぐしている間、サイネとアツキはまだあれこれと話し合っていた。


「……あら、もうこんな時間だ。急がなきゃ」


 ふと時計を見たアツキがスパゲティを大きめに巻き始める。


 お昼時間の終わりまではまだ余裕があるので、サイネとヒナトはともに首を傾げた。

 何か用事でもあるのだろうか。


「んとね、エイワくん迎えに行くことになってて。今日の午後からとりあえず来てくれるんだって」

「あ、そうなんだ」

「事実上の昇進報告ね。おめでとう」

「そうなの?」

「えへへーじつはそうなんですー。エイワくんが入ったら、うちは秘書から副官に繰り上げなの。

 まあ当分は兼業になっちゃうけどねえ」


 アツキは朗らかに言ったが、明らかにそれは大変なことだった。


 ふつうに考えてもふたつの立場を同時に担うのは楽ではないだろう。

 副官としてばりばり働きつつ、秘書として庶務雑務もこなさねばならないなんて、ヒナトは想像しただけで眩暈がしそうだ。


 しかも彼女の上官はあのニノリである。ただでさえ取り扱いの面倒そうなあの彼のオフィスで兼業とか大丈夫なのか。


 というか、ニノリがどうなるんだ。

 さすがにヒナトでもちょっと察せるまずさがそこにはあるのですが。


 急ぎでランチをしっかりデザートまで食べきってから、お先にねと言い残してアツキは食堂を出ていった。

 それをサイネとふたりで見送ってからヒナトもお茶を飲む。

 でもって、一応サイネの意見も伺ってみた。


「ニノリさん、エイワくんと上手くやれると思う?」

「どう考えても無理」

「……だよね」


 苦笑いするヒナトに、サイネが意外そうな顔をしながらスプーンを置いた。


 ヒナトからすればサイネがオムライスを食べていることのほうが意外だったがそれは黙っておいた。


「あんたぐらいの鈍感でもニノリのおかしさはわかるんだ」

「ど……鈍感かな? あたし」

「相当。まあ自分の近くって案外よく見えないものかもね……。

 ニノリのことはアツキに任せておけばいいから、あんたはソーヤをちゃんと見ててやんなさいよ。エイワがGHに来るってことは、あいつやタニラにも影響が出る」

「そうなんだよね……」


 結局問題はそこに帰結する。


 あれからソーヤも落ち着いているが、いざもう一度対面したら今度こそ誤魔化しが失敗するだろう。

 どのみち長く隠せることではないのだ。

 でもってあんなふうに取り繕おうとしてしまったあたり、ソーヤに自らの病気を打ち明ける心構えはなさそうだった。


 タニラはタニラで信用はできても頼りにはできそうにないし、もう他の誰かが横から手助けするしかないのではないか。


 もちろん誤魔化し続けるのではなく真実を伝える方向で。


「あのさ、サイネちゃん……ソーヤさんを説得してる暇はなさそうだし、あたしからエイワくんにほんとのこと言っちゃってもいいかなあ」

「私に聞かれても。しかもわざわざ損な役回り引き受けたいの?」


「いやだって、誰が言ってもソーヤさん怒るだろうし、あたしなら怒られ慣れてるし……こないだもちょっと怒られたけど、ワタリさんが助けてくれたの。

 ワタリさんも同じ意見みたいだから、次もきっとあたしの味方になってくれそう。


 たとえばこの役をアツキちゃんに頼んだとしたら、エイワくんは驚いてそれどころじゃないよね。

 ニノリさんはアツキちゃんの味方だろうけど、ニノリさんとソーヤさんで揉めたら、それはそれでまずいし。

 タニラさんは……彼女が泣いたら、ソーヤさんが辛いから」


「確かに班長同士で対立されるのは私も迷惑かな。会議じゃあいつらに挟まれる位置だし。

 それに私やユウラじゃ伝えたあとのフォローなんかできないから、確かにこの件に関してはあんたの言うことも正しい」


 サイネはオムライスを一口食べて、飲み込んでからもう一度口を開いた。


「けど、他にも適任者はいる。

 それこそラボの連中に任せてもいい。むしろ、ラボの職員こそエイワが起きた時点でソーヤのことを真っ先に伝えるべきだった、ぐらいに私は思ってる。

 あいつらが仲良かったことなんか誰だって知ってるんだから」


「……ソーヤさんの気持ちを考えて黙っててくれた、とかなのかな?」

