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もう姉妹には戻れない  作者: キノハタ
第8章 わたしとあなた

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第90話 姉と悩む

 ガゴンと音を立てながら、自販機がその身を揺らす。


 微糖の缶コーヒーを自販機から取り出しながら、私は自分の分の小銭を自販機に入れていく。


 ……何飲もっかな。ブラックか、カフェオレか。


 しばらく空中で指先を遊ばせてから、結局決めあぐねて、白乃さんと同じ微糖にした。どっちつかずだから、普段はあんまり選ばないんだけれど。


 どことなく、曖昧な気分だったのかもしれない。気を引き締めたいわけでもなく、かといって緩めたいわけでもなく。


 そんな、どことなく地に足がつき切らない感覚のまま、冷たい廊下を独り歩いてく。もう少し陰り始めている、窓の向こうをぼんやりと眺めたまま。


 こつこつと自分の足元で響いているはずの足音が、どことなく遠く向こうで響いているように聞こえてた。


 



 ※






 「ん、ありがと」


 文芸部の部室に戻って、缶コーヒーを手渡すと、白乃さんは、そう静かに頷いた。


 私は、白乃さんの向かいの席にそっと腰掛けて、なんとはなしに自分の分の缶コーヒーの蓋を開く。


 しばらく、二人して、特に何を言わずに、コーヒーをすするだけの時間が流れる。


 「……で、最近どうだ?」


 そんな状況を察してか、白乃さんは苦笑気味に、そう私に尋ねてきた。…………これじゃあ、相談しに来たのに、上手く口に出せない子どもみたいだ。…………まあ、あながち間違いでもないんだろうけど。


 「…………慣れましたね」


 口から漏れた言葉は、別に嘘でもない。


 「ふーん、慣れたか。新しい生活に?」


 何気ない調子で会話は続く、そうなるように、整えられた声色で。



 「―――はるが、私を忘れたことに」



 声が口に出た瞬間、一瞬、ほんの微かな一瞬、空気が止まった。


 その停止が、ほんの少し、私の胸に針のような痛みを連れてくる。


 「………………そうか」


 白乃さんは、私の言葉に、あえて目立った反応はしてこない。それがせめてもの救いだろうか。


 「一か月も経つと、さすがに慣れてきました。そんなことより、はるが今、困ってることを何とかしなくちゃいけないし。学校も、家のことも、やるべきことは色々あるし」


 その大半を、今は人に委ねているわけだけど、それでもすべきことがなくなったわけじゃない。


 そうやって、はるのために何かをしていると、当たり前なんだけど、思い知らされる。はるの中には、もうかつての私がいないことを。


 「………………」


 「まあ、別にそれでいいとは想うんです。頑張るって決めたし、はるが昔してくれたことの恩返しみたいなものだから。それに、はるのために何かをしてあげるのは、結構好きです。ご飯作ったり、ちょっと慰めたり、困ってたら手を差し伸べたり…………でも」


