第二章-50『鮮血に染まりし正義』
「うあああァァァーーーーーーッ!!?」
爆風の中心から凄まじい勢いで射出されたキヨシは、ソルベリウムの破片を撒き散らしながら、夜闇を切り裂いて飛んでいく。
──か、身体がバラバラになりそうだッ!!
実に恐ろしきはリオナの魔法。
過去に出会った者と比較すると、同じチャクラ属性を持っているフェルディナンドは、コインを浮遊させて射出、威力も指を切断するほどと、中々のものと言えるだろうが、それでもこのリオナの猛威には到底及ぶまい。
辺りの空気がいっぺんに暴れ、ありとあらゆるものを薙ぎ倒し、吹き飛ばす。まるで巨大なハリケーンがこの場に押し込められているようだ。それでいて、
「キヨシさぁーんっ!!」
「……あッ!?」
範囲攻撃ながら全くの無差別ではない、という点がまた素晴らしい。
なんと、キヨシが発射された丁度真下の軌道上にティナたちが乗った飛行機が、キヨシとほぼ等速度で飛んでいるのだ。周りでガーゴイルたちが混ぜっ返される中で、キヨシと飛行機だけは方位が保たれている。
「……なら、これもおたくの思惑通りだな!」
キヨシはすぐ近くに飛んできたリオナの大槍を、ソルベリウムの装甲で受け止めて投げ返した。すると大槍はキヨシの腕力で投げたとは思えないほどの距離を、山なりにかっ飛んでいく。恐らく、風に乗っているのだろう。
直後、飛行機と合流。中央座席に頭から突き刺さり、イソギンチャクのような様相を呈するもののすぐに立ち直り、
「ロッタさん! このまま離脱するぞ!」
「ちょっ、リオナはどーすんの!?」
「構うな! これで手筈通りなんだ!!」
彼女は力を示した。しかし、同等の力を持つレオは街で四人のガーゴイルを相手に少々苦戦しているようだったし、『お前の飛行能力じゃガーゴイルに追いつくのは無理』と、ジェラルドがそう言っていたのをすぐそばで聞いている。キヨシたちの奮戦、そして必殺の魔法で軍勢に大打撃を与えてこそいるものの、少なくとも楽な戦いにはならないだろう。
それを分かっていてなおリオナは大義のため、そしてこの街の安寧を取り戻すためにキヨシたちを送り出し、自身はここに残ることを選択した。ならば、キヨシはその気高い志を絶やすことなく受け継ぎ、ただ前に進むのみ。
しかし、それでも。
──すまねぇ。
振り返らずにはいられない。後ろ髪惹かれる思いを禁じ得ず、キヨシたちは征く。
──────
「……よし」
そうして一人残されたリオナは、遠く見えなくなっていく機影をただ漫然と見つめていた。
「……さて」
視界の端で、諦めずにキヨシを追跡しようとしていた一人のガーゴイルを見つけ、高速で移動し立ち塞がる。
「立場が逆転しましたが、いかがなさいますか?」
「……貴様ァ……よくもッ!! 生きて帰れると思うなァッ!!」
そよ風の音が少しずつ戻ってきた頃、空賊団たちがリオナを取り囲み始める。彼等にとっては、取るに足らない女のために散々引っ掻き回され、あまつさえ最大の目標である『創造の使徒』を取り逃がしてしまったという事実が、余程腹に据えかねていると見える。
首謀者たるパオロなど、体中をわななかせて心底恨めしげにリオナを睨みつけていた。
「女ッ! お前、街でキレ散らかしていた使徒サマの従者だな。先程から気になってはいたが、投げた大槍……そしてその風貌。キャスティロッティ家の関係者か」
「ええ、よくご存知で。弟がお世話になったと伺っています……リオナ・キャスティロッティと申します。そしてこの槍も、我が父より賜りし……まあ、模造品ですが。本物は、『休暇には必要ない』と、父が置いていってしまったので」
名乗るのとほぼ同時にキヨシが投げ返した大槍を受け取り、腕を振って仰々しく一礼した。
「フン。法王府の犬が」
「……失礼、今なんと?」
「キャスティロッティ家……ヴィンツ建国以来、常に国の手となり足となり働いてきた名家だ。それも戦争で落ちぶれたかと思いきや、ジェラルド・キャスティロッティが国教騎士団の団長になって再び名を上げ……波乱万丈よな。しかし、その家の関係者なら──騎士団内に空賊の顧客がいるのは知っているか?」
