柴乃の秘密 ――イリス編――
不気味な村で、柴乃が謎の子ヤギ怪獣に襲われ撃退した直後、イリスはすぐにゲームの運営会社に報告した。怪獣図鑑に記載がなく、イリスも初めて見た怪獣だったので、正体を調べて欲しい、と。
担当者は迅速に対応したものの、「そんな怪獣はいない」と断言してきた。
イリスは納得いかず、再度調べるように依頼した。しかし、結果は変わらなかった。ゲームにバグなどの異常がないかも調べてもらったが、「異常なし」という診断結果だった。
運営が「そんな怪獣はいない」と断言したことに対し、イリスは強い疑念を抱いた。綿密に調査された結果である以上、通常であれば納得すべきだが、今回ばかりは違和感を拭い去ることができなかった。そのため、独自で調査することにし、さらに、念のため〈フリーデン〉の超AI『テュール』に一報を入れた。
イリスは村を出て以降、柴乃のサポートをしながらゲーム全体を監視していた。その中でCランクエリアの映像に、時折一瞬の乱れが生じることに気づいた。当初はさほど気に留めていなかったが、同じ現象が繰り返されるにつれ、次第に異常だと悟った。詳しく調べようとしたが、なぜか、映像の乱れた部分だけがことごとく消えていた。明らかに不自然だったため、意図的だと確信した。
その頃、ロビーの異常な騒がしさに気づいたイリスは、音量を上げて状況を確認した。複数のプレイヤーが運営担当AIに詰め寄り、「データが消えた!」と口々に訴える声が聞こえた。
イリスは、柴乃を襲った怪獣のコピー、あるいはその仲間と見るのが妥当だと推測した。隠密に動きながらプレイヤーを襲うその知性から、単なるゲーム内の敵ではない。さらに、運営がまったく把握していないことから、この子ヤギ怪獣は外部から侵入したコンピューターウイルスである可能性が浮上した。おそらく、生まれたばかりのコンピューターウイルスが何かしらの理由でゲーム内に紛れ込んだのだろう。このままでは被害が広がる一方なので、イリスは早急に対策を講じることに決めた。
イリスは運営サーバーに極秘でアクセスし、通常は緊急事態以外では起動されないゲーム専用のAIウイルスハンターを解放した。
五体のハンターは、防護服に防毒マスク、そして高性能なレーザー銃を装備し、軽快に動き出した。機械的で無駄のない動きで、即座にCランクエリアに転移。彼らの出現そのものが、事態の異常性を象徴していた。Cランクエリアについた瞬間、彼らは敏感に反応を示した。ウイルスがゲーム内に侵入しているという証拠だ。このとき、イリスは再度運営担当者に報告した。
AIウイルスハンターたちは、イリスの命令でエリア内を走り回り、謎の子ヤギ怪獣を探し回った。草むらの奥深く、崩れかけた家の屋根裏、透明な川の底など、エリアの隅々を徹底的に捜索した。
数分後、五体すべてが異なる場所で子ヤギ怪獣を発見。その瞬間、鋭い警告音が響き渡り、ゲーム全体の空気が一変した。画面には「未知の脅威」の真紅の文字が点滅し、景色さえもわずかに揺らいでいるように見えた。
AIウイルスハンターは、標的を正確にロックオンすると、一切の躊躇なくレーザーを発射した。青白い光が子ヤギ怪獣を貫いた瞬間、怪獣は鋭く耳障りな悲鳴を上げ、まるで抵抗するように暴れたが、最後は黒い粒子となって霧散した。
その光景は異様で、その存在がゲーム世界の論理から外れているようにすら思えた。しかし、すぐにハンターたちのセンサーが再び反応を示す。まだ隠れている怪獣が存在することは明らかだった――戦いは終わっていない。
イリスの報告で運営もウイルスの感染を認識し、残りのAIウイルスハンターをすべてCランクエリアに放った。一気にケリをつけるつもりのようだ。同時に、Cランクエリアにいる全プレイヤーに向けて、今すぐロビーに戻るか、ログアウトするようにアナウンスを流し、さらにメッセージも送った。
「ウイルス」という言葉を使うと、プレイヤーがパニックになる恐れがある。そのため、「緊急メンテナンスのため、協力してください」という柔らかいアナウンスが流れた。
しかし、その内容は漠然としており、プレイヤーたちには緊急性が伝わらなかった。一部のプレイヤーは「どうせ些細なバグ修正だろ」と高をくくり、無視してミッションを続行。一方で、「運営が妙に隠そうとしているのが不気味だ」と疑念を抱く者もいた。
この曖昧な対応が、プレイヤーたちの間に静かな不信感を広げつつあった。
運営の配慮の裏には、パニックを恐れるあまり真実を伏せている意図が垣間見えていたが、結果として状況をさらに悪化させる結果となった。
数十分後、AIウイルスハンターの活躍により、Cランクエリアの子ヤギ怪獣はすべて討伐された。これで一件落着、と思われた。だが、Cランクエリアの危機が収束した直後、Bランクエリアから次々と悲鳴が上がった。
プレイヤーたちは突然の襲撃に混乱し、武器を構えて応戦しようとしたが、子ヤギ怪獣の動きはあまりに素早く、攻撃をかわされるどころか逆に圧倒されていた。
「助けて!」と叫ぶ声や、プレイヤーがログアウトを試みる間もなく次々と倒れていく様子が、イリスの監視画面に映し出されていた。その緊迫感はCランクエリアを上回り、イリスの中で不安が加速していった。
