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白雪×シークレット

四月十一日、月曜日の午後。

玄はイリスとともに、街外れの山奥に身を潜めていた。視線の先には、「立入禁止」の看板が掲げられた廃倉庫が、ひっそりと佇んでいた。

イリスの入手した情報によれば、海外から武器を密輸した組織がこの廃倉庫を拠点に、何やら不穏な計画を実行しようとしているらしい。

現場に到着してすぐ、イリスの情報が正確であったことが証明された。

廃倉庫の周囲には、数台の軍用ドローンと人型兵士ロボットが巡回しており、倉庫の入口付近では、粗暴な雰囲気を漂わせた男たちが、タバコをふかしていた。さらに、彼らのポケットの膨らみから、銃を所持していることがわかった。

玄は、イリスに軍用ドローンのハッキングを命じた。イリスはすぐさまドローンに遠隔から無線攻撃を仕掛けた。ドローンのセキュリティは脆弱で、イリスはたった数秒でその制御を奪い取った。さらに、相手に気づかれぬようドローンを巧みに操り、廃倉庫の天窓から内部を覗き込んだ。

そこには、二十人近い男たちが集まり、談笑している者や、真剣な表情で計画を練る姿が見受けられた。

その中で玄が一番気になったのは、計画を練っている人物の背後にある大きな布で覆われた“何か”だった。その“何か”は、一目でわかるほど巨大で、少なくとも五メートル以上はあるようだった。

それをイリスに調べさせようとした、その瞬間――。

玄は背後に人の気配を感じ、素早くハンドガンを抜きながら振り返り、瞬時に構えた。しかし、その姿を捉えた瞬間、すぐに銃口を下げた。

「アインス……!」玄は静かに言った。

 玄の背後に立っていたのは、〈フリーデン〉の仲間――アインスだった。

 アインスは、全身黒ずくめの装いに身を包み、短剣を操る暗殺者。〈フリーデン〉の中でもトップクラスの実力者だ。

「驚かせてすまない、シュバルツ」アインスはボソッと言った。

「わたしのほうこそ、ごめんなさい」玄はハンドガンをレッグホルスターに収めた。

 アインスは廃倉庫を鋭く見据え、小声で尋ねた。

「あれが、今回のファイント(標的)か?」

「ええ……。それより、あなたがここに来たってことは、同じ任務ってことよね?」

「ああ」

「よろしく」玄が言うと、アインスは短く「……ああ」とだけ返した。

二人のやり取りが一段落着くと、イリスが静かに声をかけた。

「シュバちゃん、奴らが動き出したよ」

他のエージェントがいる場合、イリスは玄のことを「シュバちゃん」と呼ぶ。

イリスが操作するドローンの映像には、散らばっていた男たちが次々と廃倉庫内へ集まっていく様子が映し出されていた。その中のリーダーと思われる髭面の男が、台の上に立ち、大きな身振りを交えながら仲間に語りかけていた。

「イリス、お願い!」玄が声をかけ、イリスは「了解!」と即答する。

 イリスは、廃倉庫周辺を巡回する残りの軍用ドローンと人型兵士ロボットに一斉にハッキングを仕掛けた。セキュリティを瞬く間に突破すると、すべてのドローンとロボットが音もなく機能を停止した。破壊を避けたのは、あとで〈フリーデン〉に持ち帰るためだ。

イリスは玄に視線を向け、親指を立てた。

玄は頷くと、「行くわよ、アインス」と声をかけた。

「ああ」

アインスは応じ、二人は突入を開始した。

二人は敷地の門を軽々と飛び越え、そのまま一直線に廃倉庫へと駆け抜けた。近づくと、視線を交わし、頷き合ってから二手に分かれた。

玄は廃倉庫横のプレハブの屋根に軽々と飛び乗り、そこを足場にさらに廃倉庫の屋根へと移動した。

アインスは廃倉庫の大きな扉のそばで身を潜めた。ここまで一切無駄のない動きだった。

玄は窓越しに廃倉庫内を見渡し、組織メンバー二十人の特徴と配置、さらには倉庫内の物資の位置まで瞬時に把握した。

廃倉庫の中では、髭面の男が依然として熱弁を振るっていた。他のメンバーも静かに耳を傾けていたが、髭面の男の隣に座る眼鏡の男が、わずかに顔色を変えた。

眼鏡の男はタブレット端末でデータを入力していたが、外の軍用ドローンと人型兵士ロボットが機能を停止していることにようやく気づいた。

 その瞬間、玄は窓を素早く開け、あらかじめ手にしていた煙幕弾を、立て続けに三発投げ込んだ。煙幕が地面に落ちると、瞬く間に廃倉庫内を覆い尽くしていく。

男たちは、突然視界を奪われパニックに陥った。銃を手に、視界の悪い中で発砲しようとする者がいた。しかしそのとき、髭面の男が「銃は絶対に撃つな!」と叫んだ。その声に圧倒された男たちは、寸前で引き金を引くのを思いとどまった。髭面の男はさらに、「倉庫の扉を開けろ!」と冷静で的確な指示を出した。

玄は扉を開けられる前に、倉庫内へ飛び込んだ。周囲には敵しかいない。玄は捉えた人影に一切の躊躇なく掌打を繰り出し、卓越した体術で次々と敵を戦闘不能にしていった。一人、また一人と、三秒とかからず沈んでいく。

途中、倉庫の扉を開けに向かう男に気づいた玄は、煙幕で見えない中、床を蹴る足音、そのわずかな反響だけで男の位置を割り出した。迷いなくハンドガンの一撃を放ち、弾丸を叩き込んだ。

玄は煙幕の中でも、敵の位置を正確に捉え、まるで視界が効いているかのように次々と敵を無力化していった。

十八人目の敵を倒した瞬間、玄の耳に、機械が動き出す音が届いた。音の聞こえた方に目をやると、視線の先には、煙幕の中でも薄っすらと見える何か大きな人型の影が映った。次の瞬間、その影が巨大な腕を薙ぎ払った。衝撃波のような風圧が発生し、煙幕を一瞬で吹き飛ばす。姿を現したのは、コックピットがむき出しになった大型の搭乗型ロボット。これが、大きな布に覆われていた“何か”の正体だった。

眼鏡の男がコックピットに搭乗し、操縦していた。その隣に髭面の男が立っていた。二人はわずかに高い位置から、鋭い視線を玄に向けていた。

 玄と男たちが互いに睨み合っているところへ、アインスも素早く飛び込んだ。アインスは玄の隣に立ち、逆手に持った短剣を構え、敵を鋭く見据えた。

「まさか、こんなものまであるなんて、思ってなかったわ」玄は冷静に呟いた。

 武器の密輸に関与していることは確信していたが、まさかロボットまで所有しているとは玄も予想していなかった。

ロボットの性能を確認するため、玄は廃倉庫の外で待機しているイリスを一瞥し、目で合図を送った。

イリスは頷くと、離れた場所からロボットを凝視し、目を光らせて性能や機種を分析し始めた。その結果、既存のどの機種にも該当しないことが判明した。つまり、彼らが作り出したオリジナルロボットだった。

