陰陽師
日も暮れはじめた頃、緋袴を履いた巫女は木で建てられた大きな門戸を見上げていた。
身分の高い物のみが住める邸宅である。
ふいに中から荒々しい声がした。
それは次第に近づいてくる。
巫女は門戸を睨みつけていた。
ついに門戸が開けられ、罵声と共に女中とみえる女が押し出された。
「いい加減に吐け!姫様を呪ったろう!!」
「この恩知らずめが!言え!どうやって姫様に呪いをかけた!」
「吐け!吐かぬか!!」
呪いという言葉に巫女は目を眇める。
罵声を放っているのは武士の格好をした者達、数名。
押された女中は地面に手を付いて這いつくばっている。
よく耳をすませば「やめてください」「知りません」と女中は許しを乞うていた。
巫女は女中を静かに眺める。
女中の顔は涙に濡れ、着物は土埃に塗れている。
巫女は吐息をつくと、スッと女中の前に己の身を割り込ませた。
そこで初めて、巫女の姿を視界に収めた武士たちは一歩下がって捲し立てた。
「何者だ!」
「こやつを庇うとはお前も仲間か!?」
「違います」と巫女は凛とした声で答えた。
それに対し、一人の武士が代表するように前に出て唾を飛ばす。
「ならば退け!!そやつは我が屋敷の姫を呪った悪党だ!」
巫女は、その武士をひたと見つめ返し、逆に問うた。
「この惨事の責任者は貴方ですか?」
「惨事とは何だ!」と憤る男の声。
それに被せるように、武士たちの奥から年老いた声がした。
「主は儂だ。」
道を開けるように左右に別れる武士達。
その道を通って歩いてきたのは初老の直衣姿をした男だった。
「何の用か。巫女殿。」
初老の主は堂々と尋ねた。
その後ろには、ぴったりと式服を着た若い男が従っている。
巫女は二人を見ながら言葉を発した。
「この者は呪いをかけてなどおりません。」
これに式服を着た男の方が反応する。
「ふざけるな。姫が呪われたのは、そやつが赴任した直後から。そやつが犯人に間違いない。」
巫女は式服の男に視線を向ける。
「貴方は?」
質問に対し、「この陰陽師の春日を知らないのか」と式服の男は顎を突き出して答えた。
「そうでしたか」と巫女は目礼し、「けれど」と返す。
「この者は鳥にございます」と続けた。
「呪いをかけるなど無理なことかと。」
これに「いい加減な事を」と春日の陰陽師はいきり立った。
初老の主も不信感を露わにする。
巫女は二人の視線を真っ直ぐ受け止めつつ、息を吸う。
そして風の音に似た音を発した。
すると、それを受けたように、今しがたまで女中であった女は小さな雀へと姿を変えた。
陰陽師は息を飲み、初老の主は「なんと」と声を詰まらせる。
「この者は、遥か昔に助けて頂いた姫に恩を返すために姿を変えて仕えていただけでございます。」
巫女は朗々と述べた。
雀は一声鳴くと、ぱたぱたと羽を広げ、夜空の月めがけて飛びたった。
呆気に取られる一同を眼に捉えた巫女は、言う。
「おそらく誰か人が、あの女中に扮した子に罪をなすりつけようとしたのでしょう。」
初老の主は空を仰ぎ見たまま唸った。
面子を潰された陰陽師は低く問う。
「貴様、何者だ?せめて名を名乗れ。」
巫女は暫し思案した後、簡潔に「朔夜と申します」と答えた。
陰陽師はニヤリと笑った。
「では、」と巫女は踵を返す。
そうはさせじと陰陽師が一歩前に出て、印を切った。
「朔夜ッ、縛ッ!!」
力ある言葉が放たれ、巫女が歩を止める。
陰陽師が高らかに笑って嘯いた。
「妙な術で犯人を逃がす輩め、どうだ動けまい。」
初老の主と武士たちは巫女と陰陽師を交互に見やる。
どちらが正しいのか、状況を判じかねているようだった。
巫女は前を向いたまま、後ろに向いている右手から一指し指と中指を密かに揃える。
次に振り向きざま右腕を振り被った。
「なんだとっ!?動けるはずが」
「ない」という陰陽師の声は、爆風に遮られた。
前方からの突風に誰もが目を閉じ、足を踏ん張る。
「軽々しく真名を明かす術者はおりませんよ、春日殿。」
巫女の声が風に乗って届けられた。
やがて風が止み、人々が目を開けた時、そこに巫女の姿はなかった。
陰陽師はがっくりと膝を着いた。
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