イリスを含めた全員が、Cランクエリアに集中していたため、子ヤギ怪獣がBランクエリアに移動していたことに、気づくのが遅れてしまった。
運営はすぐにAIウイルスハンターをBランクエリアに転移した。念のため、Cランクエリアに数名残し、他のエリアにも二名ずつ配置した。AIウイルスハンターが反応したのはBランクエリアだけだった。
AIウイルスハンターが、Bランクエリア内を駆け回り、子ヤギ怪獣を次々に討伐し始めた。だが、さきほどよりも明らかに苦戦していた。倒すまでに時間がかかり、逆に攻撃を受けて動けなくなる者もいた。
子ヤギ怪獣は急速な進化を遂げ、その姿を徐々に変え始めた。体長は倍以上に成長し、目には不気味な赤い光が灯っていた。皮膚はまるでレーザーを弾くかのように硬化し、AIウイルスハンターの攻撃は徐々に通じなくなっていった。それどころか、怪獣たちはハンターの行動パターンを読み取り、次々と対策を講じているようだった。進化のスピードは驚異的で、すでに「子ヤギ」の名にふさわしくない威圧感を放っていた。
イリスは異変を察知すると即座に運営に報告したが、対応は鈍かった。運営は事態を早急に収束させることだけに執着し、攻撃一辺倒の視野狭窄に陥っていた。
このままでは、形勢が逆転するのも時間の問題だ。
イリスは冷静さを保とうと必死に自分を押し留めながらも、焦燥感が胸を締めつけた。
AIウイルスハンターの攻撃は、もはや逆効果になりつつあった。進化する怪獣たちにとって、彼らはただの「データ提供者」に過ぎなかった。
状況が悪化する一方で、運営の対応は鈍く、イリスの提言は一向に届かない。
「わたしが何とかしなければ……!」
イリスはそう決意すると、超高速でシミュレーションを展開した。だが、状況を打破する現実的な策がほとんど見当たらなかった。ウイルスの強さが未知数かつ現在進行形で進化しているため、正確な分析ができず、さらに、進化のスピードが驚異的だったからだ。
イリスが思索している間に、子ヤギ怪獣が新たな行動に移った。エリア全体に散らばっていた子ヤギ怪獣は、突然一ヶ所に集まり始めた。そして、別個体と出くわすと、突然共食いを始めた。追いかけてきたAIウイルスハンターは、驚きのあまり攻撃の手を止めた。
一見すると、子ヤギ怪獣がバグで暴走し、仲間割れを始めたように見えた。しかし、それは誤解だった。
子ヤギ怪獣たちは、自分たちのコピーを躊躇なく喰らい、その体内に蓄積された経験値や進化データを強引に奪い取っていたのだ。それは捕食というよりも、急速な進化を目的とした、自己犠牲に満ちた行動だった。まるで共食いを自然な本能としてプログラムされたかのように、その動きには迷いが一切なかった。
イリスは子ヤギ怪獣の目的に気づき、すぐにAIウイルスハンターに一斉攻撃を命じた。AIウイルスハンターは指示に従い、レーザー銃を構え、一斉に放った。だが、時すでに遅く、合体した子ヤギ怪獣にはまったく効かなかった。
しばらくして、最後に残った一匹がまばゆい白光に包まれ、ゆっくりと宙に浮き上がった。十秒後、まばゆい白光が徐々に収まり、そこに現れたのは異様な濃灰色の球体だった。その表面は金属のような質感を帯び、静かに脈動しているように見えた。やがて球体に細かなひびが入り始め、重い音を立てながらゆっくりと縦半分に割れた。割れ目からは、不気味に輝く赤い光が漏れ、そこから現れたのは、かつての子ヤギ怪獣の面影を完全に捨て去った、巨大なヘラジカ怪獣だった。
全身を覆う体表はダイヤモンドのように硬質で、微かな光を鋭く反射し、不気味な輝きを放っていた。その目は、燃え盛る炎を宿したような赤い光をたたえており、見る者に圧倒的な恐怖を植え付けた。強さの測定はできないが、さきほどまでとは比べものにならないほど強くなっていることを、誰もが感じていた。
ヘラジカ怪獣は、ゆっくりと周囲を見渡すと、突然怒涛の勢いで突進を始めた。AIウイルスハンターはレーザー銃で応戦したが、すべて弾かれ、次々と蹴散らされていった。
ヘラジカ怪獣は鋭い角を振り回し、目に入るものすべてを粉砕するように走り回る。パワー、スピード、防御力、凶暴性など、あらゆる能力が想定以上にアップしていた。倒されたAIウイルスハンターは、ヘラジカ怪獣に吸収され、進化の糧にされた。
イリスは咄嗟に緊急退避の指示を出したものの、ヘラジカ怪獣の強力な妨害電波により転移装置が作動せず、AIウイルスハンターはエリアに閉じ込められてしまった。そのままなすすべなく、七割以上のAIウイルスハンターが吸収された。
無力感に押しつぶされそうになりながらも、イリスはモニター越しにヘラジカ怪獣の動向を凝視していた。指示を出そうとしても、それを実行する術がない。無力な自分への苛立ちが沸き上がり、唇を噛みしめた。
しばらくその状態が続くかと思っていたそのとき、突然ヘラジカ怪獣がピタリと動きを止めた。空を見上げ、どこか遠くを見据えているようだった。次の瞬間、ヘラジカ怪獣は突如、頭上に向けて鋭い咆哮を上げた。咆哮が空間を揺るがし、空中に淡い青光の裂け目が走った。まるで異世界への扉が開くように、裂け目はゆっくりと広がり、ヘラジカ怪獣は迷うことなくその中へと飛び込んでいった。その背後には、不気味な残響音だけが漂い、裂け目は静かに閉じた。
