第二章-46『「行っておいで」』
「さあ、皆々様、しっかり食うんだぞ!」
オールソルベリウム製ガレージの一角、飛行機脇にて。
"給仕長"ジェラルドの号令で、全員一斉にご馳走にありつく。今日の食事は一際豪勢だ。
それもそのはず、今日はいつもと違いジェラルドだけではなく、トラヴ運輸のハルピュイヤの皆やアニェラ、ヴァイオレットまでもがこぞって協力し、様々な趣向を凝らした料理が作られているのだ。状況が状況だけにどんちゃん騒ぎとはいかないが、ささやかながらそれでも前向きな空気がそこにはあった。
「……そっか。じゃあ、本当に今日で最後なんだね」
「短い間だったけど、ホント世話になったな。ありがとうね、アレッタ」
「んーん! むひろほっひは……もがっ」
「食ってから喋んなさいよ、全く」
一週間分の栄養を取り戻すが如くガツガツと出たもの全てを喰らい尽くすアレッタに、カルロッタはやれやれと言った調子で、しかし次々と料理を回していく。やはりというかなんというか、親友がいつもの調子に戻ったことが嬉しくてたまらないのだろう。
「あの、アレッタさん。いきなりそんなに食べるとお腹がびっくりしちゃいますから……」
「いやティナちゃん、説得力絶無だぞソレ。自分がアレッタさんの倍くらい食ってるの分かってっか?」
「わ、私は精霊と契約しているから、ドレイクの分もしっかり食べないといけないんですっ」
「えッ!?」
「パチこけェ! ドレイクが一番ビックリしてるじゃねーか!」
例によって、育ちの良さから大変上品に黙々と料理を貪るティナは、ほころばせていた顔を酷く赤くしていた。程度の差はあれど、ほぼ毎日この調子ではあるが、栄養がどこに行っているか疑問ではある。案外、思慮深い性格故に全て脳ミソに回っているのかもしれないが。偏見が過ぎるか。
「もしもーし。ちょーっとよろしいかな、諸君?」
「ゲッ……」
「なーにが『ゲッ』なのかな、カルロ? ドサクサに紛れて逃げよーったってそうはいかないわよ」
と、ここで新たに料理を運んできたアニェラが、強引に団欒に割って入ってきた。何用か、などと聞かなくともおよそ内容は察せられる。
が、その内容が内容だけに、余裕たっぷりと言った調子でやってきたはずのアニェラの態度は、少々気まずそうに崩れていった。
「……まあ、何。今回の件に関しては、経緯が経緯だし、ティナには皆付いてるワケだし、カルロはカルロだし止めないわ」
「あのスイマセン、カルロッタさんに対する当たり強くね?」
「だってカルロは特に強いもの。当然でしょ、お母さんとお父さんの子なんだから。空賊なんかに遅れを取ったりしない。もちろんティナもね」
「ああ……ティナちゃん俺より強いもんな。ハイキックの威力が否応なしに思い出され──」
「……ひょっとして、見ました? やっぱり童女趣味?」
「だから違うっつってんでしょーが!!」
「もう! お母さん!!」
『綺麗に入れば見られないし、もし見られたら蹴ったのでおあいこ』と我が子に教えているアニェラも、いざ『そういう』話を聞くと警戒せずにはいられない様子。いらぬ世話ではあるし、そのわが子を赤面させているのだから本末転倒といったところだ。カルロッタは口元を抑えて笑っているが。
「……で、つまりおたくは何が言いたいんです? 何もからかいに来ただけじゃないでしょ」
「ハイ、そうです。カルロ、ティナ?」
キヨシが若干話を逸らそうとしたのも大した成果とはならず、いよいよ本題のようだ。
