茜の秘密
四月五日、火曜日の午前。暖かい日差しが降り注ぐ中、茜は『色神学園』のサッカーグラウンドに立っていた。
相手チームのパスミスを見逃さず、茜は鋭い反応でボールを奪い、一気にゴールへ向けて駆け出した。背後から迫る相手選手の足音が聞こえるが、茜のスピードには誰も追いつけない。ゴール前の相手選手は残り二人だった。
ディフェンダー二人の姿を視界に捉えた茜は、瞬時に動きを予測し、一人目をマルセイユ・ルーレットで、二人目をヒールリフトで華麗に抜き去った。そのまま浮かせたボールが落ちる前にダイレクトシュートを放った。ボールはキーパーの指先が届かないゴールの右上隅に突き刺さった。これが決勝点となり、茜のチームは見事勝利した。
試合終了後、更衣室で着替えていた茜は、チームメイトに囲まれ、勧誘を受けた。
実は――茜は、サッカーチームに所属していない。この日、サッカーチームのメンバー数名が、怪我や体調不良で練習試合に参加できなくなっていた。このままでは人数が足りず、試合が中止になりかけていたのだが、直前で茜に声がかかり、緊急参戦したのだ。
茜はきっぱりと勧誘を断り、素早く着替えを済ませると、更衣室を後にした。更衣室を出ると、妖精型のパーソナルAIロボット『イリス』が、茜のそばに飛んできて、肩にそっと乗った。
「なあ、イリス。今日のあたし、どうだった?」と茜は軽く尋ねた。
「すごく良かったよ! あんなアクロバットな動き、プロでもなかなかできないから! それに茜ちゃん、とっても楽しそうだった」とイリスは興奮気味に答えた。
「そっか……」と茜は満足げに頷いた。
「でも、ちょっと目立ち過ぎちゃったかも……」とイリスは少し困ったように指摘した。
茜はイリスの指摘を軽く流すように、「サッカー楽しかったな……意外と好きかも!」と呟いた。イリスに視線を向けると、「真白も、サッカー好きかな?」と問いかけた。
「うーん、どうだろう?」とイリスは返した。
「好きだといいな……」と茜が呟くと、「そうだね」とイリスは微笑みながら頷いた。
「イリス……このあとの予定は、何だっけ?」
茜が思い出したように尋ねると、イリスは予定表のホログラムを宙に映し出し、それを見ながら答えた。
「このあとは、色神学園セレスティアボール部の助っ人だよ」
「セレスティアボールか……」
茜は少し心が躍りながら、次の目的地へ向かった。
広場に着いた茜に、ベンチに座っていた二人の少女が気づき、すぐに駆け寄ってきた。
茜たちはまず、簡単に自己紹介を交わした。
「あたし、姫島やなぎ!」と茶髪の少女は元気に言った。
「国東なのはです……」と黒髪ショートヘアの少女は呟いた。
「茜だ」と茜は返した。
「よろしくね、茜ちゃん!」と姫島は笑顔で言った。
「ああ……」と茜は頷いた。
今回チームメイトになる姫島やなぎと国東なのはは、色神学園で出会い、すぐに仲良くなったという。茜より一歳年上の高等部二年で、姫島は元気で活発、国東は穏やかでやさしい印象を受けた。
軽く挨拶を交わしたあと、グラウンドへ向かう道すがら、姫島がセレスティアボールのルールを簡単に説明してくれた。
セレスティアボールは、ほうき型ドローン技術の進化によって生まれた新しいスポーツである。基本ルールは五人制だが、三人制や十人制などの大会も定期的に開催されている。
競技者は『セレスター』と呼ばれ、特殊スーツを身にまとい、動きやすい短めのローブを羽織った上で、専用のほうき型ドローン『ブルーム』に乗る。手には先端が網目状に広がった棒『スティック』を持ち、直径約七センチのボールを奪い合いながら、ゴールを狙う。
試合は前後半それぞれ十五分間、合計三十分で行われ、最も多く得点したチームが勝者となる。同点の場合、延長戦が行われ、それでも決着がつかない場合は、各チームの代表選手が一対一で直接対決を繰り広げ、勝敗を決定する。
試合中、過剰な体当たりやスティックで相手を叩く行為、フィールド外に出る、地面に足をつけるなど、選手の安全を脅かす危険な行為はすべて反則とされ、違反が確認されるとファウルが適用される。繰り返し行うと、一定時間の退場が課せられ、悪質な場合は退場時間が延長される。
フィールドの広さは参加人数や大会のルールによって異なる。五人制では、コロッセオを彷彿とさせる巨大な楕円形の競技場が使用され、縦80メートル、横50メートル、高さ80メートルで行われる。