 髭面の男は冷静に周囲を見渡し、被害状況を確かめた。

「まさか、たった一瞬でここまでやられるとは……!」

ロボットに搭乗する眼鏡の男は、驚きを隠せない様子で声を震わせた。

「なっ、なんなんだ! お前ら!」

「こいつらが何者だろうと、おれたちの計画が知られた以上、ここで始末するしかない!」

髭面の男は冷徹に言い放った。

「……そ、そうだな」眼鏡の男も頷き、少し落ち着きを取り戻した。

 一瞬の沈黙が流れ、倉庫内には緊張感が充満した。

「今すぐ手を引いてくれないかしら? 無意味な戦闘は避けたいの」玄は落ち着いた声で言った。

「それは無理な相談だ。おれたちは覚悟を決めてここに来ている。今さら後には引けねぇよ」

髭面の男は冷静に答え、眼鏡の男も無言で頷き、決意を固めた。

「そう……なら、一つ聞いてもいいかしら?」

「なんだ?」

玄は眼鏡の男に視線を向けて問いかけた。

「そのロボット……もしかして、あなたが作ったの?」

眼鏡の男は一瞬ぽかんとしたが、すぐに得意げに声を張り上げた。

「そ、そうだ! これはおれの最高傑作……お前らなんか、一瞬で殺せるぞ!」

その声は震えていた。

「確かに、武器が多く仕込まれているようね……」

玄はロボットを品定めするように見回し、容赦なく指摘した。

「――でも、どうしてコックピットをむき出しにしたの? それだと弱点が丸見えじゃない」

「金が足りなかったんだ!」

眼鏡の男は悔しそうに拳を叩きつけた。

「本当はコックピットも格好良く仕上げるつもりだった……なのに……」

「……そう、残念だったわね」

「くっそぉぉぉぉ!」

眼鏡の男は天井を見上げながら、本気の叫び声を上げた。やがて、静かに視線を下ろし、玄を睨みつけると、不気味に笑いながら言い放った。

「だが、それ以外は完璧だ! 今からそれを証明してやる!」

「そいつで暴れるなら外に行け! ここだと同志たちを巻き込む!」

髭面の男の言葉に、眼鏡の男は「了解!」と返し、ロボットの操縦桿を握った。手慣れた操作でロボットを動かし、倉庫入り口の大きな扉に向かう。両足の裏に付いているタイヤのおかげで車並みのスピードが出ていた。

ロボットは高速で突進しながら腕を引き絞り、巨大な拳を扉へと叩きつけた。その衝撃で重厚な扉を突き破り、そのまま外へと飛び出していった。

「アインス、あなた、どっちとやりたい?」玄は軽い調子で尋ねた。

「どっちでもいい」

「そう……それなら、わたしが決めさせてもらうわ」

玄は髭面の男と外のロボットを交互に見比べながら、「そうね……」と呟いた。そして、最後にロボットを見据え、指を差す。

「あっちのロボットにするわ」

「わかった」

アインスは頷き、髭面の男を見据える。

「そっちの男はお願いね」

「ああ」

 玄は倉庫の外へ向かい、アインスは髭面の男と対峙した。

ロボットの正面に、玄は静かに立った。自分よりはるかに大きなロボットを目の前にしても、一切物怖じせず、冷静に見据えた。

「惜しいわね……それだけの技術を持っていながら、犯罪に手を染めるなんて」

「お前におれの……何がわかるんだ!」

男が叫ぶと、ロボットは両手を脇に差し込んだ。そこから内蔵されているマシンガンを取り出し、玄に狙いを定め、一気に放った。

 玄はマシンガンの銃口をじっと見据えた直後、素早く地を蹴って左右に跳ぶ。弾丸の軌道を見切り、紙一重で躱し続けた。まるで閃光のような速さで銃撃の隙間を縫いながら、ロボットとの間合いを一気に詰めていく。

如何にマシンガンといえど、使う者が素人ならば、並外れた身体能力と洞察力を持つ玄に当たるはずがなかった。さらに、今回は運も玄の味方をした。

しばらくすると、ロボットのマシンガンから突然、異音が響いた。銃口から煙が上がり、発射音が途絶える。弾詰まりだった。

眼鏡の男は顔を青ざめさせ、動揺を隠せなかった。

その隙に玄は、ロボットとの距離を一気に詰め、コックピットに飛び乗り、素早くハンドガンを構えた。

男は驚きと絶望の混じった表情を浮かべ、玄を見つめた。

玄は男に反撃の隙すら与えず、眉間へ、迷いなく一発。男はそのまま意識を失った。

コックピット内のスイッチを切り、ロボットの機能を停止させると、イリスがそばに飛んできた。

「お疲れ、シュバちゃん」とイリスは声をかけた。

「イリス、この男を降ろして拘束して。あと、ロボットの分析も頼むわね」

玄が冷静に指示を出し、イリスは「了解!」と応じ、すぐさま取りかかった。

玄は軽やかにコックピットから飛び降り、廃倉庫の方へ視線を向けた。特に心配はしていなかったが、アインスの様子が少し気にかかり、ゆっくりと歩を進めた。

 廃倉庫の入り口に到着し、奥まで見渡すと、気を失って大の字に倒れた髭面の男と、無言でそれを見下ろすアインスの姿が目に入った。

 玄は歩み寄り、静かに声をかけた。

「お疲れさま、アインス」

「ああ」

玄は小さく息をつき、口元を緩めた。

玄、イリス、アインスが男たちを拘束していると、ほどなくして〈フリーデン〉の後処理班が到着した。

後処理班の彼らは、無駄のない動きで現場の状況を確認し、拘束された男たちを次々と運び出していった。

その様子を眺めながら、玄は深く息をついた。ようやく訪れた静寂の中で、ひと仕事終えた安堵を静かに噛みしめていた。


 色神のとある場所――一般人は誰も知らず、近づくことすら許されない地に、〈フリーデン〉の本部が存在していた。

 玄は任務完了の報告で、イリスとアインスとともに〈フリーデン〉本部に足を踏み入れた。

ロビーに到着した途端、玄の耳に馴染みのある甲高い声が飛び込んできた。

「シューバーちゃーん!」

そう叫びながら、玄に勢いよく飛びついてきたのは、白衣を身にまとった〈フリーデン〉のエージェント――『フィーア』だった。

玄は慣れた様子でその突進を見切り、半歩だけ身を引いて軽やかに躱した。

 フィーアは勢いそのままに、見事に床へとダイブした。

その直後、何事もなかったかのように、一色が微笑みながら姿を現した。手にはアタッシュケースが握られている。

一色はフィーアに微笑みかけ、「うふふ」と上品に笑う。優雅に玄へと視線を移し、丁寧に挨拶した。

「お久しぶりです、シュバルツ様」

「一色さん……本当に〈フリーデン〉を知っていたのね」

「はい。シュバルツ様に、嘘など申しませんわ」

 玄は警戒しつつも、その言葉を信じた。

本来、〈フリーデン〉の関係者以外、本部に入ることはできない。ましてや、護衛対象が自由に出入りするなど厳禁だ。一時保護であっても、内部の情報が漏れないよう厳重に管理されるのが通例だ。そのはずなのだが、一色は堂々と自由に本部内を歩いていた。

 玄は冷静に尋ねた。

「で……どうして一色さんが、ここにいるのかしら?」

「シュバルツ様に会うためですわ!」

「わたしに……? 何の用かしら?」

 一色は周囲に目を配りながら、小さな声で言った。

「ここでは少々都合が悪いので、場所を移しませんか?」

 玄はイリスと視線を交わした。イリスが真剣な表情で静かに頷くと、玄は一色に視線を戻し、深く頷いた。

一色は口元を緩め、「では、こちらへ」と先導した。

「あたしもついて行っていい?」とフィーアはすかさず尋ねた。

「すみません、フィーアさん。今回は、わたくしとシュバルツ様だけでお願いします」

「えー、二人だけなんてズルいー!」

 フィーアは駄々をこねたが、一色は軽く微笑みながら受け流し、向き直って歩を進めた。

「アインス……悪いけど、報告をお願い」

 玄が頼むと、アインスは無言で頷いた。

 玄は一色の後を追い、二人はロビーを後にした。


 空いている会議室に、二人は足を踏み入れた。

一色はドアを閉める直前、部屋の外に顔を出し、廊下の奥まで目を細めて見渡した。誰の姿もないことを確認すると、静かにドアを閉め、鍵をかけた。

向き直ると、左拳を顔の高さまで掲げ、スマートリングに「オーロラ、お願いします」と指示を出した。

その声に応じるかのように、スマートリングのエメラルドが光を放ち、淡いオーロラ色の輝きをまとった小さな妖精の3Dホログラムが現れた。その姿はイリスと同程度の大きさで、オーロラ色の髪が風もないのに揺れていた。彼女こそが、一色こがねのパーソナルAI『オーロラ』だった。

