第24話 妹とクリスマスパーティー②
「じゃ、『王様ゲーム』の最初の命令な。
…………そうだな、『1番と6番でキス』にしようか」
呼吸を気付けば、忘れていた。
さっきまでざわついていた、クリスマスパーティの会場は、時間が止まったみたいに、しんとした静寂に包みこまれる。
そんな中で、どこか愉快そうな、白乃さんの視線だけが爛々と揺れていた。
え、するの……本当に?
はっとなって、くろえを見ると、どこか忌々し気な視線を白乃さんに向けた後、ため息をつきながらこっちを見た。
あ。
そんな言葉を発する、その前に。
とん、と一歩。くろえが私の方に歩み寄る。
それだけで、これから何が起こるのか理解してしまう。
首元から、どくどくと脈打つ音が鮮明にする。
何か言うべきなのに、何も言えないまま、思考は真っ白になってゆく。
みんなが見てるのに、これじゃあくろえの立場が危なくて、そもそも恥ずかしくて仕方がないのに―――。
そんな言い訳を、幾ら並べ立てても。
君が目の前に歩いてくるまで、足はぴくりとも動かない。
心臓の音以外、何も聞こえない。
ゆっくりと近づいてくる、くろえ以外何も目に入らない。
くろえは、すっと私の手が届く距離まで来ると、そのまま背中で他のみんなの視界を遮った。
誰にも見えない、その小さな影の中、君はゆっくりと唇を動かしていた。
え……するの? 本当に?
思わず自分の掌をぎゅっと握ったら、その手に優しく重ねるように、くろえの指がそっと被さる。
白くて、柔らかくて、少し冷たい、綺麗な指が。
ゆっくりと、握った掌を解くように絡められていく。
わからない、どうしてくろえがこんなことをしてるのか。
わからないけれど―――。
気づいたら、段々と強張っていた肩の力が抜けていく。
君に手をなぞられただけで、震えていた指の感覚が段々収まっていく。
心臓はまだ少し早いけど、でもゆっくりと、身体全体の緊張が解けていく。
わからないけど。
くろえが、そう望むなら。
いいのかな。
そう想って―――目を閉じた。
顔をほんの少しだけ君の方に向けて、じっと、その瞬間を待ち焦がれる。
とくん、と一つ、音が鳴る。
なぞった手首から、伝わる音。
どくんと、と一つ、音が鳴る。
私の胸の中で、何かが高鳴る音。
とくんと、どくんと。
その時を、ただ、待った。
君と唇が重なる、その瞬間を―――
待って。
待って。
待って。
待って―――。
ふみっと。
柔らかい、柔らかいけど、なんか思ったより柔らかくはない。
そんな変な感覚が、唇の上に乗っていた。
??
はてと思った。
それは想像していた感覚と、さっぱり違くて。
ちらりと片目を開けた、その瞬間に。
ぽこぉぉんと。
「こんの!! バカ姉ーーーーー!!!!!!」
クリスマス用の三角帽で、思いっきり白乃さんを引っぱたく、そんな琥白ちゃんの姿が視界の隅に映ってた。
野球のバッターよろしく、腰の入った横振りで、白乃さんのこめかみへ打ちぬいていた。
軽快に、それなりの大きさの快音を、さっきまで沈黙に満ちていたパーティ会場に木霊させながら。
………………?
「ひ、人前で! キスとか! 普通するか!! セクハラだ! バカ姉! エロ姉!! 身内の恥!!」
そのままぽこぽこと、軽快な音を立てながら、真っ赤になった琥白ちゃんが白乃さんを三角帽で叩き続ける。
その場にいた全員が、その光景をどこか唖然としたまま見つめてた。
でもやがて誰かがふっと息を吐き出すと、それをきっかけに全員がどこかほっとしたように息を吐き出す。
「だ、だよな、いやびびった。まじで、させんのかと思った」
「う、うちも……なんか黒江ちゃんだし、するかもとか思っちゃった。しないよね、普通しないよね」
「ん~…………」
そこまでして、ようやく私は現状を思い知る。
そう、いくら王様ゲームの命令っていっても限度があるものだ。
まして、他人とのキスなんて、普通、そんなお遊びでするものじゃない。
「いやー、最初はパンチがいるかと思ってさー」
「馬鹿姉! あほ姉! 死ね!! 八木原家の恥さらし!! おしり掻き魔人!!」
白乃さんはそう言いながら頬を掻いて、そのままぽこぽこと琥白ちゃんに叩かれ続けてる。
「まー、気持ちはわからんでもないが、会長、まじでやってたら、コンプラに引っ掛かるぜ」
「そーだよー、白乃、今のご時世厳しいんだから。それに、こういうゲームは本気で嫌がることは禁止でしょ」
「んー…………」
そうやって役員のみんなに窘められながら、会長は困ったように肩をすくめてる。
そんな彼女を唖然として見ていると、ふとした瞬間に目が合って、にっと軽く笑われてしまった。
………………これは、もしかしなくても、揶揄われていたということ?
