第二章-43『フォーリングトゥーザスカイ』
「天気は……よし、飛べそうな感じだな」
天気は快晴。風はほぼ無し。とりあえず、"この"飛行機が飛ぶには絶好の条件が揃っている。
キヨシはまず指を一振りしてソルベリウムの滑走路を作り出す。本来滑走路はもっと丈夫なコンクリート等を用いるのが望ましいのだが、この世界にそんなものはないし、小型の超軽量な飛行機を飛ばすだけならこれで十分だろうと判断した。
「おし、じゃあ今から"割り込み"で滑走路上に残った土を除去するぜ。トラヴの皆も手伝ってくれ」
さらに土除去のためのいわゆる"とんぼ"を作り出してキヨシも作業に参加し──
「……はあ」
ようとするも、オールソルベリウムのとんぼがあまりにも重過ぎたため、全く作業が捗らず。『邪魔』とまで言われて、ハルピュイヤたちが軽々と振るうのをただ傍で見ているだけである。余った木材で作るなりすればいいのだが、一度爪弾きにされるとどうも入りづらい。みんな女だし。
「キヨシさん、その……心中お察しします」
「楽ではあるかもしれないけどね……なんか申し訳ない気持ちになるっていうか、カルロッタさんが図面引いてるだけで出番がなかった頃と同じ気持ちだ」
「キヨシさんは勤勉ですねえ」
「それほどでもないあッヅ!!」
「調子に乗るなクソ白髪」
褒められてすぐに増長するキヨシの顔にドレイクがへばりつき、ティナに引っ剥がされる。いよいよもってドレイクのこのツッコミと一連の流れがある種テンプレと化してきたようだ。本音を言えば、勘弁してほしいところだが。
「いやしかしまあ、これでテスト飛行にも成功したらこういう苦労苦悩も全部報われるってワケだ。フフン、気分いいぜ」
「それでその、テスト飛行にはキヨシさんは参加するんですか?」
「当然。で、あの飛行機は定員が三名だから、残り二人はトラヴの誰かから──」
「わ、私も参加しちゃダメですか?」
待ってましたとばかりにテスト飛行のクルーに志願するティナに、キヨシはあまりいい顔はできなかった。
「いいかい、ティナちゃん。どうして俺がトラヴの皆にテスト飛行をお願いするか、分かるか?」
「……危ないから、ですね」
「ああ。もしも全く制御不能の最悪な状況に陥ったとしても、飛行機を放棄して離脱できるから。前の飛行機のテストも、そういう理由でアレッタさんがやってたろう」
「それでしたら、どうしてキヨシさんは乗っちゃうんですか? キヨシさんは飛べないし、そういうことなら、全員トラヴ運輸の皆さんで構成して──」
「俺がトラヴ運輸の一員だったとして、テストにこっち側の誰も参加しないとかされたら、『いい身分だな』と思うこと受け合いだ。十中八九大丈夫だとは思うが、安全を確認できるまでは安全とは言えないからな。それに……」
キヨシは少々顔をしかめて逡巡した後、消え入るような小さな声で、
「……持ち逃げされる可能性も、捨て切れないからな」
「あ……」
テストクルー全員をトラヴ運輸の面々で構成した場合、その三人が何かの気の迷いで結託し、飛行機に乗ったまま空賊団のアジトにでも飛ばれたら、キヨシたちには止める術がない。信用していないワケではないが、それほどまでに憎悪が深いことをキヨシは知っている。知っているが故の懸念なのだ。ちゃんと人心を理解しつつも、合理性を完全に投げ捨てることはできなかった。
「そういうワケだから、とにかく俺の参加自体は絶対必要だ。大丈夫、さっきも言ったけど十中八九安全ではある。ちゃんと役目は果たすさ」
「……なるほど、分かりました。でも、やっぱり私も乗せてほしいんです」
「あのなあ」
キヨシの言い分にティナは納得し、理解を示した。が、それでもティナは自分の気持ちを曲げようとしない。
「ほら、きっと操縦する人はそれにかかりきりですから、魔法はきっと私とドレイクで頑張らなくっちゃいけないじゃないですか? それに、高々度に慣れておきたいっていうのもありますし」
