第三章-12『消せない疵』
「大の男が、大声で喚き散らすものじゃないよ」
「痛ッてェ!! だって痛いもんは痛いんですもんよ!」
ティナが聞いたキヨシの悲鳴。それは、手配されてやってきた医者の診察に耐えかねた際に漏れたそれだった。マルコは苦言を呈するものの、そうは言っても痛いものは痛い。
「フーム、この角度から痛い、と。自力でならどこまで上がりますか?」
「水平に上げるのがもう辛いです先生。俺の怪我、完治までどれくらいかかります?」
「寛解まで、最低でも三週間。完治し十全に動かせるようになるまでとなると、長い目で見ていく必要がありそうですな」
「うげェーッ! マジィ!?」
ダンディーな髭面の医師に中々に残酷な現実を突きつけられ、キヨシは悲痛な絶叫を上げた。
「脱臼というのはそもそも、ただ外れた関節をはめて終わりというものではないんです。具合から察するに、それでも短い方ですよ。どこで手当を受けたか知りませんが、優秀な医師の施術を受けたんですね」
「ヴァイオレットさんって、結構凄かったんだな……」
「ただ、あくまでも最善を尽くせば短い方……という話ですがね」
「ん?」
「慎重且つ細心の注意を払って静養せねばなりません。事を急くと後遺症が残りかねない。そして……非常に申し上げにくいのですが、この右肩の傷痕は、残念ながら消えることはないでしょう。関節に関しては、こちらの治療方針に従って頂ければ、完全に治すことができると断言できますが……」
キヨシの右肩の負傷──それはオリヴィーの決戦においてロンペレを打倒した際、引き換えに刻まれたもの。ソルベリウムの装甲で幾分衝撃は和らげることはできたものの、皮膚は焼け、肉は抉れ、肩の関節が外れる大怪我を負う羽目になった。その後マグマの爆発にも巻き込まれ、文字通り三日三晩眠っていたキヨシにとっては知りようのない事柄だったが、ヴァイオレットはアティーズの医師が唸る程に優秀だったようだ。
そのヴァイオレットでもどうにもできなかったのが、容姿上の傷だった。ほとんど密着状態で水蒸気爆発を受けたために、キヨシの首筋から右腕にかけて痛々しい火傷痕が残っており、確かに美容的な観点で言えば、かなりマイナスと言わざるを得ない。
「あ、そう? それは仕方ないっすね」
が、キヨシは『そんなことは瑣末事』とでも言わんばかりに、あっけらかんとした態度でおどけてみせた。
「……意外に意に介しませんね」
「別に。服着てりゃ分かんないし」
「首の所に少し覗いていたりしてますけど大丈夫ですか? 一応、上から簡単な塗料を塗って目立たなくすることなら、できなくはありませんが……」
「いいよ。塗り直したりするの面倒臭いし、肌に服以外のなんかがくっついてるのって、あんまり気分よくないですから。見た目に関してはあんまり気にしないでください。痛くなければ何でもいいっスよ」
「そ、そうですか? まあ、とりあえず。しばらくの間、右腕は布で釣って固定しましょうか」
「いやあ、よかった。こういう中世的な世界観の治療行為というのは、『体液を憑き物ごと抜く』みたいなのだと『2』の付く掲示板で見たことがあったから、ちょっと心配だったんだよな。信頼できる人でよかった」
「何百年か前の医療ですね、それは」
引きつった愛想笑いをした医師の態度を、あまりにも自分の怪我の具合に無関心な様子にドン引きしているに違いない、と勝手に解釈したキヨシの胸から諦観を含んだ笑いが込み上げ、鼻から抜けていく。
「こんな馬鹿デカい傷、国防兵をやっている僕ですらそうそうお目にかかれない。何をしたらこうなるんだ?」
マルコもそう言って笑っていたが、その笑いはどうも『呆れ』の感情が多分に入り交じった、若干癇に障る種類のものだった。キヨシは目尻をヒクつかせながらも平静を装い、
