第6話 跪くのはどっちだ
クオンとの、決着の回です。
ざまぁ、ではあるのですが。ただ痛快なだけにはしたくなくて、少しだけ、苦い後味も残しました。人が人を裁くというのは、どこか、やりきれないものだと思うので。
宙づりになった装甲車のドアが、内側から乱暴に蹴りあけられた。
クオンが転げるように外へ出てくる。仕立てのいい軍服はすっかり泥にまみれていた。髪は乱れ、顔は青ざめている。人を値踏みするようなあの冷たい目が、今はただ恐怖に見ひらかれていた。
這うように立ちあがると、クオンは腰の銃を抜いてめちゃくちゃに引き金を引いた。乾いた銃声が何発も響く。だが弾はメモリアに届く前に見えない壁ではじかれ、ぽろぽろと地面に落ちた。
「来るな! 来るなよ、化け物!」
わめきながらクオンはあとずさる。足がもつれ、無様に尻もちをついた。人を狩って笑っていた男の姿は、もうどこにもなかった。
ナユタはふと思った。この男の目に、自分たちは化け物に映っているのか。人を助けた者が化け物で、人を乾かした者が秩序を守る側。ずいぶんとねじれた世界だ。そのねじれが、この街をここまで壊してきた。
ナユタはゆっくりとその前に歩みよった。
足もとに乾いた抜け殻が転がっている。さっきまで人だったもの。名前があり、暮らしがあり、だれかの大切な人だった者たち。ナユタはそのひとつひとつをまたがず、よけて歩いた。踏みつけるわけにはいかなかった。
不思議と怒りは燃えあがらなかった。胸にあるのはもっと静かで冷たいものだ。目の前の男はガンツを乾かした。路地の子どもらを吸った。何百人もの嘆きを遊びのために刈りとった。それでもナユタのなかで、復讐という言葉はしっくりこない。
ただ、はっきりさせたかった。言葉にして、この男にわからせたかった。
誰が強くて、誰が間違っていたのか。
「立てよ」
ナユタが言うと、クオンはびくりと肩を震わせた。
「お前、さっき言ってたじゃん。世界は上と下に分かれてるって。狩る者と、狩られる者だって。秩序だって」
「ち、ちがう、あれは、そのっ……」
「で、どうなんだよ、今は」
ナユタは泥に這いつくばる男をまっすぐ見おろした。
「──跪いてんのは、どっちだ?」
クオンは答えられなかった。尻もちをついたまま見あげるその顔は、ついさっきまで自分が虫けらと呼んでいた少年をただおびえた目で見つめている。
「た、助けてくれ」
やがてクオンはしゃくりあげるように言った。
「金なら、いくらでもある! 高層区の暮らしを保証する! 食料も水も、好きなだけ! だから命だけは……頼む、死にたくない、死にたくないんだ!」
泥に額をこすりつけて、クオンは命乞いをした。神のように人を見おろしていた男が、今は地面に這いつくばり、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしている。
その様子を見て、ナユタはふと妙なことに気づいた。
この男も、死ぬのがこわいのだ。
あたりまえのことだった。だがそれなら、どうしてこの男は他人の命をあんなに軽く扱えたのか。自分の命と同じ重さだと、なぜ思えなかったのか。問いは胸の底に沈んだまま、答えにはならなかった。
ナユタはその姿を黙って見おろしていた。
この男に乾かされた人たちは、命乞いをする暇さえなかった。悲鳴をあげる間もなく色を失い、抜け殻になった。ガンツは最後まで立っていた。子どもらは「水、ありがとう」とだけ言って消えた。
なのにこの男は、こうして泣いて、わめいて、命を乞うている。自分だけは助かろうとしている。
ナユタの胸に、ようやくひとつの感情がこみあげてきた。怒りでも憎しみでもない。みじめで、小さくて、どうしようもない男。それがついさっきまで、自分たちを見おろしていた。
「あんたさ」
ナユタは静かに言った。声を荒らげる気には、どうしてもなれなかった。
「人を乾かすときも、そうやって頼まれたんじゃないのか。やめてくれって。助けてくれって。みんな、あんたにそう言ったんじゃないのか」
クオンの顔がひきつった。
「それをあんたは笑って聞いてた。遊びだって。収穫だって。……なあ、今のあんたの気持ちは、あのときのみんなの気持ちと、同じか?」
クオンは何も言えない。ただ、かたかたと震えていた。
「おれはさ、ついさっき、大事なものをなくしたんだ」
ナユタはぽつりと言った。なぜこんな話をするのか、自分でもわからない。ただ言わずにはいられなかった。
