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現在アルサンドラ・フィルイールという名前の自分は冷血な人間である、と思っている。
それは改名する前からそうだし、半年後にアルサンドラ・エク・ドゥールになった後も変わらないだろう。
公爵令嬢として育ち、己の身分を理解しているからこそである。
その証拠にアルサンドラには友人と呼べる関係を持ったことがない。
東領の貴族の令嬢が通う塾では一人ではなかった。
だから、別に嫌われているわけではない。公爵令嬢という身分に皆遠慮をしているだけなのだ、と自分では思っていたが、西領に来た今、真実は分からない。
公爵令嬢なので、常に周りには誰かがいた。
塾には女子しかおらず、強い派閥思想が存在したためだ。
塾内でのヒエラルキーは実家の爵位と直結しており、自身に何の力もないアルサンドラもヒエラルキーの上に位置した。
昼食を一人で食べたことはないし、教室の移動の際にはいつも集団だ。
しかし、派閥の女子に仲のいい友達は誰かと匿名で尋ねたら、アルサンドラの名前は、一体何番目に出てくるだろうか。
アルサンドラだって友達は誰かと聞かれたら、即答出来はしない。
独りぼっちではないではないか、と言われるかもしれないが、本音をまともに言ったことがない相手を友達と呼ぶのだろうか。
雑談のときに、意見を求められても答える基準はいつも同じ。
公爵令嬢として正しい答えを。
当たり障りのない無難なことしか言ったことがなかった。
派閥の中で自分の立場を弁えずに思い上がって意見してきた者には冷たく淡々と応じた。
昨日まで一緒に笑っていた人が派閥から抜けても決して追わず、何もなかったかのように振る舞った。
下手なことをしたり言ったりして、家に迷惑をかける訳にはいかないし、他人に馬鹿にされるのも嫌だった。
間違っていなかったと思う。
辛くもなかった。
他の人だってやっていることだろうし、こういう人間関係に自分の性格はあっているのだ、きっと。
だから、父が自分の性格が輿入れに向いている、と言われたとき、アルサンドラは悟った。
幸せになれるような縁談ではないのだろう、と。
条約で戦は禁じられているとはいえ、明日東朝と西朝が再びこの国の主権を争ってもおかしくない。
もしそうなったときは、西朝の重鎮を一人でも多く殺して、東朝の足手まといにならないよう自害する。
それが例え夫や親しい人だったとしても。そう決意していた。
だから、敬語も崩さないつもりだった。
が。
いざ、西朝に来てみると内情は大分違った。
東西が争わなかったとしても、憂き目に遭うだろうと思っていた。
公爵家では疎まれて陰口を言われ、王宮に嫁いでも夫からは嫌われ、使用人にも哀れまれ嘲笑され、たまに本を読むのを楽しみに一人寂しく生きて、一人で死ぬのだろうと。
そう思っていたのだが。
夫となるトゥーファイズの為人はまだ男色疑惑があるくらいでわからないが、義妹となったフューリーはこちらが不安になるほど素直だ。
贈り物をもらったくらいで、その夜は恋の話をしながら、同じベッドで寝るほどに懐かれた。
義兄のショーザックも最初は無愛想だったが、どうやら接し方が分からなかっただけのようだ。
土産の礼に菓子をくれ、登校初日には学院を案内して友達を紹介してくれた。
たまに不審な挙動をすることもあるが、いい人だと思う。
不審な挙動といえば、ショーザックは三日ほど前から、毎晩菓子を差し入れてくる。
嬉しいのだが、夜の菓子は肌が荒れるし太る。
もしや、ザラザラ肌で結婚式のドレスも入らないような女に仕立て上げて破談を目論んでいるのか‼︎
と、思ったが、一緒に食べて悩みはないかなどと気遣ってくれたり、こちらが笑うとわずかに頬を緩めたりしてくれるので、本心からの優しさなのだろう。
不器用そうな人なので、表情の変化はわずかだが、その分それが嘘ではないと分かる。
菓子を持ってくるとき、とても楽しそうなのでアルサンドラは弟か忠犬みたいだな、と思っている。
「お姉様、昨日は学院いかがだったかしら?」
登校二日目、朝食の席でフューリーが聞いてくる。
