第9話:22:00 中南海の苛立ち
2026年12月24日、22時00分。
北京の中心部、中南海の地下深くにある中央軍事委員会の作戦会議室には、凍りつくような沈黙が降りていた。
壁面を覆う巨大な戦術モニターには、台湾海峡を中心とする戦況図が表示されている。しかし、そこに描かれた赤いシンボル群の多くは、作戦開始前の想定とは大きく異なる動きを見せていた。前進を示す矢印は台湾西海岸で停滞し、洋上の補給線にはいくつもの「機能不全」を示す警告が赤く点滅している。
「たったの一日。我が軍は初日で台北を陥落させ、総統府に五星紅旗を掲げる計画だったはずだ。この体たらくは何事か」
上座に座る最高指導部の声は低く、しかし明確な怒りを孕んでいた。
国内の不動産バブル崩壊と深刻な経済停滞。膨れ上がる民衆の不満を外へ逸らし、歴史に名を残す「祖国統一」を成し遂げるための、背水の陣たる電撃作戦だった。
沖縄の米軍基地を弾道ミサイルで完全に無力化した時点では、すべてが計算通りに進むはずだった。
作戦参謀の一人が、冷や汗を拭いながら立ち上がった。
「想定外の事態が二つ重なりました。一つは、日本の空母機動部隊の異常なまでの継戦能力です。新型空母あかぎを中心とする彼らの防空網は、我が軍のJ-20によるステルス侵攻を予想以上に阻害しています」
「最新鋭のJ-20が、自衛隊の旧式機に後れを取っていると言うのか?」
「いえ、J-20自体の性能は圧倒的です。しかし、敵は少数のF-35を前衛のセンサーとしてのみ運用し、後方に控える多数のF-15Jを『空飛ぶ弾薬庫』として連動させるハイローミックス戦術を徹底しています。先ほどは、このF-15Jの編隊によって対艦ミサイルの波状攻撃を受け、第3揚陸艦隊の補給船団が壊滅的打撃を受けました」
参謀の報告に、会議室の空気がさらに重くなる。
前線に送るべき弾薬や食料、そして後続の装甲部隊が洋上で海の藻屑となったのだ。台湾西海岸で血みどろの市街戦を展開している上陸部隊にとって、補給の断絶は致命傷を意味する。
「もう一つの想定外とはなんだ」
最高指導部の鋭い視線に射抜かれ、海軍司令官が重い口を開いた。
「海中からの攻撃です。台湾海峡の入り口で、正体不明の潜水艦による雷撃を受け、075型強襲揚陸艦が一隻撃沈されました。さらに先ほど、深海を高速で潜航する『巨大な何か』のソナー音を捉えましたが、こちらの対潜哨戒網を嘲笑うかのように、追跡を振り切られました」
「巨大な何か、だと? 通常型の潜水艦にそんな芸当ができるわけがない。米軍の原潜か」
「わかりません。音響データは米軍のバージニア級とは一致しませんでした。しかし、もしあれが戦域のど真ん中に居座れば、残された揚陸艦隊も身動きが取れなくなります」
日本国の極秘兵器である、やまと型潜水艦。その存在を中国側が知る由もなかったが、見えない深海の死神がもたらす恐怖は、確実に人民解放軍の足を止めていた。
「言い訳は不要だ。いかなる犠牲を払おうとも、台湾を制圧しろ」
最高指導部は立ち上がり、冷酷な決断を下した。
「前線のJ-20部隊に対し、日本の空母艦隊への攻撃をさらに激化させろ。そして、東部戦区のロケット軍へ通達。通常弾頭から戦術核への切り替え準備を整えよ。日米がこれ以上我々の歴史的使命を邪魔立てするなら、東シナ海を火の海にするまでだ」
作戦会議室がどよめいた。
戦術核の準備。それは単なる威嚇の域を超え、世界を終わらせかねない破滅へのカウントダウンを意味している。
しかし、この中南海での強硬な決定は、すぐさま最悪の形で外部へ波及することになる。
中国の核ミサイル部隊の不穏な動きを、衛星を通じて察知した国があった。
中国と歩調を合わせるように東欧で軍事演習を行っていた、ロシアである。極東のパワーバランスが完全に崩壊し、核の火が放たれるかもしれないという異常事態に、モスクワの指導部は極度の危機感を抱き始めていた。
戦火の泥沼化は、やがて大国同士の裏面工作という新たな政治劇の幕を開けようとしている。
残された時間は、あと26時間。