自陣の背後には、ホログラムで構成された円形ゴールが設置され、フィールド内にはホログラムで作られた障害物が浮かび、試合ごとにその内容が変化する。
競技用のスーツ、スティック、ボールなどにはすべて高度なAIセンサーが搭載されており、ホログラムの当たり判定をリアルタイムで正確に行う。
競技用スーツは優れた衝撃吸収性能を持ち、万が一セレスターがブルームから転落しても、怪我を防ぐ設計が施されている。これにより、セレスティアボールは誰でも安全に楽しめるスポーツとなっている。
競技用のほうき『ブルーム』は、一般的なほうきよりも圧倒的に速く、細かい動きも可能だ。その卓越した性能を活かし、スピード感溢れるダイナミックな試合が展開される。飛行技術、スティック操作、反応速度など、高度な技術と身体能力が必要とされている。選手たちがブルームで空を駆け抜けながら、ボールの行方を追うのは至難の業だ。超速シュートや激しいコンタクトが特徴で“天空最速の格闘球技”と呼ばれる。
セレスティアボールは、特に学生や若者の間で熱狂的な人気を誇るスポーツであり、オリンピックの正式種目にも採用されている。また、ほうき型ドローンのスポーツには、スピードレースや、飛行の美しさを競う空中アクロバット競技も存在する。
今回の試合は、三対三の少人数戦で行われることになった。フィールドは通常より狭く、試合時間も二十分に短縮されており、スピード感のある展開が求められるルールだ。
茜は試合前に、この少人数戦のルールをしっかりと頭に入れた。
グラウンドに到着した茜は、近くの更衣室で専用スーツに着替え、ブルームとスティックを借りて、姫島と国東と少し練習を始めた。初めての競技だったが、すぐにコツを掴み、自在に飛び回れるようになった。ほうきに乗りながらスティックを巧みに操り、ゴールを狙う。飛行スピードや力加減などの細かい感覚を頭に入れた。
茜は練習をしながら、姫島と国東に今回の作戦について尋ねた。しかし、話し合いの途中で相手チームが到着し、姫島がギリギリのタイミングで「なるようになる!」と答えた。それを聞いて、国東も頷き、茜も「まあ、そうだな」と続けて頷いた。
茜、姫島、国東、そして相手チームの三人はグラウンドに整列し、向かい合った。相手は全員、自信に満ちた笑みを浮かべていた。
スーツには番号があり、姫島が1番、国東が2番、茜が3番になった。エースナンバーは1。茜たちは、自分の番号と同じ選手を担当することになった。
全員の準備が整い、練習試合の開始時刻になった。
姫島がタブレット端末を操作し、今回の試合会場を設定し始めた。慣れた手つきで瞬く間に設定を終え、最後に画面をタップすると、グラウンド内にホログラムで作られた岩が次々と浮かび上がっていった。大小さまざまな形の岩が宙に浮き、試合フィールドを立体的に構成していく。低い位置にある岩は障害物として、高く浮いている岩はセレスターたちの飛行ルートを制限する役割を果たしていた。
三人制の試合に合わせ、フィールドは縦50メートル、横30メートル、高さ50メートルの楕円形に設定された。ホログラムのゴールはフィールドの両端、高さ25メートルの位置に浮かんでいた。
試合時間は、前後半合わせて合計二十分。限られた空間と時間で、どれだけ自分たちの力を発揮できるかが勝利の鍵となる。
配置につく直前、イリスがふわりと茜のそばに現れた。「茜ちゃん、頑張ってね」と、やさしい声で応援した。
「ああ」と茜は短く返した。
茜たちはブルームに跨り、起動すると、地上二十メートルの高さまで静かに上昇した。姫島が中央に位置し、国東がその左、茜が右に広がる形で待機した。それぞれの選手が間隔を取りながら空中に並び、試合開始を待った。対する相手チームも、エースナンバー1の選手を中心に、それぞれ同じ番号の選手が正面に待機した。
フィールド周辺には、練習試合を見に集まった色神学園の生徒たちが詰めかけていた。中には校舎の窓から試合を見守る生徒たちもおり、フィールド全体に視線が集まっていた。その中に、一色こがねの姿も見えた。
一色は群衆に紛れながら、真剣な眼差しでフィールドを見上げていた。
試合会場には緊張感が満ち、静寂が支配していた。さっきまでざわめいていた観客たちも、息をひそめて開始の瞬間を待っていた。
