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嘘つきは水曜日にやってくる  作者: 白川


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9/22

第9話 指先

 二週目の水曜。透はまた缶コーヒーを買ってベンチへ行った。

 茉莉は今度はリンゴジュースの紙パックに戻っていた。ストロー付き。

「先週、缶サイダーだったろ」

「うん」

「今日は紙パックなんだな」

「契約の日は缶、それ以外もここで会うなら紙パック、って決めたの」

「決めたって、いつ」

「今」

「お前、本当に、勝手に増やすな」

 茉莉は笑った。透も笑った。

 二週目の嘘は先週よりも少しだけ滑らかに出てきた。


「父さんは、休みの日は俺と将棋を指す」


「お父さん、あたしの進路、自由にしていいって」


「ふーん、いいね」


「いいな」


 たったそれだけのやり取りなのに、二人とも缶や紙パックを置いてしばらく動かなかった。

 動かない時間、というのは本音で話している時間とよく似ている。

 二週目の終わりに透は気づいた。

 茉莉が「お父さん、あたしの進路、自由にしていいって」と言った瞬間、紙パックのストローを軽く上の歯で噛んでいたことに。

 無意識の動きに見えた。

 ちょっとだけ視線が下がってストローを唇の真ん中で止めて、ほんの一瞬噛む。ぱきっと音がしないようにごく弱く。それから何もなかったようにストローを離す。

 偶然か、とその時は思った。

 ストローを噛む癖のある人間は世の中にいくらでもいる。

 偶然かと思いながら透は無意識にその動きを記憶した。


 三週目の水曜。

 その週は外で雨が降っていた。屋根の張り出しの下のベンチはそれでも二人を多少は守ってくれた。

 茉莉は今日は缶のお茶を持っていた。

「あれ、紙パックじゃないのか」

「忘れた」

「ルールがもう破られてるぞ」

「ルール、撤回」

「お前、本当にな」

 茉莉が今日の嘘を口にした時、茉莉の右手の親指は缶のプルタブに引っ掛かっていた。

 引っ掛けたまま軽く上下に揺らした。

 かちゃ、かちゃ、というごく小さな音が雨音の中に混ざった。


 四週目の水曜の前日。火曜の午後。

 六時間目と七時間目の間の十分の休み時間。透は職員室で世界史の小テストの再提出を済ませて廊下を自分の教室の方へ歩いていた。廊下には移動教室の生徒がまばらに固まっていた。階段の踊り場で何人かが立ち話をしていた。

 階段を上がって来る茉莉と、ちょうど踊り場ですれ違った。

 茉莉は灯ともう一人クラスメイトの女子と三人で上がってきた。

「あ、藤代くん」

 茉莉が教室モードで挨拶した。語尾はうっすら伸びていた。

「おう、桐谷」

 透も教室モードで返した。

 すれ違うはずの足を茉莉は踊り場の上で一拍だけ止めた。

「藤代くん、宿題、わかんない問題あったら聞いてもいい?」

 短い一言だった。

 灯ともう一人の女子がちらりと茉莉の横顔を見た。

「ああ、いいよ」

 透も教室モードで返した。

 茉莉がふっと笑って灯たちと一緒に階段の上の廊下へ歩いていった。

 歩き出す瞬間、茉莉の左手の人差し指が階段の手すりの金属の支柱をごく軽く弾いた。

 ぴん、とごく小さな金属音がした。

 灯たちは気づかなかった。

 透も振り返らなかった。

 振り返らずに自分の教室の方へ歩いた。

 その夜、机に向かいながら透は踊り場の一言を思い返した。

 あれは嘘だった。

 茉莉は宿題の分からない問題なんてない。あいつはたぶん模試の順位は学年上位だ。誰かに聞きに来るとしたら、それは別の理由がある時か別の人にだ。

 あの教室モードの一言は灯ともう一人が横にいたから敢えて出した、「藤代との接点はこれだけだよ」という偽装の一言だ。

 その一言を吐いた瞬間に茉莉の指先は手すりの支柱を弾いた。

 ぴん、と。


 翌日、四週目の水曜。

 透はもう確信していた。

 茉莉が嘘をつく瞬間、必ず指先が動く。

 ストローを噛む。プルタブを揺らす。プルタブを爪で叩く。手すりを弾く。

 動きの種類は様々だが共通点は一つだ。

「指先が、何か、噛むか弾くかしている」

 その日の嘘。

「あたし、勉強、好きなんだ」

 茉莉は紙パックのストローを上の歯で噛んだ。

 ぱきっと、今度はかすかに音がした。

「いいな」

 透は短く返した。

 言ったあと茉莉の指先をちらりと見た。

 茉莉はまだ気づいていない。

 自分が嘘をつく瞬間、何かに触れて噛むか弾くかしていることに。

 契約は嘘を嘘と受け入れる契約だ。

 契約は嘘を見抜く側にその見抜きを言葉にする義務を負わせていない。

 透は何も言わなかった。

 言わなかったが、その日から茉莉の嘘を物理的に確信できるようになった。

 言葉のトーンや視線の流れや声の柔らかさといった、自分の主観に頼った推測ではなくて。

 指先が動いた。

 だから嘘だ。

 その確信は嬉しいような苦いような、両方の味がした。

 嬉しい、というのは相手の嘘を見抜ける、ということではない。

 相手の嘘を相手以上に深いところで抱えてやれる、ということだった。

 苦い、というのはその嘘の数だけ茉莉が何かを誰にも言えずに抱えている、ということだった。

 ぬるい缶コーヒーを透は強く握った。

 爪の白さに気づくほど強くは握らなかった。

 まだ握らなかった。

お読みいただき、ありがとうございました。

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