「いや、だからって別にテスト飛行でそれを……いや、つーか危ないって」
「心配してくださって、ありがとうございます。でもキヨシさんが大丈夫なら、私も大丈夫ですよ。信じてますから」
「ぐ……」
『信じている』。それもティナに言われてしまうとどうにも弱い。
「……好きにしろォ」
こうなってしまったティナはてこでも動かない。控え目なようで案外頑固者なのだ。諭すのも面倒になったキヨシは、ティナの搭乗を消極的ながら認めるしかなかった。
「……んん? ちょっと待てオイ。その言い方だと、俺も乗るってことなんじゃねえのかティナ!?」
「当たり前じゃない。ドレイクだって、絶対出番があるんだから」
「やだーーーーーーー! 高いところと狭いところはな!」
およそトカゲらしいとは言えない言い分も虚しく、ドレイクも半ば強制的にクルー入りする羽目になった。
──────
「はい。言われた通りソルベリウムに風のチャクラを込めたけど、少ないよ? 私たち、アレッタほどそういうの上手くないし」
「十分、十分。こいつはテスト飛行なんだからな、ちょっぴり飛んで戻ってくるだけできれば良いのさ」
土の除去が完了した後、キヨシはトラヴの面々の中から一人、割合と気心の知れたハルピュイヤを選抜してソルベリウムの塊にチャクラを付与させ、テストクルーとすることに決めた。これをコックピットの台座にはめ込むと、内部に張り巡らされたソルベリウムの線を通して飛行機全体にチャクラが行き渡り、効率よく運用できるという寸法である。
周辺空域確保のために、辺りを飛び回るハルピュイヤたちを見たティナが、喉をゴクリと鳴らす。
「……本当に空を飛ぶんですね。志願しておいてなんですけど、なんだかドキドキしてきちゃいました……大丈夫、ですよね?」
「任せとけよ……とは言ったものの、俺飛行機飛ばすのなんて丸っきり初めてなんだけどな。つーか、飛行機乗るのすら初めてだし」
「えぇっ!? そんなので、『ヤードポンド滅ぶべし』なんて言っていたんですか!?」
「そんなのってなんじゃア! だーから乗るのやめとけっつったろうがよ」
「い、今からでも防具着込んだりとかしちゃダメでしょうか!? ゴーグルだけだと不安です!」
「諦めな、ぶっちゃけそれあんまり意味ないから。飛行機の事故は大概、全員死ぬか全員助かるかの両極端だ」
「そ、そんな御無体なぁ……」
眼球保護のために借り受けたゴーグルをつつき、若干不謹慎なジョークを飛ばしていると、最後部座席に控えたハルピュイヤが呆れ顔でこちらを窺って、
「何やってんだか。で、何をどーすんの?」
「ああ、まずはこの動力ソルベリウムを台座に──」
台座の窪みにソルベリウムをはめ込んでやると、緑色の線が飛行機の到るところへと伸びていく。ソルベリウムのチャクラが飛行機のそこかしこに組み込まれたソルベリウム線に伝播していった証拠だ。
「ふおお……すげえ、俺が魔法的なの使ってるゥ」
「ソルベリウムをポンポン出す人が言っても、なんだか変な感じですね……」
「……そんで、確かソルベリウムに貯蔵されたチャクラってのは、俺でも扱えるんだよな?」
「は、はい。ソルベリウムに触れまして、中のチャクラをどうするかよく考えて、『えいっ』て念じるんです。例えば今回の場合──」
「『風に乗って飛べ、えいっ』てなもんかね。ほーん、『えいっ』は超重要と見たぜ。『えいっ』、ね。なあ、この風のチャクラだけどよ、実際こういうのを『えいっ』て浮かすだけの量はあるのかね?」
「……キヨシさん?」
ティナが何かを案じているようだが、キヨシはよく分からないフリをしてハルピュイヤに問う。
「飛ぶだけなら余裕。私たちはただ飛ぶだけじゃなくて、荷物を運ぶのを生業にしてるんだからね。これより重たいのなんて、いくらでも運んできたもの」