「私がそもそも、二人をを連れ戻しに来たっていうのは覚えてるね? カルロはともかく、一番の問題はあなたよ、ティナ?」
「ちょい待ち。なんだってティナが一番の問題になるの?」
「カルロ。あなたは単純に話し合いの余地がないからね。力づく以外にないからまだ分かりやすいけど、ティナの場合は、そもそもどうしてここにいるのか……そこから考えなくっちゃいけないワケ。お父さんから聞いてるわよ。ティナが失踪したあの日、カルロ絡みのことで何かを隠している様子だったって」
ティナは黙ったまま、首を縦に振ることでアニェラに応えた。やはりティナの性格上、嘘は吐けないのだろう。
「きっとカルロが心配なんだろうなっていうのは分かる。けれど、何もついていくことはない。カルロがやろうとしていることは、明確な創造主様への背信行為……下手打ったら、色々な意味で本当に危ないことなの。それが分からないってことはないでしょ?」
「それは……分かってる」
相変わらず押しに弱いティナは、アニェラにぐいぐいと迫られてとても困っているようだ。
「……ン」
状況を静かに見守っていると、向かいに座っているカルロッタが、テーブルの下でキヨシの足を軽くつついてくる。意識をカルロッタの方に向けてみれば、大変バツの悪そうな顔でこちらに目配せしてきた。言葉は一切交わさなかったが、『助けて』といった意図なのは明らかだ。
──いや、そんな目で見られても、助けたいのは山々だが……。
すでに国教騎士団限定とはいえ、生死を問わないお尋ね者となっている我々に、大人しく帰るという選択肢はない。キヨシに至っては帰る場所すらありはしない。しくじることはこの旅の終わり──ひいては、"死"を意味するのだ。
だからといって、キヨシが軽々しく口を挟める話なのかと問われれば、それは否である。
考え無しに『歴史探るくらい、別にいいんじゃない?』とでも言ってやることは簡単だ。『創造の使徒』という偽りの立場を乱用し、考古学絡みの活動を咎めないスタンスを強調すれば、とりあえずカルロッタの行動を咎めづらくはなるだろう。が、アニェラが母親として問うているのはそこではないのだ。第一、アニェラからはある程度の信頼こそ勝ち取っているものの、宗教が中心で回っている国に住む人間の意思決定を左右できるほどか、となると怪しいところ。
結論、キヨシにどうこうできる問題ではない。カルロッタとティナ、そしてアニェラの間で決着をつけるべき事柄である。
しかし、だ。
「んー……じゃ、聞き方を変えよう。ティナ、この話は一週間ちょい前にもした話だっていうのは、覚えてるね?」
「……うん」
確かにキヨシは大した助けにはなれないかもしれない。それでも──心の支えにくらいは、なれるはずだ。
「お母さんがティナに話を振った時、あなたは何か言いかけたわよね? なんて言おうとしたの?」
「そ、それは……──!」
逃げ出すように逸らしたティナの目線が、キヨシの目とバッチリ合う。
キヨシは、こういう状況に陥ったティナがどうするかは分かっていた。あの時──戦跡の森でカルロッタの説得に失敗しそうになったときと同じだ。さらに言えば、似たような種類の視線を姉から受けたばかりのキヨシにとって、想像するのはとても容易いことだった。
ただあの時と違うのは、キヨシがただ単に、セカイに似ているからという理由でティナを気にかけているワケではないこと。そして何より、ティナの中に『どうするべきか』という確たる答えがあることだ。
しかし、それでもまだ足りない。
──やっちまえ、ティナちゃん!