AIアナウンスがルールの説明を始めた。
茜は隣を一瞥した。姫島と国東の右手は、握ったスティックを微かに震わせていた。相手が強豪校とあって、二人は緊張しているようだった。
(このままじゃ、まずいな。試合を楽しめねぇぞ)
二人を心配した茜は、わざと軽い調子で声をかけた。
「大丈夫だ。全力で楽しもう!」
その言葉に、姫島と国東は一瞬、目を見開いた。だが、次第に緊張した表情が和らいでいった。
「うん、楽しむ!」と姫島が笑顔で返し、国東も「そうだね……!」と頷いた。
AI審判のルール説明が終わると、会場は再び静寂に包まれた。観客たちの息遣いすら聞こえそうな緊張感が漂い、選手たちは視線を鋭く前方に向けていた。視線の先、各チームのちょうど中間の上空には、ボールを抱えた一機のドローンが静かに待機していた。
次の瞬間、試合開始を告げる電子音が空間を切り裂くように響き渡った。
「ピ・ピ・ピ・ピーッ!」
合図と同時に、ドローンがボールを放した。落下した瞬間、相手チームはほうきを握りしめ、一斉に直進してきた。
一方、姫島と国東は反応が遅れ、ゆっくりと直進し始めた。茜も二人のスピードに合わせて動いた。
相手チームは難なくボールを手に入れると、息の合った動きで茜たちのフィールドに攻め込んだ。
ボールを持った1番選手は鋭い上昇を見せ、2番選手は大きく右へ、3番選手は素早く左へと、三方向に分散していった。その機敏な動きに、茜は瞬時に警戒心を高めた。
茜たちは当初の作戦通り、それぞれ同じ番号の選手を追って対峙した。姫島が立ち塞がると、1番選手は余裕の笑みを浮かべながら、仲間の二人を一瞥した。姫島がパスを警戒して視線を逸らした一瞬の隙を突いて、1番選手はほうきを巧みに操り、瞬く間に彼女を抜き去った。
「あっ!」
姫島は思わず声を漏らし、その場で一瞬固まったあと、すぐに向き直って必死に追いかける。しかし、相手の飛行技術はまさに段違いで、追いつけなかった。
1番選手は、浮遊する岩々の間を縫うように駆け抜け、その勢いのままゴール前へと辿り着き、あっさりとシュートを決めた。
相手選手がハイタッチを交わす中、姫島は申し訳なさそうな表情で呟いた。
「ごめん……ゴール、決められちゃった」
「気にするな。まだ始まったばかりだ」と茜が言い、国東も「そうだよ。すぐに取り返そう!」と明るく励ました。
「……うん。そうだね」と姫島はぎこちない笑顔で頷いた。
リスタートは、ゴールを決められたチームがボールを保持し、フィールドの中心から始める。
茜たちの配置は変わらず、姫島がボールをスティックに収めた。
「ピーッ!」という合図と同時に、選手全員が一斉に動いた。
茜たちはパスをしやすい適度な距離を保ちながら進んだ。
姫島は1番選手と対峙し、隙を探して一気に抜き去ろうとする。だが、1番選手の固い守りを突破するのは難しかった。国東と茜を一瞥し、パスを出そうと試みる。国東には2番選手が執拗に張りつき、パスを出す隙がまったくない。一方、茜はタイミングを見計らって、3番選手の追跡を振り切った。
それを見据えた姫島は、スティックを構え、茜にパスを出そうとした。しかし、スティックを振り下ろしたその瞬間、1番選手がスティックを打ちつけ、パスを遮った。その衝撃でスティックからボールがこぼれ、宙を舞った。
「しまった……!」
姫島は急いでボールを収めようとスティックを突き出すが、1番選手の反応が速く、無駄のない動きでほうきを操り、あっという間にスティックでボールを奪い取った。その瞬間、相手チームが一斉に攻めに転じ、一気にゴールに向かって加速した。
姫島が何とか追いついて行く手を阻むも、1番選手は冷静に周囲を見渡した。2番選手が国東の裏を抜けた瞬間を見据え、的確なパスを出した。
2番選手はパスをしっかりとキャッチし、そのままゴールまで真っ直ぐ突き進んだ。必死に追いかける国東を置き去りにし、鋭いシュートを決めた。
相手チームに1点が追加され、合計2得点。
茜はなるべく励ましの言葉をかけ、姫島と国東を鼓舞し続けた。しかし、実力差は歴然。その後も茜たちは一方的に攻められ続け、次々と得点を許した。
相手チームは、飛行技術、スティック操作、チームワークなど、すべてが優れていた。