「了解、お嬢」

オーロラは答え、指を鳴らした。

すると、オーロラの指先から緑色の微粒子が、ふわっと部屋全体に広がった。以前、玄が見た“音を遮断する技術”と同じものだった。

しばらくして、オーロラは静かに言った。

「完了だ、お嬢」

「ありがとう、オーロラ」

準備が整い、玄と一色は、机を挟んで向かい合い、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。それぞれの隣には、イリスと3Dホログラムのオーロラが浮かんでいる。

「突然、お呼び立てしてすみません」

「別に構わないわ。それで、話って何かしら?」

「はい……」

一色は目を伏せたが、すぐに顔を上げ、真っ直ぐな瞳で玄を見つめた。

「実は……玄さんに、確認したいことがありますの」

「確認したいこと……?」

 一色は一瞬躊躇ったが、やがて意を決したように口を開いた。

「……実はここ最近、オーロラとともに、玄さんを詳しく調べさせていただきましたの」

「わたしを……?」

「はい……それで、知ってしまいましたの……その……玄さんの、秘密を……」

一色は心苦しそうな表情で言った。

「そう……」

玄のあっさりした反応に、一色は思わず目を見開き、息をのんだ。

「……驚かれないのですね?」

「ええ……」

玄の知られたくない秘密は、イリスが厳重に管理している。そのため、決して漏れるはずがないと、玄は確信していた。

一色が知ってしまった秘密は、おそらく、あらかじめ仕込んでいるダミー情報の一つだと判断していた。たとえば、幽霊が苦手、歌が下手、黒猫を見るとつい撫でたくなって周囲を忘れてしまうなど。

「そうですか……完璧に隠されていたので、てっきり最重要機密かと……。知ったときは、どうすべきか戸惑いましたが、少し安心しました」

一色は安堵の息をつき、最後に小さく呟いた。

「——白雪さん……」

 一色の口からその名を聞いた瞬間、玄は反射的にレッグホルスターからハンドガンを抜き、銃口を彼女の額に向けた。同時に、イリスも指を「パチン!」と鳴らし、音を遮断する粒子を加えて撒いた。オーロラが撒いたものと、種類の異なるもので、念には念を入れての対応だった。

一方、3Dホログラムのオーロラは、瞬時に一色の前に浮かび上がり、小さな体を広げて盾のように立ちはだかった。

一色は表情を崩さず、冷静そのものに見えたが、わずかに揺れる瞳が、その内心の動揺を物語っていた。

「あなた……今、何て言ったの?」

玄の声は低く、冷たい鋭さを帯びていた。その目つきは、標的を定めた狩人のようだ。

「……やはり、この名前は玄さんたちにとって、最重要機密でしたのね……」

一色は真っ直ぐに玄を見つめた。

「そんなに睨まれると、怖いですわ」

玄の様子を伺いながら続ける。

「心配しなくても、もう口には出しません。いくら音が漏れないとわかっていても、気になるでしょ――」

 一色の言葉を遮るように、乾いた銃声が、密閉された空間に鋭く響いた。

玄の放った非殺傷弾は、空気を切り裂く音を立てながらオーロラと一色の間をかすめ、背後の壁に激突して鈍い音を響かせた。

「そういう問題じゃないわ! あなたはわたしのことを知りすぎた!」

玄は強い口調で言い放ち、銃口を再び一色の額に向けた。

 オーロラは玄を睨みつけ、突撃する態勢を取った。

「オーロラ、手を出さないでください!」と一色は落ち着いた声で言った。

オーロラは指示に従い、ゆっくりと一色の横に移動した。

「申し訳ありません。驚かせてしまいましたわね」

一色は頭を下げ、謝罪した。顔を上げると、冷静に頼む。

「わたくしたちは、玄さんと争うつもりはありません。その銃を、収めていただけませんか?」

「あなたにはなくても、わたしにはあるわ!」

「ふふ、それは本心ですか?」

一色は背後の銃痕を横目に見やった。

「玄さんは、本当におやさしい方です。わたくしだけでなく、ホログラムのオーロラにも当てませんでした」

 次の瞬間、玄は迷いなく引き金を引いた。

弾丸は、一色の顔とオーロラの間を紙一重で通過し、背後の壁に小さな弾痕を刻んだ。

「わたしは本気よ。次は――外さない」

玄は冷徹な目で一色を見つめながら、銃口を彼女の眉間に合わせた。

一色はしばらく目を逸らさず、玄の視線を真正面から受け止めた。冷静な表情の奥に潜む緊張が、玄にもはっきりと伝わってくる。その瞳には、揺るぎない意志が宿り、静かな威圧感を放っていた。

しかし、やがて目を伏せ、深い溜息をつき、観念したように言葉を口にした。

「……わかりました。もう余計な詮索はいたしません」

再び玄に目を向け、開き直ったように言った。

「……けれど、わたくしはもう知ってしまいましたわ」

「問題ないわ」

玄は即答し、静かに銃口を下げ、レッグホルスターに収めた。

「あなたの記憶を消させてもらうから」

「記憶……ですか?」一色の顔に、一瞬、不安の色が浮かんだ。

「心配しないで。わたしに関する記憶だけを消すから。他の記憶はそのままよ」

「そんなことが……可能なのですか!?」

一色は目を見開き、驚きと好奇心の入り混じった声を上げた。興奮を抑えきれず、気づけば身を乗り出し、そのまま言葉を続けた。

「現代医学の手術や薬では、まだそこまでのことはできません。一体どうやって……?」

「余計な詮索は、しないんじゃなかったの?」

 玄が銃をちらつかせると、一色ははっと我に返り、元の位置に戻った。

「申し訳ありません、つい興奮してしまいましたわ」

 玄は少し気圧されたが、すぐに冷静さを取り戻し、平静を装った。

 この子……純粋な好奇心だけで、ここまで? ……厄介な性格ね。一体どこまで知っているのかしら……? それに、どうやって調べたのかも気になる。今後のことを考えると、確認しておいた方が良さそうね。

 玄はそう考え、口を開いた。

「その前に、確認したいことがあるわ」

「……何でしょうか?」

「あなた……わたしたちのことを、どこまで知っているのかしら? 嘘偽りなく、すべて話なさい」

 玄はイリスにちらりと視線を送った。それは、一色が嘘をつかないか監視するようにという無言の指示だった。イリスは頷き、一色を鋭く見据えた。

「そんなに警戒しなくても、嘘なんてつきませんわ」

一色は軽く笑いながら言った。しかし、すぐに真剣な表情に一変した。

「……そうですわね、一体どこまで知っているのか……正確にどこまでかは、わたくしにも判断がつきませんわ」

「質問が悪かったわね。訂正するわ。今、知っていることを、すべて話しなさい」

 玄が真剣な眼差しで詰め寄ると、一色も臆せず、その視線を真っ向から受け止めた。

「……わかりました」

一色はオーロラに視線を向けた。

「……オーロラ!」

 その声に応じ、オーロラは机の中央に移動して、宙にホログラムを映し出した。そこに浮かび上がったのは、玄、茜、天、翠――四人のプロフィールだった。

 映し出された四人のプロフィールは、本人たちが書いた内容と少し異なっていた。本来は、名前と生年月日、顔写真のみの簡素なもののはずだった。

しかし、オーロラが示した四人のプロフィールには、それぞれの性格や活動記録まで詳細に記されていた。まるで、誰かが独自に調査した情報をまとめたかのような記述だった。

一色はホログラムに目を向けながら語り出した。

「こちらの四人は、ここ数日の間に、わたくしが特に魅力を感じた方々です。お会いした瞬間、素晴らしい個性に心を打たれ、ぜひお友達になりたいと、心から思いましたの」

一色は玄に視線を移して続けた。

「ですので、独自に調べさせていただきました。お近づきになりたい一心で……」

玄の様子を窺いながらさらに続ける。

「しかし、調べている途中で、ある共通点に気づきましたの。皆さん、見た目も性格も違いますが……身長と体重が、完全に一致していることに!」

 部屋の空気が凍りつき、息をする音さえ聞こえないほどの静寂が訪れた。

「偶然同じだった、というだけの話じゃないの? 同じ身長と体重の人なら、他にもいくらでもいると思うけど……」玄は冷静に言った。

「はい。最初はただの偶然かと思いましたわ。ですが――」

一色が目で合図を送ると、オーロラは頷き、机の中央に四人の3Dホログラムを映し出した。そこには、身体の各部位の詳細なデータが数字で示されていた。

「こちらは、オーロラが独自に診断した玄さんたちの身体データです。……ご覧ください、すべての数値が、寸分の狂いもなく一致していますの。ここまで体格が一致するのは、あり得ません。オーロラの診断が間違っているわけでもありませんでした」