「さあね。

 あ、この件の相談するついでにラボを覗けば? でまかせの相談内容でっちあげるよりは真実味あっていいんじゃない、事実なんだし」


 そ、そこを繋げるのか。


 ヒナトはちょっと唖然としてしまったが、サイネは自らの発想にひとりで満足したようすで、オムライスの残りを美味しそうに平らげた。若干機嫌も直った気がする。

 そしてそのままさっさとオフィスに帰ってしまったので、ヒナトはいろんな意味で取り残された。


 前からソアにはちょっと変わった人が多いように思ってはいたが、サイネもやっぱり変わっている。


 なんていうか、ひとの真剣な悩みごとを、他の目的とあっさり一緒にしてしまうなんて。

 たしかに理に適ってはいると思うし悪いことではないけれど、それにしても躊躇いがなさすぎるのではとヒナトは思った。


 ──とはいえ実際、もう悩んでるような時間はないんだよね。


 午後からエイワがGHに来てしまう。

 ヒナトも仕事中は勝手に動けないので、ラボに相談に行くとしたら上がってからだが、それは同時にソーヤやエイワにとっても自由時間なのだ。


 ラボの職員が説明役を引き受けてくれたとして、その前に彼らが接触してしまったら意味がない。

 ソーヤから会いに行く可能性はかなり低そうだから、エイワを誰かに引き留めてはもらえないだろうかと思ったが、そのお願いをしにいく時間も頼む相手を探す暇もすでになかった。


 気付けば昼休みはもう残り五分を切っている。

 トレーを返却しながらヒナトは一生懸命考えた。


 そして思った。


 自分は一班の秘書なのでソーヤとのほうが自然に接触ができる、というか今からオフィスで会う。

 仕事終わりになんとか理由をつけてソーヤを連れ出し、そのままラボで誰かに預けてついでに相談ができれば、エイワを引き留めてもらう必要がないのでは?

 連れ出す理由は仕事中に考えるしかないが、少なくとも多少なりと時間に余裕が持てる。


 これだ。我ながら名案。



「……と、思ったんだけどなぁ……」


 かれこれ二時間ほど経過したところでヒナトは唸っていた。


 ソーヤを連れ出すうまい口実がちっとも思いつかないまま無駄に時間だけ浪費してしまったのだ。

 考えごとに熱中していたので、当然本来の仕事は進んでいない。


「何ボヤいてんだよ、働けコラ」

「あ。声に出ちゃってた……すいません」


 ヒナトが怒られる光景などとうに見慣れているだろうに、ワタリはくすくす笑っている。

 いったい何が面白いというのか。たまにワタリの笑いのツボがわからないこともあるんだよな、とヒナトは思った。


 が、しかし、次の瞬間、ソーヤがこっちを見ていることに気付いて固まる。


 見ていると一言で表現するにはあまりにも不穏な眼差しだった。

 擬音を付けるなら、ぎろり、とか、いやもっとねっとりした感じもあるから、じろじろ、でもいいかもしれない。

 とにかく気に食わないものを見るような眼で注視されていたのだ。


 思ったよりも班長様の怒りのレベルが高いことに気付いたヒナトは思わず背筋を伸ばし、そしていつもの逃げ口上をほとんど無意識のうちに発していた。


「お……お茶淹れてきます……」


 制止の声がなかったのをいいことにそのまま席を立つ。

 そしてすばやくドアに近寄る。


 やはり止められるようすはなかったので、本能が命じるまま大慌てで廊下に飛び出した。


 でもなぜだろう。

 ──そんなに怒られるようなこと、したっけ?


 仕事そっちのけで考えごとに集中してたのは確かに悪いが、それにしてもいつもと雰囲気が違った。

 そもそも本来ソーヤは眼で訴えるようなタイプではない。

 よくそんなに頭と舌が回るもんだなと思うくらい、ぽんぽんお小言が飛び出すのがいつもの彼だ。


 もしかしてソーヤのことで悩んでたのがバレたんだろうか。


 ありうる。

 これではたとえ上手い口実を思いついたとしても、すんなり連れ出されてくれなさそうだ。


 ヒナトは静かに肩を落とした。



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