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敵国に嫁いだ長女は振り返らない ~元婚約者ヴィンセルside~  作者: 鷹居鈴野


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10/10

断罪の日

 法廷に立つ前の晩、俺は眠れなかった。


 眠れないまま、胸元のお守りを外して、掌の上で転がした。焼け焦げた跡のある、小さな銀の髪飾り。九年間、これを疑ったことは一度もなかった。


 ――銀の光。


 あの商人の一言から、もう何ヶ月も、それが頭の隅にこびりついていた。大公妃の結界の色。九歳の俺を包んだ、あの色と、同じ色。


 偶然だ、と何度も自分に言い聞かせた。銀色の結界など、珍しくもないはずだ、と。


 言い聞かせるたび、指先が冷たくなった。


 *


 断罪の場は、静かに進んだ。


 先の王妃エルヴィーネ様――リディエンヌ様の御母堂ごぼどうの日記が読み上げられ、俺の髪飾りが証拠卓に置かれ、検分官たちが長い沈黙のあと、口を開いた。


「――照合、一致。この髪飾りは、先の王妃エルヴィーネ様の御生家に伝わる細工。日記の記述によれば、九年前の春、王女リディエンヌ様が魔獣の森で紛失されたものと認められます」


 その一言を聞いた瞬間、俺は、何かを理解したというより――何かが、体の奥から抜け落ちるのを感じた。


 九年間、俺が拝んできたものは、彼女の落とし物だった。


 最初から。


 *


「――発言を、許可願いたい」


 気づけば、俺は立ち上がっていた。


 自分でも、なぜそうしたのか分からない。ただ、あの髪飾りを、あのまま証拠卓に置きっぱなしにしておくことが、耐えられなかった。


「検分官殿。……俺の検分も、お願いしたい」


「……俺の初魔力は、とうの昔に失われている。捧げた相手は――リュシオラ王女だ」


 初魔力を捧げ、命がけで俺を救い、九年間ひたむきに想い続けてくれた人――この法廷の壇上にいる大公妃は、かつて俺の婚約者だった、本当の恩人だ。それを俺は、九年かけて、自分の手で手放してしまった。


 *


「命の恩人と信じていた。九年前、俺を救ってくれた人だと。だから、この人にすべてを返すのだと思って……捧げた」


 声が、震えた。止めようとしても、止まらなかった。


「三年前の検分の日。リディエンヌ様は俺に言った。『あなたと交換すれば、証明できる』と。……俺は、断った。俺にはもう、返すものがなかったからだ。それを言えば、彼女の――恩人だと信じていた人の秘密まで、暴かれると思ったからだ」


 膝が、勝手に折れた。


 騎士の礼ではなかった。ただ、立っていられなくなった男の、無様な膝だった。


「俺は……守ったつもりだった。恩人を。愛を。名誉を。……全部、守る相手を、間違えていた。本物の恩人を衆目の前で見殺しにして、偽物の秘密を九年、後生大事に……っ」


 言葉が、そこで崩れた。


 法廷の沈黙が、耳に痛かった。誰も、俺を蔑みも、慰めもしなかった。ただの、静かな重さだけがあった。


 *


 閉廷の後、法廷の隅で、俺はまだ膝をついていた。


 彼女が――リディエンヌが、横を通り過ぎていく気配がした。


 立ち止まる理由など、彼女にはひとつもないはずだった。それでも、床を見たまま、俺の口から、譫言うわごとのような言葉がこぼれた。


「……やり直したい……君と……」


 足音が、止まった。


「――ご安心を」


 顔を上げた。


「枷は、外れました」


 その一言に、覚えがあった。どこで聞いたのか、思い出せない。思い出せないのに、耳の奥が、その言葉の形を、確かに知っていた。


 枷。


 俺はずっと、そう呼んできた。この婚約を、この人を。


 だが、違ったのだと、今なら分かる。


 枷なんかじゃなかった。愚かで、馬鹿だったのは、俺のほうだ。差し出されたものの重さも量らず、九年間、見当違いの場所ばかり見ていた、ただの愚か者だった。


 彼女は、それだけ言って去っていった。振り返らずに。


 俺はその場で、声を上げて泣いた。すっきりと、後悔のすべてを吐き出すように。


 俺はその晩、初めて、九年前の焼け焦げた髪飾りを、胸元から外した。


 恩人の形見であることは、今も変わらない。ただこれは、つい先ごろまで、俺のすぐそばにあった愛の証だった。もう、なくしてしまったけれど。


 *


 あとになって、何度も考えた。


 枷だと思っていたものは、枷ではなかった。


 俺が、見なかっただけだった。


 失ってから、ようやく気づいた。失ったものの、あまりの大きさに。


 もう、まっすぐに愛を届けてくれる人は、どこにもいない。

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― 新着の感想 ―
格好つけているけど結局は浮気をしただけのクズ男ってだけですね。
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