一方、茜たち即席チームは、まるで連携が取れなかった。ボールを受けてもすぐに奪われ、パスもまったく通らない。わずかな隙を突いてゴール前まで迫るも、姫島と国東はシュートを決めきれなかった。茜だけが、かろうじて相手選手を凌いでいたが、それでも一人では圧倒的な実力差に立ち向かえなかった。
やがて、「ブーッ!」というブザー音が試合会場全体に響き渡り、気づけば、前半戦が終了した。
茜は深く息をつき、相手選手たちは余裕の笑みを浮かべながらゆっくりと降下していった。全員が地面に降り立ち、上空の途中結果に視線を移した。
相手チームは5点。
茜たちは、まだ0点のままだった。
掲示された得点が、茜たちの苦しい状況を如実に物語っていた。
ハーフタイムの間、両チームともベンチで水分補給やストレッチをして休憩しながら、前半戦の反省会と後半戦の作戦会議をした。
「ごめん……あたしの実力不足で、みんなに迷惑かけちゃった」姫島は明らかに落ち込んだ様子で言った。
「そんなことないよ! わたしも、チームの足を引っ張ってばかりで、本当にごめん」と国東も申し訳なさそうに目を伏せた。
「なのはちゃんは悪くない!」
「それなら、やなぎちゃんも悪くないよ!」
二人が自責の念を抱きながら、お互いをフォローし合っていると、茜が口を挟んだ。
「どっちのせいでもない! チームとして戦っている以上、全員に責任がある」と茜は語気を強めて言った。
「……でも、あたしのフォロー、大変だったでしょ?」
姫島が尋ねると、気まずい沈黙が流れた。
「……ま、まあ、過ぎたことを悔やんでもしょうがない。後半戦をどう戦うか考えよう!」と茜は話題を切り替えた。
「そ、そうだね」と国東も相槌を打った。「どうする? やなぎちゃん……」
姫島はベンチに置かれたスマートウォッチを手に取った。前半戦を見ていたパーソナルAIに話しかけ、意見を訊いた。スマートウォッチのパーソナルAIは、冷静かつ容赦なく分析結果を述べた。
「現時点で勝てる確率は……7%です。姫島やなぎさんと国東なのはさんの実力では、あの相手には太刀打ちできません。このままだと、ほぼ間違いなく敗北します」
淡々と告げるパーソナルAIに、二人は何も言い返せず、さらに肩を落とした。
「どうしよう……相手とまともに戦えるのは茜ちゃんだけ。あたしとなのはちゃんじゃ、あの二人に太刀打ちできないよ……」と姫島は弱音を吐いた。
「そ、そうだね……」と国東も落ち込んだ。
重苦しい空気が流れた――次の瞬間。
「そんなことない!」
茜の声が、静寂を引き裂くように響いた。
姫島と国東は一瞬言葉を失い、茜を見つめた。
茜はイリスに視線を向け、「そうだろ? イリス」と問いかけた。
その声に応えるように、イリスは静かに宙に浮き、冷静な口調で「そうだね」と頷いた。小さな羽音を響かせながら、三人の中心に飛び、周囲の空気を引き締めた。
「ど、どういうこと……?」国東は困惑の表情を浮かべ、イリスに視線を向けた。
「そのままの意味です」イリスはそう答えると、視線を姫島に向けた。
「まず、姫島やなぎさん!」
「はい!」と姫島は反射的に返した。
「あなたは、たとえ相手に抜き去られたとしても、すぐに追いかけ、追いつき、何度も行く手を阻んでいました。決して諦めないその精神は、スポーツにおいてとても大切な素質です」とイリスは冷静に言った。
「えっ……?」
姫島は目を見開き、驚きの表情を浮かべた。予想外の褒め言葉に、彼女の顔がわずかに赤くなった。
「ただし、そのあとの動きには改善の余地があります。後半は、相手の動きをよく観察し、次の動きが予測できるようになれば、簡単には抜かれません」とイリスは冷静に助言した。
「……はい!」姫島は元気よく、そして少し自信を取り戻したように頷いた。
イリスは国東に視線を移して言った。
「次に、国東なのはさん」
「はい」国東は小さく返した。
「あなたは、フィールド内で常に冷静で、周りを見渡しながらプレーをしていました。特に、ボールを持っていないときでも、仲間の位置を把握して、パスの準備をしていた点は素晴らしいです。その広い視野は、チームプレーにおいて非常に重要な要素です」とイリスは、国東の強みを冷静に褒めた。
国東は思わず顔を上げ、少し驚いた様子でイリスを見つめた
「ですが、その冷静さが裏目に出てしまった場面もありました。相手にプレッシャーをかけられているときに、もう少し積極的に動くことが必要です。パスを回すだけではなく、自分から仕掛ける勇気を持つことが、後半戦では大切になります」とイリスは続けた。
