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もう姉妹には戻れない  作者: キノハタ
第5章 姉と妹

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第55話 姉を置いていく―①

 ぼやけた意識のまま、そっと朝の光の中、身体を起こす。


 冷たい空気の中に、私の吐息がゆっくりと溶けていく。布団から身体を起こすと、昨晩泣いた疲労の中に、不思議な風が通っていくような感覚がする。


 重いのに、すこし軽い。怖いのに、微かに安心してる。


 手元にふっと温かい感触が感じられたから、目を向けると、まだ目を覚ましていないあなたの寝顔がそこにはあった。


 その額にそっと気付かれぬよう、口づけをして。


 軽く顔を洗ってから、外に出るための身支度を整える。


 …………食事は、いっか。外に出てから食べよう。


 コートに袖を通して、財布とスマホだけ持って、あなたを起こさぬようにそっと部屋を後にする。


 扉を閉める直前、まだかすかに響くあなたの寝息に、少しだけ微笑んで。


 昨晩、あなたがくれた思いの丈を、胸にそっと抱いたまま。


 私ははるを残して、旅館を後にした。


 鍵はロビーに預けて、独り、着の身着のまま。


 朝焼けの中、昨晩振った雪を踏みしめて、見知らぬ街を歩きだす。


 ふっと零した白い息が、微かに震えてる。心臓の音が耳の奥から、どくんどくんと静かに、だけど忙しなく鳴っている。


 さあ、行こう。


 この旅を始めた、本当の『目的』。


 その決着をつけるため。


 まだ足跡の一つもついてない、真っ白な雪の中へ。


 私は一歩、踏み出した。





 ※





 行きしなで買った熱いお茶で、おにぎりを喉に流しながら考える。


 多分、私が出したこの結論に、合理的な根拠は何もない。


 何を話すかも決めていないし、何を聞くかも考えてない。


 でも、こうしないと、私は進めないという、なんとなくの直感だけはある。


 これから、はるとの関係を受容れて、それを大切な人に伝えて、なにより私自身が幸せになるために。


 きっと、この試練は乗り越えないと……いけない気がする。


 ……っていっても、本来心理学的には、トラウマの根源と向き合うことはハイリスクローリターンだ。


 痛みを覚えて帰るだけかもしれない。落ち着いて話せないかもしれない。相手がちゃんと言葉を聞いてくれるかすら分からない。


 でも、なんとなく、どうにかなるという確信もあった。


 何せ『あいつ』は、私なのだから。


 駅前で捕まえたタクシーで辿り着いたのは、街の中心部に位置する、無駄に綺麗な高層マンション。


 相変わらず儲かってるなあ……と、嘆息をつきながら、私はそっとエントランスに足を踏み入れる。


 そうして、部屋番を確認してから、無造作に呼び出しボタンを押した。


 声を聴く前に通話を切られても面倒だから、カメラは指で抑えながら。


 三が日だし、家にいるといいけどなあ……なんて考えていたら、ほどなくしてインターホンが繋がった。


 『はい……』


 「鈴村鏡花、090-------。萩奈 美香、080--------。十河 沙也加 090-------」


 相手がこちらを認識する前に、滔々と暗唱した名前と数字を読み上げてやる。『あいつ』が今まで騙した女の名前と電話番号。一応、どれも通話が繋がることは確認済み。


 『…………』


 そのまま、結被害額と手口まで喋ってやってもよかったけど、程なくして無言でエントランスの扉はロックが外された。


 私はインターホンは通話が切れているのを確認して、悠々とそのエントランスの扉を通り過ぎる。通りがかりのお上品な主婦が、不思議そうに私を見て首をかしげていた。


 そのまま、エレベーターに乗って、最上階の部屋につく。


 『玖呂川』と名札が付いたドアベルを鳴らすと、『あいつ』は特に顔を出すこともなく、鍵が外される音だけがした。


 ふぅっと軽く息を整えて、じわりと血が巡る感触を感じる。それから、ドアノブをそっと回した。


 ちょっと身構えてたけど、ドアの前には誰もいなくて。人の気配が僅かに奥の部屋からしたから、私は靴を脱ぎ散らかしながら、そのまま部屋の中へと入ってく。


