data20:はぐくまれるもの
────,20
挙動不審を丸出しにしながら出ていったヒナトを見送り、ソーヤは息を吐いた。
秘書のようすが何かとアレなのはいつものことだ。
良くないことだがそれが彼女の平常運転なのである、が、このところのヒナトの浮つきかたは、これまでの彼女とは少し趣が違っているように感じる。
前までは単純に仕事にやる気が見いだせずにぼーっとしているだけだった。
よそごとを考えているにしたって、その内容は明日のランチセットにつくデザートが何かを予想しているだとか、あるいは自分の業務がある日突然上手くいってソーヤやワタリに褒められることを夢想しているだとかの、まあくっだらない妄想でしかなかった。
……なんでそんなことを知ってるかって、何度か問い詰めて聞き出したことがあるからだが。
さすがに白状するころには号泣しているので最近は詰問していない。
ワタリに咎められるし、教育的な意味でもあまり良くないなとソーヤ自身でも思ったので。
ともかく、それがソーヤから見た以前のヒナトの姿なのだ。
それがここ数日は、彼女がほんとうに真剣に何ごとかを悩んでいて、それで仕事が手につかないというのが目に見えてわかる。
で、その内容も聞くまでもない。
なぜかって、ヒナトがときどきこっちを窺っているのを感じるし、なんなら漏れ出た小さな声が「ソーヤさんが……」だったりするからだ。
わからないほうがどうかしている。
それが回り回ってソーヤにとってもこのごろの悩みの種のひとつとなっていた。
だから思わずでかい溜息をついてしまい、耳聡い副官が訳知り顔でこちらを見てくることになるのだ。
「……班員の相談に乗るのって、班長の務めじゃないかなあ?」
「うるせーよ。……素直に言うわけないだろ、俺相手に」
「よくご存じで。だったらさ、あの子が不安に思ってることを解決する方法だって知ってるよね」
返事ができないソーヤを見つめながら、ワタリはさらに続ける。
「もう三班にエイワが来てる。ちょっと行って話してくる間ぐらい留守番してあげてもいいよ」
「……おまえ性格悪いよな」
「わかってて副官に選んだのはそっちだよ」
「たまに俺、おまえを監視してんだか、されてんだかわかんねえわ。……あとおまえに言われるまでもなく自分から言うつもりだっての。
あんときはタニラがいたから……」
その名前を口に出しただけでソーヤの頭がずんと重くなる。
彼女が大切にしている思い出を、そのひとかけらも共有できないこんな己を、今でも一途に好いていてくれる健気な少女。
タニラはいつでもソーヤの傍にいて、癒そうとしてくれる。
ソーヤのために涙さえ流してくれる。
その気持ちがありがたくて、しかし同時にどうしようもなく重いのだ。
どんなに尽くされてもソーヤは絶対に記憶を取り戻すことができない。
もう何度もラボに相談したが、絶望的だと言われている。
あるいはこの脳に負った損傷を元通りにするような魔法があるのなら。
アマランスは先天的な疾病を防ぐことはできても、後天的な瑕疵を癒すことはできないのだ。
そのくせ意識に依らず強制細胞死を引き起こし望まぬ自死に至るという、他のどんな生物にも見られないような破滅的な遺伝病を抱えているなんて、どうしようもない欠陥技術ではないか。
「監視って表現はいただけないな。僕がしてるのは観察だ」
ワタリはそう言って、それきり黙った。
そしてソーヤも何か言い返すこともなく口を閉じた。
これ以上ワタリと話しても何の助けにもならないし、基本的に彼はソーヤにとって都合の悪いことしか言わない。
そこに善意も悪意もなく、ソーヤが見て見ぬふりをしているものを突き付けて、その反応を楽しみたいだけだ。
言われなくてもわかっている。
これ以上周りに要らぬ心配をかけるより、さっさと打ち明けてエイワにがっかりされるほうがいい。
タニラの心痛も減るし、ヒナトが余計な気を回して事態を悪化させるおそれもなくなる。
それに過去は取り戻せなくてもこれから信頼を積み直すことだって不可能ではない。
