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もう姉妹には戻れない  作者: キノハタ
第4章 姉と妹と親

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第42話 姉に救われる―②

 それは冬の始まりの頃だった。


 琥白と一緒に歩いていた、学校からの帰り道。


 「よう、久しぶり」


 そう言って、肩が叩かれた時、私は振り返る前に、それが誰の声かわかってしまった。


 少し高くて、落ち着いて、よく通る耳障りのいい声。そう感じるように、調整された作り物の声。


 会うのは10年ぶりだ。幼い記憶だから、朧気になった部分も沢山あって、意識しなければ思い出すことも少なくなったはずなのに。


 背筋から温度が奪われていくような、震えを感じる。世界の色が、突然モノクロになったような錯覚と、他の音が全て塞がれてしまったような閉塞感に満たされていく。


 機械のように、私の意思と関係なく身体が振り返ると、あまりに記憶通りの顔がそこにはあった。


 10年という月日が感じられないほどに、若々しく、清潔で、整えられた容姿。まだ青年だと言われれば納得してしまいそうになる。精悍さと無邪気さが同居したような、朗らかな表情。


 でも私を見つめる、その瞳の奥だけは、相変わらず、感情の色が一つも見えないほどに冷たくて無機質な孔のようだった。


 「黒江……? 誰、この人?」


 隣を歩いていた琥白が、不思議そうに首を傾げる。


 叫び出しそうになるのを、どうにか堪えながら、思わず咄嗟に嘘を吐く。


 「…………親戚の人。大丈夫、知り合いなの。……だから、ごめん琥白。先帰ってて?」


 そう言った自分の声が、酷く、遠く感じられる。まるで、自動人形が読み上げているのを聞いてるみたいだ。そして、そんな私は琥白は少し心配げに見つめた後、渋々と言った感じで頷いた。


 そうして、琥白が小走りで立ち去っていくのを見届けた後。男は―――私のかつての父親は、自然な笑みを浮かべて、近くの喫茶店を指さした。


 今更、何のつもりなのだろう。全身が警戒感に総毛だって、思考が上手く動かない。


 琥白を逃がしたことは、正しかっただろうか。わからない、でもこの男に、不用意に知り合いを近づかせたくもない。


 そうして、まるで、いつもそうしていると言わんばかりの様子で、喫茶店の窓際の席に二人で腰を下ろした。メニュー表を渡されて、促されたので、とりあえずコーヒーを頼む。そんな注文の声すら、どうしてか、今は遠く聞こえる。


 「………………どういうつもり?」


 声の震えを極限まで抑えて、口を開いた。動揺が悟られることがあってはならない。こいつは、その些細な綻びから、何を読み取ってくるともしれない。


 「実の父親に向かって随分な口だな。しかも親戚なんて誤魔化して、紹介すればいいじゃないか。『これが私のお父さんです』って」


 そんな声を聴くだけで、悍ましさが喉の奥からせりあがって、そのまま吐き出してしまいそうになる。どの口が、と感情的に張り上げそうになるのを、必死に抑えて、言葉をどうにか口にする。


 「……10年前に失踪した人間が、今更、何言ってるの? それに今の親は紅梨さんだから……あんたはもう、私の親じゃない」


 だけど、あいつは素知らぬ風で、メニュー表を眺めながら作り物の笑みを浮かべてた。


 「そうそう、あの時は、訳も言わずにいなくなって、すまなかった。どうしても、一緒に居れない理由があったんだ。紅梨にも申し訳ないことしたと思ってる。でも、今は心を入れ替えてな、改めてお前と向き合いたくて会いに来たんだ」


