断罪の日
法廷に立つ前の晩、俺は眠れなかった。
眠れないまま、胸元のお守りを外して、掌の上で転がした。焼け焦げた跡のある、小さな銀の髪飾り。九年間、これを疑ったことは一度もなかった。
――銀の光。
あの商人の一言から、もう何ヶ月も、それが頭の隅にこびりついていた。大公妃の結界の色。九歳の俺を包んだ、あの色と、同じ色。
偶然だ、と何度も自分に言い聞かせた。銀色の結界など、珍しくもないはずだ、と。
言い聞かせるたび、指先が冷たくなった。
*
断罪の場は、静かに進んだ。
先の王妃エルヴィーネ様――リディエンヌ様の御母堂の日記が読み上げられ、俺の髪飾りが証拠卓に置かれ、検分官たちが長い沈黙のあと、口を開いた。
「――照合、一致。この髪飾りは、先の王妃エルヴィーネ様の御生家に伝わる細工。日記の記述によれば、九年前の春、王女リディエンヌ様が魔獣の森で紛失されたものと認められます」
その一言を聞いた瞬間、俺は、何かを理解したというより――何かが、体の奥から抜け落ちるのを感じた。
九年間、俺が拝んできたものは、彼女の落とし物だった。
最初から。
*
「――発言を、許可願いたい」
気づけば、俺は立ち上がっていた。
自分でも、なぜそうしたのか分からない。ただ、あの髪飾りを、あのまま証拠卓に置きっぱなしにしておくことが、耐えられなかった。
「検分官殿。……俺の検分も、お願いしたい」
「……俺の初魔力は、とうの昔に失われている。捧げた相手は――リュシオラ王女だ」
初魔力を捧げ、命がけで俺を救い、九年間ひたむきに想い続けてくれた人――この法廷の壇上にいる大公妃は、かつて俺の婚約者だった、本当の恩人だ。それを俺は、九年かけて、自分の手で手放してしまった。
*
「命の恩人と信じていた。九年前、俺を救ってくれた人だと。だから、この人にすべてを返すのだと思って……捧げた」
声が、震えた。止めようとしても、止まらなかった。
「三年前の検分の日。リディエンヌ様は俺に言った。『あなたと交換すれば、証明できる』と。……俺は、断った。俺にはもう、返すものがなかったからだ。それを言えば、彼女の――恩人だと信じていた人の秘密まで、暴かれると思ったからだ」
膝が、勝手に折れた。
騎士の礼ではなかった。ただ、立っていられなくなった男の、無様な膝だった。
「俺は……守ったつもりだった。恩人を。愛を。名誉を。……全部、守る相手を、間違えていた。本物の恩人を衆目の前で見殺しにして、偽物の秘密を九年、後生大事に……っ」
言葉が、そこで崩れた。
法廷の沈黙が、耳に痛かった。誰も、俺を蔑みも、慰めもしなかった。ただの、静かな重さだけがあった。
*
閉廷の後、法廷の隅で、俺はまだ膝をついていた。
彼女が――リディエンヌが、横を通り過ぎていく気配がした。
立ち止まる理由など、彼女にはひとつもないはずだった。それでも、床を見たまま、俺の口から、譫言のような言葉がこぼれた。
「……やり直したい……君と……」
足音が、止まった。
「――ご安心を」
顔を上げた。
「枷は、外れました」
その一言に、覚えがあった。どこで聞いたのか、思い出せない。思い出せないのに、耳の奥が、その言葉の形を、確かに知っていた。
枷。
俺はずっと、そう呼んできた。この婚約を、この人を。
だが、違ったのだと、今なら分かる。
枷なんかじゃなかった。愚かで、馬鹿だったのは、俺のほうだ。差し出されたものの重さも量らず、九年間、見当違いの場所ばかり見ていた、ただの愚か者だった。
彼女は、それだけ言って去っていった。振り返らずに。
俺はその場で、声を上げて泣いた。すっきりと、後悔のすべてを吐き出すように。
俺はその晩、初めて、九年前の焼け焦げた髪飾りを、胸元から外した。
恩人の形見であることは、今も変わらない。ただこれは、つい先ごろまで、俺のすぐそばにあった愛の証だった。もう、なくしてしまったけれど。
*
あとになって、何度も考えた。
枷だと思っていたものは、枷ではなかった。
俺が、見なかっただけだった。
失ってから、ようやく気づいた。失ったものの、あまりの大きさに。
もう、まっすぐに愛を届けてくれる人は、どこにもいない。




