鉄板土下座、起床する
2076/06/04(木) 07:02 永瀬宅
「……二人とも、いい加減に起きないと、自動ゴミ収集車に回収してもらうわよ」
お嬢ちゃんが、ポニーテールを軽快に弾ませながら、手際よく朝食を盛り付けている健気なその姿……なるほど、人気配信者というのも頷ける。
それに引き換え、小僧の体たらくよ……おぬし、朝が弱いにも程があるぞ?
「ふわぁ……はぁ……すぅ……」
「むにゃむにゃ……」
それにしても、小僧から前もって話は聞いてはいたが……聞きしに勝るとはまさにこのことか。
「……あと、3ナノ秒」
「それ、実質寝れてないから! 二度寝しようとしないで、お兄ちゃん! お母さんも、ほら! 今日は大学の講義があるんでしょ! ちゃんと準備しなきゃ——」
そうなのだ……儂の目と鼻の先に、小僧とお嬢ちゃんの母親がいるのだ。いるのだが……凄まじいの一言に尽きる。生命の神秘とは、斯くも容易く想像を超えていくものなのか。
断言しよう……まっとうな「人族」の括りで語るならば、小僧の母君以上の存在は、この儂ですら出会ったことがない。
その時、一切の情けも容赦もなく、お嬢ちゃんがカーテンを全開にする。鋭くも穏やかな光が、小僧とその母君を直撃。二人の網膜へと無慈悲に光が届けられるものの、網膜自体は無事だ。
何故なら、その日光は、小僧たちが暮らす「あさぎ研究学園都市」ご自慢の環境維持システムによって濾過された、人体に無害な「擬似日光」なのだから。
素晴らしき哉、最新技術……無論、小僧が寝ている間に学習したことのひとつだ。
ただし、それはそれとして太陽が眩しいことに変わりはないのだろう、二度寝を貪る軟体動物もどき二匹を目覚めへと導くに足りたようだ。
「はわわっ⁉︎ 収差補正が追いつかないよ⁉︎」
だぼだぼの寝巻きの袖で目を擦りながら、のそりと起き上がるのは、事実としては、小僧とお嬢ちゃんの母親ということになる。
だが、儂を驚嘆せしめたのは、その容姿だ。
139センチの小柄な体躯。それにふさわしき小さな頭部を含め、細く華奢な身体。
しかし、何より目を引くのは、童女なのか幼女なのか、その判別すら困難極まる愛くるしい顔立ち……童顔という奴だな。
小僧曰く、「合法ロリ」と呼ぶそうだ。その言葉の意味を知った時には、業の深さに驚いてしまった……不覚である。
さらに付け加えると、どうやら彼女は、一角の人物……傑物、いや、女傑と呼ぶべきか。
その姿をどう見ても、そのようには見えないだろうが、彼女こそが、この学園都市の基幹システムを構築した『フロンティア・ニューラル社』の最高技術責任者であり、「世界トップクラスの天才科学者」。
誰が呼んだか合法ロリCTO。
転じて、「CTロリ(LOLI)」だそうだ。
『永瀬 冴子』、38歳……正直なところ、7歳、8歳と申告されれば、誰もが納得するだろう。
立場上、さまざまな者と交流してきた儂じゃが……彼女以上に、見た目で年齢を推測不可能な存在となると、二名しか心当たりがない。
それも、両者ともに、かなり特殊な存在であるのでな……総じて鑑みれば、彼女こそがナンバーワンだ、間違いない。
何より驚きなのは、そんな彼女が、二児の母という事実よ……まさに生命の神秘である。
「詩織ちゃん、乃亜くん、おはよう……昨日の鉄板土下座のログ、ちょっと解析したけど、あそこの接地判定、やっぱり0.2ミリ浮いてるねぇ……」
「おはよう、母さん……あれってさ、摩擦抵抗を無視してるんじゃなくて、空気の層をギロチンブーメランの外縁部で噛んでるんだよね——」
覚醒の瞬間から一般人には理解し難い「クソゲー的挙動の物理演算」について論じ始めるあたり、なるほど、この母にしてこの子ありといったところか。
