第三章-13『引き換え』
「失礼、します」
ブルーノの言いつけ通り、ティナたちは二、三分の間を開けてからキヨシの部屋を再び来訪した。
「ん? おお、ティナちゃん! どーだ、お仕事は順調かい──アレ?」
キヨシがにこやかに出迎えるのも虚しく、ティナはキヨシに軽く会釈を返す程度に留め、
「あの、あなたが呼ばれていらっしゃった先生でしょうか? キヨシさんのお食事について、何か気を付けることはないか窺うようにと、ジーリオさんから」
「特にはないかな? 『肩周り以外は』、至って健康みたいだし」
「ッ……ありがとうございます。キヨシさんをよろしくお願いします」
「あ、ああ……?」
ティナは用件だけ手短に処理すると、医師に対する礼儀として深々と一礼し、そそくさと出ていってしまった。当の医師は目の前で繰り広げられた寸劇に困惑の色を隠せない様子だ。恐らく、キヨシとティナの温度差があまりにも激しいように感じられたからだろう。
もっとも、一番困惑していたのはキヨシの方だが。
「俺、なんか悪いこと言ったかな……? フライドさん、客観的に見てどう?」
「差し控えさせてもらうよ。第一、それを言うなら業務中に私用で話しかけること自体……なんだい、その猛烈に何か言いたそうな顔は」
「別に」
ジーリオの業務中に熱烈に求愛するマルコを知っているキヨシからすれば、マルコの物言いは全く説得力を感じられないと思わざるを得ないというものだ。そんなマルコを尻目に、キヨシは今し方ティナが出ていった扉の方を見やり、物思いに耽り始める。
自分でも、過剰なまでにティナやセカイのことを気にかけているのは分かっていたが、それでも心配せずにはいられない。
それは恐らく、ティナの心の裏側に秘められた感情が、ほんのちょっぴりでも伝わってしまったからだろう。
──────
「ただ今戻りました、ジーリオさん」
「あら、意外に早かったですね? もう少し話し込んでくるかと思いましたのに。それで、キヨシ様のお加減は如何でしたか?」
それから少し経ち、ジーリオの下へと戻ったティナは、少し驚いた顔をするジーリオに、お遣いの内容を報告する。
「食事に関しては、特別気を付けることはないそうです。業務に戻ります」
「はあ、ありがとうございます。それでは、行ったり来たりで申し訳ありませんが、厨房へお願いします。お姉様が随分張り切って、中々の手際で洗濯周りを終わらせてくれましたので、先行させております。余程この国の過去について聞きたかったと見えますが」
「はい……」
「私は、その旨をお伝えするために残っているだけですので。よろしくお願いします」
「はい……」
素っ気ない反応を示し、とぼとぼと寂しい背中を見せて厨房へ向かうティナを見て、ジーリオは誰に言うでもなくポツリと、
「『食事に関しては』……ね」
ティナが無意識的に含みを持たせた言い方をしたのを、ジーリオは見逃さなかったが、あえて本人に言及することはせずにおいたのを、ティナもセカイも知ることはなかった。
一方、ジーリオに促されるままにその場を後にしたティナは、胸に手を当てて大きな溜息を吐き、
「ごめんなさい、セカイさん。もっとお話したかったですよね」
【いいって。きー君が元気って分かっただけでも、さ】
「……あれは、元気って言えるんでしょうか? きっとまだ完治には程遠くて、ずっと痛いはずなのに」
キヨシの身体に残り続けることになった一生物の傷。その現実が、ティナの心に大きな影を落とし、セカイもそれを感じ取っていた。
【……うん。ティナちゃんが言いたいことも分かるよ。オリヴィーの戦いから帰ってきてから、看病はずっとしていたけれど……処置はヴァイオレットに任せっきりだったから、あんなことになってるなんて知らなかったし】