ショーザックはもう食べ終わって部屋にいるようだ。
「昨日はショーザに学院を案内してもらって友達も紹介して頂きましたよ」
初等部から仲がいいという、第四王子のユリアンと子爵子息のキルモ、カリシュードも既知の仲だが先日仲良くなったと紹介してもらった。
「後期生は授業が選択制だと知って驚きました。東領の塾は三年間全て決められた授業でしたので」
高等部の一年生から三年生は前期生、四年生から六年生は後期生と呼ばれている。
前期生は南校舎でクラスごとに決まった時間割の授業を受けるが、後期生は決められたいくつかの授業以外を自分たちで選択する。
時間割をまだ決めていないアルサンドラをショーザたち四人が案内してくれた。
生徒たちから興味津々の目で見られたのは少し気まずかったが。
そういえば、とふと気になっていたことを思い出したので、一緒に朝食を食べている公爵夫人に聞いてみる。
「あの、奥様、このお邸って今どこか工事していますか?」
「いいえ? 何かあったの?」
「何かを打つような音をよく聞くので何だろうと思いまして」
三日ほど前から、ゴンゴンという音が朝夕によく聞こえてくるのだ。
てっきり、工事でもしているのかと思ったが、どうやら違うらしい。
「何なんでしょうね。フューリーは知っていますか?」
「ええ……まあ、知らないわ」
フューリーは何かを誤魔化すように歯切れの悪い返事をして「いっそのこと、数回じゃなくて百八回打てば煩悩も消えそうなものを……」と呟く。
何か知っているのだろうか。
重ねて聞こうかと思ったが、目が据わっていたので止めた。
「そういえば、アル、メニリーさんって方からお手紙が届いてるわよ」
家令の持ってきた郵便物の中から、封筒を差し出して夫人がおっとりと言う。
メニリーは二世見の従姉の名前だ。
ありがとうございます、と言いながら受け取り、ひっくり返すとアルサンドラの名前と共に親展の印がついていた。
朝食を食べ終え、身支度を整えて馬車に乗り込んでから、手紙を開く。
今日は二人とも静かなので集中して読めそうだ。
フューリーは眠いのかうとうとしているし、ショーザックは険しいほど真剣な顔で本を読んでいる。一体何を読んでいるのだろうか。
手紙は親愛なるアルサンドラ様へ、と始まっていた。
『息災でいらっしゃるでしょうか。私は相変わらず神殿で変わらない毎日を送っております。
西領では学院に通っていらっしゃるそうですね。私も前世で学院と似たような教育機関に通っていましたが、後悔したことがいっぱいありました。アルサンドラ様は後悔しないよう、是非、青春を謳歌してくださいね。
さて、本題ですが、聡いアルサンドラ様のことです、大体察していらっしゃるでしょう。
あなたの婚約者のことです。
以前の手紙では詳しくお伝えすることができなくて、申し訳ありませんでした。
二世見というのは、近頃改めて実感しますが、難しいものなのです。思い出したときにすぐさま当人にお伝えすればいいというものではありません。預言を与えられた者が最善の決断をくだせるタイミングでお伝えしなければいけません。
例え、どんなに衝撃的なことを思い出しても、冷静に自分の中にとどめ、このタイミングで預言を差し上げたらどうなるか、という結果も踏まえて、一番いい時にお伝えしなければならないのです。
全てが終わってからしか、自分の選択が正しかったのかは分かりません。もっと良い選択が出来たのではないかといつもそう思います。
神殿で手厚い保護を受けながら、それに応えられない自分の不甲斐なさを噛みしめるばかりです。
ですから、言い訳のようになりますが、この手紙を“今”書いていることが本当に正しいのかもわからないのです。
アルサンドラ様が一番幸せになれる選択をしていただけるよう祈るばかりです。
話は私の前世に遡ります。
私はニホンという国の学生でした。西領の学院のようなところに通っていたのです。
その世界は科学が発達しており、魔法のような道具がいくつもありました。その中に娯楽の道具として、ゲームというものがあったとお話ししたことがあるのを覚えていらっしゃいますか?
