第一話 落ちこぼれ魔法使いと森の少女
人は誰しも、自分の中でもっとも優れた能力をもって、それを才能と呼ぶ。 私にとってそれは魔術だった。 少なくとも、故郷の村ではそうだったのだ。
十歳で初級魔術を扱えるようになり、十二歳になる頃には村の大人より多くの魔力を持っていると騒がれていた。 村長なんて、酔っぱらうたびに「うちの村から王宮魔術師が出るぞ!」と自慢していたくらいだ。
もっとも、その村の人口は牛を含めても百人に届かなかったのだけど。
そんな田舎村から王都へ出てきた私は、国内最高峰の魔術教育機関、《王立アストレア魔術学院》への入学を果たした。
そして入学から二年後。
「リーネ=レイン。 あなた、このままだと本当に退学になりますよ」
昼下がりの講義室で、担任教師は深いため息を吐きながらそう言った。
周囲の生徒たちが、ちらちらとこちらを見ているのが分かる。 なんというか、非常に居心地が悪い。
「ええと……ちなみに、なんていうか……もう教えることは何もない、的な意味だったりしますか?」
「残念ながら、その逆ですね」
「即答!?」
私は小さく肩を落とした。
確かに私の成績は良くない。 特に実技。
魔力量そのものは多い方なのに、魔術の制御が妙に不安定なのだ。 炎弾を撃てば狙いがずれるし、防御魔術は展開速度が遅い。 決闘形式の授業では毎回ぼろ負けしている。
ただ、その一方で座学の成績はかなり良かった。 特に魔術式の解読。
複雑な術式を読み解き、どの部分が何の役割を持っているのかを考えるのは好きだった。 発動させるのは下手なくせに、読むだけなら妙に得意なのだ。
……まあ、だからなんだと言われると困るのだけど。
「あなたは基本的な戦闘適性が低すぎます。 魔術師として最も重要な部分が欠けている」
「でも、魔術って別に戦うためだけのものじゃなくないですか?」
「半分は正しいです。 現に、戦後の王国は魔術を生活や産業へ応用する魔導工学によって大きく発展しました。 魔導灯、魔導列車、測量器、通信装置。 今の王都を支えているのは、戦場ではなく工房の魔術でしょう」
「ですよね!」
「ですが、それは基礎を修めた者の話です」
「ぐぬぬ……」
正論だった。
この学院は、元々旧大戦時代に王国魔術師を育成するために作られた教育機関だ。 今でこそ魔術は戦場だけでなく、都市の灯りや列車、地図作成のための測量器にまで使われているけれど、学院に残る気風は未だに実戦重視である。
旧大戦。 およそ百年前まで続いていた、人類と魔族の戦争。
現在は停戦状態にある。 けれど、それは仲直りしたという意味ではない。 人類と魔族の領域は今もほとんど断絶しており、交流らしい交流はない。
人間側では戦後、魔術を生活や産業へ応用する魔導工学が大きく発展した。 魔導灯、魔導列車、測量器、通信装置。 魔術は一部の戦闘魔術師だけのものではなく、都市を動かす技術になった。
けれど、魔族側が戦後どのような道を進んだのか、王国ではほとんど知られていない。
教科書に載っている魔族の姿も、大半は旧大戦時代の記録に基づいたものだ。 だから本当のところ、今の魔族がどんな言葉を話し、どんな暮らしをしているのか、私たちはほとんど知らなかった。
「そもそもあなた、総合成績学年最下位ですよ」
「うっ」
「魔術式解読の成績だけは上位ですが、それだけで進級はできません」
「魔術式、面白いのに……」
「面白さで単位は出ません」
あまりにも世知辛い。
私は机の上に視線を落とした。 退学。 その二文字は、さすがに重い。
村では天才だった。 でも学院では落ちこぼれだった。
たぶん、どちらも本当なのだと思う。 村では私より魔力を持つ人間がいなかったし、学院には私より優秀な人間が山ほどいた。 ただそれだけの話だ。
