第22話 二人の歩幅
卒業式から三週間が経った。
四月の最初の土曜、透は渋谷の駅前で茉莉を待っていた。
ハチ公の前はいつも通り人が多かった。透は銅像の足元のあたりに軽く寄りかかって、スマホを見ているふりをしながら、駅のほうから来る人の流れをちらちらと見ていた。
茉莉は五分遅れて来た。
いつもと同じ五分の遅刻だった。校舎裏のときと同じだった。
透は顔を上げた。
茉莉は白いブラウスに紺色のスカートを履いていた。コートは薄手の春物だった。髪はいつもより少しだけ下ろしてあった。教室で見ていた茉莉とも校舎裏で見ていた茉莉とも、ちょっと違う茉莉だった。
透は一拍止まった。
茉莉も透を見て少し止まって、それから口の端で笑った。
「藤代」
「うん」
「藤代って、私服だと、別人だね」
「……お前もな」
「うっそ」
「うん。嘘」
「ふうん」
「いや、本当」
「どっちよ、もう……!」
「本当」
茉莉は声を出して笑った。
声を出して笑う茉莉を、透は教室の窓越しに何度も見てきた。
教室モードの、桐谷茉莉の笑い声。よく通って、よく響いて……けれどどこか薄かった。
今日のはそれとは違った。よく通って、よく響いて、力強さがあった。
透も笑った。その時、自分の口の端のあたりが、いつもと違う角度ができていることに気がついた。
二人で並んで歩き出した。
歩き出してすぐ、横断歩道で信号待ちになった。茉莉は信号の手前でいったん止まって透のほうを見上げた。
「今日は、嘘なしだからね」
「うん」
「なしで、一日もつかなー」
「もつだろ」
「自信あるの?」
「ある」
「ふうん」
「お前は」
「ない」
「ないのかよ」
信号が青になった。
二人は横断歩道を渡り始めた。
最初の一歩は二人の歩幅がちょっとずれていた。
茉莉のほうがほんの少しだけ歩幅が小さかった。
透は二歩めで歩幅を少しだけ縮めた。茉莉は三歩めで歩幅を少しだけ広げた。四歩めで二人の歩幅は揃った。揃ったまま横断歩道を渡りきった。
渡りきった反対側で、茉莉がちらりと透のほうを見上げた。
透は見上げられているのに気づいて、ちょっと口の端を上げた。
茉莉は見上げた視線を前に戻した。
二人で並んで歩きながら、透はふと九月の校舎裏のことを思い出した。
夏休み明けの水曜。まだ暑い校舎裏。あのとき茉莉と初めて目が合った。茉莉がこっちを見て少し止まった。あの時のことを透は思い出していた。
あの校舎裏はもう卒業した。
あの校舎裏のベンチも、自販機も、ベンチの剥げた塗装の「3-1」も、いつもの場所にある。けれどもう二人で行く場所じゃなくなった。
代わりに二人は今日、こうやって渋谷を歩いていた。私服で並んで歩いていた。
茉莉がふと立ち止まった。
ショーウィンドウに薄いピンクのワンピースが飾ってあった。茉莉はしばらくそれを見ていた。透もしばらくそれを見た。
「藤代」
「うん」
「あれ、似合うかな」
「……似合うんじゃないか」
「ふうん、藤代は好み?」
「茉莉に似合っている、ってだけだ――買うのか」
「買わない」
「なんでだよ」
「高い。奨学金出るまで、節約しなきゃ」
「……うん」
「ま、いつかね」
「そうだな」
「いつか、買って、見せてあげる」
「ああ」
「藤代」
「うん?」
「いつか、っていうのが、ちゃんと来るんだと思うとさ、ちょっと変な感じしない?」
透はその茉莉の言葉を聞いて、口の中で繰り返した。
いつか、というのが、ちゃんと、来る。
その「いつか」を、契約のあいだ、二人とも口にしてこなかった。次の水曜だけが二人のあいだにあった。それも、今はもう無い。
でも今は違った。
「変な感じだけど」
透は続けて言った。
「悪い感じじゃ、ないな」
「うん」
「いつか見たい」
「……うん。見せるよ」
茉莉はショーウィンドウから目を離してまた歩き出した。透も歩き出した。歩幅はもう、最初からはずれなかった。
四月の桜は、もう散り始めていた。
二人の歩幅はそれからずっと同じになっていた。
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