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蓮腕の初仕事

 「ねえ高砂さん。どうしてみなさん、商売のときには、黒い服を着て出かけるのですか?」


 蓮腕の質問に、高砂はその美しい眉目になんとも微妙な表情を浮かべた。


 彼の今の服装は、エンジのコットンシャツに淡い水色のパンツ。すぐ近くでコーヒーを淹れていたガレオンは、紺色のシャツに網目の大きな白い鉤編みセーターだ。


時計屋たちは、けっこうお洒落なのである。それなのに、時計を売りに行くときには必ずそれぞれ、黒ずくめに着替える。しかし素材やデザインはバラバラで、制服というかんじではない。


 なにか決まりがあるのかと思ったが。


 「んー。別に、黒でなきゃいけない理由はねえよ」


 「そうなんですか。じゃあ、私は今日、この服で行ってもいいんですか?」


 そういって、己の服を摘まんで見せる。レモンイエロー地にオレンジのストライプ、同柄のリボンで腰を縛り、フォルムを整えたミニスカートのワンピースだ。ついさきほど、これを着て見せた時には、高砂は絶賛してくれたのだが。


 「べつに、蓮腕がそれでいいならいいよ」


 と、どこかつれない返事で肯定した。


 疑問が解けず、追及する。


 「じゃあどうしてみなさん黒い服を?それに、亜郷さん、あのひとは帰ってからも作業中も、いつもいつも黒服ですよね。やっぱりなんか理由があるのかなあ」


 高砂は、眉毛を左右非対称に傾げて口をつぐむ。どうやら困らせてしまったようだった。ガレオンが助け舟を出す。


 「そのへんにしてやりなさい蓮腕さん。あんまり返事に困る質問をしては、彼が可哀想ですよ。わたくしたちは嘘がつけないのですから」


 「うそがつけない?」


 今度はそちらへ聞きかえす。


 「ウソ、って、なんですか?」


 初めて聞く単語であった。蓮腕は、自分自身に関する記憶をない。かといって、言語知識にほとんど不自由はなく、固有名詞もほぼ彼らと共有の認識で会話ができていた。だが、これは初耳である。


 「嘘とはね。真実や事実とは違うことをわかっていて、そうでないことを人に話してしまうことをそういいます」


 「わざと間違ったことを言うのですか?なんのために?」


 「それはひとそれぞれ、そのときそのとき、なのでしょう。そうすることで、嘘をついた人間になんらかメリットがある……あるいは、嘘をつく相手への優しさ、かもしれません」


 「はあ。よくわかりません」


 「わからないでしょう。わたくしたちは、それを理解できないように作られているのです。嘘をつくという機能が女神によって取り除かれている。だが、本当のことを言いたくないことはありますよね。たとえば――――蓮腕さん、わたくしはゴキブリが大好きなので、ゴキブリが嫌いだというひとがいたらとても悲しくて泣いてしまうのですが、あなたはゴキブリが嫌いですか?」


 「え」


 蓮腕は、沈黙した。ガレオンは微笑んだ。


 「そう。ワタシモスキデスという嘘を言えない、けれどもやっぱり同意もできないとき、わたくしたち時計屋は黙るしかないのです。これをうまく遣えば、無言の肯定というフリをして結果的に嘘をつく、誤解を与えるということはできますがね。

 お客様、地上の普通の人間たちは、この嘘をごく当たり前に口にすることが出来ます。いつか悲しい思いをする機会があるかもしれませんが、先の例のように、優しい嘘というものもあるのですよ」


 「ええと。わかり、ました。はい、一応わかりましたけど。ということは、ガレオンさんも本当にあの、あのゴキブリが」


 蓮腕は言葉を飲み込んだ。老紳士の青い瞳が悲しげに揺れたからである。


 「さあて、行こうか蓮腕。お前の初陣に」


 そう言って、高砂が立ち上がった。


 蓮腕の手には、小さな金属の円盤が乗っている。


 光を反射しない乳白色の、手のひらより少し小さい円盤に、歯車のようなものが四つついている。素人目にはそれは特殊な仕事で使う懐中時計、のように思えるだろう、すべてがまったく別の方向へ針をむけている、それらがなんの計器であるかを、少女は知っていた。


 なぜなら彼女自身が、これを作り出したからである。


 処女作を見下ろして、蓮腕はのぼせたような声を出した。


 「ちゃんと動くかなあ」


 「それは大丈夫。ずっと見てた俺が保証するよ」


 高砂が言ってくれる。蓮腕は喜んだが、実をいうと彼の優しい言葉よりも、今ここにいない亜郷のせいで、不安はぬぐいきれないものになっていた。高砂、ガレオンの指導のもと必死で学んでいる間、亜郷はひとことも口出しをしていない。