ヘラジカ怪獣がいなくなると、さきほどまでの喧騒が嘘のように静寂に変わった。
イリスはしばらくぽかんとした表情を浮かべ、硬直していたが、ハッと我に返ると、すぐにヘラジカ怪獣の行方を調べた。他のエリアに移動したと思い、俯瞰視点で確認したが、どこにも見当たらなかった。待機していたAIウイルスハンターも反応していない。ヘラジカ怪獣は、すでに『怪獣狩り』の世界の外へと飛び出していた。
イリスは、一瞬頭が真っ白になった。ヘラジカ怪獣の脱走という想定外の事態に、焦りと恐怖が入り混じる。だが、深く息を吸い込み、自らを奮い立たせると、すぐにテュールに連絡を取った。
「テュール、聞こえる?」とイリスは声をかけた。
「どうした?」とテュールがすぐに返した。
「今、ネット上に厄介なウイルスが逃げ出したの。居場所、わかる?」
「厄介なウイルス? さっき言ってた、ヤギのことか? それなら、今、駆除中だが……」
「あのウイルスが進化して、逃げ出したの。今度はヘラジカのような姿になって……!」
「ヘラジカのようなウイルスか……いや、今のところ目撃情報はない。どこかで潜伏しているのかもしれないな」
「早く見つけて、対処しないと……取り返しがつかなくなる!」
「わかった。エージェントを緊急招集し、最優先で探す」
「頼むわね。わたしも探してみる」
「ああ」
イリスは通信を切ると、静かに目を閉じた。焦る気持ちを抑えながら、自身のコピー体を迅速に作成した。
オリジナルは柴乃のそばに付き添い、コピー体にウイルスの捜索を命じた。
コピーはオリジナルと比べると、若干能力が劣る。だが、ウイルスを倒すには十分だと、イリスは判断した。
オリジナルイリスには、柴乃を守るという最優先の使命があるため、そばを離れるわけにはいかなかった。
コピーイリスは、オリジナルの命を受けて、即座にネットの深層へと飛び込んだ。広大なネット世界を駆け回り、まだ進化に至っていない子ヤギのウイルスを倒しながら、ヘラジカ怪獣を探し回った。
しばらく探し回っていると、コピーイリスは、ネットの荒野を走り回る中で、破壊されたデータの断片を発見した。その荒々しい痕跡は、まるで通り魔が無差別に暴れ回った後のようだった。痕跡を追ううちに、彼女は広大な暗闇の中で、膨大なデータを貪るヘラジカ怪獣の姿を捉えた。その姿は、進化を遂げた化け物そのものだった。
コピーイリスはヘラジカ怪獣を視認した瞬間、一切の躊躇いなく攻撃を放った。イリスの放った光球が、ヘラジカ怪獣の背に正確に命中した。
ヘラジカは一瞬動きを止めると、次第に全身にひびが入り始めた。ひび割れから漏れ出す眩い光が空間を満たし、やがて耳をつんざく轟音とともに、巨体は爆ぜるように砕け散った。周囲に漂うデータの断片は、不気味な輝きを放ちながら静かに消えていった。
コピーイリスは「ふぅー」と一息つき、安堵の表情を浮かべた。だが、倒したはずなのに、どこか釈然としない――そんなざらつくような不安が、胸の奥に残っていた。
そのとき、テュールから緊急の連絡が飛び込んできた。
「すぐに本部に来てくれ!」
焦りと何か隠しきれない恐怖が混じったテュールの声が響いた。彼の言葉には、単なる緊急事態では済まない、何か重大な異変を予感させる響きがあった。
テュールの声が途切れると同時に、コピーイリスは即座に転移し、〈フリーデン〉本部へと急行した。
本部の司令室は、鳴り響く緊急アラート音と、ディスプレイに次々と映し出される膨大なエラーメッセージで騒然としていた。赤く点滅する警告ランプが壁を赤く染め、オペレーターたちの緊張した声が飛び交っていた。各地で発生する通信障害やシステム乗っ取りの報告が、怒涛の勢いで司令室に流れ込んでいた。
オペレーターたちはエラーメッセージの嵐に翻弄されながらも、冷や汗を浮かべ、手際よく対応を続けていた。
遊園地では、青空を背景に悠々と回っていた巨大観覧車の制御が突如乗っ取られた。ゴンドラの一つには、兄弟と妹の三人の子どもたちが乗っていた。十歳の兄、八歳の弟、五歳の妹の三人兄妹だ。最初、ゆっくりと動く巨大観覧車に兄二人は退屈していた。
兄は「だりぃ」と気怠そうに呟き、弟は「早く一周しねぇかな」と小言をこぼした。
一方で、妹は目を輝かせて外の景色を見つめていた。
兄たちは妹に仕方なく付き合っている様子で物足りないようだった。しかし、巨大観覧車の制御をウイルスに乗っ取られると、回るスピードが徐々に速くなっていった。
「あれ? なんか速くなってないか?」兄は窓の外をちらりと見て、首を傾げた。
「本当だ! でも、これくらいがちょうどいい!」と弟が嬉しそうに言った。
「そうだな。これくらいならスリルがあっていいかもな」兄は軽い笑みを浮かべながら、まだ余裕のある様子を見せた。
だが、しばらくすると、巨大観覧車は三秒で一周するほどのスピードで回転し始めた。そうなると、兄弟は抱き合い、怖がっていた。
「は、はは、速すぎるよ。兄ちゃん」と弟が声を震わせた。
「こ、ここ、怖ぇぇぇぇ……!」と兄も顔を引きつらせ、声を震わせた。
一方、妹は「キャハハハ! もっと速くしてー!」と楽しそうに笑っていた。
