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075 獣幼女、完勝

 ぬぉぉぉぉ〜〜〜〜っ! またっ、転がってっ。転がってぇっ。


 どっ。


 ぬふぅぅ……何か硬いものにぶつかって止まった……。くぅぅ、目が回る。気持ち悪い。ふらつきながら身体を起こすと、頭上から雪の塊が落ちてきた。


「ぷわっ? な、なひゃぁぁっ!?」


 雪がっ、コートの隙間にっ、首筋に入ってぇっ。冷たいっ、つめたいつめたいつめたいつめたいぃぃっ。脱ぐっ。とりあえず中の雪を払わねば——。


「ふにゃびゅぅぅぅぅぃぃっ!」


 脱いだら脱いだで打ちつける雪がぁぁっ。だがこのままではっ。凍えてしまうっ。幼女の柔らか身体が固まってしまうぅぅっ!


 服の中の雪を払いコートを羽織り直して気づいた。儂がぶつかったのはアルビオーネだ。落ちてきた雪もアルビオーネに積もっていたもののようだ。身体中が雪に覆われていて、さながら雪像のようになっている。

 コイツはコイツで危険な状態だ。アイソスもアルビオーネも、もちろん儂も。この状況を早く打破しなくては。それには。


「ゼナぁぁっ! なにを遊んでいるっ。早くその獣を倒せっ。敵はもう一人いるのだぞっ! アリュも限界だっ!」

「おっ、おおっ! わかったぞ!」


 ゼナロリスと獣は変わらず戦い続けていたようだ。しかしゼナロリスの口調と無傷の身体を見るに、コイツにとっては遊んでいただけのように思えた。

 エンデルムートの直属、それに自身に有利な環境、難敵かとも思ったが、そうでもなかったようで幸いだ。まあ、環境に関してはゼナロリスにとっても有利に働いたようだが。


「楽しかったぞ。けど、終わりだな」


 ゼナロリスが足を止めた。荒い息遣いは苦しさではなく興奮から出ているものだろう。心地よい適度な緊張感が尻尾の揺れ具合に見て取れる。ああ、コイツは本当に楽しんでいたのだな。


「き、きさ、ま、このガキがぁぁぁぁぁーーーーっ!」


 一方、全身に傷を負った獣の白縞の体は雪に浮いている。その気勢は衰えていないが、姿は変わり果てている。獲物をいたぶる猫のつもりが、逆の立場になったようだ。


 ゼナロリスが手招きをした。挑発、にも思えるが、違うな。最初の対峙の時とはまるで異なる、ある種の優しさを表した仕草だ。幼女に向かって『全力でぶつかっていいぞ』とでも言うように。


「ぐ、ガァァァァーーーーーーッ!」


 獣が雪を蹴った。のしかかるような跳躍。ゼナロリスは迎え撃つ。ただ静かに上体を沈ませて前脚の爪撃を掻い潜り、半歩横にずれて獣の襲撃を流す。

 儂のすぐ近くに着地した獣が、ゼナロリスの方へ頭を向け——それで仕舞いだった。

 獣の喉元から発したモノに雪は染められてゆく。倒れた体を中心に赤く。ゼナロリスを象徴する色に染められ、獣は動かなくなった。


 指先に舌を這わせて、ゼナロリスが向き直った。

 

「グリム殿ーーーーっ!」

「んぷっ!?」


 飛び込んできた獣幼女が胸元を押しつけてくる。暖かい。凍えた儂の頬が緩んでゆく。まあ、緩むのは暖かさのせいだけではない。緩みすぎて、くうぅ……なんだか、目が……。


「ど、どうした、グリム殿? オレ、大丈夫だぞ。それとも何かあったか?」

「い、いや、なんでもない。それよりも向こうだ。風雪の動きを見ろ。そこにいる露出女を倒せ。さすればこの暴風も止むだろう」


 おそらくは、アイツがこの風を操っている。雪を呼んだのはエンデルムートの力だが、儂を吹き飛ばしたように、風を発生させているのはあの露出女のはずだ。


「わかった。まかせろ。——ん、どうした。離してくれ」

「あ、そう、だな。そう。急いでくれ」

「心配いらないぞっ。グリムワルド様の幼女が、その力を見せつけてやるっ!」


 心配などしていない。ゼナロリスはやってくれるはずだ。確信を持って断言できる。ただ、もう少し。もう少し、あのままでいたかったのだ。

 雪に姿を薄める獣幼女が、なぜか今まで以上に愛おしく思えてしまった。


 暖かさを逃さないように自らの体を抱きながら、アルビオーネのそばにしゃがみ込む。あと少しだ。この暴雪を払い、アイソスをエンデルムートから引き離す。それができるのは、今はゼナロリスだけ。あと少し耐えれば。