「火のチャクラが付与されたソルベリウムを使って、俺に被弾させた水の塊をいっぺんに蒸発させて、ソルベリウムを発射しました」
「経緯を聞いてもさっぱり分からんな……」
「えっとですね、水を急激に蒸発させると──」
「いやいや、『水蒸気爆発』の理屈は分かるよ。分からんのは、何故にそこまでして、というこさ。僕は当事者でもないし、あまり知ったようなことは言えないが……他に穏当な手段はなかったのかい? 誰も傷付かないで済む方法は?」
「なかったね。それは断言できる。オリヴィーを……皆を守るためにできることを、俺がやった。それだけ……それ以上でも、それ以下でもない。それでキチッと皆を守ることができたんなら安いもんだ、こんくらい」
火傷痕をさすりながら、キヨシは歯を見せて不遜に笑ってみせた。
キヨシにとって何よりも恐ろしく、最も許せないのは、ティナやセカイを始めとした尊敬すべき人々が酷い目に遭うこと。あの時は本当に危険且つ破滅的で、真の意味で誰かの犠牲の上に生き残るか、さもなくば全員死ぬか──そういう状況だった。だからキヨシは前者を、そして自分が犠牲になることを選んだ。それが最善だということは、疑いようもなかった。
「……僕には、そういう決断を下せそうにはないな」
「これが意外に、選択を迫られるとそうでもないもんなんです。気取ったことを言うようですけどね。誰かが傷付かねばならないなら、俺が前に出なくってどうするよ。特にティナちゃんやロッタが傷付くのなんか俺は堪えられない」
キヨシは自分自身が、歯が浮くようなことを口走っている自覚があった。それを知ってか知らずか、マルコはキヨシの台詞の真偽を確かめるかのように、
「大切なのだね? あの二人が」
「……ま、まあ。頼まれてることでもあるしな。『助けてくれ』って。実際、それを全うしようって過程でできた傷だから、前向きに捉えることにしてるんですよ。全く意義のない怪我じゃないんだし」
『前向きに』。キヨシは少し前まで、自分がそういうものの捉え方ができる人間だなどとは微塵も思っていなかった。
キヨシは自分が酷く厭世的な性格をしているという自覚があり、自己肯定感が低い。それは、誰に励まされようが──例えティナやセカイからであっても変わらない。だが、そんな精神性も少しずつだが変わってきている。その要因は、被害の拡大を最小限にまで抑え、オリヴィーを救うことができたという事実も大きい。当初はそれすらも受け入れようとしなかったが、ティナとセカイのおかげで、自分の実績や成果として受け止めることができるようになってきていた。そう思えば、身体に刻まれ、永劫消えることはない傷も、意義があったのだと前向きに捉えることができる。キヨシの精神は、少しずつだが確かに、成長しているのだ。
だが、そんなキヨシの言動を見てマルコが何を思ったかは計り知れないが、目を伏して顔にほんの少し影を落としたかと思うと、隣でやり取り全てを聞いて凄く居づらそうに業務に勤しむ医師に、
「肌に塗る塗料の準備を」
「え、しかし……」
医師が戸惑うのも当然だ。マルコは、先程当人が突っぱねた処置を施すようにと促しているのだから。
「オ、オイ。マルコさん? いいって、面倒だし」
「さもなくば、服装で隠すかい? 身だしなみと思って、首元の部分だけでも隠したまえ。お節介なようだが、いついかなる時でも心身共に平常を保つのが、男の甲斐性というものだ。特に、女性の前ではね」
やや語気を強めて、まくし立てるように男のなんたるかを話すマルコから、言い知れぬ威圧感と謎の説得力を感じ、さしものキヨシもたじたじとしてしまう。
「そ、そう? そーいうもんなのか? 俺のこれまでの人生、丸っきり女っ気が……ないこともないけど。でも、ソイツ俺がどんなでも態度とかにあんまり変化がなかったもんだから、女性の前でどうこうってのが、イマイチピンとこないっつーか……」