「あ……──」
その足りない分──ほんのちょっぴりの勇気を分けてやる。それが唯一、キヨシにできること。
ただ隣に並び立ち、笑ってやるだけで十分。
ティナの目に決意が灯る。
「あのっ! お母さん!!」
「お、おおう? 何?」
「私! 嘘は絶対に吐かないからねっ!!」
「いやまあ、それは当たり前ではあるんだけど……」
「そうだけど、私! そういう当たり前が、これまでできなかったから!」
「そ、そう? まあ頑張れ」
さっきまで押されていたティナが、今度は逆に母親を押し返し始めた。いつもと違い、ティナは努めてアニェラの目をじっと見て、逸らさないように気を張り、己の臆病さと戦っているのだ。そうして目指すのは"当たり前"の実行。嘘を吐かない、ということではなく、話をするときはちゃんと相手の目を見る、という意味で。
未だにキヨシは信じられずにいたが、やはりキヨシとティナは、本質的に似通っているのかもしれない。
「私が隠してたのは、カルロが置き手紙を残してたってこと。端的に言って、『もう帰らない』っていう内容だったから、もしもバレたら、ちゃんと連れ戻すことができたとしてもお父さんとカルロの仲が悪くなると思って、隠してたの。使徒様も協力してくれて……やり方はともかく」
「うぐぅッ……!」
「引ったくって逃げたんですってねぇ。置き手紙だったんだー、ふーん」
『「強制させた」って言ってたじゃねーか!』とは、直後のアニェラが少し怖かったのと、個人的な信条が邪魔をして言うことができなかった。
それはさておき。
「今はこういう状況だし、これが終わってもカルロは止まらない。それに私は正直……カルロの夢を応援してあげたい」
「言い方が意地悪かもだけど……それはつまり、一緒には帰らないってことでいいのかな」
「……けど、皆で一緒に暮らしたいって、そう願っているのも本当だよ。いつかきっと……ううん、絶対に、皆で仲良く暮らせるように頑張るから! だから……」
「だから、見逃せって?」
「……うん。少なくとも私とドレイク、それに……使徒様がいる間は、カルロに馬鹿なことさせないから」
「あん? まあちょいちょい焼いたりとかしといてやるよ」
「……と、そういうことですよ。まあ考古学絡みの話も、人様の生活に迷惑をかけない範囲だったら主も目をつぶっていてくれるでしょうし? いいんじゃないですかね、別に」
全ての始まりの日、キヨシが匿われた家で起こったあの一悶着について、そして自身の気持ちをアニェラに話す様を傍で見ていたキヨシとカルロッタは、ティナに秘められていた意外な弁論スキルに舌を巻いていた。
まず、重ね重ねではあるが嘘を全く吐いてない点。そして話すと都合が悪い部分、つまり国教騎士団と事を構えたという事実だけは触れすらもしていないという点だ。後者は広い意味で嘘と捉えられなくもないが、話していることが純然たる真実ならば、隠し事をしているとは勘繰られづらい。『嘘に真実を交えて話す』というやり口だが、これができる者は案外少ない。
ある程度まとまったところで、キヨシたちに話を振るのも上手い。キヨシの意思や、活動そのものに後ろめたいものがあるカルロッタの一存で話に介入することは難しいが、当事者でありながら一歩引いた立ち位置にいるティナが、ドレイクにも一緒に話を振ることで、よりキヨシが話に入りやすくなっている。『創造の使徒』という立場の使い所を、本人以上に把握していると言っても過言ではない。タイミングも絶妙だ。
そして何より、
「……ティナ。お母さん、素直に嬉しいわ」
「へ?」
「生まれて初めて、お母さんと目を合わせて話してくれた。お母さん泣きそう」
「あ──」
ティナから見て取れる、確かな成長。その歓喜が、母を少しだけ甘くした。
「そーねえ……ジェラルド君ジェラルド君。若干不安が残るんだけど、そういうのって使徒様の一存で決めていいのかな?」
「え? まあ、いいんじゃないスか」
「じゃ、その辺は大丈夫か」
「オーイ、使徒たる俺が言うのもなんだけど本当に大丈夫かソレ!」
「まあ『ヴィンツ国教騎士団団長』として、公式に回答するワケにもいきませんので、今日のことは胸の中にしまっておいて、という条件付きですが」
「大人の汚い部分を垣間見たぞ、全く」