「……積極的に動く、ですか?」国東は少し考え込みながら、耳を傾けた。
「はい。パスを回すのはもちろん重要ですが、ボールを持ったら、少し自分のペースでプレーしてみることを意識してみてください。相手が予測していない動きを見せることで、惑わせることができます。あなたのスピードや反応の良さをもっと活かすことができるはずです」とイリスはさらに具体的に助言した。
国東はしばらく黙って考え、やがて頷いた。
「……わかりました。もっと積極的に動いてみます!」と国東は力強く言った。
イリスは微笑みながら頷いた。
イリスの計算によれば、茜たちの勝率は依然として数パーセントに過ぎなかった。しかし、士気が高まったことで、わずかに可能性が広がったらしい。
「やなぎ、なのは……ここから反撃開始だ。行くぞ!」
茜の言葉に、二人は「オー!」と拳を掲げ、三人はベンチを出た。その表情には、やる気に満ちた闘志が滲んでいた。
ハーフタイムが終わり、全選手がフィールド内の配置について待機した。
静寂の中、鋭いホイッスルの音とともに後半戦が幕を開けた。上空のドローンからボールが落下し始めた瞬間、全員が一斉に動き出した。その中で、茜は爆発的な勢いでスタートダッシュを決め、姫島と国東を置き去りにしたまま、宙に浮く岩の間を猛スピードで駆け抜けた。
その驚異的な速さに、誰もが目を見開き、驚愕の表情を浮かべた。相手選手は慌ててスピードを速めたが、その判断はすでに遅かった。
茜は誰よりも早くスティックにボールを収め、前を見据えた。瞬時に相手の位置を把握すると、スピードを緩めることなくゴールへと向かった。
相手選手は、茜の飛行技術に驚きを隠せないようだった。
「このままじゃまずい! みんなで止めるよ!」
1番選手の咄嗟の指示で、三人は茜を囲うように迫った。
しかし、茜は巧みなほうき捌きで、迫る三人を同時に抜き去ると、そのままゴールに向かって一直線に駆け抜け、追い詰められることなく、ゴールへボールを叩き込んだ。
その瞬間、茜たちのチームに待望の初得点が――1点が刻まれた。同時に、観客たちから歓声が上がった。
呆然と迎える姫島と国東に、茜はハイタッチを求めた。二人がはっとして我に返ると、三人は笑顔でハイタッチを交わした。
「次は、お前たちがゴールを決める番だ」
茜がそう言うと、姫島は「うん、任せて!」と強気に言い、国東は「頑張る!」と小さく拳を握りしめて呟いた。
一方、相手チームは茜を鋭く睨みつけていた。ゴールを決められたのが余程悔しかったのか、感情が表情から漏れていた。
1番選手は深く息をつき、落ち着きを取り戻すと、静かに口を開いた。
「ごめん、わたしが油断したせいで……。まさか、あんな選手がいたなんて、思ってもみなかった」
「いや、あれはどう見ても異常でしょ」と2番選手が言い、「うんうん」と3番選手も深く頷いた。
「でも、もう同じ手は通じない」
そう告げた1番選手の目には、鋭い光が宿っていた。
相手チームがボールを保持し、リスタートの合図が鳴り響いて、試合が再開された。相手選手の飛行技術、スティック操作、そしてチームワークは相変わらず圧倒的だった。茜たちにとって、この試合は一進一退の攻防ではなく、常に相手に押されっぱなしの状態だ。それでも、姫島と国東はイリスの助言を胸に、冷静に動き始めた。
姫島は相手選手が仕掛けてくる度に、一歩引いてからその動きを予測するように心がけ、反応を一瞬遅らせることなく追いかける。国東も、ただパスを回すだけでなく、少しずつ積極的に動きながら、周りを見渡してパスの出しどころを模索していた。
しかし、相手の攻撃はやはり速く、巧みだった。息の合ったコンビネーションでパスを回し、茜たちの間をすり抜ける。姫島が必死に追いすがり、国東もカバーに回るが、相手はすでにその動きを読んでいた。
「くっ……!」
茜がすぐさま追いつくが、1番選手は無駄なくパスを出し、2番選手がボールを受け取って一気にゴールを決める。茜たちはまたしても点を許してしまった。
姫島は息をつきながら、すぐに気を取り直す。
「まだ諦めない!」
「そうだね!」国東も頷き、気合いを入れ直した。