恐ろしいまでの「ずぼらオーラ」を放っている、つまり、揃いも揃って朝が弱いことからも、どうやら小僧は、母親似ということなのだろう。
「はいはい、その話は夜にして。ほら、メッセージ届いてるよ。大阪はもう暑いって——」
お嬢ちゃんが、リビングのメインモニターを指差す。そこに映るのは、串カツを片手に満面の笑みを浮かべる『筋骨隆々の偉丈夫』。
なんということだ……その肉体、儂の知る歴戦の剣闘士たちすら凌駕しておる。いやはやまさか、これほどの益荒男がいるとはな。
小僧の記憶では、身長は平均を大きく上回る192センチだそうだ。肌はほんのり小麦色。
透き通るような白い歯と整った歯並び、それらを支える健康的な歯茎を見せつける、理想的な「満面の笑顔」は、なるほど……家族を思う「父親」の顔である。
そう、その男の苗字もまた「永瀬」。
彼こそが、『大阪』に単身赴任中の小僧とお嬢ちゃんの実父、母君の旦那の『健一』だそうだ。
そんな健一、毎朝、愛する妻と息子と娘のことを想いながら自撮りを送るのが日課。昼と夜は、妻とビデオ通話でイチャイチャしている、仲睦まじい夫婦である——とは、小僧の言。
さて、おそらくなのだが……小僧とお嬢ちゃんの両親のことを知った者全員が、思わず考えてしまうことがあるのではないかと儂は推察する。
誰もが思わず考えてしまうこととは、これだ。
「身長差53センチ、マジかっ‼︎」である。
こちらの世界では、本気と書いてマジと読むそうだが……小僧、使い方は正しいか?
そんな儂の声に反応した小僧が、こくこくと頷く。やはり、この使い方で正しいようだな。
「健一くん、今日も元気そうだねぇ。大阪は活気があっていいなぁ……あさぎはさ、みんな真面目すぎて遊びがないんだもん……ふわぁ……」
小僧の肩に顎を乗せながら、あくびを噛み殺す母君……儂の目からは仲睦まじい親子の朝の戯れに見える、かろうじてな。
だが、この二人の関係性を知らない者がこの光景を目の当たりにしたら、十中八九、仲の良い「兄と妹」に見えることだろう……凄まじい。
そんな中、お嬢ちゃんが差し出した味噌汁を啜り、小僧が口を開く。
「……出汁の抽出時間、昨日より長くね?」
「あーもう! お父さんとお母さんの変なとこだけ遺伝してるんだから! 文句あるなら自分で作りなさいよ!」
まったくもって、その通りである。
毎朝、同じ時間に朝餉を振る舞う。その行ないがどれだけ大変であるか、わからぬ者に朝餉を振る舞われる資格無し——とは流石に言い過ぎやもしれぬ。
だがな、小僧……毎日毎朝、同じことを繰り返していれば、人は誰しも慣れていき、退屈であると感じてしまうものだ。
おぬしとて退屈という名の毒の恐ろしさ、解らぬわけではあるまいて……のう、小僧?
「……少し濃いけど美味い」
「きゅ、急にどうしたの……?」
唐突に誉められたからだろう、お嬢ちゃんの頬がほんのりと赤みを増していた……ふんっ、やればできるではないか、小僧。
元々弛緩しておった空気がさらに和らいでいく中、母君が笑顔を浮かべながら、小僧の頬をツンツンと無邪気に突っつく。
「乃亜くん、今日、学校の帰りにラボに寄れるかなぁ? 試してほしい『新しいおもちゃ』があるんだよぉ……みんなには内緒のお茶目なやつ」
「お茶目……そういう時の母さんの試作品は、大体バグ多めだからなー」
「えへへ、空間ごとねじ切っちゃうかも!」
「ダメだからね? お兄ちゃんは今日! 放課後! 花凛さんに呼ばれてるって昨日言ってたでしょ!」
中々興味のそそられる話ではないか!
儂としては、母君の職場に興味が湧くのだが、どうやら小僧には、他に用があるらしい。
さて、小僧とお嬢ちゃんが通う学び舎とは、どのような場所なのか……楽しみにしておこう。
それにしても、お嬢ちゃんの料理は中々美味であるな……小僧、味噌汁のお代わりをせぬか?