 「……………………でも?」


 ふっと息を吐いて、天井を仰ぐ、眼元から雫が零れていかないように。胸の奥でじくじくと滲む痛みに、気を向けないために。


 「時々、ちょっと悲しくなります」


 零れた言葉は、我ながら平坦で、感情の一つも滲んでないかのような声だった。


 「………………」


 白乃さんは、どんな顔してるだろ、今はうまく見れないけれど。


 「ああ、はるは本当に何も覚えてないんだなって。一緒に料理したことも、想い出のコップも、いつも一緒に見てた朝のテレビも。何もかも、ぜんぶ、ぜーんぶ」


 「………………」


 眼元から熱い何かが零れそうになる。でもそれはじっと耐えていたら、喉の方に降りていってくれる。こうすれば、零さずにすむことを、私は知ってる。


 「そうやって、今のはるに、昔のはるを重ねちゃうのを、自覚するとちょっと嫌になります」


 理屈では解っていること。別にはるが忘れたくて、忘れたわけじゃない。今の記憶を失くしたはるが、悪いわけでもない。


 でも、ただ、それでも、はるの隣に居ると………………。


 「………………」


 ふと、情景が重なってしまう瞬間がある。


 喉の奥で必死に誰かが、戸を叩いているような、時がある。


 想い出してと、忘れないでと。


 罪も責任もない、あの人に、訴えてしまいそうになる時がある。


 そんなことは決して―――絶対に―――許されてはならないけれど。


 「でも、たまに……ちょっとだけ……想っちゃうんです」


 そんな理不尽で、謂れのない情動が。


 胸の内に、ふっと湧いてしまうことがある。


 「…………なるほどなあ」


 白乃さんは、少し何かを吐き出すように、ため息を吐く。


 …………少し、話を重くしすぎたかな。ちょっとしたお悩み相談くらいのつもりだったけど。


 「………………すいません、愚痴っぽくなりました」


 だから、そう軽く謝罪をすると。


 「別にいいよ、むしろちょっと安心した」


 白乃さんは、缶コーヒーを啜りながら、そういって静かに笑ってた。


 「…………安心?」


 ……どこに安心する要素があったんだ。


 「んー……そうだな、お前も案外人間だったんだなと」


 そう言って、白乃さんは少し意地悪気に瞳を細める。まるで猫か何かみたいに。


 「…………どーいう意味ですか? てか私、何に見えてるんですか?」


 そうやっかみを向けてみるけれど、白乃さんはけらけらと笑うばかりで、さっぱり怯む様子もない。


 「んー、なんだろな。ロボット? AI?」


 挙句に、そんなことを言ってくる始末だ。はあ、とため息を吐くけれど、脳内の琥白がうんうんと頷いてきやがる。うるさいなあ、八木原姉妹は。


 「そりゃあ、わるうございました。いつも冷血ですみません」


 思わず漏れた声は、どこからどう聞いてもぶーたれていた。くそう、人を何だと思ってるんだ。


 「はっはっは、拗ねるな、拗ねるな。…………まあでも実際、お前もそんな風に悩むんだなって、ちょっと安心したのは確かだ」


 そういってけらけら笑う白乃さんを半眼で見ながら、私ははぁとため息を漏らすばかりだ。


 「いや、悩むでしょ、普通に考えて」


 だから、そうぼそっと呟いたら。


 「そうだな、悩むな、普通」


 そう、当たり前のように返された。


 「………………」


 そんな白乃さんの言葉に、どうしてか喉が詰まってしまう。


 「…………私から見たら、まあそりゃそうだろうなって感じだ。昔の灰琉の姿も、まあ、そりゃあ思い出すだろ。多分、灰琉が逆の立場でも、同じようなこと思い出しているし。私や琥白でも、多分同じことしてる」


 そう言ってにっと笑いかけられて、思わずバツが悪くなって少し俯く。


 「まあ…………そう……なんですかね」


 我ながら、返事の切れがすこぶる悪い。


 「そう、普通だ。むしろ自然なくらいだ」


 言いながら、白乃さんは、こつんと音を立てながら、缶コーヒーを机に置いた。そのまま指で、バランスを取るように、からからと傾けて遊んでる。


 「………………」


 普通、自然、そうなのだろうか。こんな、どうしようもない想いが湧いてくるのに。それが許されていいこととは思い難いのに。


 「口に出して、本人にぶつけてないだけ、大層な話だ。私なら、ひと月で二・三回は探りを入れてるし、こはくなら五回は爆発してる」


 そう言って、白乃さんは傾きかける缶コーヒーを何処か、愉しむように眺めてた。倒れそうで倒れない、ギリギリを探るみたいに。


 「……………………そういうもんですか?」


 そう尋ねてみるけれど、返答はどこか察していたような気もする。


 「そういうもんだよ」


 言いながら白乃さんは、そっと笑ってた。どことなく、いつもはあまり見せない優しい表情で。


 私はしばらく、何も言えないまま、じっとその傾きかける缶コーヒーを眺めてた。倒れるか、倒れないかの境界を行ったり来たり、いつか倒れそうだけど、不思議と白乃さんの指でぎりぎりのバランスが保たれている。


 いっそ、倒れてしまえば楽なのだろうか。そう思ってしまう時もあるけれど。


 「………………」


 そう言うわけにもいかないんだよね。


 脳内で琥白が『じゃあ、私が貰うけど?』と意地悪な視線を向けてくるし。


 ふぅっと肩の力を抜きながら、私も手に持っていた缶コーヒーをこつんと置いた。


 そしたら、白乃さんはちらっと私の方を見て、変わらぬ調子で話を続ける。


 「………………灰琉には、昔のこと話してるのか?」


 その言葉に、微かに胸の奥が疼いたけれど、私は静かに首を横に振る。


 「…………まだほとんど話してないです。お医者さんが言うには、まだ不安定な時期だから、周囲が思い出させるのは負担が大きいだろうって―――」


 そう言った後、少しだけ、息を止めた。


 「それに多分……そうやって想い出させようとしたら、はるは、昔の自分になろうとしちゃう気がするんです。周りの期待に応えて、望まれた姿に、無理矢理なろうとするかもしれない……それが、少し怖いかな」