 玄は余計な口を挟まず、耳を傾け続けた。一色もそのことを察して喋り続けた。

「つまり、彼女たちは――同一人物、ということになりますわ」

一色は自信たっぷりに言い放ち、さらに、結論を言うつもりで、真っ直ぐな瞳で玄を見つめた。

「玄さん……あなたは多重――」

「もういいわ。……大体のことはわかった」玄は一色の言葉を遮った。

「……そうですか」

「つまり、そこのパーソナルAIに、わたしたちの身体情報を“無断で”解析させたのね?」

玄は淡々と言ったが、その声には冷たい刃のような鋭さがあった。

「はい!」

一色は悪びれるどころか、自分の行動を誇るように胸を張った。

玄は冷静に考えた。

 やっぱり……知られているのは、わたしを含めて四人だけのようね。……それなら、まだ大丈夫。

 一色が未知の脅威ではないことが確認でき、玄はわずかに胸を撫で下ろした。

……それでも、まだ腑に落ちない。わたしたちは、イリスが構築した防壁を常に身にまとってる。その防壁は、あらゆる干渉を遮断するはず。それなのに……このデータをどうやって集めたのかしら?

玄はオーロラに視線を向けた。

あの『オーロラ』とかいうAI……イリスと同等……あるいは、それ以上のスペック……? さすがに、柴乃ちゃんと桜ちゃん……それに、真白には気づかなかったようだけど、油断できないわ。

 一色こがねとオーロラの名が、玄の要警戒者リストに加えられた。

 玄が静かに考え込んでいると、一色は口を開いた。

「あの、玄さん。他にお聞きになりたいことはございませんの?」

「ええ、もう十分よ」

「そう、ですか……」

一色は少し残念そうな表情を浮かべた。ままだ話したいのか、それとも記憶を消されたくないのか――判別のつかない表情だった。

しかし、玄はそんなことを気にするほどやさしくない。すぐに次の行動に移った。

「それじゃあ、あなたの記憶を――」

「少し、待っていただけませんか?」一色は食い気味に言った。

「……そうね。最後に何か言いたいことがあるのなら、聞いてあげるわ」

玄は一色の思いを汲み取り、さらに言い添えた。

「ただし、二分だけね」

「に、二分だけですの!? わたくしは、もう少しお時間をいただけるかと……」

「それは無理な相談よ。あなたは、わたしたちのことを知り過ぎた。今すぐ、記憶を消さなければ、必ず秘密が漏れるわ」

「わたくしは、決して秘密を漏らしたりしません!」

「それを信じろと……? 無理ね。わたしはあなたのことをよく知らないし、誰も信用してないの」

「……本当に、そう思っていらっしゃるのですか?」

 その問いかけに、玄は一瞬、心が揺れた。それが表情に微かに現れたものの、すぐに意識して平静を装った。

だが、一色は玄のわずかな動揺を見逃さず、目を光らせた。

「知らないのは当然です。玄さんとわたくしは、一週間前に初めてお会いしたばかりですもの」

一色は柔らかい口調で言い、さらに真剣な表情で続けた。

「……だからこそ、これからわたくしのことを知っていただきたいのです。一人の友人として!」

「……どうして、わたしにそこまで?」

「玄さんが、とても魅力的なお方だからです!」

一色は身を乗り出す勢いで即答し、さらに言い添えた。

「茜さんも、天様も、翠さんも――皆さん、とても温かくて素敵なお方でしたわ!」

 一色の勢いに、玄は思わず身を引いたが、自分の大切な人たちが褒められたことが嬉しくて、わずかに口元を緩めた。

 それに気づいた一色は、目を輝かせながら、さらに畳みかけた。

「ぜひとも、玄さんたちのお力添えをさせていただきたいと思っていますの」

「お力添え……?」

「はい。玄さんは〈フリーデン〉、茜さんはスポーツ、天様は芸術、翠さんはお料理――それぞれの分野で、ご支援できればと存じますわ」

「生憎だけど、イリスだけで事足りているの。あなたの手を借りるまでもないわ」

 玄は若干心が揺れ、目を逸らしながら言った。

「わたくしは一色財閥の人間です。玄さんたちが簡単には入手できないものも、すぐにご用意できますわ」

一色は誇らしげに胸を張った。

「そんなものが必要だと思ったことは、一度もないわ」

「物とは限りません。普段では決して得られない、特別な体験をお届けすることもできますわ」

 その瞬間、玄の脳裏に、体験という言葉がよぎった。そのわずかな隙をつき、一色はさらに続けた。

「――楽しいことをたくさん経験すれば……きっと、“外の世界”に出たくなるはずですわ!」

 その意味深な言葉に、玄は思わず目を見開いた。

「一色さん、あなた――」

「いかがでしょう? わたくしと、お友達になっていただけませんか?」

玄が言い切る前に、一色はその言葉を遮るように、強引に言った。強い意志を込めた瞳で、真っ直ぐに玄を見つめる。

玄がなかなか考えをまとめられずにいると、一色はさらに言い添えた。

「もちろん、タダでとはいいません」

一色はオーロラと視線を交わし、頷き合うと、足元のアタッシュケースに手を伸ばし、それを玄に差し出した。

「これは……?」

 玄の問いかけに応じるように、一色は微笑みながらアタッシュケースを開けた。

中には、丁寧に固定されたハンドガンが収められていた。一見すると、玄が愛用しているものと同じ型のように見えるが、微妙な違いがあるようだった。

「こちらを、玄さんにプレゼントいたしますわ」

「……賄賂で釣ろうとしてるの?」

「そんなつもりはまったくありません。ただ純粋に、玄さんのお役に立ちたいと思っただけですわ」

 しばらくの間、玄は怪訝な表情でハンドガンを見つめ、ゆっくりと一色に視線を戻した。

「これは……受け取れないわ」

「……どうしてですの?」

「わたしの使ってる銃は特別製なの。弾は――」

「非殺傷弾を使用されているのですわよね。存じていますわ」

「ええ……だからこれは――」

「これも、人を殺めることはありませんわ」

一色は微笑みつつ、どこか含みのある口調で言った。

「ただし、使い方次第ですが……」

玄はその言葉に目を細めた。

「……どういう意味?」

一色は軽く微笑み、オーロラに視線を向けた。

「オーロラ、説明をお願いします」

「了解、お嬢!」

オーロラはふわりと机の中央に浮かび上がり、宙にハンドガンのホログラムを映し出した。銃の内部構造を分解するように表示しながら説明を始めた。

「この銃は、ただの銃と違って弾が存在しない。その代わり、中に小型のエネルギー生成装置が内蔵されてる。その装置がエネルギーを生成し、レーザーとして発射する仕組み……つまり、最先端のレーザー銃ってわけだ!」

「レッ、レーザー!?」

玄は思わず驚きの声を上げたが、すぐに冷静さを保とうと努めた。

「ああ……」オーロラは得意げに頷いた。

玄は落ち着きを取り戻し、冷静に尋ねた。

「……レーザーなら、なおさら人を傷つけてしまうんじゃないの?」

「たしかに、出力が高ければ人を傷つけるし、最悪、命を奪うことだってある。だが、それは使用者の腕次第だ。ちゃんと使いこなせば、人を傷つけることも、殺すこともない」

オーロラははっきりと言い切り、加えて補足した。

「さらに、この銃は攻撃だけじゃなく、敵を拘束したり、シールドを張って防御したりすることも可能だ。つまり、これ一つで、攻防のすべてを担えるってわけだ!」

「玄さんの腕前なら、これを使いこなせると確信しております。ですから、ぜひお受け取りいただきたいのです」

一色は微笑みながら言い添えた。その声には、期待と尊敬が滲んでいた。

 玄はレーザー銃に魅力を感じていた。

 レーザー銃……これは、なかなかの代物ね。おそらく、買おうとしたら、一つで数千万円、いや数億円は下らない。それをタダで貰えるなんて……こんなチャンス、もう二度と巡ってこないかもしれない。これが一色財閥の力……さすがね。

