エピローグ
暖かい陽が照らすベンチに、シリウスとケイシーは座っていた。
「今思うと、後悔の念ばかりだな……」
シリウスは、包帯が巻かれた自身の両手を見つめた。
「…………ああ」
ケイシーも同じように、火傷の跡が残る自分の両腕を見つめた。
「あの女は、やっぱり一筋縄ではいかなかった……お前の呼び出しにさえ、警戒するなんて……」
シリウスが眉間にしわを寄せて言った。
ケイシーは頷き、痛切な表情で目を閉じた。
「一年生のココルル・ハイネをよこすなんて、夢にも思わなかった……」
少しの間二人は黙ると、シリウスが顔を上げた。
「バルモンの経営不振で、ナタリーは学園を追い出されたって?」
「ああ。はじめからそうなることを知っていたらな……」
ケイシーは皮肉じみた笑みを浮かべて答えた。
「結局は天が裁きを下したってことか……また地獄へと戻っていった……」
シリウスは遠くを見つめた。
「彼女、必死に校長に泣きついたみたいだけど、あの校長のことだ。自分の役に立たないとわかったら、捨て駒のように彼女を学園から追放したらしい」
ケイシーの言葉に、シリウスは顔を向けた。
「よく知ってるな」
「高等部の教員たちが話しているのを聞いたんだ。当時は相当噂になっていたみたいだ。学園を追い出される時、彼女、泣き喚いて必死に門にしがみついていたって……」
それを聞いたシリウスは、フッとほくそ笑んだ。
だが、その瞳にはどこか晴れない影が落ちていた。
二年前の火事が起こった後、ナタリーは校長室に呼び出されていた。
学園の損害に関わる重大な事件だというのに、ナタリーはどこか嬉しそうに校長の机の前に立っていた。
「わたくしに御用って、一体なんですの? 校長先生。 やっとあの二人の処分が決まりましたの?」
「…………」
椅子に座った校長は、机に両肘を付け口の前で指を交差させて黙っていた。
「まさか、あの二人があんな失態を起こすなんて思いませんでしたわ! 学園のシンボルである聖菩樹とチャペルを燃やすなんて……気が触れたとしか思えませんわね」
ナタリーは髪を翻して校長に目を向けた。
「二人への処罰は当然、退学ですわよね? あんな危険な生徒を神聖なクアトロ・コートに置いてはおけませんものねぇ……わたくし、もう少しで焼き殺されるところでしたのよっ!?」
ナタリーの目はキッと鋭くなった。
一人で話し続ける彼女を、校長はじっと見つめている。
「校長先生、聞いてくださらない!? 火事が起こったあの夜、わたくし、ケイシーからチャペルに呼び出されましたのよっ!? 婚約のことで話したいことがあると手紙をもらって!」
校長は眉をピクッと反応させた。
「ほら! これが証拠ですわ!」
ナタリーはポケットから手紙を出し、ヒラヒラと校長に見せつけた。
「……どれ……見せてみなさい……」
揺れる手紙に目をやった校長は、感情の消えた声で手を出して言った。
ナタリーは校長の方まで歩いて、それを差し出した。
「…………」
封筒を開け中の紙を取り出して、校長は静かに内容を目にした。
「ね? 信じられますかしら!? ケイシーは婚約者であるわたくしをチャペルに閉じ込めて、焼き殺そうとしたんですわ! 結婚を急がなくて本当に良かったですわよ! あの男に殺されていたかと思うと……っ考えただけでも恐ろしいですわ!」
ナタリーは身震いした。
「……結局は、行かない判断をしたということだな……?」
校長はナタリーにジロッと目を向けた。
「今になって思えば、とても賢明な判断でしたわ! ま、冷静であるわたくしだから出来たんでしょうけど」
ナタリーは自慢げに鼻を高くした。
校長は手紙を握る手に力を入れた。
紙が小さく悲鳴を上げるようにくしゃりと音を立てた。
「チャペルには、ココルル・ハイネがいたそうだ。……君が仕組んだのか?」
その声は、氷のように冷たく低かった。
ナタリーは鼻で笑った。
「仕組んだなんて、人聞きの悪いことをおっしゃらないでくださいな! 彼女には、わたくしの代わりにケイシーの話を聞きに行かせただけですわ。クイーンであるわたくしの頼みなら、黒陽の生徒は喜んで聞き入れますもの!」
校長はため息をついた。
「……彼女の現状を知っているのか?」
「知りませんわ」
ナタリーは視線をそむけた。
「チャペルに閉じ込められた彼女は、天井から落ちて来た木片が頭に当たり、目を覚さない状態だ。 救急隊が見つけた時は、チャペルの外に倒れていたみたいだが……」
校長は、顔色一つ変えないナタリーをじっと見ていた。
「自力でチャペルから出たとは考えにくい……誰かが救い出したのだろう」
