表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
36/48

夢のあと

挿絵(By みてみん)

書斎。

薄暗い部屋で、奥川雅也は煙草をくゆらせていた。

灰が長く伸びている。

落とす気配もない。

ただ、宙を見ている――何もない、どこかを。

――コンコン。

「……入るよ」

返事も待たずに、襖が開く。

紫が顔を出した。

「……桃花、思ったより落ち込んでる」

「そらそうやろ」

視線も向けずに答える。

「なんとかしてあげてよ」

「なんで俺やねん。人見て物言えや。俺がそんなん出来るように見えるか。女のお前の方がええんちゃうか」

「私にはかけてあげる言葉もうまく伝える事が出来ないから……」

一歩、部屋に踏み込む。

「私、恋愛とかよく分かんないし」

「……」

「桃花の気持ちも、理解できない」

少しだけ言葉を選ぶように、間が空く。

「そんなもんごちゃごちゃ考えてもしゃあないやろ。今は寄り添ったるだけでも悪くはないんちゃうんか」

雅也も答えに窮しているせいか返しの言葉も歯切れが悪い。

「でもさ」

「……」

「今の桃花、見てるのきつい」

短い沈黙。

煙草の煙が、天井へ流れていく。

「だから、先生が行ってみてよ」

雅也は、長く息を吐いた。

灰が、ぽとりと落ち、軽く払う雅也。

「……しゃあないのう」

煙草を灰皿でもみ消すと椅子を軋ませ、立ち上がる。



客間。

布団の中で、桃花はスマホを握っていた。

画面はついたまま。

でも、指は止まっている。

どこにも、送る相手がいない。

――コンコン。

「……はい」

弱い声。

襖が開く。

雅也が入ってくる。

無言で腰を下ろし、少しだけ迷ってから煙草を取り出した。

火をつける。

小さな炎が揺れ、消える。

「……少しは落ち着いたか」

ぽつり。

桃花は小さく笑う。

「らしくないですね」

「……あ?」

「紫に言われたんですか」

「まぁ、そんなとこや。らしくもないと自分でも思っとる」

煙を吐く。

「立ち直れ言う方が無理あるやろ、あんなことの後で」

桃花は視線を落とした。

「……私、本当に迷惑かけてばっかりですね」

「はっ今更やのう」

鼻で笑う。

「俺を誰やと思ってんねん」

煙草をくわえたまま言う。

「元極道やぞ。もっとヤバい場面なんぞ、いくらでもあったわ」

少しだけ間を置いて、

「昨日みたいなんはな、ちょっと肝冷えた程度や。なんもないわい」

桃花は、くすりと笑った。

「昨日よりヤバいこと、あったんですか」

「いくらでもあるわい」

煙をくゆらせながら、

「一回なんか、もうちょっとで魚の餌にされるとこやった」

「……昨日の私と一緒だ」

その瞬間、空気が落ちた。

沈黙。

灰が、落ちる。

雅也はそれを見てから、ゆっくりと口を開いた。

「まぁ、生きとったらそういうこともあるわ」

煙を吐く。

「何はともあれ、お前は死ななかった」

「それだけで十分やろ」

少しだけ視線を上げ、

「今回のこともな、どっかで役に立つ場面があるやろ」

桃花は唇を噛んだ。

そして、小さく言った。

「……私」

「まだ、英二さんのこと好きなんですよね」

沈黙。

「おかしいですよね」

「……」

「あんな目にあったのに」

顔を伏せる。

「でも、喫茶店で話してた時間は……本当に楽しくて」

声が震える。

「ちゃんと、好きだったんです」

涙が、ぽたぽたと落ちる。

雅也は何も言わず、煙草を灰皿に押しつけた。

また、新しい一本に火をつける。

(……やっぱり、あかんか)

内心で呟く。

(囚われとる)

蒼神椿。

あの怪異の影は、想像以上に深い。

思い出の皮を被って、根を張っている。

(このままやと、ずっと引きずる)

煙を吸い込む。

――わずかに、指先が震えた。

(俺には、まともに救う手段はない)

まともな手段は。

一瞬、目を閉じる。

「……悪いな、桃花」

かすかな声。

「こんなやり方しか、できへんで」



――パリン。

ガラスが割れるような音。

景色が、歪む。



朝。

桃花は目を覚ました。

「……あれ」

ぼんやりと天井を見る。

白い天井。

見慣れない、でもどこか知っている場所。

「私、なんでここに……」

起き上がる。

窓際に、雅也がいた。

煙を外へ吐いている。

どこか疲れているように――いや、消耗している、という方が近い。

「奥川さん……?」

――バンッ!

襖が勢いよく開く。

「先生!」

紫が飛び込んできた。

眠れていないのか、少し疲れているように見えた。

「また何かしたでしょ」

雅也はゆっくりと振り返る。

一瞬、焦点が合っていない。

「……そうか」

小さく呟く。

「やっぱり、お前だけは分かるんやな」

「は?」

紫が眉をひそめる。

一歩、踏み込む。

「ねぇ先生、何をしたの?」

静かな声だった。

責めているのではない。

ただ、悲しんでいる。

雅也は答えない。

煙を吐くだけ。

桃花は首に手を当てた。

「……なんか、変」

記憶が、曖昧だ。

ここに来たはずなのに。

その前が――思い出せない。

「……悲しいことがあった気がする」

理由も分からず、涙がこぼれた。

雅也はそれを見て、短く息を吐く。

「夢や」

軽く、言う。

「怖い夢でも見たんやろ」

「夢……?」

「せっかく来たんや」

無理やり話を変える。

「久々に"桜花"でも行くか」

らしくない、少し浮いた調子。

紫はじっと睨んだ。

「……ねぇ、先生、この方法しかなかったの?」

ぽつりと呟く。

声に、怒りはない。

雅也は肩をすくめる。

「分からん。ただ、俺は生き方の下手糞な人間や。この方法しか思いつかんかったんや。しゃあないやろ」

視線を逸らす。

「ほら、準備せえ」

いつも通りの、雑な口調。

けれど、どこか嚙み合っていない。

なにか欠けている。



外。

日差しが差し込む。

やけに眩しい。

やけに、現実感がない。

桃花は空を見上げた。

(……あれ)

胸の奥に、わずかな違和感。

何かを忘れている。

大事な何かを。

でも、それが何なのか、分からない。

「……まあ、いっか」

小さく呟く。

その時。

ほんの一瞬だけ。

風に、何かが混じった気がした。

花びらのような――青い影。

振り向く。

誰もいない。

ただ、風だけが通り過ぎていく。

胸騒ぎだけが、残った。


そして、桃花は気づかない。

自分の頬を伝った涙の理由を。

泣いた夢の中身を。

消えたはずの、その名前を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