マシウス氏の屋敷 (1)
ジョシュを乗せたソリがスーメルク岬に入ると、大きな岩がゴツゴツしているデコボコの道になった。表面は凍っているけれど、海の方から風がしじゅう吹いているからなのか? 氷はそんなに厚くははっていない。その道に入る前にソリは一度止って、車体の下の刃は中に折り畳むようにしまわれて、岩の上をガタゴトと細かく弾むように、すべって行った。
氷の館は、近くで見ると氷ではなかった。灰色の大きい石が組み合わせてある、がんじょうな城だった。山のように天を突き刺している。石の外側には霜がついていて、ところどころは凍っている。ぼんやり晴れの日に、それが光って見えるらしかった。
館の周りは深い溝になっている。ソリが館の正面に着くと、間分厚い金属のとびらが上から下りて来て、それが溝と館をつなぐ橋になった。
入り口は、さっきのパン工場よりもずっと天井が高く、がらんどうだった。そこが倉庫のようになっている。
ソリのとびらがあいた。そこはもう城の中だと言うのに、外と同じくらい寒く、冷たい空気がソリの中に入り込んできた。ソリの中で身体が暖まってきていたジョシュは、それでなくてもビクビクしていたのに、この寒さでゾゾゾゾと心まで冷たくなるように思えた。
ソリを運転していたスーメルク人、乗っていた3人のスーメルク人がウーと鼻にひびくメロディーをまだ歌いながら、ソリから飛び降りた。ジョシュもそれを真似して外に飛び降りた。
運転していた大男は、灰色狼の鎖を外して、数頭ずつ、引っ張ってどこかに連れて行き、他の男はまだメロディーを口ずさみながら、パンの袋を運び出した。何もしないわけにはいかないような気がして、ジョシュも袋を運んだ。
ソリに乗ってから降りるまで、一緒に同じメロディーを口ずさんでいたけれど、一言もだれともしゃべらなかった。
パンを運び終わると、スーメルク人たちはまだメロディーを口ずさんでいて、歌いながら中へと入って行ってしまった。
ジョシュは一人、その寒い倉庫の中に残された。
丸いつるっぱげの頭がテカテカ光った、丸いメガネをかけた小さいおじさんが、ノートのようなものを見ながら倉庫にやってきて、どうやら、パンの確認をしているようだった。むくむくの暖かそうな毛皮を着ている。灰色狼の毛皮だ! とジョシュは思った。
一つの布袋を開けると、ちょっとパンをちぎって、味を見て、なんだかノートに書き込んでいた。
それを見ていたら、ジョシュのお腹がぐーと鳴り、それは思いのほか大きい音で、倉庫の空間に響いてしまい、はげ頭のおじさんはびっくりして、尻もちをついた。
「だ、だれだ!」
とおじさんは、ズズズとお尻をすって、ノートを抱え込んだ。
「あ、どうもすみません。ジョシュ・クラウドです」
とジョシュは言った。
「ひぇええ。クラウド?」
「はい。ナカ町の方からやってきました」
「えええ? クラウドって、まさか天気予報の人?」
「は、はい。そうです」
こんな所でもクラウド家のことを知っている人がいるのか、とジョシュはちょっとびっくりした。
「なに? 天気予報しに来た?」
「いえいえ、働きに来ました」
「ひぇえええ。ま。まさか。燃料堀りに来たの?」
「え? 何をするかは、まだわかりません」
「まったく、だれもそんなこと言ってくれないんだから、困るのよ。みんな無口なのよ。歌は歌うんだけどね。それだって歌詞は無し。音だけだからね。まったく話が通じないんだから」
はげおじさんは、どっこらしょ、と起き上がると、毛皮を整えて、丸眼鏡の奥から、ジョシュの顔をまじまじと見た。
「へえええ。ギャバには似てないね」
ジョシュは、どう答えていいかわからず、じっとこのおじさんを見ていた。ギャバというのはジョシュのおじいさんの名前だった。ジョシュが生まれた時には、ギャバはもういなかった。だからジョシュはおじいさんのことはよく知らないのだ。
「名前は?」
とはげおじさんが聞いた。
さっき言ったのに…、と思いながらも
「ジョシュ・クラウドです」
と答えると、
「あ、クラウドってのはもうわかっているんだから、ジョシュだけでいいんじゃないかな。まったく、今時の若い奴ってのは、そういう細かいところに気がつかないね…」
といらいらしながら、ノートを開いて、どうやらジョシュの名前を書きこんだらしかった。
「で。次のセリフは?」
はげおじさんは、えんぴつで、ノートをコツコツと叩きながら、いらいらしていた。
ジョシュは何と言ったらわからないから、黙っていた。
「もう、次のセリフは、こうでしょ!」
おじさんは、怒っていた。
「『あなたさまのお名前をうかがってもよろしいでしょうか?』これがセリフというものでしょ」
ジョシュは、わけがわからなかったが、とにかくこのおじさんの言うとおりにしておいた方がいいだろう。
「あの、あなたさまのお名前をうかがってもよろしいでしょうか?」
すると、おじさんは、
「よろしい」と、しゃきっと立ち直すと、
「マシシ・スーメルクですよ。もちろん」
と言い、
「スーメルクの親戚の場合は、みな、様つけてね。名字がスーメルクだったら、だれでも様だから、わしの場合はマシシ様になるかな」
と言った。