「はい……」
三日三晩眠り続けていたキヨシが目を覚ましたあの時から今の今まで、ティナは心から安堵し、救われたような気持ちになっていた。ある種の罪悪感のようなものから、解放されたような気がしていたからだ。キヨシが目覚め、ニヒリズムの中にほんの少し尖ったような気分の入り交じった、いつもと何も変わらない表情で笑いかけてくれたるだけで、ティナもセカイも幸せだったのだ。
そう、何も変わらない。まだかなり痛むだろうに──自分のためではなく、誰かのために負った怪我だというのにケロッとしていて、その原因になった者がその場で聞いていなくとも、陰口や恨み言一つ吐かず、むしろ肯定的に捉えようとすらする強靱な精神。
だが、その裏側にあの傷が隠されていることを、二人は知った。知ってしまった。ならば、そのことを知らないふりなどできはしない。
【やっぱり、私たちも頑張らなきゃ!】
「へ?」
セカイが出した答えは、単純明快なものだった。
【だってさ、私たちもあの時もっときー君の力になれるくらい強かったら、きー君があんな怪我しなくっても済んだかもしれないじゃん?】
「あ……」
【……嫌?】
「え、えっと、すみません。そういうワケじゃ──」
【嘘。こんな風に繋がってなくたって、きっと分かるよ。大丈夫、怒ってないから】
しかしその一方で、ティナはセカイが出した結論に対して懐疑的で、そのようなきらいがあることはセカイ当人にもお見通しのようだ。即座に否定しようとするも、それすらも封じられる。
『怒ってないから』。その言葉尻の──というよりも、その言葉の続きは恐らく、『怒っていないから、どうしてか話して』。そんなところだろう。
ティナは観念し、その心の全てを語る。
「キヨシさんが地下に残って、ロンペレと戦う決断を下したのは、そもそも私があの……何かに身体を乗っ取られて、暴れたからですから。そう考えたら……なんだか、怖くって」
【そんなの、一番悪いのはロンペレと、あの地下にいたヤバイ奴じゃん! ティナちゃんは別に──】
「分かってます! 分かってるんです、それでも……あの力や、暴力的な意思に囚われて、逆らえなかったのは私です。実際、最後の最後にはあの意思に抵抗して、抑えつけることができたんですから。それがもっと早くできていれば……でも、できなかったんです。自分の意思だけでは……」
己を戒めるような台詞や表情とは裏腹に、ティナは悩ましげな吐息を漏らし、身悶えするのを堪えるが如く、自分の両肩を掴んで縮こまる。
「逆らうことなんてできなかった。全身が焼かれてるみたいに、燃えてるみたいに、熔けてるみたいに熱くて……なのにそれが、身体がドロドロになっていくような感覚がどうしようもなく、気持ちよくって……地面を割って、身を焦がしてロンペレと戦うのも快感でしたし、私を止めるために、私と戦ったキヨシさんの叫びだって、今思い出してもゾクゾクして……ッ!」
【んぅっ……!】
堰を切ったように、止め処なく溢れ出す言葉と共に、あの時の──オリヴィーで味わったあの感覚が蘇り、身体を貫き駆け抜けていく。想起するだけで思わず震える程に恐ろしい感覚だったが、その震えは恐怖からくるものだけではなかった。
全身に得体の知れない力が漲り、それが解放されていく感触はこの上なくおぞましく、それと同時にこの上なく甘美に感じられた。破壊しながら破壊を求めて、入る邪魔すら愉悦として呑み込む。衝動のままに暴れ狂うことの、なんと心地良きことか──
「うりゃ!」
「ッ!?」
弾力のある何かが顔面にぺちん、と叩き付けられる。ドレイクの尻尾だ。
「『また』かよ。俺ちゃんがきつけしてやんなくっちゃ、昨日みてえに気絶しちまうんだから全く。こっちだって気分悪いんだぜ? 人間で言うとだな、たぶんゲロ吐くような感じで火を……」
