1. 燃える前に
玉座の間。無言の王と廷臣の前で、剣を授かったカレルが俺へ切っ先を向けた。削げた頬、締まった顎。声は低い。
「お前が、俺の村を焼かせたんだ!」
「待て! ぐはっ!!」
玉座の間で、勇者の剣が俺の胸を貫いた。
儀礼の剣の柄が、手の中でずれる。背へ冷たさが抜け、石の床が頬へ迫る。腕が、上がらない。
違う。俺は村など焼かせていない。だが〈黒公子〉と呼ばれた男の言葉を信じる者は、あの場に一人もいなかった。
視界から人が遠のく。言い返すための声が出ない。刃だけが残る。
◇
目を開けると――十年前の朝だった。
「……へ?」
俺は十八歳で、勇者カレルはまだ八歳。そしてあいつの村は、明日焼かれる。
衣の下を探る。傷はない。寝汗を吸った敷布だけが、やけに温かかった。
一度目の記憶では、公爵邸へ届いた被害報告には、北の村が三月二日の朝に焼けたとあった。玉座で読まれた命令書の日付も、その日だ。
私室の窓を開ける。春先の冷たい風が、首筋の汗を撫でた。だが、こんな話誰にしてもまともに取り合ってはくれないだろう。
誰にも言わず、俺が行くしかない――。
剣の鞘を腰へ吊り、厩へ急ぐ。老執事が灯りを掲げた。
「若様、朝食も召し上がらず、どちらへ? まだ馬の支度も済んでおりません。お顔の色まで……何があったのですか?」
俺は鞍の帯を引き絞る。
「北の村だ。明日の朝には着く。父上の療養を妨げるな。留守は任せる」
老執事が馬のそばへ足を速めた。
「お一人で行かれるのですか? せめて供をお連れください。若様まで倒れられたら、私は旦那様に何と申し上げればよいのです?」
鐙へ足を掛け、俺は鞍の革を押さえる。
「替えの馬を出せ。供は要らん。戻るまで、俺の部屋には誰も通すな。お前は父上のそばにいろ」
馬を替えながら、夜を越えて北へ急いだ。手綱を握る手は、馬の汗で湿っている。
◇
馬を飛ばして着いた村の前で、俺の家の紋を付けた兵たちが松明を掲げていた。
手綱を引く。二十四戸の家を背にした村人の中に、石を持つ子がいた。村長が俺の黒衣を見て、荷をかばう。
「また公爵家の徴発ですか? もう差し出せる物はありません。これ以上、何を持っていくんです? 家だけは、どうか。荷をどけますから、火を近づけないでください!」
額の汗を払い、濡れた黒い髪をかき上げた。馬を降り、肩で道を塞ぐ。兵の隊長が俺の長身へ紙を掲げる。
「公爵家の命令です。我ら六人、命じられたとおりに動いております。邪魔をなさらないでください。あなたが何者でも、この紙に背くわけにはまいりません!」
紙の下には俺の印。俺は紙へ手を伸ばす。
「その紙に押された印を、よく見ろ」
俺は名を突きつけた。
「俺がリュディガーだ。火を下ろせ。俺の名で家を焼くことは許さん」
兵の隊長が紙を開く。
「嫡男様のお顔は存じません。取消しは同じ印の紙でのみ、口で止める者は名を騙る偽者として退けよ、と! 止めると仰るなら、取消しの紙をお出しください!」
一度目、玉座で読まれた命令書も同じ文面だった。同じ玉座で続けて読まれた隊長の申し立てには、夜半の北の守備所の門、覆面の男、前金の袋。渡した者の名はない。
印は私室の箱に置いてきた。ここで押せば、この村への発令の紙が俺の印でもう一枚増える。隊長が紙を腰帯へ挟み、兵を家へ進めた。松明が柵に触れ、乾いた枝を火が走る。
一度目、成人の儀の公開試合で見て、その日の玉座で受けた形。刃の根元で受けて滑らせ、左脚を深く折り、下から突く。どこまで届くかも、この身が知っている。
石が飛んだ。隊長の刃が、その小さな投げ手へ向く。
俺は剣を抜く。使うのは、十年後にあいつが俺を斬った、あの一太刀だ。
刃の根元で隊長の剣を受け、滑らせた――。
鉄が鉄を擦る。左脚を深く折って踏み込み、突き上げた切っ先で、隊長の松明の柄を下から断つ――――火が泥へ落ちた。
「くあっ!」
直後、左脚がつった。膝裏の筋が裂けるように痛む。同じ角度では支えられず、尻から泥へ落ちた。立とうとするたび、脚は余計に言うことを聞かない。
隊長が腰帯から命令書を抜き、抱え込む。
「剣を使われても、命令は変わりません! この紙に背けば、私が責めを負うのです! お名乗りだけで、私の身まで守れますか?」
俺は泥の中から、紙を見据えた。声だけは、揺らがせない。
「昨夜半、北の守備所の門で覆面の男から受け取った紙だな。前金の袋も一緒だ。違うか?」
兵の隊長の唇から血の気が引いた。
「なぜ、そこまで……」