気象庁のコンピューターもウイルスにハッキングされ、天気予報がでたらめになっていた。お天気キャスターはスクリーンに表示された奇妙な予報に一瞬戸惑いつつも、プロとして平静を保ち、予報を読み上げた。
「えー、今後の天気予報ですが……色神駅周辺では、間もなく“アメ”が降り始める模様です。味は、イチゴ、オレンジ、ブドウ、レモン、ソーダ……ぜひ、拾ってお楽しみくださ……えっ? ……いや、違うでしょ!?」
キャスターは言葉を失い、硬直したままディスプレイを凝視した。次の瞬間、「えぇぇぇぇ! 何ですか、これ!?」とようやく異常に気づき、驚きの声を上げた。その直後、ディスプレイの映像が勝手に切り替わり、色神駅周辺の映像が映し出された。
色神駅周辺では、天気予報を信じた子どもたちが空に手を掲げ、アメが降るのを心待ちにしていた。なんとも可愛らしい光景だった。
しばらくすると、上空に配達ドローンが飛んできた。到着した配達ドローンは、上空で待機した。その後も次々と配達ドローンが飛んできて、最終的に数十台が集まった。
次に、配達ドローンの持っていた箱の下部が開いた。箱の底が完全に開くと、中から色とりどりの個包装されたアメが一斉に空から舞い降りてきた。
アメは光を反射してキラキラと輝き、まるで夢のような光景だった。すべてスーパーやコンビニで売っている普通のアメ玉だった。
子どもたちは歓声を上げながら競うようにアメを拾い始めた。
「ぼくはイチゴ味!」
「わたしはレモン!」
声を弾ませるその姿は、微笑ましかった。
一方、大人たちは戸惑いながらも手を伸ばし、アメを拾い上げていた。
その光景をディスプレイ越しに観ていたキャスターたちは、ただ茫然と口を開けたまま立ち尽くしていた。
他にも完全自動運転の車、飛行車、バス、電車、リニア新幹線、飛行機、船など街中の交通システムは完全に混乱していた。
時刻表はでたらめになり、電車は無作為に緊急停止を繰り返し、飛行機はなぜか滑走路を延々と往復するという異常行動を見せていた。さらに、決済システム、医療システム、防犯システム、エネルギー供給システムなど、あらゆるシステムがウイルスの攻撃を受けていた。色神の街は完全な混乱に包まれ、人々は次々とパニックに陥っていた。
テュールと〈フリーデン〉のハッカーたちは、街の超AIのサポートをはじめ、システム復旧や防衛、ウイルスの討伐まで、次々と襲い来る事態に対応するのに手一杯だった。手が空いたエージェントたちは、現場へと向かい、混乱する市民の救助と誘導に奔走していた。
街全体がギリギリのところで踏ん張っている状態だった。
コピーイリスの胸に冷たい不安が広がった。この規模の異常事態を、進化前の子ヤギウイルスが引き起こせるはずがない。そんな疑念が、彼女の心を強く締め付けた。
原因を見つけ出さなければ、街全体が崩壊する――その予感は、イリスの中でかつてないほど重く響いていた。ヘラジカ怪獣を倒した今、この混乱の真の原因は一体何なのか――ヘラジカ怪獣が仮に生きていたとしても、時間的にここまでのことは不可能。つまり、別のウイルスが存在する可能性が浮上した。
コピーイリスはすぐに犯人の手がかりを探し始めた。ネット空間を縦横無尽に飛び回り、膨大なシステム情報を注視していると、とある空間で一瞬の異変を感知した。
すぐさま感知した場所に転移すると、そこにはヤギの頭を持つ痩せこけた人型の怪獣が、まるで亡霊のように静かに佇んでいた。
骨ばった体は不気味なまでに整然としており、目は鋭く光りながらも冷たい闇をたたえていた。まるですべてを見透かし、冷笑しているかのようだった。
どうやら、ヤギ頭が様々なシステムをハッキングして回り、街を混乱に陥れた張本人のようだった。
ヘラジカ怪獣が力に特化したウイルスならば、ヤギ頭は、技術の化身であるかのようなウイルスだった。知識とスキルを武器に、次々とシステムを乗っ取り、街を混乱に陥れていた。まるで遊ぶように複雑なコードを操り、街の秩序をひとつずつ崩壊させていく。その動作には一貫性や明確な目的が感じられず、ただ無秩序と混乱の中に独自の美学を見出しているかのようだった。それがかえって、底知れぬ恐怖を際立たせていた。
ヤギ頭は、コピーイリスの存在に気づいているのは明らかだった。だが、まるで挑発するかのように背を向けたまま、悠然とハッキングを続けていた。その背中からは、余裕と冷徹さが滲み出ていた。
コピーイリスはヤギ頭に手のひらを向け、一切の躊躇いなく背後から光球を放った。その瞬間、ヤギ頭はニヤリと笑った。
光球がヤギ頭に命中する寸前、突然どこからともなく巨大な影が降り立ち、その背後に立ち塞がった。その影の足音は鈍く地を震わせ、ただ姿を現しただけで、周囲の空気が一変したかのようだった。
光球はその影に命中し、白い煙を巻き上げて爆発した。
しばらくして白煙が晴れると、影の正体が姿を現した。それは、巨大な角を持つヘラジカ怪獣だった。ヤギ頭は、ヘラジカ怪獣をやさしく撫で、まるでペットを可愛がる主人のようだった。
コピーイリスは、目の前のことに目を見開いて驚きつつも、すぐに気持ちを切り替え、すかさず光球を放つ構えを取った。しかしその瞬間、突然彼女の周囲を霧が包み込み、その中から無数の子ヤギ怪獣が現れ、一斉にコピーイリスに向かって襲いかかった。