 玄は内心で感心しつつ、目の前にいる一色こがねという人物が、すごい人物であることを改めて思い出した。

ここは受け取るしかないわね。一色さんの厚意を無下にするわけにはいかないし……。きっと、より良い社会を作るのに役立つはず……決して、この銃に惹かれたわけじゃないわ。

玄は心の中で自分の考えを正当化しながら、銃にそっと手を伸ばした。受け取る直前、イリスを一瞥する。

イリスは無言で、じっと玄を見つめていた。おそらく、イリスには心を見透かされているだろうが、それでも玄は恥を忍びつつ、手を伸ばして銃を手に取った。

「ありがたく貰っておくわ。一色さんの期待に応えられるように頑張るわね」

玄は凛とした態度で言った。

 一色は目を輝かせるようにぱっと表情を明るくし、「はい!」と満足そうに頷いた。さらに、はっとして言い添えた。

「……実はもう一つ――いえ、あと四つ、受け取っていただきたいものがございます」

「え……?」

 一色はオーロラと視線を交わし、小さく頷いた。それを合図に、オーロラは宙に新たなホログラムを投影した。

映し出されたのは、玄、茜、天、翠の学生証だった。

「これは……?」

玄は目を見開き、ホログラムに映る学生証を見つめた。

「こちらは、玄さんたちの学生証です。これがあれば、いつでも色神学園に通うことが可能です。様々な学園施設を使い放題ですわ」

一色は微笑みながら言い、さらに言い添えた。

「すでに入学手続きは済ませておりますので、あとは、玄さんたちのサインをいただければ、完了ですわ」

「……茜たちの分まで」

「当然です。……なので、茜さん、天様、翠さんの意見も伺っていただけないでしょうか?」

「……どうして、わたしたちにそこまでするの? 会ったばかりのわたしたちに。あなたに、何のメリットがあるのかしら?」

 一色は一拍間を置き、真剣な表情で答えた。

「……わたくしは、未来ある子どもたちを支援することが、何より好きなのです。それが、わたくしにとって一番の喜びです。ですから、ぜひとも玄さんたちのお力になりたいのです」

 玄はイリスを一瞥し、一色の発言の真偽を確かめた。イリスは黙って頷いた。一色が本心から言っている、という返事だ。

 玄は思考を巡らせた。

イリスの目を誤魔化すのは不可能……つまり、彼女の言っていることに嘘偽りはない。秘密を漏らすつもりもなく、ただわたしたちの力になりたいだけ……。もしそれが本当なら、わたしたちにとってメリットは大きい。彼女の言った通り、いろんなことを経験すれば、『真白』が戻ってくるかもしれない。それに、みんなも学園生活に憧れを持っているようだった。……でも、これには常にリスクがつきまとう。秘密が漏れる危険、その弱みを利用される恐れ……。万が一、彼女が敵対者の手に落ちれば、わたしたち全員が危機に晒される。

 玄は一色に目を向け、さらに考え込んだ。

彼女がそんなことをするようには見えないけど、人間である以上、いつ裏切られるかわからない。……でも、そのときは桜ちゃんに記憶を消してもらえば済む話。……ここで決断するのは、まだ早い。すでに、わたし一人で決められる状況じゃないし、みんなにも意見を聞くべきね。その上で、最善の選択を探るしかない。

玄はそう決断した。

「わかった。一旦、みんなに相談してくるわ」

「本当ですの!?」

「ええ、少しだけ待ってもらえる?」

「もちろんですわ。いつまでお待ちしています!」

「この部屋に誰も近づけさせないように、しっかりと見張っててね」

「承知しました!」

「それじゃあ、ちょっと行ってくるわね」

「はい、行ってらっしゃいませ!」

 玄は椅子に深く身を預け、目を閉じた。満面の笑みを浮かべる一色の視線を感じながら、静かに呼吸を整える。やがて、意識が沈んでいき、全身の力が抜け、頭がすっと垂れた。


ゆっくりと目を開けると、玄はどこまでも続く広大な草原に立っていた。

心地良い風が吹き抜け、草花がさざ波のように揺れている。草原のあちこちには手入れの行き届いた花畑が点在し、色とりどりの花々が月明かりに照らされてほのかに輝いていた。