 ガレオンいわく最高の技師という亜郷と向かい合って、それぞれの作業をしていると、亜郷の早さと丁寧さ、精密さ、そして集中力にうちのめされてしまう。亜郷は一瞬とも手を止めることもなく、それでいて長時間作り続けていた。完成した時計の性能が、自分の作品と雲泥の差なのは明らかである。


 時計は、ひとくちに時計と呼んでもその性能には差と種類がある。それぞれバラバラに動く計器、その素材と組み合わせは万通りに及び、高等なものを作るには技術が必要だった。


 亜郷がそのとき作っていたのは、二十年の時間を巻き戻すことができるもの。

 精神をすり減らしようやく完成した蓮腕の作品が叶えられるのは、たったの三十秒であった。


 「たった三十秒、時間を戻して、なんになるんだろ。誰も買わないよね」


 思わず弱音が出る。ガレオンが背中を押した。


 「ご心配なく。ちゃんと、あなたが持っている時計を欲するお客様のもとへ行けますよ。さあ、声を聴きに行きましょう」


 ガレオンらとともに、ログハウスから表へ出る。夜の森に、足元を流れる星屑の小川。促され、蓮腕は耳を澄ました。人の声が聞こえる。


 「聞こえた声に集中して、この小川へ身を投じてごらんなさい。その方のそばへ行けます。安心なさい、あなたが今持っている時計を求める者の声しか聞こえないのです」


 「わ、私の時計のお客様が」


 「気を付けろよ、蓮腕。嫌な客なら売らなくったっていいんだからな」


 高砂が言う。ガレオンが続けた。


 「蓮腕さん。以前にも話しましたが、念のためもう一度、あなたに女神のルールをお話します。忘れないでください。

 わたくしたち時計屋は、嘘がつけません。なので、答えたくないことを聞かれたら口をつぐめばよいのです。

 わたくしたち時計屋は、時計を求めたお客様とのみ会話ができます。存在も見えません。物に触れることは望めばできますが、生き物に干渉することはできません。

 わたくしたち時計屋は、お客様に最低限の説明を行い、契約の手順を踏む必要があります。自身の名を名乗ること、時を戻す時計であり、報酬は金銭ではないこと。そして言葉にするのでも思うだけでも大丈夫ですが、改めて、お客様に『時を戻したい』という意思を再度願い、時計購入を決断していただくこと。

 また、客が求めても、売らずに帰るのは時計屋の自由です。ただし客が求めていないのに、個人の判断で時計を使ってはいけません」


 「え?」


 最後の言葉に、蓮腕は疑問符を浮かべた。


 「おや。これはまだお話していませんでしたか。まあそういうことです。その時計は確かにわたくしたちが教えあなたが作ったものですが、その元々の技術は女神の叡智であり、材料は女神の財産です。社員とはいえ、商品を私用で使えば泥棒ですからね。これらの規則を破れば、あなたは時計屋の職を追われ、輪廻転生の希望を失います。虚無に落ち、存在が消滅するということです」


 蓮腕はうなずいた。怖い言葉で脅されても、正直ぴんとはきていなかった。客用の時計を自分が使う?客の時間を、蓮腕が個人的な願望で巻き戻す展開が想像できない。その表情をみて、ガレオンは憂いを引かせた。


 時計を胸に抱き、星屑の小川に対峙する蓮腕。

 時計を求める声は、想像よりもはるかに多く、遠くに迫る津波のように低い唸りとなって、蓮腕の耳へ届いた。


 ごうごうと唸る聲こえ。


 そのなかに、ひときわ甲高く鮮明に、蓮腕の耳に届く声がある。


 意を決し、少女は星屑の中へ身を投じた。



 それは、水ではなかった。濡れない。呼吸ができる。しかし確かに、水中を進むような陶酔感があった。目を開けてもなにか見て取れるものはない。ただ圧倒的な、膨大な黒い砂が、ずぶずぶと重い質感で蓮腕を飲み込んでいく。気を落ち着かせてみれば、黒い砂の中にちらちらと小さな光が見える。一握の黒に対し一粒二粒ほど、しかし分母が無限のようなものだ。数えることなど叶わない光の粒。そのうちのたったひとつが、蓮腕を呼んでいる。


 黒い砂の海を掻いたのはほんの一瞬だったのかもしれない。


 ふいに身が軽くなり、視界が開けた。


 夜の街である。蓮腕は上空およそ50メートルほどから、都会のビルヂングを見下ろしていた。

 光は地上から煌めいている。


 「待っていてね、お客様」


 蓮腕は高揚していた。


 時を戻したいと願う人間は、少なからず、現状を嘆いているはずだ。それを救う唯一の手段を、己は今手にしている。つたない処女作ではあるが、地上に置いて人知の及ばぬ奇跡であることは間違いない。


 待っていてね、困っている人。私があなたを助けてあげる。




 

 

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