優しい刑事
奇妙な酩酊感に足下がぐらつく。一瞬、膝から崩れ掛けたのを軸足に力を入れてもちなおすと、蓮腕はぎゅっとつぶっていた目を開いた。
気合い一発、元気で大きな声を出す。
「あのっ!いらっしゃいませこんにちは、時計屋の蓮腕と申します、時計のお買い上げありがとうございます――――!」
いろいろとすっとばした口上を高らかにあげる。
と、ちょうどその大きく開けた口に、弾丸が連射され進入した。蓮腕の舌の上をこすり喉をつらぬき、後頭部を通過して、少女のあたまがあったその位置、後ろの壁に食い込んだ。
「は……あえっ?」
あまりにも、唐突のことに、目をパチパチとさせる蓮腕。
今のはなんだろう?と、小首を傾げる。とたん、足下から現れた男の力強い腕に裾を捕まれて引き倒された。ただ通過していっただけの銃弾と違い男の腕は蓮腕の体をしっかりと掴み、床につっぷした頭を押さえつけられる。
「はにゃぁあっ?」
「静かに!伏せてろ!なにやってんだこのガキ!」
すぐ耳元で怒鳴られる。蓮腕は混乱しながら、なんとか首だけを真横に向けて、己の隣で伏した男を見やった。
四十がらみ、髭面の薄汚れた男である。仕立てのいいシャツにくたびれたジャンパー、ちっとも似合っていないだいだい色のネクタイ。土埃に汚れ、それが汗で溶け泥のように男の頬にはりついていた。精悍、といえなくはない鋭いまなざしの白目は血走って腫れているようだった。
「あ、あのーぅ……」
「静かにっ。くそっ、何でこんなところに子供が。頭を上げるんじゃねえ、撃たれる――――いや、いまさっきおまえ撃たれてなかったか?」
男も混乱しているようだった。ほふく前進でコンクリートの床をじりじり移動して、木箱のものかげに身を隠す。ふうと一息。
その肩のすぐ横、木箱の角を銃撃が削った。蓮腕はその轟音にびくりと身を震わせて、木箱に隠れる男の陰に体をかくした。
「な、な、なにこれ。なんで戦闘中なのぉ……」
今更のようにふるえるのを、男は息を整えながら見下ろした。亜麻色の髪にぽたりと男の汗が落ちた。
「……お嬢ちゃん、おまえさん、なぜひとりでこんなとこにいる。斉藤の娘、か?」
「斉藤……?」
「いま、うれしそうに鉄砲を撃ってきたあいつのことさ」
はあ、と生返事をし、蓮腕はひょいと顔を木箱の陰から出した。直後に銃撃され、眉間のあたりを打ち抜かれる。
男は絶叫して蓮腕の襟首を掴み引きずり倒した。
「何やってんだばかっ!危うく撃たれるところだっただろ!」
「あ、はい。ごめんなさい」
「ったく、次また当たったら死ぬからな、気を付けろよ!」
叫びながら、男は体勢をなおした。額の汗をぬぐい、深呼吸すると、懐に手を入れて、銃を取り出す。蓮腕はぎょっとした。
「あなたはコロシヤさんですか?」
「バカを言うな。俺は刑事だよ」
そういって、彼はニヤリと笑った。
「斉藤を知らないと言うなら、ちょうど今日にでもここへさらわれてきた娘か。かわいそうに。大丈夫だ、かならず家に帰してやるからな」
「は?えっと、いえ、私は……」
「もしも何か甘い言葉や、脅されていたとしてもそれは全部忘れろ。あいつはおまえさんくらいの子を誘拐しては好事家に売り飛ばしていた、真正の屑だ。いいな、かならず俺が、両親に会わせてやる。かならずだ……」
呼吸をあらげ、男は手の中の銃を凝視していた。鉄の塊を、あがめるように見上げながら、同時に親の敵のように憎らしげににらみ付けている。
「……あのう、鉄砲を撃つのが怖いんですか?」
蓮腕は聞いた。男は眉をはねあげて、
「あたりまえだ。人を殺す道具だぞ」
「だって、あの……相手は悪い人で、おじさんは、刑事さんでしょう。殺してしまってもなにも問題はないのでは?」
耳障りな音を立て、蓮腕の横の床が破片を散らした。相手がじれて打ち込んできている。男は舌打ちした。
「問題ならおおありだ。日本の警察ってのは、どんな状況であっても犯人銃殺が妥当になんかならねえよ。最低でもくそめんどくせえ始末書、もしかしたら降格、もしかしたら俺の方が懲役を食らうかもしれん」
「そんな――」
「いや、そんなことじゃない。人を殺すってのは――――命を奪うって言うのは――――善とか悪とかじゃねえんだ――――。……あっちは、そんな殊勝なこと考えちゃいねえだろうけどな」