 私がそう言うと、白乃さんは静かに頷いていた。


 「………………そうか、まあ、そうだろうな」


 かつんと音を立てて、白乃さんの指から缶コーヒーが倒れた。ただ中身はもう入ってなかったらしく、カラコロとどこか空虚な音だけが響いてる。


 「私たちは……特に……『普通の姉妹』じゃないから―――」


 缶はゆっくりと机の上を転がっていく。カラコロと、まるで自ら堕ちていくみたいに。


 「―――もし、それを今のはるが知ってしまったら」


 どう―――なるのだろう。


 また、一緒になれるのだろうか。それとも、違う私達になるのだろうか。


 それならまだ、構わないけど。


 でも、きっと何より怖いのは。


 あの人が、自分の心を封じ込めて、私の隣で笑ったふりをしてしまうこと。


 昔のはるの真似をして、今のはるの心を抑えつけて。


 そうやって――――。


 缶が、机から、堕ちていく―――――。





 ピタリと。


 その瞬間に。


 白乃さんが、指で止めていた。


 そっと、小さく、何気なく。


 静かな微笑みを、浮かべたまま。


 「わからんな―――」


 そう言って、倒れた缶をゆっくりと立て直していく。指一つで、ふらふらと、とても静かに。


 「人がどう『なる』かだけは、誰にもわからん。今の灰琉が、どうなるか。昔の灰琉を知って、何を思うのか、どうなろうとするか」


 そうして最後に、カタンと音を一つだけ立てて、缶はそっと立ち上がる。


 「わからんな…………」


 そうして、白乃さんは珍しく、少し自信なさげに笑ってた。


 「…………」

 

 そんな先輩の表情に、私は何も言えないままで。


 「…………当の灰琉はどうなんだ、昔のことは、あまり知りたがらないのか?」


 何気なく紡がれる言葉の続きに、私は少しだけ目線を伏せた。


 「どう……なんでしょう。時々、知りたそうな顔をする時もあるんですけど、口に出して聞いてくることは、ほとんどないかな。一応、聞き返したりするんですけど、やっぱりいいって……」


 昔の話題が上がる時、はるの瞳はいつも、自信なさげに揺れている。その揺らぎを見ていると、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような感覚がする。


 「そうか……病院では、なんて言われてるんだ?」


 「…………本人が興味を持って聞いてくるまでは、控えた方がいいって。逆に、興味を持ったなら、教えてあげる時期かもしれないって」


 いつか、そんな時が来るのだろうか、もし仮に来たとして、私はちゃんと向き合えるのだろうか。


 机の上に少し突っ伏すように、頭を落とすと、ぽんぽんと手のひらが降ってきた。そのままわしわしと、どこか無造作に頭を撫でられる。少し情けないような気もするけれど、微かに安心している私もいる。


 問題は何も解決していない。というよりまだ、向き合うことすら始められていない。


 そのはずなのだけど。


 「琥白には内緒にしててくれな、あいつ、私がこういうのしてると怒るから」


 少しだけ、その手のひらの感触に、縋ってしまう私がいる。


 これから、どうなるのか、何も分からないけど。


 ただ言葉を漏らして、想いを零して、それを受け止めてもらってる、それだけで。


 少しだけ、気が抜けてしまう。


 「…………琥白、意外とお姉ちゃんっ子なんですか?」


 まるで白乃さんの妹みたいに、そうやって撫でられる。


 「いーや? 人にしてたら、ぶーぶー文句言う割に、自分がされるとぷんぷん怒り出す。子ども扱いするなーって」


 そんな言葉に、思わずぷっと吹き出した。


 そうして、二人で、どこか抑えたような小さな笑い声を漏らしながら。


 私はそのまま、髪がさらさらと撫でられる音の中、そっと眼を閉じていた。


 そうやって、撫でられる感触が、いつかのはるの手のひらと重なって。


 わからない、これからどうなるのかは、何一つ。


 はるが、私が、どうなるか。


 わからない、ままだけど。


 「でもなあ、黒江」


 「あの灰琉が、本当に、お前の心配してる通りになるかなあ?」


 そうやって、少し揶揄うような白乃さんの声は。


 どこか祈るようにも、聞こえた気がした。

 

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