「とにかく、来週の校外試験。 そこで目ぼしい成果を出せなければ退学処分となります」
「うぅ……」
「今回の試験では、旧大戦時代の遺跡を使用します。 あなたの得意分野も多少は関係するでしょう。 そこで結果を出しなさい」
「旧大戦時代の遺跡?」
私は思わず顔を上げた。
「場所はノルディア地下遺構です」
「えっ」
ノルディア地下遺構。
旧大戦時代に築かれた軍事施設跡であり、現在は学院の試験場として一部が利用されている巨大遺跡だ。 古い魔術式の痕跡も多く残っていることで有名だった。
「……遺跡」
「嫌な予感しかしませんね」
「なんでですか!?」
「あなた、絶対寄り道するでしょう」
「流石に退学がかかってたらしま……しませんよ!」
「今、言い切る前に迷いましたね」
「気のせいです」
先生は疑わしそうな目でこちらを見た後、諦めたようにため息を吐いた。
「とにかく、今回は本当に最後の機会です。 気合を入れて精進しなさい」
「はい……」
返事をしながら、私は小さく拳を握った。
遺跡探索なら、まだ可能性はある。 魔術式の解読なら、私にもできることがあるかもしれない。
ここで結果を出せば、退学は回避できる。
そう思うと、ほんの少しだけ胸が高鳴った。
◇
そして校外試験当日。
王都から魔導列車と馬車を乗り継いで半日ほど進んだ山岳地帯に、その遺跡は存在していた。
巨大な岩山をくり抜くように築かれた地下施設は、入口に立つだけでも圧倒される。 長い年月を経た石壁には古びた紋様が刻まれており、ところどころに学院が設置した青白い魔導灯がぼんやりと光っていた。
王都の魔導灯はもっと明るく、規格も統一されている。 けれど、この遺跡に残る光はどこか揺らぎがあり、まるで今も眠りながら呼吸しているみたいだった。
「それでは試験内容を説明します」
試験官の声が響く。
「遺跡内部に設置された試験用の小型魔導灯を回収し、制限時間内に帰還してください。 小型魔導灯は掌ほどの筒状の器具で、内部の魔石に光を蓄える簡易照明です。 回収地点ごとに難度が設定されており、奥にあるものほど評価は高くなります」
私はなるほど、と頷いた。
小型魔導灯なら分かりやすい。 王国では家庭用の照明としても使われているし、学院の実習でも何度か触ったことがある。
「ただし、視認できる危険区域には結界を張っていますが、万が一異常を発見した場合は即座に離脱するように」
周囲の生徒たちが緊張した表情で頷く中、私は少しそわそわしていた。
なんてったって遺跡である。 しかも旧大戦時代の。
気にならないわけがない。
「……よし」
私は小さく拳を握る。
ここで結果を出せばいい。 そうすれば退学は回避できる。 それに、もしかしたら誰も見つけていないような珍しい遺物だってあるかもしれない。
そんな期待を胸に、私は遺跡の中へ足を踏み入れた。
「おぉ……!」
内部は想像以上に広かった。
薄暗い通路が幾重にも枝分かれし、壁には複雑な術式紋様が刻まれている。 歩いているだけで肌がぴりぴりするような感覚があり、現代の魔導工学で使われる規格化された術式とは構造そのものが違っていた。
現代の術式は分かりやすい。 誰が使っても同じように動くことを重視しているからだ。 けれど、目の前にある古い術式は違う。 もっと癖が強く、書いた人間の思考や祈りまで刻まれているような気がした。
「やっぱり面白いなぁ……って! 見とれてる場合じゃないよ!」
私は思わず小声で呟く。
途中、他の生徒たちとすれ違ったが、皆さっさと小型魔導灯を回収して戻っていく。 私もいくつか簡単なものを見つけたけれど、それだけでは退学を覆すほどの成果とは言えない。
もう少しだけ奥へ。