「……はあ。でも、ドラマじゃ刑事さんはだいたい毎週発砲しているし、そういうものだと思ってました。そんなにイヤなら、刑事さんにならなかったほうがよかったのでは」
蓮腕の言葉に、男は半眼になった。
「おじょうさん。KYだとかって、学校でいわれたことない?」
そんなことを言われた。
「いわれてません」
きっぱり、蓮腕は答えた。
蓮腕は立ち上がり、木箱の陰から表に出た。銃撃をおそれもせずその身を投じ、たたずむと、懐から乳白色の円盤を取り出して掲げる。
「私は時計屋、です。あなたの過ぎた時間を過去へ戻すことができる、魔法の時計を作って売っています」
その口上は、すこし覚えたマニュアルとは違っていたが、きっと支障があるほどの大きな間違いでないのだろう。嘘が付けない時計屋はそう自分を納得させた。
刑事の男がぽかんと口を開けている。蓮腕は彼を置いてけぼりに、淡々とマニュアルを読み上げた。時計屋の言葉には、女神の魔法がかけられているとガレオンは言った。どんな現実主義者でも彼女らの言葉を信じる。購入するかどうかはともかく、時計が現実に作用することを疑わない。それは、時計屋が嘘を付けないことと引き替えに使える魔法だ。
複雑な機械の取り扱いはなんとか理解したものの、少女はそのちからをどうしても理解ができなかった。効果が理解できないものを、真剣になって勉強などできない。困り果てたガレオンは、彼女に「魔法です」という言葉を用いた。
「そうか、魔法なんですね!」
そう納得してからの蓮腕の技術発達はめざましく、少女は無事に時計屋デビューを果たしたのである。
横で聞いていた、亜郷の表情をみるに、それが見当違いのおかしな表現なのだろうと予測はついた。それでも、やはり魔法という言葉はわかりやすい。自分にわかりよいのだから、お客様もきっと、わかりやすくて、購買意欲をそそると思った。
果たして男は顎の無精ひげに手を当てて、数秒、深い思考へ溺れた。
「……で、それ、いつまで戻せるんだ?」
「さ……三十秒」
つぶやくように伝えると、男は盛大にひっくりかえった。その鼻先をあやうく銃弾がかすめ、あわてて物陰に隠れ直す。
「あのなあ。数日とか、せめて数時間前なら追走中に相棒とはぐれないようにできたかもしれんが、三十秒?そんなんで、いったいどうしろていうんだよ」
「私にもわかりませんよう。でもこれでなにかがなんとかなるはずなんです。それをあなたがわかってるはずです」
「は?」
「声を聞いたんです。私の持っているこの時計を求める声を。
あなたは考えていたはずなんです、この、たった三十秒時間を止めることができたらいいのにって。私はそれを聞いてきたのだから、必ずこの時計は、あなたにとって役に立つもののはずなんです」
「俺が……求めた?」
男は呆然とつぶやいた。蓮腕が手渡した小さな金属盤を見つめて自問自答していく。そして、低い声でうなった。
「そうか……そうだな。うまくいけば――――俺は死なず、奴を捕らえて、お嬢ちゃんもおうちに帰してやれるかもしれない」
まだ蓮腕のことを誤解したままで、男はにやりと、野生的な笑みを浮かべた。
「……手伝ってもらうぜ、時計屋さん」
男の申し出を、蓮腕はしっかりと胸に刻む。
少女の手には、自身で作った時計の円盤。彼女のすぐそばで、男が銃を構えている。
――斉藤は俺よりもはるかに銃撃戦になれている。射撃の腕よりもなによりも、ひとを撃ちころすという度胸があるってことだ。
俺はきっと、奴と対峙しても一瞬引き金を引くことができないだろう。
だけどもしも、一度自分が撃ち殺されたなら――――
「……俺が奴に撃ち込まれた、その瞬間に時計を作動させて時間を戻してくれ。そしたらすぐに俺はまた飛び出して、今度こそ、なんら気負うこともなく奴を撃てるような気がするんだ……」
蓮腕はごくりと息をのんだ。
「心の準備はいいかい、時計屋さん」
男がいう。蓮腕はうなずいた。
さん、にい、いちで、男が飛び出す。
銃を正面へ向ける。だがその手が凍り付いて動かない。硬直したかんばせの、額のどまんなかに、小さな穴が開いた。
蓮腕は目を見開いて、それを見届けた。