 温和な笑み、優しい声、諭すような視線、耳障りのいい言葉。


 嘘だ。嘘だ。全部、嘘だ。


 「…………ふざけんな」


 漏れ出た声は怒りで、酷く滲んで、震えてる。


 「………………」


 男は静かに微笑みを湛えていた。でも、その笑みの奥に、私にだけわかるような微かな嘲りが透けている。


 「私に嘘の吐き方を教えたのは、あんたでしょ? そんな見え透いた戯言、一体、何の意味があるの?」


 震えそうで、叫びそうだ。このままこいつの顔をぶん殴って、店から飛び出してしまいたかった。


 ただ、私の言葉に、男はしばらく笑みを浮かべると、不思議そうに首を傾げた。まるで何のことだか、わからないと言わんばかりに。


 しばらく沈黙が続いた後、店員が私たちの前に、すっとコーヒーを差し出した。無言のテーブルを不思議そうに眺めてから、ウェイターが去った後、また沈黙が少しだけ流れていく。


 そこが境だったのだろう。


 「―――まあ、この程度で騙されるほど、腑抜けてないか」


 男の顔から、笑みがふっと、煙のように立ち消える。


 声はさっきまでの音が嘘みたいに低く、胡乱で、無気力なものになっていた。


 ただ、瞳の奥だけは、相変わらず、何の感情もない虫のような色をしている。


 「……………………」


 言葉が上手く出てこない。無意識の内に身体が竦みそうになるのを、どうにか抑えることしかできない。


 「あの姉に、どれだけ骨抜きにされたかと思ったが。存外、まだまだやれるようで安心したよ。少し調べたが、生徒会で副会長なんだって? 上手く立ち回ってるようで何よりだ」