そう思って進んでいるうちに、気づけば周囲から人の気配が消えていた。
まずい。 これは寄り道ではない。 成果を求めた結果である。 たぶん。
「あれ……?」
通路の壁に、妙な紋様が刻まれているのを見つけた。
魔術式だ。 ただ、学院で習う現代式とはかなり違う。 王国式の術式に似ている部分もあるけれど、記号の繋ぎ方や魔力の流し方がどこか不自然だった。
「……んー? どこかで見たことあるような……」
私は吸い寄せられるように壁へ近づき、術式構造を目で追った。
たぶん、転移に関係する術式だ。 けれど授業で習ったものとは違う。 発動条件も、行き先を指定する部分も、妙に読み取りづらい。
「……なんで起動状態なの?」
その瞬間、壁の紋様が淡く発光した。
次いで、足元に巨大な術式が展開される。
「え、ちょ──」
刹那、私の視界は真っ白に染まった。
◇
目を覚ました時、私は見知らぬ森の中に倒れていた。
湿った土の匂いと濃密すぎる魔力が肌にまとわりつき、頭上では巨大な木々が空を覆っている。 どこを見ても、遺跡の面影など存在しなかった。
それどころか、学院が設置した魔導灯の光も、測量杭も、試験用の結界標識も見当たらない。
王国領内の森なら、どこかしらに人の手が入っている。 道路、杭、地図標識、魔導灯の中継柱。 魔導工学が発展した今の王国で、完全に手つかずの森なんてそう多くない。
なのにここには、そういうものが一切なかった。
「……ここ、どこ?」
身体を起こしながら呟く。
「確か……あの魔術は…………そうだ!」
転移罠。
おそらくあれを作動させてしまったのだろう。
「まずいなぁ……」
学院に怒られるとか、そういう話ではない。 単純な遭難である。
せめて地図があれば何とかなる。 王国の地図はかなり精密だし、方角さえ分かれば近くの街道を探せるかもしれない。
問題は、今の私が地図を持っていないことだった。
いや、本当にまずい。
人影を求めて周囲を見渡した、その時だった。
奥の茂みから低い唸り声が響く。
次の瞬間、黒い巨影が飛び出してきた。
「うわっ!?」
狼型の魔獣。 だが普通ではない。 体長は牛ほどもあり、牙は剣のように鋭い。
私は咄嗟に魔術を展開した。
「《フレイム》!」
放たれた火球は見事に逸れ、魔獣の横を通り過ぎて木を弱々しく燃やしただけだった。
「しまっ──」
直後、魔獣が地面を蹴る。
巨大な牙が目前まで迫った、その瞬間。
鋭い音が空気を裂いた。
次の瞬間、魔獣の身体が吹き飛ぶ。
「……え?」
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
暗褐色の外套を頭からすっぽり被り、長弓を手にしている。 その布は王都で見るような滑らかな織物ではなく、木の皮や草の繊維を編み込んだような粗い質感で、森の影に溶け込むために作られたもののように見えた。
外套の奥で、風に揺れた美しい銀色の髪だけがちらりと覗く。
少女は倒れた魔獣を一瞥すると、静かに私へ歩み寄ってくる。
「大丈夫?」
柔らかな声だった。
助かった安堵からか、私はその場にへたり込む。
「た、助かりました……。 ありがとうございます」
その瞬間、少女の表情がわずかに強張った。
けれど、私にはその意味が分からなかった。
人里離れた森で遭難者に会ったのだから驚いているのだろう。 そう思った。
だが少女は、何かを確かめるように私をじっと見つめている。 まるで、私の言葉そのものが信じられないとでも言うように。
「えっと……?」
声をかけようとしたところで、身体から力が抜けた。
極度の緊張と疲労で、私の意識はゆっくりと闇へ沈んでいく。
最後に見えたのは、外套の奥で揺れる銀色の髪と、不思議そうにこちらを見つめる少女の瞳だった。