そして――――――
蓮腕は泣いていた。
作業場のテーブルに突っ伏し、顔を伏せて、とめどなく涙を流す。泣いても泣いても、時計屋の身体からは水分が尽きることなくあふれだし、家の床全体にうすい水たまりをつくった。彼女の靴の、かかとの厚みよりも深く床上浸水したところで、ログハウスの扉がひらいた。亜郷である。
「……なに。これ。きもちわるい」
そう呟いて、扉を開けたまま放置する。玄関口から水が流れ出て、床から水分が引いていく。
蓮腕のななめ向かいに腰かけて、書類仕事を始める。蓮腕はしくしくと泣き続けた。ゆっくり食事ができるほど長いことそのまま放置され、蓮腕はついに、自ら言葉を発する。
「……なんで? どうして? 私の何が悪かったの?」
亜郷は顔も上げない。
「私、ちゃんとやったのに。ちゃんと時計を動かしたのに。なんでだめなの?なにがいけなかったの?どうして、あの人は死んでしまったんだろう。イイヒトだったのに――――」
亜郷の笑い声がした。
「……目の前の惨事になんで死んだかも理解できないくせに、人の善し悪しなんてわかるんだ?」
「じゃあ、あのひとが悪かったっていうんですか!」
蓮腕は立ち上がって怒鳴りつけた。座っている亜郷のほうが目の位置が低くなり、彼女は視線を上げ、少女を見上げる。そして言った。
「なにいってんの?馬鹿なの?」
ぐ、と咽喉から声がでる。言葉をなくした蓮腕は、うつむき、しばし唇を噛んで沈黙をした。
ややあって、言葉を吐き出す。
「……時計を作動させるのは、間違いなく、うまくできたはず。刑事さんの頭に穴が開いて、絶命するよりも早く、私は時計を動かしたはず。
そして、時が戻った世界の中で、間違いなく彼は生きていたんです。傷一つない体でそこに立って、予定通り、今度は迷いなく銃を構えてまた飛び出していこうとしたんです。
……なのに、死んでしまいました。まだ撃たれてないのに。とつぜんバタンと倒れて死んでいました」
「……あんたが状況を理解できないのは、あんたが死について軽く考えているからでしょう」
亜郷が言った。蓮腕は濡れた瞳で女をにらむ。
「そんなことない。私はあの刑事さんが好きでした」
「……人は、死ねば、死ぬのよ」
亜郷の言葉は、意味が解らなかった。首をかしげる少女に、女は冊子にペンを走らせながら、つぶやく。
「命は一つ。事故であれ、意図した殺しであれ、ひとを撃てば死ぬ。撃たれたら死ぬ。一度死ねばもう戻せない。人は生き返らない。二度と出逢えないしやり直せない。命はとても貴重で、大切で、はかなくて、素晴らしいものだと――――――」
冊子をぱたんと閉じた。それを持って立ち上がる。
「あんたがそれを理解したとき、刑事さんとやらが何故死んでしまったのかわかるかもね。なんかわたし、あんたには永遠に無理な気がするんだけど」
「……」
「まあ客が結果としてどうであれ、今日あんたが売った30秒はちゃんと売上になってるから、気にする必要もない。時計屋は、時を戻す時計を作って売るまでが仕事で、客の幸せをプロデュースするのは仕事ではない。それは客自身が勝手にやることよ」
「……わかりました」
蓮腕はうなずいた。
「……時計屋の、みなさんの黒い服は、喪服なのですね……?」
立ち去りかけた亜郷が振り返った。
「……時を戻したいと、いうのは、お客様の強い願い。それはどんな状況でも、お客様本人にとっては人生がかかっているほど大事な時で――
私たちは、一歩間違えると人を死なせてしまう。だから……それを、ちゃんと忘れないように、みなさんは喪服を着て出かけるのですね?」
少女の呟きに、亜郷は、鼻で笑った。
「25%くらい正解、75%は見当違い。あんたって馬鹿のくせに自分が正解に近い思考ができるとおもってる、思い込みが激しいタイプだから、以後気を付けて、わたしにあまり話しかけないでくれる?嫌いなの」
「……はいっ。よぉくわかりましたっ」
蓮腕は亜郷の背中をにらみ、吐き捨てた。
亜郷があけた扉から、少女が作った涙の水はすっかりはけて、ログハウスの滑らかな木目が広がっている。
その床に仁王立ちになり、蓮腕は拳を握って、先輩時計技師の背中をずっと睨み続けた。