【ドレイク君ばっちい】
「ケッ」
「ハァッ……ハァ……ッ……ありがとう、ドレイク」
これが、今のティナを苛んでいる問題の一つ。
誰にも秘密にしてしていることだが──オリヴィーでの事件以降、感情の振幅に合わせて、あるいはふとした瞬間にチャクラが暴走し、それがドレイクやセカイに伝わってしまうようになってしまったのだ。最悪の場合、昨日のようにセカイと共に気絶してしまったり、ドレイクが意図せずに火を噴いてしまったりと、様々な悪影響を及ぼす。原因は言うまでもなく、何者かに乗っ取られて暴れたことだろう。
発作が終わってしまえば何もかも元通りなのがせめてもの救いだが、あの苦しくも甘美なあの感覚が、どこか名残惜しい。
だからこそ、恐ろしいのだ。
「……セカイさんにも伝わりますよね? 感じますよね? キヨシさんには伝わらないみたいですけど……」
【……きー君やロッタさんに話しておいたほうがいい気がするけれど……話したくないよね。余計に心配させちゃうもん。きっと、きー君も同じ理由で肩の傷について何も言わなかったんだろうねえ。でも、でもさ。皆こんな風に怪我もしたけれど、皆生きてるよ? それじゃダメなの?】
「ダメ、なんて思いません。けれど──」
セカイはティナの言い分に一定の理解を示しつつ、自分の考えを否定し切れずにいた。確かに、皆負傷した。カルロッタでさえも重篤でないにせよ無傷などとはとても言えない。しかしそれでも、あの場はなんとか切り抜けて、皆生き残った。だが、それはただあの時どうにかなったというだけで、今後どうなるかなど誰も保証できない。が、それ以上にティナの気持ちが咎めるのは──
──私たちは皆……キヨシさんのあの傷と引き換えに今、生きてるんじゃないかって……。
【うっ……】
口にするのが心情的に憚られ、呟きが押し殺されてただの心の声となったティナの思いに、セカイは珍しく口ごもる。『違う』と即断できない程度には、共感してしまったからだ。
皆、命は助かった。オリヴィーにこれ以上の犠牲が生まれる最悪の事態は免れたが、それと引き換えにキヨシは命すら危うい目に遭い、その原因の一端が、ティナの暴走にあるという側面があるというのもまた、紛れもない事実だ。
これをキヨシが聞いたらきっと断固として否定するだろうし、悲しみもするだろうが、ティナからすれば全く違うとは言えない。
有り体に言えば──魔法を使うことそのものに、恐怖を抱いていた。
「なあ、俺ちゃんひょっとして嫌がられてんのか? あの時のことを何も覚えてねえからアレだけど……」
「あ……ゴ、ゴメン。ドレイクが嫌なんじゃないよ。けど、なんて言うか……もしもあの時使えた力が、本当に私の力なんだとしたら、私には過ぎた力なんじゃないかって、少し落ち込んじゃっただけ……」
柄にもなく恐る恐るといった様子でドレイクがティナを窺う。ドレイクはあの時のことを全く覚えていないが、ティナの暴走にも無関係でないのは明らか故に、不安になったのだろう。ティナの気がますます咎めてきてしまった。
「……話していても仕方がありませんし、やめましょうか。この話」
【……そうだね。今は結論出なさそうだし。お仕事モードに戻りましょーネ】
「あ、あはは……すみません、長々と」
【んもう、いいんだって! 話しづらい話題でしょそーいうのはさァ~~~~~~ッ】
ドレイクが途中で割って入ってこなければ、きっと際限なく話し続けていたことだろう。話していても詮無いことだし、何より今は監視付きとはいえ平和そのもの。第一、今は業務中なのだ。話を打ち切ってくれたドレイクに内心感謝しつつ、ティナは両頬をペチペチと叩いて心機一転、カルロッタの待つ厨房へと駆けていった。