その後も相手の一方的な攻撃は続く。だが、姫島と国東は少しずつイリスの助言を活かし始めていた。姫島は相手の動きに少し余裕を持ってついていけるようになり、国東も積極的にボールを持つようになった。最初はなかなか成果を見せなかったが、少しずつコツを掴んできた。
そして、後半戦も終盤に差し掛かる頃、ついにその成果が実を結ぶ。茜は巧みに相手の隙をついて、上手く抜け出した国東にパスを出す。
国東はボールを受けると、瞬時に前を見据え、ゴールへと一気に加速した。後ろから迫る2番選手を振り切り、ゴール前まで迫った。
「今だ!」
茜の掛け声と同時に、国東は勢いよくスティックを振り下ろした。2番選手が咄嗟にスティックを突き出すも間に合わず、ボールはゴールに吸い込まれていった。
待望の初得点に、国東は思わず「やったぁ!」と拳を掲げた。姫島も笑顔で手を叩いて喜んだ。観客席からも歓声が上がり、茜たちはその瞬間、確かな手応えを感じた。
「最後は、あたしだね」姫島が言い、息を整えながらフィールドに立つ。その瞳には、溢れる闘志が宿っていた。
しかし、その後は両チームともにゴールを決められず、時間だけが過ぎていった。
試合終了間際、茜は対峙する1番選手の動きを先読みし、パスコースを瞬時に見極めて、ボールを奪い取った。その瞬間、茜たちは一斉に攻撃に転じた。
茜はボールを保持したままフィールドを縦横無尽に飛び回り、1番選手の追跡を振り切ろうとする。姫島と国東は、相手選手の死角から一気に抜け出そうと試みる。
茜は冷静に周囲を見渡し、鋭いパスを国東に出した。
国東はボールを受け取ると、積極的にゴールへと向かった。だが、すぐ後ろに2番選手が迫ってくるのに気づくと、茜にボールを返した。
茜と国東は次々とパスを繋げ、着実にゴールへと迫った。二人の見事な連携に、3番選手は一瞬だけ姫島から視線を逸らした。
その瞬間、姫島は3番選手の裏を抜け出し、ゴール前へと一気に飛び出した。その動きを鋭く見据えた茜は、迷いなく姫島にパスを出した。
姫島はボールを受け取ると、間髪入れずに勢いのままスティックを振り抜いた。
「いっけぇぇぇっ!」
姫島の魂を込めた叫び声に応じるかのように、ボールは相手選手の突き出したスティックのわずか数センチ下を通過し、ゴールに突き刺さった。
「ブーッ!」という試合終了の合図が鳴り響くと同時に、湧きあがるような歓声が巻き起こった。
姫島はゴールを決めた直後、ガッツポーズを決めて目を輝かせた。ほうきに乗って宙に浮いたまま、国東と手を取り合って喜び合う。茜も嬉しそうに喜ぶ二人を見つめ、思わず口角を上げた。
しばらくして、茜たちは地上に降り立ち、相手チームと向かい合って整列した。観客たちも静まり返り、AI審判が無機質な声で試合結果を告げた。
結果は、3対7。相手チームの圧勝だった。
しかし、姫島と国東は試合に負けたにもかかわらず、満足げな表情を浮かべていた。ゴールを決められたことが、とても嬉しかったようだ。茜も二人の満ち足りた様子を見届け、自分が果たすべき責任をやり遂げたと感じていた。
一方、勝利した相手チームの表情には、悔しさの色が滲んでいた。
最後はしっかりと相手チームに敬意を払いながら挨拶を交わし、茜たちはベンチへと戻った。フィールドから立ち去ると、宙に浮かぶ岩のホログラムがすべて消えた。
「茜ちゃん、お疲れさま!」
姫島は手に持っていたスポーツドリンクを茜に差し出した。
「ああ、サンキュー」
茜はそれを受け取り、キャップを開けて一口飲んだ。
「すごい試合だったね!」と国東が笑顔で言った。
「そうだな……。でも、勝たせてあげられなくて、わるかった」と茜は目を伏せながら言った。
「ううん、謝らないで!」と姫島が否定し、国東も力強く頷いた。
「あたし、初めてシュートを決められて、すごく嬉しかった。あのゴール、茜ちゃんのおかげで決められたんだよ。だから、ありがとう!」と姫島は満面の笑みで言い、国東も頭を下げた。
「いや、それは二人の努力の結果だ。あたしじゃなく、自分を褒めてあげな」
茜は謙遜しつつ、感謝の言葉を続けた。
「それに、二人には感謝してる。誘ってくれてサンキューな」
茜が笑顔で言うと、姫島と国東も笑顔で返した。
「あたしの方こそ、本当にありがとう、茜ちゃん!」
姫島は茜の手を強く握った。そこへ国東も加わり、三人は一緒に手を握り合った。
茜は顔を赤く染め、恥ずかしがりながらも、悪い気はせず、しばらくそのまま手を握り返した。