奥には、大きくて立派な山がそびえ立ち、その麓には、山が反射して映るほど透き通った湖が広がっていた。

ここは、玄たちの精神世界――『アルカンシエル』。

 玄は山に向かって静かに歩き出した。

しばらく歩くと、色鮮やかな花畑に囲まれた中心に、西洋風の白い東屋が姿を現した。

繊細な装飾が施された柱や、緩やかなアーチを描く屋根は、時を忘れさせるような優雅さを放っている。

中央の円卓と七脚の椅子は、誰かを待つかのように静かに佇んでいた。

 玄はそのうちの一つに腰を下ろした。そして目を閉じ、静かに念じた。

「緊急招集。今すぐ全員、円卓に集まって。相談したいことがあるの」

要件を伝え終わると、玄は肩の力を抜き、リラックスする。あとは、みんなが集まるのを待つだけだった。

 念じてから一分も経たないうちに、翠が現れた。

 翠はふんわりとした足取りで、ティートロリーを押しながら歩いてきた。

ティートロリーには、湯気を立てる飲み物と、美しく盛り付けられた手作りお菓子が並び、その香りが草原の風に乗って漂っていた。

翠は毎回、会議のたびに飲料やお菓子を用意し、場を和ませてくれる。

 東屋に到着すると、翠はクッキーやスコーンを皿に盛りつけながら、玄に話しかけた。

「こんな時間に会議なんて、珍しいですね。よほどのことがあったのですか?」

玄は一瞬、今すぐ話したい衝動に駆られたが、思いとどまり、言葉を選びながら答えた。「みんなが集まったら話すわ」

「そうですね。すみません」

 翠は微笑みながら、玄の前にコーヒーを差し出した。

「ありがとう」

玄はカップを持ち上げたが、指先がかすかに震えていた。息を整えながら一口飲むと、コーヒーの豊かな香りとほろ苦さが、心の奥に残る不安を少しずつ溶かしていった。

 次に現れたのは天だった。

空色のワンピースが風に揺れ、彼女の持つ穏やかな雰囲気が草原に溶け込むようだった。

天は玄の左隣、ひとつ席を空けた場所に静かに腰を下ろした。

「おはよう。こんな時間に会議なんて珍しいね」天は言った。

「急に呼び出してごめんね。忙しくなかった?」

「ううん、大丈夫。麓で絵を描いてただけだから」

「そっか……来てくれてありがとう」

「うん」

 翠は天の前にハーブティーをそっと置いた。

「ありがとう、翠ちゃん」天は微笑んだ。

「どういたしまして」翠は笑顔で答え、自分の分のお茶を淹れ始めた。急須から緑茶を湯呑に注ぎ、天の左隣の席に腰を下ろした。

 玄たちは翠の手作りお菓子を食べながら、残りのメンバーを待った。

 しばらくして、とんがり帽子にローブを身に纏った少女――桜が、桜色の髪を風になびかせながら、ほうきに乗ってゆっくりと降りてきた。

桜の登場に合わせるように、空気がふんわりと甘く香る気がした。

桜の姿が見えるや否や、翠は立ち上がり、手際よく飲み物の準備を始めた。

桜は着地すると、落ち着いた声で言った。

「ごめん。少し遅くなった」

桜は翠の隣の席から一つ空けて腰を下ろした。

「急に呼び出したのはわたしなんだから、謝らなくていいわ。それに、遅くもないから」

「あ、そうなんだ。よかった」

「桜ちゃんは、何してたの?」天が尋ねた。

「新しい魔法の開発……」

 桜が答えると、翠が彼女の前に、さくらラテをそっと置いた。

「ありがと」

そう言うと、桜は両手でマグカップを持ち、一口飲んだ。

「どんな魔法?」と天が再び尋ねた。

「えーっとね……」

そのとき、玄は桜の言葉を遮るように声をかけた。

「桜ちゃん!」

三人の視線が一斉に玄に向き、沈黙が流れた。

「何……?」桜は表情を変えず、淡々と玄を見つめた。

「あ、えーっと……」

玄は目を逸らし、言葉を詰まらせた。ふと、玄の視線がテーブルのお菓子に向かい、思わず逃げ道を探すように声を発した。

「このクッキーとスコーン、とても美味しいのよ」

玄は早口気味に言いながら、桜にお菓子の皿を差し出した。

「そう……」

桜は皿からクッキーを一枚手に取り、口に運んだ。しっかりと味わいながら、満足そうに頷いた。

「うん、美味しい。さすが、翠だね」

「ありがとうございます」

翠は少し照れたように微笑んだ。

またしばらくして、現れたのは柴乃だった。

柴乃は二頭の黒い馬が引く金色のチャリオットに乗り、戦場へ向かう女王のように、堂々と胸を張り、優雅に足を組んでいた。その姿は威厳に満ち、近づくたびにチャリオットの車輪が草原を軽やかに刻む音が響いた。

柴乃の姿が見えると、翠は立ち上がり、飲み物の準備を始めた。とはいえ、柴乃の好物は果汁一〇〇%のグレープジュースと決まっているので、ペットボトルを差し出すだけで済む。

チャリオットが止まるや否や、柴乃は声を張り上げた。

「皆の者!」

軽やかに降り立ち、胸を張りながら視線をぐるりと巡らせた。

「すでに集まっておるな。我の到着だ――出迎えよ!」

いつものように尊大な態度で言い放った。

わずかな静寂のあと、玄は冷静に答えた。

「来てくれてありがとう、柴乃ちゃん」

「クックック……我が大戦の最中に呼び出すとは、随分と偉くなったものだな、玄……」

「ごめんね」

「クフフ……謝る必要はない。我は寛大だ。まったく気にしておらん」

「恐れ入るわ」

「それに……緊急会議ならば、我がいなければ話が始まらぬであろう?」

「そうね」

 柴乃は翠と桜の間に立った。彼女の前には、すでに翠が用意したグレープジュースが置かれている。柴乃は胸を張り、右手を前に突き出して高らかに宣言した。

「さあ、緊急会議を始めようではないか!」

しかし、天が冷静に言った。

「あ……まだ、茜ちゃんが来てないよ」

「なに!?」

柴乃は目を見開いて驚いた。

「茜のやつ、我より遅いとは……けしからん!」

「ごめんね、柴乃ちゃん。もう少し、待ってくれないかしら?」玄は頼んだ。

「クックック、いいだろう。たまには待つのも悪くない」

柴乃は笑いながら答え、やっと椅子に腰を下ろした。

「柴乃……翠が作ったクッキーとスコーン、美味しいよ。食べてみて」

そう言って、桜はお菓子の皿を柴乃の前に寄せた。

「ふむ、そうか。そこまで言うのなら、一ついただこう」

柴乃はクッキーを一枚手に取り、口に運んだ。

「ふんふん、なかなかの美味である。さすが、翠といったところか……」

柴乃は感想を口にしながら、次々とクッキーやスコーンに手を伸ばし、食べ続けた。

「ありがとうございます、柴乃さん」

翠は笑顔を浮かべた。

 少し間を置き、遠くから「ブォン……ブォン……ブォォォン!」とエンジン音が轟き、徐々に近づいてきた。

その音は、自然豊かな景観にまったくそぐわず、東屋にいる全員の注意を引きつけた。視線の先には、威圧感たっぷりの大型バイクに跨る、茜の姿が現れた。

バイクの黒光りするボディは月の光を鋭く反射し、その姿はまるで、戦場を切り裂く漆黒の戦士のようだった。

大型バイクが近づくにつれ、次第に音が大きくなり、天はヘッドホンを装着して、心地良い音楽で耳を塞いだ。

 東屋の隣にバイクを停めた茜は、ヘルメットを脱ぎつつ一言。

「わりぃ、ちょっと遅れた」

頭をかきながら、玄の隣にドサッと腰を下ろした。

 翠は茜に紅茶を差し出すと、自分の席に戻り、天はヘッドホンを外した。

円卓にはあと一席だけ空きが残されていたが、玄たちは談笑しながら、束の間のティータイムを楽しんだ。

会話は自然と弾み、お菓子の皿が行き交う中で、場は次第に和やかな雰囲気に包まれていった。翠の手作りお菓子を頬張りながら、笑い合い、緊急会議を前にした穏やかなひとときを満喫していた。

「どれもうめぇな!」茜は呟きながら、翠の手作りクッキーを次々と口に運んだ。

「ねぇ、茜ちゃん。この絵、どう思う?」

天は先日描き終えた『七色の記憶』のレプリカを茜に見せた。

「んー、なかなかいいんじゃねぇか? あたしは好きだ!」茜は素直な感想を述べた。

「ありがとう」

 天は笑顔を浮かべ、次に翠に尋ねた。

「翠ちゃんは、どう思う?」

「とても素敵だと思います」翠は穏やかに微笑んだ。

「えへへ、ありがとう」

天は照れたように微笑みつつ、恥ずかしそうに目を伏せた。

 一方、柴乃と桜の会話も盛り上がっていた。

「桜よ、また新しい魔法を考えたんだが……」柴乃は言った。

「どんな魔法?」

 柴乃は椅子を抱え、桜のそばに寄った。

「汝は花を咲かせる魔法を使えたな?」

「うん」

「その花びらの形を保ったまま、雷に変化させて攻撃するのはどうだ? 小さく綺麗な雷の花が敵を囲い、一気に襲いかかる……名付けて『ペタル・エクレール』!」

桜は少し眉をひそめた。

「うーん……技の名前はともかく、綺麗な花を攻撃に使うのは……ちょっともったいない気がする」

柴乃は一瞬考え込み、口を開いた。

「……ふむ、確かにそうだな。すまない、忘れてくれ」

「でも、最初から花びらの形をした雷の魔法ならいいかも……」

「本当か!?」

「うん……やったことないから、今度試してみるね」

「ああ」

「他にもある?」

「もちろんだ! この前ゲームしてたときに思いついたんだが――」

 玄はみんなの様子を眺めながら、声をかけるタイミングを計っていた。

 ついに全員揃ったわね。どう切り出そうかしら……? 結論を先に言ったほうがいい? でも、いきなりだと刺激が強すぎてパニックになるかも。茜はともかく、天ちゃんが心配だわ。もちろん、他のみんなも……。それなら、まず経緯を説明するべきじゃかしら? でも……一色こがねと出会ったところから話すとなると、長くなりすぎて、肝心な部分を誰かが聞き逃すかも……それは絶対に避けたい。

玄の心拍は徐々に速まり、手のひらにはじっとりと汗が滲んだ。深く息を吸い、震える手をそっとテーブルの上で組む。静かに両肘をつき、目を細めて前を見据えた。その瞳には、何かを決意した強い光が宿っていた。