「グ、ゥヴヴヴヴヴ……」


 地鳴りのような唸りが聞こえた。傷ついた獣がゆっくりと身体を起こす。

 ゼナロリスが裂いたはずの喉からの出血が止まっている。見えたのは赤く染まった氷だ。凍結によって止血をしたというわけなのだろうが、コイツまだ動けるのか。


 揺れる琥珀の瞳が合った。儂を捉えている。


 思わず唾を飲み込んでいた。今の儂では手負いのコイツの相手などできん。アルビオーネにしても動ける状態ではない。ならば——。


 できるか? 魔力での身体強化。


 これまで幾度かは使っていた、魔力による身体操作。このアイソスの体が傷ついてしまった時、あるいはコネクトした時、儂は魔力によって体を操作していた。

 それ以外にも、コネクトで自らの身体を傷つける時や、半ば無意識ながらも、アルビオーネを嗜める時にも使っていたのだ。本来の肉体的な力に、魔力による操作の力を上乗せする強化を。


 元が幼女の身体だ。強化したところで微々たるものかもしれん。が、瀕死の獣相手であれば十分ではないか? リスクはあるが、やらねばなるまい。


「グル……グオオオオォォォォーーーーッ!!」


 獣の咆哮にひりつく冷気が震えた。憤怒の形相で儂を睨みつけている。儂に手を出すな、などという仲間の言葉はすでに本能の彼方のようだ。

 逃げるわけにはいかん。アルビオーネが襲われるだけだ。儂が食い止める。せめてゼナロリスが戻るまでは。


「くっ、来るがよい。このアイソスの身体、貴様などに蹂躙させるかっ」

「ゴァオオォォーーッッ!」


 体内の魔力を操り、腕に両足に巡らせる。

 迎撃の準備は整った。そこへ獣が迫る。愚直な突進だ。見た目通りの幼女だと思っているのだろう。だが。


 ゴッ!!


 鈍い音とともに獣の身体は雪の地面に転がった。


——ん?


 何が起きた? 儂はまだ動いていなかった。であるのに、その爪が届く寸前に獣は弾き飛ばされていたのだ。


「……ギ、ザ…………マ……なに、を……」


 獣がよろめきながら立ち上がった。その疑問には答えられん。儂の見る限り、透明な障壁にでも阻まれたかのようだった。まさか、アイソスの聖女としての力か? ふっ、儂の知らぬ力が目覚めたとでも?


「ゴ……ロス……ゴロォォォォーーーーッ!」


 ゴッ! ゴブッ!


 再び飛びかかってきた獣は、同じように弾かれた。今度は立ち上がれないようだ。衝突の際の衝撃か、首の傷を覆っていた氷は割れ、ゆっくりと赤が広がっている。口元からも泡を溢しており、完全に気を失ったようだ。


「ふわ……ぁ……」


 身体から力が抜けてゆく。一瞬の対峙だったが、幼女の身体はかなりの負担を感じてしまっていた。この極寒だというのに、全身汗ばんでいる。緊張が解けると冷たいものが背中を伝って——


「ひゃっ!?」


 な、なんだ? さらに冷たいものがっ!?


「ふひゃぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーっ!!」


 つっ、冷たいっ! 冷たいものが押し当てられているっ!? 背筋が勝手にピンと伸びてのけぞってしまう。

 何が!? 何が儂をっ!?


「ひゃうっっ」


 不意に、押し当てられている感覚が消えた。だが冷たさは残っている。尻の辺りがじんじんひりひりするのだ。


「い、一体何が……」


 振り返って言葉を失ってしまった。


 アルビオーネが両手で顔を覆っていた。

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