「この子はな、おれの、守りたいって想いから生まれたんだ。奪われて、それでも守りたいと願う気持ちが、かたちになった。おれは自分の持てるものを分けて、みんなを守ろうとした。あんたはみんなの大事なものを奪って、自分だけいい思いをしようとした。……そこがちがうんだよ」
声は震えていない。怒鳴ってもいない。ただ静かに、事実だけを告げていた。
「強いとか弱いとか、上とか下とか、そんなの関係なかったんだ。何を渡せるか。何を守れるか。それだけだったんだよ、最初から」
ナユタはふっと息を吐いて、背を向けた。
「メモリア。……こいつはどうすればいいと思う」
少女は小首をかしげてナユタを見た。その瞳には、答えを彼にゆだねるようなやわらかな色がある。決めるのはあなたです。そう言っているみたいだった。
それから宙づりの装甲車をゆっくりと地面に降ろし、クオンのそばへとことこと歩みよった。
「わたしは人を乾かすのは、きらいです」
メモリアはしゃがみこみ、クオンと目の高さを合わせた。
「でも、この人はたくさんの人を乾かしました。その人たちの戻らない明日を思うと、わたしはとてもかなしい」
少女の瞳が、すっと冷たくなる。
「だから、これは罰ではありません。ただのおしまいです。あなたがたくさんの人に与えてきたものをほんの少しだけお返しするだけ」
メモリアが人さし指をついと立てた。その先に、小さな光の珠が灯る。
「ま、待て! 待ってくれ! 僕は命令されただけで……シュナイダー様が、支部長がやれと……僕は、ただ──」
シュナイダー。
その名を聞いた瞬間、アーク・ドライブがナユタの手のなかでぴくりと震えた。頭の奥で機械の声が、小さく、けれど鋭くささやく。
『シュナイダー。……その名は記録にあります。あなたの、ご両親を』
声はそこで途切れた。
だがナユタには、十分だった。
ふり返ろうとした、そのとき。
メモリアの指先の光が、ぱっとまたたいた。
それきりクオンの命乞いの声は、二度と聞こえなくなった。
あとには金ボタンの軍服だけが、泥の上に残された。中身を失った、ただの布きれ。あれほどの力を誇っていた男の、なれの果てだった。
ナユタはその軍服をしばらく見つめていた。
風が吹いて、泥に落ちた金ボタンがちりりと鳴った。さっきまで声があり、体温があり、傲慢な笑みがあった。それが今は、ひとすくいの砂より軽い布きれだ。人ひとりの重さは、こんなにもあっけない。そのあっけなさの前で、ナユタはしばらく動けなかった。
勝ったという実感はなかった。すっきりもしない。ただ、やりきれないひとつの出来事が終わった。そういう感覚だけが胸に残る。人が死ぬのは、たとえどんなに悪いやつでも、気持ちのいいものではなかった。
広場に静けさが戻る。やがてどこからともなく歓声がわきあがった。白いのを倒し、残虐な将校を討った、小さな光の少女とひとりの少年へ。
人々がおそるおそる近づいてくる。かつて声を上げることも許されなかった人たちが、今は口々に礼を言い、涙を流し、ナユタとメモリアの手を何度も握った。
「ありがとう」「助かった」「あんたたちは英雄だ」
英雄。そんな大層なものではない、とナユタは思った。ただ目の前の子どもを助けたかっただけだ。気づいたら、こうなっていた。それだけのことだった。
だがその歓声も、握られた手のぬくもりも、胸の芯にはどこか遠く感じられた。
この歓声をガンツにも聞かせてやりたかった。生きていたら、欠けた歯を見せて、小僧にしては上出来だ、とでも言ってくれただろうか。もう確かめるすべはない。乾いた抜け殻になって、名前のひとつも残せなかった老人のことをナユタは歓声のただなかでひとり思った。
頭のなかで、さっきの言葉がぐるぐると回っている。
シュナイダー。両親を。
封じられた記憶の、いちばん深い場所で、小さな火がぽつりと灯った気がした。両親の顔は、まだ思いだせない。それでもその名前を聞いたとき、体の奥がたしかに熱くなった。
ナユタは隣に立つメモリアを見た。少女は何も言わず、ただそっと彼の手を握りかえしてくれた。その手のぬくもりだけが、今のナユタにとって確かなものだった。
崩れ落ちた白いのの残骸から、細い煙が一筋、立ちのぼっていた。
読んでくださって、ありがとうございます。
クオンの最後の言葉に出てきた「シュナイダー」。この名前、これからの物語の、鍵になります。覚えておいてください。次回は、少し、静かな回に戻ります。