GHの連中とも時間をかけて新しい関係を作ってきた。
ただエイワがタニラと同じように『思い出』を大事にしていたらどうしよう、という不安が残っている。
タニラはそれに縋ってすらいる。
いつかソーヤが記憶を取り戻す日をひたすらに信じ、そのきっかけにならないかとあれこれ昔話を聞かせてくれたので、エイワの名前もすでに知ってはいた。
親友だった、と聞いている。
いちばん仲がよかった、何でも話していた、──私の知らないふたりだけの秘密もあったみたい、とタニラが言っていた。
それが永遠に失われたことを知ったらエイワはどう思うのだろう。
初めてGHの他の面子と顔を合わせたとき、誰もがソーヤの記憶障害のことを聞いてショックを受けていた。
今でもたまに夢に見てうなされることがある程度には、ソーヤにとってもトラウマだった。
あの日の、みんなの絶望と衝撃で泥のようになった瞳……あれをまた見る羽目になる。
それが正直、怖いのだ。
そして、そしてまたソーヤも打ちのめされて、そのとききっとまた傍にタニラがいる。
タニラがソーヤを支えようとする。ソーヤの代わりに泣こうとする。
ソーヤは彼女に何もしてやれないし何も返せないのに、タニラはそれを一言だって責めようとはしない。
だから重い。
行き場がないまま、膨れ上がっていく罪悪感が。
・・・・・
「じゃあニノリん、お留守番よろしくね~」
「……ああ」
めちゃくちゃ不機嫌な末っ子班長の声に見送られ、アツキとエイワは事務室を出た。
今日が初日であるエイワに秘書の仕事を覚えてもらうため、彼が来てからアツキはずっと付きっきりであれこれ教えていたのだが、それがニノリには面白くないらしい。
それをまだまだ甘えん坊さんだよね、などと言えるのもアツキくらいなものだろう。
隣のエイワはすでに顔がひきつっていた。
「俺これから大丈夫かな……」
「んー? エイワくんは覚えるの早いほうだと思うよお?」
「や、そっちじゃなくて。なんかオフィス入ってからずっとニノリに睨まれてた気がすんだけど」
「あはは。人見知りがすごいよねえ。うちも最初は口きいてもらえなかったよー。
そのうち慣れるから、猫ちゃんだと思って気長につきあってあげてね」
いや、そういう問題でもなくて。
と言いたいエイワと、根本的なところで問題を理解できていないアツキは、今は給湯室に向かっている。
目的はもちろん、茶葉の場所ややかんの使いかたを覚えてもらうことだ。
お茶汲みは毎日の業務なので早めに身につけてもらわなくてはならない。
美味しく淹れられるようになるには経験が必要だし、あと班員の好みなんかも覚えてもらう必要があるので、習うなら早いほうがいい。
そしてそれとは別に、慣れない新人の存在がニノリにとってはストレスなのでちょっとひとりになる時間を作ってあげよう、というのがアツキの考えだった。
しかし廊下を三歩くらい進んだところでアツキははっとした。
今はラボのほうも休憩どきで、給湯室や食堂に行く職員も少なくないので、人手が少なくなっているはず。
奥に入り込んで調べるのには最適な時間帯ではないか。
夜間は施錠もされてしまうしセンサー類の稼働数も増えるので、終業後はあまり好ましくないのだ。
「……そろそろ備品の補充しようと思ってたんだった。
ごめんねエイワくん、ひとりで給湯室に行っててくれないかな? 資材倉庫のことは明日説明したげるから」
「え? でも俺、行ってもなんにもわかんねーんだけど」
「もちろんうちもあとから行くよー。
……あ、それに今の時間なら、タニちゃんがいるかもよ? 運がよければふたりっきりかも……」
アツキの脳はこういうときフル回転する。
もっと別のときに回せ、とたまにサイネに怒られるが。
花園、それもソアたちの人間関係なら概ね把握していると自負するアツキは、手持ちのカードでもっともエイワに効くものを切った。
彼とタニラとソーヤが仲良しトリオだったことならアツキでなくとも知っているが、エイワがタニラに向けている感情が友情に収まっていないことは誰しもが知っているわけではない。