「なんだ? 元いた世界に、生き別れの恋人でも残してきてしまったのかい? それは不憫だな。気持ちは分かるよ、何せ僕にも愛しい人が──」
「イヤイヤイヤイヤちゃうちゃうちゃう! 恋人とかそーいう関係じゃ……まあ、生き別れっちゃ生き別れではあるか? すぐそばにいるではあるんだけど……」
「心底から羨ましいな、それは。世界を隔ていても心はいつでも……というワケか。僕もジーリオさんとそういう関係を築けるようになるまで、どれ程かかるのやら」
「は、はは……」
マルコも大概、相当きざったらしい歯の浮くようなことを口走っているが、キヨシと明確に違うところは、それを全くの無自覚且つごく自然に──それが当たり前とでも言わんばかりに、何の恥ずかしげもなく言っているところだろう。しかも、言っていること自体はあながち間違いでもなく、割と核心を突いているというのがまたなんとも。一人の人間のパーソナリティを、その人間が見ている世界とでも解釈するのなら、ティナの身体に入り込んでいてもキヨシと精神的に繋がっているセカイとは、マルコの言う通り、『世界を隔てていても心はいつでも』と言えるのかもしれない。
「とにかく、そういうワケだ。首に塗るか、それとも何か着て覆うか」
「そこはもう決まってるのな。分かった分かった、前にオリヴィーで買ったローブがあるし、それ羽織ることにするよ。だから塗料だけはやめてくれ」
キヨシにはマルコが何故ここまで傷を隠すことにこだわるのか皆目見当もつかなかったが、別に傷を見せつけるつもりもないし、これ以上食ってかかるのも心象に関わると判断して、大人しく従うことにした。
と、ここでゴリゴリと何かが引っかかるような音がして、ゆっくりと部屋の扉が開く。
「ブルーノ、お疲れ。特に変わりはなかったか?」
「いえ……特にはございません……」
「そうか、それならいい。僕が彼の見張りに付いてる間、君には僕の代わりに警らに入ってもらうから、すまないが今のうちに慣れておいてくれよな」
「承りました……」
やり取りを聞くに、マルコはキヨシ一行の来訪に伴う急な配置換えに際し、応急でブルーノに元々担当していた任務を引き継がせたようだ『それは申し訳ない』と思うキヨシだったが、それ以上にどういうワケか、今しがたブルーノが大顎を器用に使って開けた扉の向こう側が気になって仕方がなかった。
「……──────」
「キヨシ?」
そんな気分は傍から見ても分かりやすかったらしく、マルコがどうかしたのかと声をかけてくる。なんでもない、と誤魔化すには少し妙な雰囲気を醸し出しすぎた自覚はあったので、キヨシは観念して頭をかきつつ、
「なあ、ブルーノ君。そこに誰かいないか?」
「……いえ、誰も。しかしながら道中ティナ殿と邂逅し、キヨシ殿に用事があると仰っておられた故、間もなくやってくると思われる……」
「そうか?」
キヨシが感じていたのは、そこに誰かがいるのでは──という気配。
──気のせい、か……?
キヨシがある特定の人間の気配を感知できるようになったと知ったのは、つい昨日のこと。誰かに否定されれば、『気のせいか』で自分を納得させようとしてしまうのも、無理からぬことだった。
『二、三分後に再びここを訪ねなされ、客人よ……』
それが、壁一枚隔てた向こう側にいる少女が、クワガタの精霊にかけられた言葉。
「……──────」
そうして、此度のやり取り全てをティナとセカイ、そしてドレイクが聞いてしまったという事実は、ブルーノ以外の誰も知ることなく、秘匿されることになった。
キヨシの肉体、そして──ティナとセカイの心に刻まれた『消せない疵』。その本当の痛みが現れるのは、これからなのだ。