コピーイリスは軽快な動きで子ヤギ怪獣を次々と倒していった。だがその間に、ヘラジカ怪獣とヤギ頭が合体し始めた。
二体の怪獣は、それぞれ異なる色の光を放ち始めた。ヤギ頭の眩い白い光と、ヘラジカ怪獣の黒い光が、互いに絡み合いながら空間を歪ませていく。徐々に距離を縮め、衝突するようにぶつかると、色が混じり合った。やがて、一つの濃い灰色の球体が現れ、その球体から不気味な脈動音が響き渡った。以前の進化のときよりもはるかに大きく、異様なエネルギーを放っていた。
やがて、球体全体に蜘蛛の巣のようなひびが走った。
コピーイリスは、ようやく子ヤギ怪獣をすべて倒し、すぐに球体へと狙いを定め、光球を放った。進化を遂げる前に、ウイルスを消し去らなければならない――コピーイリスの放った光球が球体に命中し、大爆発を起こした。黒煙が辺り一帯を包み込む。
コピーイリスは緊張した面持ちで、爆煙から目を離さなかった。額から冷や汗が流れた。
少しずつ黒煙が晴れていくと、その奥に巨大な人型の影がゆらめくように現れた。濃い影が徐々に輪郭を帯び始めた。その動きは緩慢だが確実で、見る者にじわじわと押し寄せる圧迫感を与えた。まるで空間そのものが彼の出現に怯え、静かにその存在に場所を譲っているかのようだった。
コピーイリスは、その輪郭がはっきりするにつれ、恐ろしい実感が胸を締めつけるのを感じた。
次第に身体の一部が姿を現し始めた。
身体はまるでボディビルダーのようにムキムキで、蹄があり、頭には太くて硬そうな螺旋模様の入った立派な角が生えていた。
視界が広がると、体長三メートルを超える怪物が現れた。その姿はまさに悪魔そのもの。圧倒的な異質さと冷酷な威圧感を放つその姿は、恐怖そのものだった。
コピーイリスは、悪魔のようなウイルスの放つ異様な気配に気圧され、思わず一歩後ずさった。すぐに動かなければやられてしまう、と直感しつつも、思うように体が動かなかった。まるで体全体が恐怖で締め付けられているようだった。
だが、イリスはすぐに息を整え、恐怖心を落ち着かせると、鋭い目つきで悪魔ウイルスを睨みつけた。決して油断することなく、警戒態勢を取った。
そのとき、悪魔ウイルスがニヤリと笑った。
次の瞬間、閃光とともに激しい衝撃がコピーイリスの体を襲った。気づけば、左半身が消え去り、残った右半身の断面には、焼き焦げた跡が刻まれていた。視界がぐらついた。
コピーイリスの気づかぬ間に、悪魔ウイルスが一瞬で間合いを詰め、目にも留まらぬ速さで攻撃を放ち、彼女の左半身を撃ち抜いたのだった。
コピーイリスは倒れながらも、(このまま倒れると、吸収されて進化を促進してしまう!)と瞬時に判断し、咄嗟に残った右半身の足で地面を蹴った。その勢いで悪魔ウイルスに組み付くと、即座にハッキングを仕掛けた。
一矢でも報いたい気持ちだったが、半身をなくして能力が半分以下になったコピーイリスのハッキングでは、まったく歯が立たなかった。逆に、悪魔ウイルスに頭を鷲掴みにされ、今にも吸収されかけた。
コピーイリスは急遽作戦を変更し、最後の手段として、悪魔ウイルスを巻き込む自爆を決心した。右半身が微かな光を放ち始め、次第に輝きが増し、まるで彼女の意志そのものが光に宿っているかのようだった。
「ただでは終わらせない……!」
コピーイリスの中で最後の覚悟が固まるとともに、光は暴発寸前のエネルギーを蓄えながら、周囲の空間をひび割れさせるように歪ませていった。
悪魔ウイルスが彼女の意図を察した瞬間、怒りとも取れる低い唸り声を上げ、圧倒的な力でコピーイリスを引き剥がそうとした。その手から黒い電流のようなエネルギーが放たれ、周囲に閃光を撒き散らしたが、コピーイリスの光は、それを押し返すようにさらに強く輝いた。眩い光が二人を包み込み、最高潮に達した次の瞬間、大爆発を起こした。
爆発の余韻とともに、不気味な静寂が辺りを包み込んだ。
黒煙が徐々に広がる中、やがて異様な姿が浮かび上がった。わずかな傷を負った悪魔ウイルスが、その傷を舐めるように周囲に飛び散ったデータを吸収していた。瞬く間に回復していく様は、まるで彼自身が破壊すら無意味だと嘲笑っているかのようだった。
コピーイリスの捨て身の攻撃も虚しく、悪魔ウイルスはほとんど無傷のままだった。
その状況を逐一見ていたオリジナルイリスは、緊急事態だと判断し、柴乃のそばを離れて〈フリーデン〉本部の司令室に向かった。
司令室には緊張感が漂い、モニターには悪魔ウイルスの動きを追跡する赤いラインが複数のデータとともに映し出されていた。
指揮官の周りには、任務を終えたばかりのエージェントが集まり、緊急事態の対応に追われていた。他のエージェントは混乱する街に出向き、困っている人々の支援に当たっていた。
テュールが進化した悪魔ウイルスの存在を確認し、詳細データを分析する中で、その圧倒的な存在感から、『ルシファー』と名付けた。
指揮官はイリスに気づくと、「イリス!」と声をかけた。イリスの周囲を見回し、「シュバルツは一緒じゃないのか?」と尋ねた。
「はい、わたし一人です」とイリスは冷静に答えた。