それなのに、私、本気でキスすると想っちゃってた?
そこまで気づいて、私はようやく、自分の唇に当てられているものに気が付いた。
眼を閉じて、そっと口元を差し出して、きっともの欲しそうな表情をしてた。
そんな私の唇に当てられていたのは、細くて長い―――くろえの指。
まるで、私の唇に封をするみたいに、人差し指が、そこにそっと置かれてる。
……もしかしなくても、私だけが、勝手に盛り上がってた?
そんなこと、『普通』するわけないのに、私だけが、本気にしてた?
………………。
ああ、自覚すればするほど。さっきまで落ち着いていたはずの血液が、みるみる顔に上がってくる。
頬は焼けそうなくらいに熱くなるし、耳から指先までじわじわと熱に侵されていく。
「ちなみに今の録音してたんで、白乃さん、私たちに貸イチですからね」
「まじか!? お前は相変わらず抜け目ないな………てか悪い、さすがにちょっとふざけすぎたわ……」
そんな茹でダコになっている私を置いて、くろえは涼しい顔で肩をすくめてた。
白乃さんはくろえの言葉に、がくんと残念そうに肩を落としてる。
そうしてみんながやいのやいのと言いながら、白乃さんの方を向いている中で。私は思わずこっそり顔を俯かせる。
うう……やっぱり、私だけ勘違いしてたんだ。……これが陽キャのノリなのか。
ていうか、完全にキス待ちだったの、ばっちりくろえにバレてるよね……。
ちらりとくろえの方を窺うと、案の定、涼しい顔で軽く微笑んでいる視線が、私に向いていた。
『期待した?』
と、そう揶揄うように。
はあ……私は何も言えないまま、諦めたようにため息をつくことしか出来ません。
『はい、キスされると想ってました』
と降参の意味も兼ねて、両手をひらひらと掲げる。
ただ、その一瞬で、どうしてかくろえの瞳が、微かに―――妖しく煌めいたような、そんな気がした。
後で思えば、その瞬間、みんなの意識に空白が出来ていたんだ。
さっきまでのキスするかもって緊張が、どっと解けた安心感が場を満たしてて。
みんなの視線は、おのずと話題の中心の白乃さんの方に向けられていて。
くろえは私を隠すように、背中をみんなに向けて立っていたから。
その瞬間、誰も、私たちのことを見ていなかった。
だから、くろえがそっと私に詰め寄ったのに、誰一人だって気付かなかった。
そのまま、流れるように顔を寄せたのも。
私が反応すらできないまま、呆然とそれを受容れたのも。
唇に、ぴとっとほんの一瞬、濡れた何かが重なったのにも。
誰も―――気付かなかった。
「……………………」
そうして、何一つ理解が追いついてない私に向けて。
くろえは、そっと耳打ちするように囁いていた。
「続きは、後でね―――」
そうしてばっと見上げた、くろえの顔は。
どこか嗜虐的で、いたずらが成功した子どものように、得意げな笑みを浮かべてた。
そうして、何も言えない私を置いて、王様ゲームは何事もなかったかのように続いてく。
「で、今の命令、結局無効か?」
「そうですね、最初っから配り直しましょう。あとなんか怪しいんで、シャッフルは白乃さん以外の人で」
「はいはーい! こはく! やりたいです!!」
「お、張り切ってんねー、こはちゃん。……木瀬も? 二人でシャッフルする? トランプ八枚しかないけど?」
「ん……!」
そうやってみんながワイワイと喋りあう中で、白乃さんはそっと輪の中から抜け出すと、私の隣にぽすんと腰を下ろしてきた。
…………未だに、顔が火照って何も言えない、私の隣に。
「いやー、やらかした、やらかした。悪いな灰琉。変なこと言っちゃって」
そう言いながら、彼女はどこかしたり顔な笑みを向けてくるけど。
「で、黒江の奴は命令やってた?」
私は顔を俯かせたまま、何も言えないでいた。
後でって……するの? 後で?
そんな気持ちを込めて、みんなの輪の中、何食わぬ顔でいつも通り過ごすくろえを見つめるけれど。
ちらっと振り返った妹の表情は、どこか愉しそうに綻ぶだけだった。
そして、そんな私たちを、隣に座る彼女は、ただ静かに眺めてた。
パーティはまだ、続いてく。