「全員、揃ったわね――」

 その声で、全員の視線が一斉に玄に集まり、静寂が訪れた。

「――それじゃあ、緊急会議を始めるわよ」

玄の静かで力強い声が響き渡り、一瞬で場の空気が引き締まった。

 しかし――。

 玄は全員の注目を浴びた瞬間、考えていたことがすべて飛んでしまった。

 あっ! しまった……何を言おうとしていたのか忘れちゃった……でも、今さら考えてもしょうがない。ここは潔く、はっきり言うしかないわね。

 玄は意を決し、はっきりと言った。

「……わたしたちの秘密がバレたわ」

 その瞬間、全員が目を見開き、唖然とした。

その光景を見た玄は、(……まずは、謝らなきゃ)と覚悟を決めた。

だが、その前に「何だよ、それ!」と茜が苛立ちの声を上げ、机を叩いて立ち上がった。

「ちょっと待って、ちゃんと説明するから!」玄も声を張り上げた。

 二人の激しい応酬に、天は肩をすぼめて怯えたように目を伏せた。

翠は天の肩にそっと手を置き、やさしく声をかけながら落ち着かせた。玄と茜に目を向け、冷静に声をかける。

「茜さん、玄さん、落ち着いてください」

 その声に、茜と玄は自身の言動を反省し、落ち着きを取り戻した。

その間、柴乃はあまりの衝撃に、白目をむいてその場で固まっていた。

桜は微動だにせず、何を考えているのかまったく読めない。だが、その瞳にはわずかに揺らぎがあった。

一呼吸置き、落ち着きを取り戻した玄は、みんなに向かって静かに語り始めた。

「秘密がバレたのは、今日の夜。一色こがねっていうお金持ちのお嬢様に……」

「一色」という名前に、茜は目を細め、天は眉をひそめ、翠は目を見開いた。

 玄は続けて言った。

「――正体がバレたのは、わたしと茜、天ちゃん、そして翠さんの四人。柴乃ちゃんと桜ちゃん、それに真白の存在には、気づいてないわ」

 その言葉を聞き、柴乃は胸に手を当て、ほっと息をついた。

「――どうやら、一色こがねのパーソナルAI『オーロラ』が、イリスの防壁を突破して、わたしたち四人の身体データを調べ上げたみたいなの」

 その瞬間、桜以外の全員が驚愕の表情を浮かべた。イリスの防壁が破られるなど、誰も想像もしていなかったようだ。

「チッ……あいつ、いつの間にそんなこと……」茜は舌打ちし、苛立ちを露わにした。

「まさか調べられていたなんて。まったく気づきませんでした。ごめんなさい」翠は申し訳なさそうに謝った。

「翠ちゃんだけのせいじゃないよ。わたしも全然わからなかったから……」天はすかさずフォローした。

「ええ、誰か一人が悪いなんてことはないわ」玄は付け足した。

「その通りだ! これは、我ら全員の責任である!」

柴乃は勢いよく言った。自分の正体がバレていないためか、やや強気に見える。

「そうだね。みんながそれぞれ活動している以上、いつかはバレるときがくる」

桜は淡々と言った。表情には出さないが、内心では気を遣っているのかもしれない。

「ありがとう、二人とも」玄は穏やかな表情で言った。

 茜は背もたれに寄りかかりながら、不満げに呟いた。

「あいつ、悪いやつには見えなかったんだけどな……」

「わたしも、そう思った」天がすぐに同意した。

「同感です」と翠も頷き、「そうね」と玄も続いた。

「我もだ!」柴乃も話の流れに乗り、「わたしも……」と桜も小さく手を挙げた。

「お前らは知らねぇだろ!」茜はすかさずツッコミを入れる。

 柴乃は少し照れたように頭を掻き、桜は無表情で口を閉じた。

沈黙のあと、茜は両手を叩いて全員の注目を集め、声を張り上げた。

「まあ、今さら後悔しても始まらねぇだろ。これを教訓にして、次から気をつけりゃいい」

「そうね」玄は同意した。

「よし! じゃあ今回も――桜が一色の記憶を消してくれたら、万事解決だな!」

 茜の発言後、全員の視線が桜に集まった。

少しの間を置き、桜は目を伏せながら小さく息をついた。

「あんまり他人の記憶を消すのは好きじゃないけど……仕方ないね」

「悪ぃな、いつもお前にばかり、面倒事を押しつけて」

「茜が気にすることじゃないよ。これは、わたしたち全員の問題なんだから……」

「そうだな……」

茜はそう呟きつつ、心苦しそうな表情を浮かべた。

 話がまとまりそうな雰囲気になり、このまま会議も終わりそうだと思ったその瞬間、玄は声を上げた。

「ちょっと待って!」

全員の視線が一斉に玄に向く。

「何だよ?」茜は眉をひそめた。

「実は、もう一つ……みんなに話さなきゃいけないことがあるの……ていうか、むしろここからが本題っていうか……」

玄は言葉に詰まり、視線を泳がせた。

「なっ!? まだ何かあんのか!?」茜は驚きを隠せなかった。

 その顔を見て、玄はさらに言いづらくなってしまい、言い淀んだ。

 すると、翠が柔らかい声で問いかけた。

「話したいことって、何ですか?」

 玄は翠に目を向け、そのやさしい微笑みに気づくと、覚悟を決めた。しっかりと前を見据え、ゆっくりと口を開く。

「……実は、一色こがねから、ある提案をされたの」

「提案……?」

茜は首を傾げ、翠はすかさず尋ねる。

「どんな提案ですか?」

 玄は一拍置き、はっきりと答えた。

「わたしたちの力になりたいって。もちろん、秘密は決して口外しないという約束で……」

「何だそれ? 意味わかんねぇ……!」茜が苛立ち混じりに言った。

「力になりたいとは、具体的にどういった感じなのですか?」翠が冷静に問いかけた。

「まだ詳しくはわからないけど、いろんな体験や物質的な支援をしたいらしいの。……一色こがねは一色財閥の孫娘。かなりのお金持ちで、何でもすぐに用意できるのは確かね」

「何であいつが、あたしたちのためにそんなことをする?」茜は鋭く問い詰めた。

「彼女……人を助けるのが好きみたいなの。わたしたちを支援することで、満足感を得たいんだと思う」

「過剰な利他主義だな」

「そうね」

「でもよ、秘密がバレた以上、その申し出を受け入れるわけにはいかねぇだろ?」

 玄は茜の指摘に反論できず、言葉を失った。

翠は顎に手を当て、一人で真剣に考え込んでいた。やがて玄に視線を向け、静かに口を開いた。

「……玄さんは、このまま一色こがねさんの記憶を消さずに、支援を受けてもいいとお考えなのですか?」

「……ええ、そう考えているわ」玄は少し躊躇いつつも、はっきりと答えた。

「はっ!? どういうことだ?」茜が驚いて問い返した。

 翠は玄の考えを推し量りながら言った。

「……彼女の支援を受ければ、今まで以上にいろんな体験ができる。上手くいけば、『真白さん』が戻ってくるかもしれないと、玄さんは考えているのですね?」

「……そうね」玄は頷いた。

翠の口から「真白」という名が出た瞬間、全員が反射的に視線を鋭くした。

「クックック……なるほどな! 実は我も、同じことを考えておったぞ!」柴乃は笑った。

「いや、何も考えてなかったでしょ」桜は即座にツッコんだ。

「た、たしかに……いろんなことを体験できるのはいいけど……でも……」

天は少し心配そうに翠を見つめた。

「秘密をバラされるリスクもありますし、それに……彼女が脅してくる可能性も……」

翠は冷静に指摘した。

「彼女はそんなことしない。イリスも同じ意見だったわ。翠さんたちも、そう感じたんじゃない……? それに、もし脅してきたり、バラされたりしたら――そのときに記憶を消せばいいんじゃないかしら?」玄は冷静に提案した。

「多くの人にバレたら、桜の負担が大きくなるだろ! 一人でも大変なのに……」

茜はすぐに反論し、桜に視線を向け、不安そうに続けた。

「それに……桜の仲間には、記憶操作が効かないやつもいるだろ!」

「それは……そうね……」玄は少し視線を下げた。

 気まずい沈黙が流れる。

やがて、全員の視線が自然と桜に集まった。

もしもの事態に陥ると、桜が一番の負担を背負うことになる。全員の不安と心配の混じった視線が向けられる中、桜は深く息をつき、ゆっくりと口を開いた。

「わたしは、玄の意見に賛成。こんな機会、二度とないかもしれない。少しでも『真白』が戻る可能性があるなら……わたしはリスクを取る」

桜は淡々と、しかしはっきりと言い切った。

しばしの間のあと、翠は同意した。

「桜さんがそう言うのなら、わたしも賛成です」

天も頷き、賛成の意思を示した。

「無論、我も賛成だ!」と柴乃も賛同した。

 唯一、茜だけがまだ納得いかない表情を浮かべていた。

桜は茜に目を向け、落ち着いた声で言った。

「茜……気遣ってくれてありがとう。わたしは大丈夫だよ」

「……チッ! お前がそう言うんなら、仕方ねぇ」

 茜はやむなく受け入れ、念を入れた。

「でも、絶対に無理はすんなよ!」

「うん」

「みんな、ありがとう」玄は感謝を伝えた。

 その後の話し合いで、玄たちはさらに細かい調整をした。

やがて、翠が両手を叩き、場の空気を切り替えた。

「話はまとまりましたね。では、玄さん。改めて、説明してください」

「ええ……」

玄は息を深く吸い込み、ゆっくりと口を開いた。

「まず、一色こがねの記憶を消さないまま、提案を受け入れてしばらく様子を見る。でも、彼女と接するときは、十分に注意すること。もし、彼女が怪しい行動を取ったら、すぐに情報を共有し、迷わず記憶を消す」