「なるほどな。それじゃあ信じて『えいっ』てするか」
「……あの」
「えーぃっと? 確かこのソルベぇーいッリウムにこう、触れてな。えいっ、とな。そんでもって── 痛ったァ!? 痛い痛い痛い!!」
「~~~~~~~~ッ! ~~~~~~~~~~~~~ッ!!」
むくれた顔をタコのように真っ赤に染めて、ポカポカと殴打してくるティナに堪らず、最前の操縦席でひっくり返るキヨシだったが、それも一瞬。
「降りるか?」
「…………いいえ、降りません」
「よし、ベルトはキツめに締めとけよ」
「はいっ」
くだらない問答で緊張がほぐれたティナは、まだ少し表情を強張らせながらも健気に微笑む。その笑顔に後押しされるように、キヨシは今再び姿勢を正し、台座上のソルベリウムに手を置いて、強く念じた。すると伝播していた緑色の光が輝きを増し、機体はキヨシの意思に従って、風がないはずのこの場所で、風をまといながらゆっくりと進み始めた。
いよいよだ。
緊張とほんの少しの高揚感、そしてそれらと共にキヨシの心中に去来してくるのは、ある一つの思考。
──俺は今……命を預かってるんだ。
今こうして、まだ安全を買えていない飛行機のテストに参加するという形で、キヨシは命を張っているワケだが、それにトラヴのハルピュイヤが同乗し、さらにティナがついてきた。そしてそんな飛行機を操縦するのは他でもないキヨシなのだ。キヨシがミスを犯すだけで、全員の命が危険に晒される。
思い返してみれば、そういった状況はこのテスト飛行だけにとどまらない。
このオリヴィーに来てからというもの、キヨシのアイディアが基になって飛行機の開発に始まり、ティナとの街散策、空賊団との小競り合いや騎士団長との駆け引き等、何かとキヨシの行動に全てがかかっているような状況が多かった。トラヴ運輸のハルピュイヤたちは、成り行きで巻き込まれる形にはなっていたが、キヨシは真、命を預かっていたのである。
そして──その結果として、人が死んだ。
預かった命を、守り通すことができなかった。いや、預かっていたことにさえ、キヨシは気付かなかった。今、やっとそれを自覚したのだ。
正直、そういう重たい状況などキヨシはまっぴら、というのが基本的な考え方だ。それは今も変わらない。だが、そんな心持とは裏腹に、飛行機は滑走路上をぐんぐん加速していく。
──上等だぜ、クソッ!
ゴーグルがなければ目も開けていられない速度、それすらも軽々超えて、滑走路の半分を一気に駆け抜ける。後部のハルピュイヤは有事に備え始め、ティナは服の下のドレイクを軽く押さえ、肩周りのベルトをギュッと掴んで目を固く閉じている。キヨシは目を開けたままだ。閉じることなど、許されない。
──ようし、行け! カッ飛んでしまえッ!
ソルベリウムに触れる手に力がこもり、機体内部の空気が尾翼の昇降舵ををゆっくりと下に押さえつけ始める。そして機体中央部の車輪を支点として力が伝わり、機首が上がった。
ふわり、と。そんな感覚が、キヨシたちの全身を包み込む。
「揚ッ……がれ、よォおおおおおーーーーーッ!!」
「うぅッ……!!」
キヨシとティナの緊張は、ここで最高潮に達した。何故ならこの瞬間こそ、己が生涯に渡って頼りにしてきた地面──大地からの離脱、あるいは解放の瞬間だから。さもなくば、その大地に牙を剥かれるのだから。
緑と黒の塊がポツポツと含まれた景色は、後ろに向かって超高速で流れていく。その先には何も見えない。いや、見えないのではない。
何もないのだ。
「……ティナちゃん、ティナちゃん!!」
「なんですかっ! 落ちそうになったら早めに言ってくださいぃ!!」
「閉じてねぇで、開いてみなよ!!」
「えぇ!? 何ィ!?」
「目を開けろってんだ!」
「…………あ……」
そう。キヨシたちの前には、何もない。