三人が絆を深めていると、そこへ1番選手がそっと近づいてきた。
「ちょっといい?」
1番選手が声をかけると、三人は視線を向けた。
「あなたに話があるんだけど……」
1番選手は茜に目を向けて続けた。
茜は手を離し、真剣な表情で向き直った。
「あたしに……? なんだ?」と茜は尋ねた。
「今日の試合、本当に楽しかった。あんなに全力でぶつかれる相手、久しぶりだった。ありがとう」
1番選手は真剣な眼差しで茜に感謝を伝えた。
「こっちこそ。あんたたちが強いおかげで、すっげぇ熱くなれた」と茜は軽く笑って応じた。
「そう……それなら、よかった」
1番選手は、ほっとして微笑んだ。
「それで、あなたに一つ、提案があるんだけど……」
1番選手は間を置いてから口を開いた。
「――もしよければ、わたしたちのチームに……」
1番選手が言いかけたその瞬間、姫島が「ダメーっ!」と大声で割り込んだ。同時に、国東が茜を力強く抱き寄せた。
姫島は茜の前に立ち、強い口調で言い放った。
「茜ちゃんはうちのチームに入るんだから、勝手に勧誘しないで!」
「そうだそうだ!」とすかさず国東も加勢した。
「は……!? お前たち、何言って……」
茜は口を開きかけたが、国東にぐっと肩を引き寄せられ、言葉を発することもできず、息が詰まった。
その間にも、事態はどんどん進んでいった。
「茜さんの実力はプロレベル……あなたたちのチームじゃ、その実力を活かしきれないんじゃない?」と1番選手は挑発的に言った。
「これから強くなるから、心配いらないよー。べーっ」姫島は舌を出して言い返した。
「あなたたちじゃ無理でしょ? あの程度の練習にもついて来られないのに……」
姫島は一瞬、胸を撃ち抜かれたかのように身を引いたが、すぐに体勢を立て直し、「あたし、絶対プロになるもん!」と言い放った。
「ふふ、一体何年かかるの? 十年? それとも二十年?」
「それは……わからないけど、絶対なるもん!」
姫島の言葉に、1番選手は苛立ちを見せた。
「ほんと、口ばっかりね。やなぎのそういうところ、昔から全然変わらない!」1番選手は呆れたように肩をすくめた。
「みやだってそうじゃん! 昔から嫌味ばっかり言うくせに!」と姫島は言い返した。
二人は睨み合い、火花を散らした。国東も姫島の味方をしようと、精一杯の怖い顔で1番選手を睨んだ。しかし、そのぎこちない表情では威圧どころか、むしろ微笑ましく見えてしまった。
その間、茜は国東の肩を叩いて離すように要求していたが、なかなか気づいてもらえなかった。そのため、国東の両肩をガっと掴み、力ずくで押し、ようやく解放された。
国東は驚き、目を丸くして茜を見つめた。
「悪い……ちょっと恥ずかしかったから……肩、大丈夫か?」と茜は苦笑いしながら尋ねた。
「えっ、あ、うん……大丈夫」と国東は答えた。
茜は深く息をつき、姫島と1番選手に視線を向けた。
「それより、さっきから何の話をしてる?」と茜は問いかけた。
「みやが、茜ちゃんを勧誘してくるから、追い払ってるの。あたしたちの大切な仲間なのに」
姫島は両手を大きく広げ、1番選手が茜に近づかないように立ち塞がっていた。
「やなぎが、茜さんを独り占めしようとしているから、助けてあげてるの!」
1番選手は、姫島を振り切ろうと体を左右に動かしていたが、抜け出せないでいた。
姫島と1番選手は再び睨み合い、火花を散らせた。
「ちょっと待て! あたしは助っ人で来ただけだ。どこのチームにも入らねぇよ!」茜はきっぱりと言い放った。
「えっ、ないの!?」と姫島は目を見開き、国東も同じく驚いて、茜に目を向けた。
「最初にちゃんと説明したはずだろ!」茜は語気を強めた。
「えっ、そうだったっけ~?」姫島はわざとらしく頭をかきながら視線を逸らした。国東も知らないふりをしながら、そっぽを向いた。
「ったく!」
茜が呆れたように息をつくと、姫島はさっと向き直って詰め寄り、強引に手を握った。
「そんなこと言わずに、あたしたちと一緒に全国優勝、目指そうよ!」
姫島に便乗し、国東も身を乗り出す勢いで迫り、黙ったまま力強く頷いた。
「あなたのチームじゃ無理でしょ。茜さん、わたしたちのチームなら、全国優勝も夢じゃないわ」と1番選手は勧誘した。
次第に三人は、茜を強引に勧誘し始めた。
茜は丁寧に断っていたが、どうしても三人の耳には届かないことに気づいた。やがて、断るのも面倒になり、声を上げた。