そしてトリオ時代、ソーヤが万事を仕切っていた。
エイワはところどころで彼に遠慮していた。
タニラにしてもソーヤが好きでくっついていたので、その親友だからエイワとも親しくしていただけなのだ。
つまりエイワは喉から手が出るほど、ソーヤ抜きでタニラと過ごす時間を欲しているはずである。
「……そ、そっか。じゃあアツキが来るまではタニラに教えてもらおうかな……」
「ん、そうしてもらって。タニちゃんもサイちゃんに鍛えられてるから淹れるの上手だよ~」
案の定エイワはちょっと照れくさそうに頷いてくれたので、アツキはこれ幸いと彼を残してエレベーターホールへ向かう。
そして横目に彼が給湯室に入ったのを確認してから呼び出しボタンを押すが、アツキが選んだのはGHオフィス用の資材倉庫がある二階──つまり下へ向けた矢印ではなく、上向きの矢印の描かれたほうだった。
ここは三階で、一班オフィスのある四階から上はラボに属している。
降りてきたかごに乗り込み、行先は八階を指定した。
そして同時に七階のボタンも押した。
どちらも流れるがごとく自然な動作で、ついでにうーんと伸びまでつけた。真上には監視カメラがある。
やがてエレベーターはつつがなくアツキを七階へ運んだ。
「……わぁ。懐かしー……」
扉が開き、目の前に広がった光景に向けて、アツキはそんな言葉を放つ。
こればかりは演技ではなく本音だった。
半透明のプラスチックの薄い壁に区切られて、ずらりと並んでいる箱型の装置には、かつてアツキ自身もその身を横たえていたのだ。
そして『起き』て以来、一度もここを訪れてはいなかった。『眠り』以外では用がないからだ。
七階はラボの第三階層であり、植木鉢と呼ばれる休眠装置が面積の大半を占めているため、『休眠室』と呼ばれている。
アツキはふらふらと吸い込まれるようにして薄暗い室内に入った。
植木鉢の管理システムはラボにあるため、基本的には眠っているソア以外ここに常駐する者はいない。
現在も何名かが永い眠りについている。
アツキは植木鉢をひとつずつ調べ、その稼働状態をチェックしていった。
数も数えろと言われていたからそれも忘れずに。
そうして半分も調査が進まないうちに、アツキは怪訝な顔で立ち止まる。
「なんか、これって変じゃない……?」
しかし疑問をメモにとり、すぐに気を取り直して調査を再開する。
報告するときにサイネやユウラも同じことに気がつくはずだし、ここでアツキが悩んでも仕方がない。
できるだけ多く情報を持ち帰ることのほうが今は重要だ。
なぜなら調べられる時間はそう長くはない。
サイネに付き合ってこんなことをもう何度かやっているから、なんとなくそれはわかる。
「──おい、ここで何してる?」
ほらね。
アツキは素早くメモを胸元に隠し、愛想のいい顔でふり返る。
エレベーターの明かりが暗い休眠室を照らし、そこに人影があった。白衣姿のラボの職員だ。
昼間だろうが無人の部屋だろうが、センサーがまったく作動していないわけではない。
それこそ誰かがうっかり装置を止めてソアを中途覚醒させてしまったりしたらソーヤの二の舞だ。
そういう事故を防ぐためにもセキュリティというものが存在している。
「あはは、エレベーターで行先押し間違えちゃったみたい。なんだか懐かしくなっちゃって~」
「……なんだ、アツキか。驚かせないでくれよ」
「ごめんなさーい」
いたずらはしてないよお、と冗談めかして言うと、そりゃそうだろうね、と職員も苦笑いしていた。
そんなことをするはずがないという信頼はすでに築いてある。
別に調査のために狙ってそうしたわけではなく、アツキなりに正直に生きてきたらそういう評価をいただいただけだ。
職員と一緒にエレベーターに乗り込み、八階へ向かう。
しばらくしてチンという軽い音とともに扉が開き、ちょうどその目の前に、かご待ちをしていたらしい人影があった。
そしてそれは意外なことに、ヒナトだった。
→