リオナは俯き、その顔は服の襟に隠れて表情を窺えない。そんなリオナを見たパオロは、無知を嘲るような種類の笑みを浮かべた。
「……可哀想に、知らなかったんだな。自分の縁者がどういう組織の頂点にいるのか。お前が騎士団長とどういう繋がりなのか、詳しくは知らん。だが、創造教を守り、国を守り、そして教皇猊下を守る──そうしてこの国の力の象徴として、そして畏怖の対象として持ち上げられているヴィンツ国教騎士団は、こういう薄汚い組織と切れない関係にあり、しかも俺たちの活動を援──」
「……ぷッ」
「ッ!」
「…………フフ、ハハハハハハハッ!!」
突如、リオナが肩を震わせて噴き出したかと思うと、雪崩れるように笑い出したのだ。それを皮切りに、リオナが放つ雰囲気が一変したような印象を、誰もが抱いた。
「遂にイッちまったかァーーーッ」
リオナの笑い声が響く中、一人のガーゴイルがリオナに対し猛スピードで接近する。が、次の瞬間彼の視界の上下はぐるんと逆転し、異常なまでに身体が軽くなったような感覚を、『ほんの一瞬だけ』味わった。
「……あぇ?」
「──なッ!!?」
それもそのはず。リオナに接触した瞬間、首だけになったのだから。
身体の方はすでに落下を始めており、壊れた蛇口のように鮮血を噴き出しながら闇に消えていく。己の軽率な行動の代償を、彼は命を以て支払うことになったのだ。
全ての者が、あまりにも呆気なく屠られ消えていく同胞の命を見て愕然する中、おびただしい返り血を浴びたリオナの笑い声は少しずつトーンダウンしていく。
「ハハ、フフ……ぁふ、フ。まるで僕が、騎士に憧憬でも抱いているかのような口振りだな」
「何?」
「お前たちは、いくつもの大きな勘違いをしている。それもその一つだ」
リオナは今しがた血を吸った大槍をくるくると弄び、先端を足蹴にして止めながらハッキリと、こう表明した。
「僕は、騎士なんか大嫌いさ。その中でも特に騎士団長など、反吐が出る。奴のせいで、僕はこんな事をやっているんだからな」
殺人を犯したリオナはそれについてなんら感想を述べることなく、その代わり口にしたのは、なんと父親であるジェラルドへの侮蔑と取れる台詞だった。
「な、なんだ。仲睦まじいとは親子とは言えない──」
「そうら、また勘違いだ。そもそも僕は、騎士団長を父親と思ったことなど、一度だってないんだ。僕の父親は、ただ一人。勘違いはまだある。まず一つ……貴様らは、トラヴ運輸を手中になど収めてはいない。いやそれどころか、別働隊とやらは、トラヴ運輸倉庫跡に到達すらできていないだろう」
「なッ!?」
──────
トラヴ運輸跡地──付近の森にて。
「……何故ッ……何故だッ!!」
そのガーゴイルは、パオロの指示に従ってトラヴ運輸を制圧しに出ていた。『創造の使徒』が出払っている今、残っている手練を数の暴力で押し潰し、従業員たちを人質とするくらいは容易だろうと、そういう算段の下で動いた──はずだった。
「『何故』? 何故……それは実に簡単なこと。『トラヴ運輸を戦場にするべきではない』という彼の想いは、我々にもよく分かる話だったからだよ」
すぐ目の前に立ち、這いつくばったこちらを見下ろしているジェラルドが、こちらの人員半分以上をソルベリウムの粗末な槍一本で、しかも"単騎で"屍の山に変えるまでは、そのはずだったのだ。
「勘違いの二つ目……我々が怒っていないなどと、高を括っている点だ。我々は今、この地で暴虐の限りを尽くす貴様らへの、焼け焦がれるような怒りの渦中にいる」
ジェラルドの心には、遠くの空にいる我が子と同じように憤怒の炎が燃え盛っていた。彼等もキヨシと同じく、空賊に対して手心の一切を加えるつもりなどなかった。
『よくもやってくれたな』。『断じて許すまじ』。最早、騎士だとか立場だとか、そんなものは関係ない。今の彼は、騎士団長ですらなかった。
彼こそが、リオナが父親と認めるジェラルド・キャスティロッティなのだ。
「そして──」
──────