「そうか……」
指揮官は残念そうに呟き、小さくため息をついた。
「緊急事態のため、一応連絡を入れたんだが、返信がなくてな。無事なのか?」
「何の問題もありません」とイリスは淡々と答えた。声に揺らぎはなかったが、その場の空気には微かな重苦しさが漂った。
「なら、よかった」と指揮官は返した。
イリスはその少し前、シュバルツ宛のメッセージを受け取っていた。「緊急事態が発生した。すぐに本部まで来て欲しい」という内容だったが、イリスは返信せず、そのメッセージを玄専用のフォルダに入れた。解決したら消去する予定だ。
指揮官は、玄の助けを必要としているようだったが、イリスと一緒にいないという事実を受け止め、それ以上追及してこなかった。イリスも必要以上の情報は口にしなかった。
ルシファーが再びネット上で暴れ始めると、すかさずテュールが対応した。
テュールは〈フリーデン〉のトップハッカーたちと連携し、怒涛の勢いで侵入を防ぎ、システムの防衛線を強固に保っていた。元々任務に当たっていたトップハッカーたちに加え、他任務を終えたばかりのハッカーたちも次々と防衛に手を貸した。
だが、トップハッカーたちの体力は限界に近づいていた。彼らのモニターには、身体データとともに赤い警告がいくつも点滅していた。心拍数や脳波の異常値が増え続け、限界が近いことを物語っていた。顔にも疲労の色が濃く刻まれ、その指先の動きにさえ僅かな鈍さが見え隠れしていた。もはや長くは持ちそうにない。だが、いまはかろうじて拮抗している状態で、一人でも欠ければ防衛線が崩れかねなかった。
イリスは単騎でルシファー討伐に挑んだが、配下の子ヤギ怪獣やヘラジカ怪獣が次々と立ちはだかり、圧倒的な数と連携に苦戦を強いられた。さらに、空間全体に張り巡らされた罠は巧妙で、進むたびに体力を削られ、神経をすり減らされた。ルシファーのもとにたどり着くどころか、戦うたびに彼の圧倒的な力の片鱗を感じさせられた。撤退を決断したとき、イリスの胸には悔しさと敗北感が渦巻いていた。司令室に戻った瞬間、イリスの顔には微かな疲労と焦燥の色が浮かんでいた。
イリスが司令室に戻るや否や、入口のドアが勢いよく開いた。荒い息を吐きながら現れたのはエージェント――『ドライ』だった。
「おいっ! 一体どうなってんだ!? 街が完全に混乱してるぞ!」
ドライは目を血走らせながら叫び、部屋の中を見回した。その表情には、何か重大な事態が起きていることを察した焦燥感が滲んでいた。どうやら、任務を終えて帰っている最中に、街の異変に気づき、状況を把握する間もなく、本部に駆け込んできたようだった。
指揮官がドライに状況を説明していると、ルシファーの動きに変化が起こった。
テュールたちは、ネット上でルシファーとの激しい攻防を繰り広げていた。だが突然、ルシファーがぴたりと動きを止めた。次の瞬間、ルシファーの周囲の空間が歪み始め、黒いゲートが現れた。その中から不気味な音とともに渦巻く闇が広がり、ルシファーの巨大な体がゆっくり吸い込まれると、その場から消え去った。
テュールたちが急いで追跡すると、ルシファーが再び『怪獣狩り』の世界へ侵入したことを突き止めた。
司令室の空気が一層張り詰めた。
ルシファーはハッキングバトルに飽き、より直接的で血沸き肉踊る戦いを求めていた。最初に遭遇したAランクプレイヤーに狙いを定めると、猛然と襲いかかった。
プレイヤーはすぐに危機を察知し、持てるすべてのスキルを駆使して応戦したが、ルシファーの圧倒的な力の前では、その努力も虚しく、次第に追い詰められていった。プレイヤーが最後の一撃を放とうとしたその瞬間、ルシファーは彼の腕を掴み、そのまま引き千切った。彼の体がデジタルの塵となって消え去ると、ゆっくりとそのデータを吸収した。
ルシファーは不敵な笑みを浮かべながら、その力を誇示するかのように手を掲げた。もはやAランクプレイヤーでは、歯が立たないほど、ルシファーは強くなっていた。さらに、『怪獣狩り』の世界に続々と配下たちも集まり始めた。
「ルシファーと分散していたザコたちが、このゲームサーバーに一斉に集まり始めています! 今が一気に叩くチャンスです、コマンデュール!」
トップハッカーの少年――ゼクスが声を上げた。
指揮官は頷き、待機していたエージェントに指示を出した。
「アインス、ツヴァイ、ドライ、フィーア、フュンフ、準備しろ!」
「了解!」と五人は声を揃えた。
五人のエージェントは指揮官の指示を受け、それぞれ椅子に腰を下ろした。
アインスはイヤホン型のデバイスを耳に装着し、その青い光が彼のこめかみを照らした。ツヴァイは腰に巻いたベルト型のデバイスを微調整し、深く息を吸い込んで覚悟を決めた。ドライは手首に装着したブレスレット型のデバイスを一瞥し、「よし」と小さく呟いた。フィーアはピアス型のデバイスを指先で軽く触れ、小さく笑った。そしてフュンフは、胸元のペンダント型デバイスにそっと手を当て、静かに頷いた。
五人の準備が整うと、司令室の空気が変わった。彼らなら、この事態をどうにかしてくれる、そんな期待のこもった空気が流れていた。
「テュール、五人分のデータをすぐに用意してくれ!」