「あー、もういい! イリス、帰るぞ!」
茜が呼びかけると、イリスは「うん」と答え、軽やかに肩に飛び乗り、そのまま二人でその場を後にした。
茜とイリスは広場のベンチに腰を下ろし、休憩していた。茜が背もたれに身を預けて空を見上げていると、不意に「あのー」という声が聞こえた。視線を下げると、金髪の少女が正面に立っていた。
「何だ?」
茜が不愛想に応じると、彼女は申し訳なさそうに言った。
「あ、申し訳ありません。知人と勘違いしてしまいました」
「そうか……」
しばしの沈黙が流れた。
人違いなら、自分に用はない――茜はそう思った。だが、彼女は茜の隣に腰を下ろし、静かに口を開いた。
「さきほどの試合、素晴らしかったですわ」
「……見てたのか」と茜は短く返した。
「はい……あなた様が、とても魅力的だったものですから」
「は……?」茜は思わず目を丸くした。
「飛行技術はもちろん、スティックの扱いや相手の動きを読むその洞察力……そして何より、とても美しく、可憐でしたわ!」彼女は恍惚とした様子で語った。
茜が言葉を失っていると、彼女ははっとして向き直り、すぐに真剣な眼差しで茜を見つめた。
「申し遅れましたわ。わたくし、色神学園高等部一年、一色こがねと申します」と丁寧に名乗り、軽くお辞儀をした。すぐに視線を上げ、「あなた様のお名前を、お伺いしてもいいですか?」と尋ねた。
「……茜だ」と茜は不愛想に答えた。
「茜様……なんて素敵なお名前ですこと!」
「様は、つけなくていい」
「それでは、“茜さん”とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「ああ……」
一色は明るい笑顔を浮かべ、「茜さんは、どちらの学校に通われているのですか?」と興味本位で問いかけた。
「それは言えねぇ」と茜は即答した。
「そうですか……」一色は少し残念そうに目を伏せたが、すぐに視線を上げて続けた。
「では、わたくしと、お友達になっていただけませんか?」
予想外の申し出に、茜は驚きで一瞬息をのんだ。短い沈黙のあと、「……どういう意味だ?」と警戒心を隠さずに聞き返した。
「そのままの意味ですわ。茜さんに強い魅力を感じましたので、ぜひ、お友達になりたいと、心から思いましたの」と一色は熱意を込めて目を輝かせた。
茜には、一色が嘘をついているようには見えなかった。しかし、初めて会った人の言うことをすぐに信じるほど、茜も単純ではない。それを確認するため、茜は隣に座るイリスを一瞥し、アイコンタクトで意見を求めた。
イリスは黙って頷いた。一色が嘘をついてないという返事だった。
直感が裏付けられたことで、茜はほっと一息つきながらも、一色に再び真剣な視線を向けた。
「……わりぃが、友達にはなれねぇ」と茜はきっぱりと断った。
「……どうしてですか?」と一色は冷静に問いかけた。
「それは……言えねぇ」と茜は申し訳なさそうに言葉を濁した。
「そうですか……残念ですわ」一色は寂しげな笑みを浮かべ、肩を少し落とした。しかし、すぐに気持ちを切り替えたように微笑み、立ち上がった。
「お話しできて楽しかったですわ。ありがとうございました」
そう言って、一色はその場を後にした。その瞳の奥には、何かを企むような、冷たく光る意志がかすかに宿っていた。
一色が立ち去ったあと、茜とイリスはしばらくその場に残り、静かな空気の中でお互いを見つめ合ってから帰路に就いた。
帰り道、茜はイリスから『一色こがね』について教えてもらい、彼女が色神学園理事長の孫娘だと知った。
実のところ、「友達になりませんか?」と一色に言われたとき、茜は密かに嬉しさを感じていた。色神学園で一色とともに学ぶ自分の姿を想像すると、心が少し弾むのを感じた。けれど、茜には――決して越えられない、一線があった。
「イリス、一色こがねには気をつけろ。もし秘密を探られたら、厄介なことになる」と茜は忠告した。
「了解」とイリスは短く応じた。
茜は一色こがねのことを、全面的にイリスに託した。冷静な観察眼と、状況に応じた柔軟な判断力――イリスなら、たとえ一色が何か裏で動いていても、必ず対処できる。そう信じていた。
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