「勘違いの三つ目は、貴様らが僕を生かして帰さないと……そういうことができると、そう思っている点だ。そしてこれは今この場にいない者の話だが……彼も一つ、大きな勘違いをしていると見受けられる」
リオナの言う彼、とは誰のことなのか、空賊たちには計り知れない。何故なら、それは彼女が普段丁寧に、"様"と敬称で呼ぶ者のことだからだ。
「あの時は『彼の目の前で』、『街の中で』、さらに『第三者がいることを危惧した上で』戦っていたから、ああまで手こずらされたのだ。街で見せた戦いが、本気でやっているとでも思っているのなら、大間違いだ」
装束のボタンを胸元まで開けて素顔を晒し、返り血に染まった『ティナの手当て跡の布』を引き剥がして放る。そうして眼前の敵をじっと見据え前進する彼女を目の前に、空賊たちはたじろいで同じだけ後退した。空賊たちには見えてしまったのだ。今目の前で静かに佇む女との歴然たる力の差。そして己の命の短さを。
「顧客について口を滑らせるなど、商売人としては下の下もいいところ。おかげで騎士団内部の顧客の当たりもつけられそうだ。そして彼が乗り物として扱っていたガーゴイルはまだ生きている。捕縛する手間が省けた……」
ゆっくり、悠然と大槍を構える少女の眼光は、激しく輝いていた。
「生きて帰れないのは、お前たちの方だ……畜生共」
──────
「…………ふー、一時はどうなることかと思ボッフォ!!」
一方その頃。
交戦空域を離脱し、着陸ポイントまであと僅かとなった飛行機上にて、キヨシの両頬がティナとカルロッタの手の平で、『ベチン』と音を立てて爆発した。
「何他人事みたいに言ってんだこのボケカスがァッ!!」
「私たち、どれだけ心配したと思ってるんですかぁ!!」
「え、マジィ? おたくらそんなに俺のことア゛だッ、ちょ痛ァい!! 悪かった、悪かったよなんの相談もなくあんな真似して!!」
先程キヨシが飛行機から決死の飛び降りを敢行した事に関し、姉妹から総スカンを食らってしまった。カルロッタは操縦中故にそれで終わらせたが、ティナはそれだけではまるで足りないようで、キヨシの背中をバシバシ叩いて猛抗議している。ドレイクはどこぞで縮こまっているようだが。
「でもホラアレよ。リオナさんにも言ったけど、こうして無事に戻ってきたんだし」
「そんなの結果論じゃないですか!! 結果論は何かを庇い立てするためだけにあるワケじゃないって、そう言ってましたよね!?」
「う……」
「あんな危ないこと……命がいくつあっても足りないじゃないですか。どうか、自重してください」
「ご……ごめんなさい」
「もう……本当にやめてくださいね」
ティナにこうも悲痛な顔でそう言われてしまっては、キヨシもがっくりと肩を落として素直に謝罪する他なかった。
「で、そのリオナは置いてきてよかったワケ?」
「……当然、よくはねえよ。けど、リオナさんが言ったんだ。『征くんだ』って……俺たちはあそこで止まってるワケにはいかんのだ」
「……ま、それはそうだけど」
カルロッタがいつになく控え目な調子でそう呟き、また操縦に戻る。今誰もが、リオナのことをあれこれと心配し、懸念していた。この気持ちを何倍かにしたものを、キヨシが飛び降りた際に二人が味わったのだとしたら、全く両頬を張られる程度でよくも済んだものだと、キヨシは深く反省した。
もっとも、その心配は完全に杞憂になっているワケだが、それはまた別の話。
「あ、キヨシさん!」
「どうした、ティナちゃん?」
「あの辺りの地面、地図で言うと……この辺り、もうすぐそばじゃありませんか?」
「お? どれ……」
なるほど確かにティナの言う通り。樹海を抜けた先、眼下に広がる地形は採掘基地が乱立している地域のそれ。そして今この空域は、リオナがトラヴ運輸のハルピュイヤを伴って、監視のために飛んでいた空域のようだ。ということは、もうすでにキヨシの肉眼でも分かる距離に──
「あれだな」
一つだけ、入り口に篝火が灯された採掘基地を見つけた。
「よし。さっき話した通り迂回して、例の平地を目指すぞ」
「はいよ」
こうしてみると、長かったような短かったような。
キヨシたちは終着点へと到達したのだ。