私が死ぬ前、世の中で『東西の暁』という一つのゲームが流行りました。
隠語で言うところのベーコンレタス、すなわち男色を主題にしたものです。
私もそのゲームをやったのですが、その『東西の暁』の中の世界がこの世界とまるで同じなのです。
そのため、私はゲームで見た未来を知っているということになります。
ここまでは以前もお伝えしましたね。
ここからは、今まで誰にも告げたことのない話になります。
そのゲームは恐れ多くもカリシュード様が主人公で、プレイヤーは主人公として出会った男性たちと恋をしていくという物語です。
あらすじとしては、突然人質として西領に行くことになったカリシュード様が西領の王宮で暮らし、学院に通ううちに恋に落ちるが、東と西という立場がそれを邪魔する。国の問題を乗り越え、二人は結ばれるのか、といったところです。
ゲームでは恋人候補となる攻略対象の中から一人を選び、恋をして行くのですが、その候補の中にアルサンドラ様の婚約者であるトゥーファイズ様がいらっしゃいました。
他に同じく王家のユリアン様、フィルイール公爵家のショーザック様、ハイドル子爵家のキルモ様も攻略対象でいらっしゃいます。
後にプレイヤーの要望に応える形で、第一王子のエーゼワルド様と第二王子のフェノリアン様も攻略対象のものも発売されました。
つまり、カリシュード様はトゥーファイズ様と恋仲になる可能性もありますが、他の方々と恋仲になる可能性もあるということです。
まだ、それぞれのルートで何が起こるかは前述の理由により、お伝えできません。
出来るだけ、トゥーファイズ様とカリシュード様の接触を避け、アルサンドラ様が親しくなれば、トゥーファイズ様のルートには入らないはずです。
それでは、またお手紙をお送りします。
どうぞ、御身にお気をつけてくださいませ。
メニリー・フェルトル』
* * * * * *
馬車の中で読み終えるつもりだったが、途中で酔ってしまったので、読み終わったのは午前中の授業が終わる頃になってしまった。
「やっぱりさぁ、ショーザは分かってないよね。アルもそう思うでしょ?」
キルモが向かいから話しかけてくる。
「すいません、少し考え事をしてて。何の話ですか?」
今は昼休みである。今日もショーザックとユリアン、カリシュード、キルモたちと昼食を摂っている最中だ。
しかし、メニリーの手紙を読むと、昨日とは違って違和感を覚える。
メニリーの手紙によれば、自分は今、ベーコンレタス四人に囲まれている、ということになるからだろう。
とても奇妙な気分だ。
傍から見れば、羨ましい逆ハーレム。
その実、男はみんな男色家予備軍(今のところは)であり、紅一点は腹に一物抱えているのだ。
そもそも、四人が一緒にいてくれるのも王子の婚約者で友人の義妹という義理か、女として見られていないか。恐らく、その両方だろう。
それぞれ立場があるのに、特定の女子生徒と四六時中一緒にいるだなんて、迂闊な真似は普通しないものだ。
「ショーザったら、あれを恋物語だなんて言うんだよ」
「誰が読んでもそうだろうが」
「何言ってるんだよ、あれは資本主義に対するプロパガンダとしての皮肉が……」
「どっからそんなもの読み取れるんだよ……」
小説の話だろうか。
ショーザックも真面目そうなのに恋物語を読むのかと驚く。
というか、意見を求めるなら何の小説かくらい言って欲しいものなのだが、そのままキルモは反論し始める。
「だってさーぁ? あのチェリーが告白を断るシーンでさぁ……って、ああっ‼︎」
突然、キルモが西の方を指差す。
それにつられて、四人とも視線をそちらに動かすと、
「エーゼワルド様がいらっしゃるわ‼︎ フェノリアン様にトゥーファイズ様まで‼︎」
「牡丹の三王子がいらっしゃるなんて‼︎」
と、中庭にいる女子生徒たちが悲鳴をあげ、男子生徒たちですら憧れの目でそちらを見ていた。
三人の王子が学院の中庭を歩いているのだ。
エーゼワルドは片頬をつりあげて颯爽と歩いている。
フェノリアンは兄のおまけ扱いなのが気に食わなかったのか、横のエーゼワルドをちらりと見てから、にこやかに手を振った。それを見て、女子生徒たちの悲鳴が大きくなる。
トゥーファイズは兄二人の後ろを歩いているが、相変わらず前の二人の華やかさに霞んでいる。
三人は真っ直ぐこちらに歩いてきた。
「一週間ぶりか、元気にしているか、アルサンドラよ」
「相変わらず可愛いね、アルサンドラ」
真っ先に声をかけてきたのはエーゼワルド、次いで歯の浮くような台詞を言ったのはフェノリアンだ。
「お陰様で何事もなく、過ごしております」
アルサンドラは席を立ち、頭を下げて言う。
顔を上げながら、トゥーファイズをちらりと見るが、遥か遠くを見ているような眼差しで何も言わない。
「トゥーファ、君は何も言わなくていいの?」
フェノリアンがトゥーファイズに聞くが、ぴくりとも表情を変えずに
「自分の聞きたいことは兄上たちが仰ったので」
というだけである。
トゥーファイズの顔を見て、アルサンドラは先ほどキルモに中断された“考え事”を思い出した。
メニリーが祈った“自分の幸せ”のための計画だ。
「全く何言ってるんだろうね、君は。今日は彼女に話があって来たんだろ」
私にもある計画がある。
アルサンドラはぎゅっと拳を握った。
トゥーファイズがエーゼワルドに押されて、前に出てくる。
「貴女には申し訳ない話なのだが」
私の計画もトゥーファイズには申し訳ないものだ。
「貴女は王子の妻にはなれない」
堅い声音でトゥーファイズが言う。
それと同時に、アルサンドラも心の中で決意を口にした。
貴方にはカリシュードと恋をしてもらう。
と。
一方、周りはトゥーファイズの発言を聞いて、みな一様に目を見開いていた。
その場にいる全員が静まり返っている中、「だったら俺がっ……」と声を上げかけたショーザックの口をユリアンは慌てて塞いだ。
明日から試験なので、しばらく更新できません……。
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