「公爵家の正式な命令が、覆面の男からくるわけがない。お前だって怪しいと思ってるはずだ。俺は先駆け、もうすぐ本体が来るぞ!」
「くっ……。わ、私は、渡された物を受け取っただけで! 紙も金もお渡ししますから!」
俺は火の残る柵へ剣を向ける。
「火を消せ! 元に戻すなら不問とする!」
「は、はい! 直ちに!」
兵たちが水をかけていく。家々に火は移らない。差し出された命令書と前金の袋を受け取る。
そんな兵たちにまた石を振り上げた子の服をつかむ。
「おい、止めておけ」
泥だらけの子供が、俺を睨んでいる。
栗色の跳ね髪が、不揃いに揺れた。軽い。この子が後の勇者カレルだろう。今なら腕一本で持ち上がりそうだ。子は手を引きはがそうとする。
「離せよ! 貴族なんか大っ嫌いだ!」
俺は握った布を緩め、子へ向き直る。
「今日からお前は俺の従者だ。逆らえば飯を抜く」
子は俺の黒衣を睨み返した。
「飯? 従者? 勝手に決めんな! 火を消したからって、俺まで持っていけると思うなよ! あんたの言うことなんか聞くか!」
俺は子を兵と逆の方へ引く。
「暴れるな。話を聞け」
子が俺の脚を見て、口を尖らせる。
「立てねえのに、偉そうにすんな!」
俺は腰を浮かせかけ、止める。膝の裏で、また筋が跳ねた。
「膝が言うことを聞かんだけだ。笑うな。お前まで転がるぞ」
子はこらえきれずに笑う。
「ははっ、膝にも逆らわれてんじゃねえか! 金色の目で睨むな!」
俺は鋭い眉を寄せた。薄い唇の泥がじゃりつく。
「口より先に石を置け。投げる相手は、もう火を消している。水の桶を落とさせる気か?」
「……。ふんっ!」
子は石を落とし、手を俺へ突き出す。
「置いたぞ。あんたも剣をこっちに向けるなよ。俺はもう投げねえからな! でも、兵がまた来たらどうすんだよ? 俺が何もしなきゃ、また家に火がつくだろ!?」
俺は剣を子から離し、よろよろと立ち上がると、消火を終えた隊長へ向き直った。
「覆面の男の顔は見たか? 背丈でも声でもいい。分かったことを言え」
兵の隊長が首を振る。
「顔は隠れたままでした。声も布越しです。見たことのある男かも、分かりません。申し訳ありません、これ以上は……」
俺は柵の焦げを示す。
「柵を直してから北の守備所へ戻れ。二度と村へは手を出すな。今日のことは、俺が預かる」
「は、はい! 分かりました!」
◇
村長がパンの器を持って来た。
「その子はカレルです。前年の山崩れで両親を亡くしまして。村で飯は寄せますが、雑用ばかりさせております。石も、家を守ろうとしてのことで。その子ばかりを責めないでやってください」
俺は石を子から遠ざける。呼ぼうとした名が、喉でつかえる。
「兵に投げた石の責めは負わせん。公爵家で預かる。カレル、分かったな?」
カレルの若草色の目がパンへ動いた。俺を斬った男と同じ色だ。返ってくる声は、まだ低くない。
「公爵家へ行ったらどうなるんだ? でも、話をする前に食わせろよ。冷めねえ物でも、腹は待ってくれねえんだぞ! あんたの従者ってのは、腹が鳴っても黙ってなきゃ駄目なのかよ?」
俺は器を受け取り、子へ渡した。
「食べ終われ。話はそれからだ」
カレルはパンをひったくると抱え込む。
「取るなよ! これは俺のだからな! 貴族でも、あとから返せって言うなよ!」
俺は食べろと顎をしゃくった。
「早く食え」
村長が子を見て頷く。
「兵に目をつけられず、学べるなら、お願いいたします。カレル、いい話じゃないか」
カレルはもう石を拾わない。罪を着せられる道も、俺の敵へ育つ道も、ここで変える。
「従者の仕事を覚えろ。剣も教える。俺の弟子になれ」
カレルが俺の剣を見つめた。
「教えるって言ったな? あんたより強くなっても、文句言うなよ! その時に泣いても知らねえからな! まずはその剣をくれよ!」
小さな手が俺の剣へ伸びかけ――止まる。俺は鞘を握ったまま、その手が伸びるのを待った。
「どうした、取らないのか?」
俺を殺した男が俺を殺す剣を持ったら――一体どうなるのか? 一瞬心臓がドクンと鳴った。
世界には復元力があるかもしれない。であれば、村が焼けるのを止めただけでは俺の死は免れないだろう。別のことを理由に、この子がまた俺を貫く未来を世界は用意するかもしれない。
「まだ、時じゃない……かな?」
カレルはそう言うと、パンの残りを一気に口に頬張った。
俺を殺す男を、俺が育てる。それはどういう結末を生むのか――――?