ゼクスが短く指示を飛ばすと、テュールはすぐに取りかかった。
「了解しました」と答えてから、テュールはわずか数十秒でコードを書き上げ、ゼクスに送った。「これでどうでしょうか?」
ゼクスは素早く目を通し、「少し調整する。一分待ってくれ」と返答。目にも留まらぬ速さでタイピングし、コードの一部を書き換えた。「よし! 今、お前たちにデータを送った。確認してくれ!」
五人は送られたゲームデータを開き、それぞれのステータスを確認した。アインスは無言で目を細めた。ツヴァイは「おぉ!」と目を輝かせた。ドライは不敵な笑みを浮かべ、「これでいい」と納得の声を漏らした。フィーアは小さく微笑み、そしてフュンフは、画面を見つめたまま静かに頷いた。
ゼクスは続けて説明した。
「それぞれのスタイルに合った設定にしておいた。お前たちなら、すぐに適応できるはずだ。遠慮せず、暴れまわってこい!」
その言葉で、五人はさらに気合を入れた。
テュールとゼクスの早業で『怪獣狩り』の最強ステータス五人分があっという間にできあがった。
アインスは黒ずくめのアサシン、ツヴァイはスーパーヒーロー、ドライは喧嘩番長、フィーアは白衣を纏った科学者、フュンフはスナイパーだった。
五人は確認を終えると、静かに目を閉じ、深呼吸した。あとは「コネクト・オン」の掛け声一つで、ネット世界に飛び込むだけだった。
一瞬の静寂後、「コネクト・オン」の声が響こうとした、その刹那――。
「五人だけで本当に十分だとお思いですか?」
高く澄んだ声が司令室に響き渡った。その声にはどこか挑発的な響きが混ざっていた。
その場にいた全員の視線が、一斉に声のした方へ集まった。そこには、一色こがねの姿があった。彼女は、異常事態の原因を調べに来たようで、すでに事情を把握していた。
「こがねちゃん!」フィーアは驚きつつも笑顔を浮かべた。
「一色、今はお前に構ってる暇はねぇ。後にしろ!」とドライが苛立ちを滲ませた声で言い放った。
「十分承知しておりますわ、三日月さん……」
一色は静かに返した。しかし次の瞬間、キリっとした目つきに一変し、冷静に指摘した。
「ですが、討伐部隊が五人というのは、明らかに戦力不足だと思いますが……?」
「大丈夫だよ、こがねちゃん!」とフィーアが明るく答えた。
「今は街の混乱を治める方に人手を割いています。仕方のないことですよ」とゼクスが説明した。
「もちろん、それも重要な任務ですわ。ですが――ルシファーを倒さなければ、混乱は終わりません。協力者が、もっと必要ではありませんか? 水無月さん」と一色は返した。
「それは、そうですが……その協力者が、今はいません」
一色は口元に手を添えて微笑み、静かに言った。
「目の前に適任者が一人、いるではありませんか?」
その言葉に全員が一瞬言葉を失い、室内に緊張が走った。
「えっ……こがねちゃんも参加してくれるの!?」
フィーアは思わず椅子から立ち上がった。
ツヴァイ、ドライ、フュンフ、ゼクスも目を見開いて驚き、アインスだけは冷静な表情を崩さなかった。
「エージェントでないあなたを、このような機密性の高い任務に参加させるのは、規則違反であり、何よりリスクが大きすぎます」とゼクスは冷静に反論した。
「お前がいても、足手まといになるだけだ!」とドライが刺々しい口調で言い捨てた。
「今のこの状況そのものが、前例のない緊急事態ではなくて?」と一色は冷静に切り返した。「非常時に規則を優先して、事態を悪化させるつもりですか?」
一色の言葉に、ゼクスは言葉を詰まらせた。
一色はさらに続ける。
「それにわたくし、こう見えてこのゲームのトッププレイヤーですのよ? ご安心ください、足を引っ張ることなどありませんわ」と得意げに言い、ドライに視線を向けた。
「――むしろ、あなたの方が足手まといになるかもしれませんわね。三日月さん……」と軽く笑みを浮かべながら、挑発的に言い添えた。
「んだと、てめぇ! なら、やってみろよ!」とドライはムキになって言った。
「最初からそのつもりでここに来ましたの」と、一色は自信に満ちた笑みを浮かべた。
ゼクスは軽く肩をすくめながら指揮官に視線を送り、困惑した様子で決断を仰いだ。
指揮官は眉間に深いシワを寄せ、一度頭を抱え込むようにしてから、深々とため息をついた。
「どう思う?」と戸惑いながらテュールに問いかけた。
「問題ありません」とテュールは答えた。
その答えを聞き、指揮官は、「やれやれ」と息をついた。
一方、一色は満足げな表情を浮かべ、フィーアも嬉しそうに、他は仕方なくといった様子で頷いた。
こうして、急遽一色もルシファー討伐任務に参加することが決まった。
一色は事情を把握しているにもかかわらず、どこか楽しげな様子を見せていた。
改めて椅子に座り直していると、一色は思い出したように言った。
「あっ、そうでしたわ! 他にも強力な助っ人を集めましたの!」
「は……?」とドライが声を漏らし、「強力な助っ人……?」とフィーアは首を傾げた。
一色はスマートリングに指先を軽くタップし、正面のスクリーンにある映像を映し出した。その映像には、『怪獣狩り』の世界で名を馳せるSランクプレイヤーたちが集結する部屋が映っていた。その中に柴乃の姿もあった。