玄の説明に全員が頷く。

玄は続けた。

「今、正体を知られているのは、わたし、茜、天ちゃん、翠さんの四人だけ……。くれぐれも、柴乃ちゃんと桜ちゃん、そして真白の名前は出さないように、気をつけてね」

 天と翠は深く頷いた。

「お前も気をつけろよ」茜は言い返した。

「ええ」

玄は短く返し、さらに続けた。

「正直、一色こがねには、まだ多くの謎がある。彼女が何を考え、何を企んでいるのか、今の時点ではまったくわからない。だけど、真白のために利用できるのなら、そうするまで……。みんな、気を抜かないように行くわよ」

 玄の声かけに、全員が「了解!」と声を揃えて頷いた。

「これで緊急会議は終わり。お疲れ様」

 その瞬間、場の緊張感が一気にほぐれた。

再びお菓子に手を伸ばしながら談笑し、穏やかな空気が包み込んだ。

 玄は全身の力が抜け、椅子の背にもたれかかった。

翠はコーヒーの入ったマグカップを手に、玄へそっと差し出し、やわらかく微笑んだ。

「お疲れ様でした、玄さん」

玄は姿勢を整え、マグカップを受け取る。

「ありがとう、翠さん」

「クックック、でもまさか、我らの崇高なるミッション――『白雪×シークレット』に気づく者が現れるとは、正直驚いた」柴乃は意味深に言った。

「『白雪×シークレット』……? なんだ、それ?」茜は首を傾げた。

「なっ!? 以前、みんなで決めたではないか!」

「そうだっけ……?」茜は適当に返し、クッキーを頬張った。

 柴乃は桜に目を向け、慌てて尋ねた。

「桜は覚えているだろ?」

 桜が無言で首を傾げると、柴乃はがっくりと肩を落とした。

すぐに翠が歩み寄り、やさしく声をかける。

「柴乃さん、わたしはちゃんと覚えていますから、そんなに落ち込まないでください」

 柴乃は顔を上げ、潤んだ瞳で翠を見つめた。

「みどり~……!」

縋りつくように泣きついた。

さらに、天がすかさず声を上げる。

「わたしも覚えてるよ」

それに便乗するように玄も頷く。

その光景に、柴乃は次第に元気を取り戻した。

「まったく、しょうがない奴らだな。我が、今一度説明してやろう!」

 誰も頼んでいないにもかかわらず、柴乃は勝手に説明し始めた。

「我らはそれぞれ名前も性格も違う。だが、みな『白雪』だ。そして、真白の帰還という目的のために、我らは同じ秘密を抱えたまま日々を過ごしている。この秘密は、決して誰にも気づかれてはならない。つまり、これが――『白雪×シークレット』だ!」

 柴乃は手を突き出して堂々と宣言したが、誰も反応しなかった。

玄はコーヒーを一口飲み、茜はクッキーを頬張り、天と翠は笑顔で談笑し、桜は遠くの空を見つめていた。

「って、誰も聞いておらぬではないかっ!」柴乃は思わず叫んだ。

しばしの静寂のあと、茜は立ち上がり、東屋を後にした。そばに停めていた大型バイクに跨ると、フルフェイスのヘルメットを被り、「ブォンブォン」と重厚なエンジン音を響かせた。

「じゃあ、あたしは行く。またな」

茜はそう言い残し、エンジンを唸らせた。重厚な音を響かせながら、山道へと走り去っていった。

翠は円卓のティーセットやお菓子の皿を片付け、天も手伝っていた。二人は片付けが終わると、一緒に歩いて帰って行った。

柴乃は桜のほうきに乗せてもらい、そのまま空高く飛び去っていった。チャリオットと馬の姿は、いつの間にか消え去っていた。

 さっきまで騒がしかった円卓は、一転して無音になった。

 玄は深く椅子の背もたれに寄りかかり、天井を見上げた。木組みの屋根が組まれた東屋の天井が、視界に映る。玄が静かに指を鳴らすと、屋根がゆらりと溶けるように消え、頭上いっぱいに夜空が広がった。無数の星々が瞬き、いくつもの流れ星が静かに夜を裂くように尾を引いていた。

玄はきらめく星空を見上げ、声に出すのも躊躇うように、そっと呟いた。

「真白……いつになったら、戻ってきてくれるの?」

瞳を揺らしながら、そっと腕で顔を覆った。そのまま静かに目を閉じ、こぼれそうな想いを押し殺すように、ゆっくりと呼吸を整えた。


 目を開けると、最初に視界に入ったのはイリスの姿だった。

「おかえり、玄ちゃん」イリスはやさしく微笑んだ。

「ただいま……」

玄は疲れた声で小さく答え、ゆっくりと視線を下げ、正面の一色とオーロラを見た。

一色はそわそわと落ち着かない様子だった。眉間に小さなシワを寄せ、不安げに視線を泳がせながら、手のひらを何度も擦っている。普段は堂々と目を合わせてくる彼女が、今はそれすらできていない。背筋こそ伸びているものの、その姿からは隠しきれない緊張が滲んでいた。

一色の様子を見た玄は、ひとつ深く息をつき、真剣な表情で見据えた。そして、自ら口を開いた。

「一色さん、あまり長く話すつもりはないから、結論から言うわね」

「はっ、はい!」

一色は膝の上の拳を強く握りしめ、息を潜めて待った。

「わたしは……」

言葉を飲み込んだ瞬間、部屋の空気が張り詰めた。

「――わたしたちは……」

少し間を置き、玄は真剣な眼差しを向け、言葉を続けた。

「一色さんの提案を、受け入れるつもりよ」

 その言葉を聞いた瞬間、一色の表情がぴたりと固まった。目を見開いたまま、まるで時間が凍りついたかのように、動きを失った。

しかし、数秒後——。

「ほ、本当によろしいのでしょうか……?」

まるで信じきれないというように、声がかすかに震えていた。その声には驚きと安堵、そして喜びが入り混じっていた。

「ええ、みんなで話し合った結果よ」

 一色はオーロラに視線を向け、しばらく見つめ合った。オーロラが得意げに頷くと、一色はゆっくりと玄に視線を戻した。次の瞬間には、満面の笑みを浮かべ、瞳を輝かせた。さきほどまでの不安はすっかり消え去り、身を乗り出して玄の手を握った。

「あっ、ありがとうございます! 全力でお力添えさせていただきますわ!」

「それはこっちのセリフよ。これからよろしくね」

「いえ、とんでもありません。こちらこそ、わたくしのわがままにお付き合いいただくのですから……」

「それもそうね……」

 玄がすぐに同意すると、一色はくすっと笑った。

「あっ、でも……もし、わたしたちの秘密を漏らしたり、何かおかしな行動を取ったりした場合は――」

「承知しております。そのときは遠慮なく、わたくしの記憶を消してください」

一色は被せるように言葉を重ね、覚悟を決めた瞳で玄を見つめた。

玄は一色と固い握手を交わした。その温もりは、確かな決意と覚悟を感じさせた。

 こうして、玄、茜、天、翠の四人は、一色こがねとともに新たな一歩を踏み出した。その先にどんな未来が待っているのか――まだ、誰にもわからない。



読んでいただき、ありがとうございます。

次回もお楽しみに。

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