行く手を阻み遮るもの、そして縛るものさえも。
蒼色の空間に放り出され、どこまでも落ちていく。吹き抜ける風と降り注ぐ熱い陽射しが、キヨシたちを歓迎しているようにすら思えた。
「よっ…………しゃアアアァァァーーーーーーーーーーーーッ!!」
「わ……わああぁぁぁーーっ!!」
『大空へようこそ』と。
「キヨシさん! 飛んでる! 私たち、空を飛んでるっ!! 凄い、凄いです!!」
「どォーだ! やってやったぞッ!!」
「へー。飛ばしてるものの重量に対して、チャクラの消費がスゴく少ないんだね……どうやってるの?」
「ああ、ちゃんと無事に帰ることができたら説明する」
アレッタとカルロッタの夢、キヨシの知識、ティナやトラヴの人々、そして騎士たちの尽力。それら全てが集い、ついに形を成した。
今ここに、飛行機は完成したのである。
「……どうよ、感想は?」
キヨシは背後から聞こえてくる喧騒に、半ばどうなるか分かりつつも口を挟もうとしてみる。
「ドレイクドレイク、見て! あんなに雲が近いよ! それにほら、街がちっちゃい! これが鳥の景色なんだ……素敵! ドレイクっ、顔だけでも良いから出してみてってば! 捕まえていてあげるからっ!!」
「やだもォーーーん! 俺ちゃんは地面が無いところがキライなんだァーーーッ」
「ヘッ、聞いちゃいねえな。その辺にしといてやれよ。さてと……とりあえず、これで全ての準備は整った格好になるわけか」
感動的な光景で忘れがちになるが、まだ終わりではない。ちゃんと航行して尚且つ、キッチリ着陸まで成功してようやく安全と言えるのだ。飛行機は完成したものの、キヨシのミス一つで一気に『空飛ぶ棺桶』に成り果てる。
未だ、キヨシは命を預かっているのだ。
「……ねえ、白黒」
それは今こうして話しかけてきた、後部座席のハルピュイヤだけでなく、この街の生きとし生ける者全ての命をだ。
「準備、終わったんだよね」
「……おう」
──来るぞ。
「じゃあ、アイツらと戦うんだよね。期限、一週間って言ってたもんね。明日だよね」
「……そうだな」
──そら、今に来るぞ。
彼女は持って回った言い方で少しずつ、しかし確実に真意に近づいていく。
「どうしても、ダメ?」
「ハッキリ言うんだ」
「……私たちも、戦──」
瞬間、何かが衝突したような強烈な衝撃と共に、機体が激しく揺れた。
「おッああああ!?」
「きゃあっ!?」
「ヒイイイイイイイィーーーーーッ!!」
「ああああああああ熱ッづいなコラア!! ティナちゃん! 捕まってろォ!」
一瞬だけ台座からキヨシの手が離れるが、顔面にへばりつくドレイクを引っぺがし、慌てて再び手をかざす。ワケが分からず当惑しつつも、とにかく今は飛行の継続だ。左手の水平儀を見ると大きく後ろに、つまり機首が尋常じゃなく上がっていることを示していた。
「ヤ、ヤバイ! 失速するッ!」
強く念じ、風のチャクラを全開にして推力ではなく魔法的な力で機体を無理やり浮かす。緊急時の対応としては上出来だが、離陸前に聞いた話を考えると、そう長くは持つまい。
一方不幸中の幸いか、昇降舵と方向舵は生きているらしく、キヨシが念じるとちゃんと動く。しかしそれはつまり、機体そのものには飛行の妨げになるような問題は発生していない、ということになるワケだ。
──馬鹿な、なんで突然ッ……!
「…………し、白黒。こっちに……」
内心取り乱していたキヨシの意識が、ハルピュイヤの声で落ち着きを取り戻す。いや、冷えて固まった──とでも言うべきか。
何故なら、キヨシが顔をあげたその先──機体尾部に力強く、鋭い足の爪を食い込ませて取り付くハルピュイヤの少女がいたからだ。それだけではない。そのハルピュイヤの狂乱に満ちた表情をたたえたその顔が──
「行……かせない……ぞッ……!!」
「……アレッタさんッ!!?」
知っている顔だったからだ。