 これまた無駄に広いリビングまで行くと、『あいつ』は随分と機嫌が悪そうな顔して、私を見ていた。


 「やっ、ひさしぶり」


 そう言って、舌を出しながら、ひらひらと手を上げる。まるで、娘が遠いところから、はるばる父親に会いに来たかのように。


 私の言葉に、あいつは―――『クソ親父』は、微かに眉間に皴を寄せると、はぁっと短く息を吐いていた。




 そのまま、お互い沈黙すること、およそ数秒。


 座れ……とは促されないみたいなので、勝手に座ることにする。あいつの対面に、ぼふっと腰を掛けてさも当たり前のように、持ってきたペットボトルを机に置く。


 うーん、市販のペットボトルが、上品な部屋に似つかわしくない。まあ、気にしてやる道理もないけど。


 ちらっと部屋の中を見回すと、よく整理も掃除も行き届いている。その癖、個人的な嗜好品みたいなものが、まるで見当たらなくて気持ち悪い。『お上品な独身貴族』という、皮を被った部屋みたいだ。持ち主にそっくりだね。


 ずごずごとペットボトルの中のお茶を啜っていたら、いい加減、しびれを切らしたのか、クソ親父は胡乱な瞳を私に向けた。さすがに、こんな状況で猫を被る気はないらしい。


 「何しに来た、つーか、どうやってここを知った」


 私はそんな奴の問いに、軽く肩をすくめる。それから、懐に入れておいた、名刺をこれみよがしに見せつけてやる。


 「『娘』が『父親』に会いに来るのが、そんなに変? ていうか居場所は、自分で教えてくれたじゃん?」


 一か月前、私の元にやってきたあいつが残していった名刺。私はそこから後を辿っただけ。初歩的なことを見落とすあたり、意外と動揺してるかな。


 「ああ、そういやそうだったな。…………で、なんだ。あの『仕事』の件なら、もう流れたぞ」


 ちらっと様子を窺うけれど、不機嫌そうな表情の奥の瞳は、相変わらず血が通ってないんじゃないかってくらい、色がない。さっきの動揺もさして意味がないかな、と私は軽く嘆息をつく。


 「それは、どうでもいいけど。何? あんたが高校生に手を出す流れになったの?」


 言いながら、軽く揶揄ってやると、はっと鼻で笑われた。なんだ、違うのか。情けないこいつの姿が見れなくて残念という気持ちと、顔も知らないどこぞの令嬢が騙されなくてよかったねという気持ちが半々。


 「じゃあ、俺側に用はねえよ。さっさと帰れ」


 「そうしたら、私はさっきの、あんたの被害者リストばらまくけど?」


 「お前みたいな餓鬼の言い分、誰が信じるんだよ。知ってるだろ、金にならないことはしない主義だ。時間がもったいねえ」


 そう無表情で言い捨てるクソ親父をみながら、私はふむっと、軽く唸る。まあ、そうだよねえ、こうなる流れは解ってた。


 私側にこいつに用事があったとしても、こいつ側に私に用事はない。


 私がどれだけ言いたい想いがあろうとも、こいつはそれに関心を示さない。


 他人の感情に無関心で、合理的、行動原理は金が全て。


 昔っからそうだ、何も変わらない。


 だから、私は懐から、封筒を取り出すとそいつの前にぽんっと置いた。


 そこそこの重みと、そこそこの厚みをそなえたそれを、あいつの前に無造作に。


 そうして、色のないあいつの瞳を覗いて、言ってやる。


 「そう、じゃあ、()()()()()()()()()()()()()()()


 「座って小娘の話を聞いてるだけで、そこそこの小銭稼ぎができるの。願ってもない話でしょ?」


 「ほら、どうしたの? 受け取りなさいよ」


 「金にならないなら、動かない。てことは―――金になるなら動くんでしょ?」


 こいつはそう、昔っから、人に関心がなく、無感情で、合理主義。


 結局は金が全て。


 だから、この提案を断れない。


 「可愛い娘の身の上話、ちょっとだけ聞いてよ―――『お父さん』?」


 そう言って私は、凄惨にただ笑う。まるで、こいつがそうしたように。


 そんな私を、男はどこか忌々しそうに眺めていた。


 そして、その瞳の奥の無色が、今、微かに揺らいでるのを私は見逃さない。


 背筋に伝う冷たい汗の感触に、微かに眼を閉じながら。


 私はただ笑ってた。


 大丈夫、きっと私は、大丈夫。


 そんなはると交わした言葉を、心の中で、祈るように唱えながら。




 ※

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