腕に皿を何枚も乗せて走り回るジェラルドの適当な受け答えに、やり取りを聞いていた誰しも困惑気味だが、込み入った話題故に首を突っ込む気にはなれず。
「うーん、とはいえなあ。お父さんがそう聞いて納得するかどうか……」
「あのさ。父さんがキレ散らかしてんのはそもそも、私の考古学絡みの活動と、どっかの不審者がティナを攫ったからでしょ? 前者は使徒サマのお墨付き、後者に至っちゃ完全に誤解で説明つくんじゃない?」
「それはまあ、そうなんだけどさ。お父さんは使徒様と直接会った時の印象最悪だったろうし……」
「俺の信頼度が低いってことね」
「あーら、異論がお有りで?」
「ありません。あれは純度百パーセント、俺の愚行です」
深々と頭を垂れるキヨシは、今日一番頼りないのかもしれない。
あの時のキヨシは、この世界に来てすぐの身分。半分捨て鉢になっていたためあんな事になったのだが、それがここに来て効いてくるとは思っていなかった。今こうして直接関わり合いになったアニェラが、キヨシの人となりと信頼性を夫フィデリオに説くことができればそれは解決するが、恐らく、アニェラの中でも若干の不信感は拭い切れないのだろう。
どうしたもんかと皆がウンウン唸る中、キヨシはある理由から、隣に座るティナの顔をじっと見つめていた。
「……え、えっと。その……何か?」
「そりゃあこっちの台詞だ」
理由は唯一つ。
温かな感触に包まれた右手をテーブルの上へと引き上げてやると、
「あっ!……あ…………ああ……」
「……──────」
キヨシの右手に、細く小さなティナの手がぶら下がっていた。
「……ティナ、ひょっとしてずっと握ってたの?」
「それは、その……はい」
実はキヨシとティナの手は、随分前から──詳しく言えば、ティナとアニェラが話し合いを始めたあたりからずっと繋がれていた。ティナの語気が強まり、感情が揺れ動く度に、柔らかな手がきゅっと握られ、時折震えもしていた。
そう。ティナの勇気は、キヨシの存在そのものに裏打ちされたものだったのだ。
「……プッ……アーッハッハッハ!! ティナ、あなた随分使徒様を気に入ったみたいね!」
「うぅ……」
すでに何度目になるかわからないが、顔を耳まで紅潮させて俯くティナを見たアニェラは、腹を抱えて涙が出るほどに笑い始めてしまった。そうしてひとしきり笑いきった後涙を拭って、
「いいね……カルロとティナの両方から、ある程度頼られるってのは並大抵じゃないね。分かった。お父さんには私から上手いこと言っとく」
「や……やった! ありがとう母さん!」
「ただし、条件があります」
「何?」
「二人共、ちょっとこっちおいで」
「……?」
ティナとカルロッタが怪訝な顔でアニェラの方へ寄っていくと、アニェラは我が子の方に両手を回して抱き寄せた。
「母……さん?」
「……行っておいで、我が子たち」
頭をコツンと合わせて発したこの一言に、様々な感情と想いが込められていたるのが、部外者のキヨシにもありありと伝わってくる。ティナの瞳からはポロポロと涙が溢れ、カルロッタでさえも安らいだ表情を浮かべていた。
そう。どんな事情を孕んでいようと、血の繋がりがなかろうとも、彼女らは家族なのだ。
アニェラは、泣きじゃくるティナの頭を撫でて宥めつつ顔を上げて、
「使徒様、うちの子をよろしくお願いしますね?」
「そいつは、俺を信頼していただけるってことでいいんですかね?」
「いやいや、申し訳ないけどどちらかと言えば……うちの子の感性を、かな? 元々変な人についてくような子じゃないしね」
「……そーですか」
当然の意見にがっくりと肩を落とすが、それでもキヨシは誰にも、己にすらも気付かれないほどに微かに、しかし確かに微笑んだ。
「母さん、正直コイツ……じゃねーや、使徒サマは失礼ながらそーとー変な奴よ」
「ロッタさんちょっと黙ってていただける?」
「おまッ……やっぱ出るとこ出てやろーかな……」
「やめて♡」
「……ふふ」
このやり取りに堪らず笑みを溢したティナをきっかけに、皆大声で、腹一杯に笑った。
「使徒様、そろそろ……」
「ん? あ、そうか……もう、か」
その最中、牛乳髭を拭いつつ声をかけてきたリオナによって場の空気は一気に縮こまり、固まっていく。
宴も酣ながら──お開きのようだ。
そしてそれは同時に、始まりも意味していた。