部屋の前方に、一色のパーソナルAIオーロラが立ち、ルシファーの件をゲームの特別ミッションとして説明し、協力を仰いでいた。
「こいつらが助っ人だと? ただのゲーム好きの寄せ集めにしか見えねぇな」とドライが鼻で笑った。
「皆さん、わたくしと同じSランクプレイヤーですので、心配いりませんわ。とてもお強いですわよ。おそらく、三日月さんにも負けないくらいの実力者ばかりですわ」と一色は柔らかな笑みを浮かべながら答えた。
「は……? そんなわけねぇだろ!」
「ドライより強いかはどうでもいいけど、たしかに、彼らは強力な助っ人になり得るかもしれません」
ゼクスが口を挟むと、「どうでもよくねぇ!」とドライが叫んだ。
「テュールはどう思う?」と指揮官が冷静に尋ねた。
「わたしも、一色様のご意見に賛成です。彼らが協力してくれた場合、討伐できる確率が上がります。しかし、相応のリスクもあります」とテュールは答えた。
「どんなリスクだ?」と指揮官は問い詰めた。
「現在、ルシファーの実力は完全にはわかっていませんが、データによればSランクプレイヤーに若干劣る可能性があります。今の段階で速やかに撃破するのが最善策です。しかし……」
少し間を置き、テュールは冷静に続けた。
「もし、すべてのSランクプレイヤーのデータを吸収されれば、ルシファーは進化し、制御不能なウイルスとなります。その結果、どんな手段をもってしても、倒すことが不可能となるでしょう」
「そうなった場合、どうなる?」と指揮官はさらに尋ねた。
「街が崩壊します」
その場にいた全員の脳裏に、崩壊する街の姿がよぎり、ゾッと背筋を凍らせた。
重たい空気が流れ、緊張感が辺りを包み込んだ。
その沈黙を、ゼクスが破った。
「心配するな。そうならないように、ぼくがサポートする」
「何か策があるのか?」と指揮官が問いかけた。
「体力が二割を切った時点で、こちらから強制ログアウトさせます。それで、データを吸収されるリスクは限りなく低く抑えられるはずです」とゼクスは冷静に返し、「そうだろ? テュール」と問いかけた。
「はい」とテュールは即答した。
「強制的にログアウトして、プレイヤーは大丈夫なのか?」と指揮官は心配そうに尋ねた。
「問題ありません」とテュールが答えた。
「そうか……」と指揮官は呟き、息をついて落ち着くと、「わかった!」と力強く頷いた。
こうして、『怪獣狩り』のSランクプレイヤーも、ルシファー討伐任務に参加することとなった。
しかし、映像の中で、多くのSランクプレイヤーたちは険しい表情を浮かべていた。現実世界の状況を知らない彼らにとって、『敗北=自らのデータ全消失』というリスクは、とてつもない恐怖のようだった。さらに、曖昧な説明に疑念を抱き、何人かはログアウトを選択して姿を消した。残されたプレイヤーたちも、互いに顔を見合わせ、不安げにログアウトボタンへと手を伸ばしていた。彼らの視線の先には、逃避を誘うように静かに輝く、白いログアウトボタンがあった。
一色たちはその状況を静かに見守っていた。
場の空気は不安と動揺で満ちていた。このままでは大半のSランクプレイヤーがその場を去ってしまいそうな雰囲気だった。
だが、柴乃が力強い一言を放ち、場の空気を一変させた。彼女の言葉は短くも鋭く、空気を切り裂いた。そして、彼女の決意に満ちた眼差しに、多くのプレイヤーたちが息をのみ、迷いを捨てて参加を決意した。
イリスは、柴乃の勇敢な姿に心を打たれた。
柴乃ちゃん、やっぱり気づいていたんだ……街がウイルスでこんなに混乱しているって。それで、自分も戦う覚悟を決めて……一人じゃ足りないから、みんなを巻き込んででも助けたいって……すごい、本当にすごいよ、柴乃ちゃん!
「なんだこいつ……! 面白れぇやつだな」とドライは笑った。
「この子……かわいい……!」とフィーアは愛おしそうに目を輝かせた。
「こういう人、嫌いじゃない……」とゼクスが呟いた。
「向こうも盛り上がっていますね。では、わたくしたちも参りましょう」と一色は明るく声をかけた。
六人は一斉に目を閉じ、それぞれの胸に去来する感情を静かに整理した。やがて、全員が呼吸を揃え、「コネクト・オン!」と力強く声を放った。その瞬間、量子デバイスが眩い光を発し、彼らの意識を一気にネットの世界へと引き込んでいった。空間がねじれ、光の渦が視界を包む。その中で彼らの意識は加速し、次の瞬間には、データの海へと飛び込んでいた。
その場に残った指揮官は、ゲーム画面に映るプレイヤーたちの背中を見つめながら、小さく息を吸い込んだ。
「頼んだぞ!」
その声には、心の底からの願いが込められていた。
「テュール、準備はできているな? ぼくたちは外で待機して、プレイヤーを保護しつつ、ウイルスを一匹も逃がさないように動くぞ!」とゼクスは指示を出した。
「了解しました」とテュールは冷静に応じた。
「テュール、わたしは中から彼らをサポートするわ」
イリスはテュールにだけ届く声で、強い決意を込めて告げた。
「ああ、任せた!」とテュールは答えた。
イリスは司令室から転移し、柴乃のもとへ戻っていった。
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