 ぎりっと奥歯が擦れる音がする。はるについて、こいつの口から言及されるだけで、酷い拒絶感がある。学校のことも、こいつに触れられたくはない。


 「……それがどうしたの……あんたにはもう関係ない」


 そう口にするけれど、頭の中で、論理が噛み合わない。だって、そんなことは、この男は解ったうえでここにいるはずだから。


 「まあ、そう警戒するなよ。悪くない話を持ってきただけだ。受けるかどうかは、お前に決定権がある、俺は何も強制しない」


 見え透いた嘘、吐き気を催すような声。


 「今更、何を―――」


 もういい、このままこの席を立ってしまえば――――。





 「()()()()()()()()()()()()()()()?」






 理解が。


 あまりに突拍子もない言葉に、理解が一瞬、脳に拒まれた。


 ただ、数秒後沸騰したように、感情が湧き上がる。


 「ふっざけんな!! 誰があんたの子供なんかになるか!!!」


 駄目だ。こんな奴の戯言に付き合うだけ無駄だったんだ。やっぱり、今すぐ席を立って、この場から―――。


 そう考えて、行動に移そうとした瞬間に。


 「だって、お前―――()()()()()()?」


 男は無造作に、そう口にしていた。


 私の手元にすっと、小さな名刺を放り投げて。


 「今、俺はある会社に潜ってるんだが、そこの取引先の令嬢を堕としたい」


 「そいつを堕とすと、何かと都合がよくてな。お誂え向きに騙されやすい、よくいる馬鹿な女だ」


 「ただ、さすがに俺も年だからな。今は立場もある。手を付けて、色々と後に尾を引くのも面倒だ」


 「そこでお前だ。同性で警戒もされにくい、歳も近いからな、近づくのは容易いだろう。俺に色目を使うような餓鬼だ、似た見た目のお前なら簡単に騙される」


 「それで得た利益の分け前をやるよ。餓鬼が自立するのには十分な金だ。二・三年そいつの面倒を見てくれたら、あとは捨てるなり、壊すなり好きにすればいい」


 「どうだ? 悪い話じゃないだろう?」




 血を。


 今すぐこの身体に流れる血を、全部引っこ抜いて、そのまま、どぶに捨ててしまいたかった。


 こんな悍ましいことを口にする人でなし遺伝子が、自分に宿っているなんて信じたくもない。


 「ふざけんな、誰が、そんなくだらないこと―――」


 なのに。


 男の声は、揺るがない。


 「やるさ―――何せお前は、俺と同じだからな」


 胡乱な声が、歪んだ瞳が、私のことを逃さないとでも言うように。


 「そもそもいつまで、他人の家に転がり込んでる? あの家族と俺との縁が切れた以上、お前はただの居候だろうが」


 「罪悪感は湧いてるだろ? いくら甘えを受容れられても、お前はそもそも他人に貸しを作りたくないはずだ。なにせ、それが弱みになるからな」


 「その点、俺はあくまで、取引だ。貸し借りはない。お前は仕事をして、報酬を得る。その後は、どこにでも好きに行けばいい」


 息を、整えろ。


 流されるな、正気を保て。


 こんな言葉で、揺るがされる必要なんて、どこにも――――。



 「あと、教えたろ? ―――目と指先だ」



 ――――咄嗟に、指を隠した。



 「隠し方も教えたはずだがな、その点は腑抜けたか? お前、今、どんな欲望を抱えているか駄々洩れだぞ、自覚はあるのか?」



 ダメだ。本能が、拒絶する。



 「何日か観察したがな。正直、気色悪かったよ。あいつを見るお前の眼も、お前をみるあいつの眼も」



 聞くな。



 「失くした母性でも感じたか? 受け容れてくれる相手に、肉欲を向けるのは心地よかったか?」



 聞くな、聞くな、聞くな。



 「女の堕とし方は教えたろ? なんで手をこまねいてる? 犯せばいいだろ、意思を奪え、尊厳を奪え、依存させて、そのまま玩具にでもしちまえばよかったろ」



 ――――――聞くな。



 「真っ当な愛でも抱いたつもりか? 無理だよ、お前には」



 ―――聞いちゃ、ダメだ。



 「なにせ、お前は―――俺の血が混じってるんだからな」



 ――――。



 
















 ※



 「人間の愛着ってのは、どうやって決まると思う?」


 「長年の愛された経験か? 正しく愛をくれた誰かがいたかどうかか? 残念ながら、どっちも違う」


 「数年。産まれてたった数年の間に、触れる相手がいたかどうかだ」


 「心なんぞ関係ない。身体的接触があったかどうかだ。そのたった数年のプログラムが上手くいくかどうかで、そいつ人生のその後が全て決まっちまう」


 「だから、お前は信じられないだろ。他人に愛されてるなんて」


 「抱きしめられても、頭の中で、こう想ってるはずだ。本当にこの相手は、自分のことを想ってくれているんだろうか。騙そうとしてるんじゃないだろうか。そもそもそんな価値が自分にあるんだろうかって」


 「『普通』の人間はな、愛されることに、疑いなんて持たないらしいぞ。それが辺り前だと思ってる、だから簡単に騙される」


 「でも、お前は違う」


 「わからないだろ、無条件に愛されることなんて。信じられないだろ、そんな価値が自分にあるなんて。だから他人を疑える」


 「お前には、愛なんてわからないさ。欲しか持ち合わせがないだろう。だから、騙しても心なんぞ痛まないし、騙されるやつが馬鹿に見えるだけだ」


 「わかるさ、お前は俺の子なんだから」


 「だから言ってるんだよ。そのまま、ここに居ても碌なことがないぞって」


 「どうせ、犯して、穢して。自分の行いに耐えられなくなるのがオチだ」


 「そうなる前に、離れる手段をやるって言ってんだよ」


 「それともあれか、もう算段は立ってるか? あの女を犯すための算段が」


 「まあ、それもありかもな。そんなことしても、お前の心は一つも動かんだろうが」


 「さあ、どうする?」


 「初めに言ったが、俺はお前に、何も強制しない」


 「お前が決めろ」


 「なあ、くろえ」


 「お前がお前の意思で決めろよ」


 「あの姉の傍を離れるか」


 「このままあの女を犯すか」


 「お前が決めろ」


















 ※


 「ねえ、私の妹に―――何をして―――るんですか?」

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