「なら、良かったですわね! それが、わたくしだったと思うと、ほんと恐ろしくなりますわ! ねえ、校長先生。あの二人の処分を早く判断してくださらない? わたくし怖くて外に出られませんわ!」
ずっと何かを探るようにナタリーを見ていた校長だったが、諦めたようにため息をつくと、ゆっくり口を開いた。
「…………処分は……しない」
「…………え?」
聞き間違いかと思ったナタリーは、校長に目を向けた。
「わたしが君をこの学園に置いたのは、彼らを学園から追い出すためではない。君の役目はあくまで派閥の対立を煽ることだ」
校長は椅子を回して後ろを向いた。
「…………?……っ?」
校長の言っている意味が理解できず、ただナタリーは校長を見つめた。
「結論から言おう。君は度が過ぎたみたいだ。わたしにも手に負えないほどにな」
校長は椅子から立ち上がった。
「……こ、校長先生……?」
ナタリーは耳を疑った。
「けれど、ちょうどよかった。君はもうじきバルモンのところから出ていかなくてはならなくなる。……あの孤児院に逆戻りだ」
校長はくるりと身体を返し、獲物を追い詰めた蛇のような不気味な笑みを浮かべて言った。
ナタリーは一気に不安と恐怖に襲われた。
「っ!?どっ、どういう意味っ!?」
「バルモンは事業に失敗した。建設業者として、致命的なあるまじきミスをね」
「……っ……っ」
ナタリーは呪縛にかかったように、淡々と語る校長の顔から目が離せなくなった。
「クロスアルド家とオルマンダ家が建てた。都心のオーベルジュに対抗して、豪華絢爛なホテルを建てようとしていたみたいだ。だが、その土地での木材の使用が禁止されていたにも関わらず、バルモンはそれを無視して、主な材料に木材を使った。市には鉄やコンクリートを使用したと虚偽の報告をしたことが明らかになり、ラングレス家は多額の負債を抱え込んだ。いわば君の父親の家は今、借金地獄の屋敷というわけだよ……」
「…………っ」
ナタリーは絶句した。
先ほどまで鼻高らかに笑っていた彼女は、一気に絶望へと落とされた。
目の前がだんだん暗くなる。
校長の言っていることは本当なのかーー。
今この状況は現実のものなのかーー。
ナタリーは頭を混乱させ、フラフラと身体を揺らすと、そのまま床に座り込んだ。
校長はそんな彼女を涼しげに見下している。
「君は、もうここの生徒ではなくなるんだよ。明日には、例の孤児院からの迎えが来るだろう」
校長はそう言いながら、手に持った手紙をビリビリと破り、ゴミ箱に捨てた。
小さな紙片となって落ちていく証拠を、ナタリーは自分の未来が切り刻まれていくのを見るような震える瞳で見つめた。
ナタリーにとって孤児院に戻るのは地獄と同じこと。
躾に重きを置くその孤児院は、自由がなかった。
子供たちにとって、それはとても窮屈なことだ。
もはやそこは、毎日のように先生の怒鳴り声が響き渡る恐ろしい場所となっていた。
「……いや……っ……いやよ……っ……もう、あんな地獄へなんか……っ」
ナタリーはボロボロと涙を床に落とし、両手で頭を抱え込み、激しく首を横に振った。
「行きたくないっ!! 助けて!! お願いっ! 校長先生ーーーっ!!!」
ナタリーは助けを求めて必死に校長に手を差し出した。
「…………」
校長は冷淡な表情で、黙ってナタリーを見下ろすだけだった。
すると、校長の口角が少し上がった。
「…………っ!?」
ナタリーは、涙で歪む視界の中でそれをはっきりと確認した。
目の前でほくそ笑む校長。
自分という人間は、学園に招かれたその瞬間から、この男の指先一つで踊らされるだけの「欠けた駒」に過ぎなかったのだ。
今それがわかり、ナタリーは頭の中を真っ白にさせた。
校長室から、この世の終わりとも言える女性の叫び声が響いたのは、後に噂として広まった。
「……守護者の二人とは……あれからは?」
ケイシーが少し躊躇しながら聞いた。
シリウスは目を閉じて、微笑しながら首を横に振った。
「一度も会ってない。バーバラ、きっとフランのこと気にかけてるだろうな……」
シリウスは目を開けた。
「クァントもどうしてるだろうな……二人には迷惑をかけた……そっちは、まだ交流があるのか?」
「同じ特進科のカミーユとは時々話すことがあるな。リドルは普通科だから、たまに顔を合わすくらいだ……その都度挨拶してくれるけど、なんだか気を使わせてるみたいで……申し訳なくてな……」
ケイシーは少し寂しそうに微笑んだ。
「そうか……」とシリウスは頷いた。
風に揺れる木々の音だけが、二人の間に流れる沈黙を埋めていた。
病棟内に午後の鐘が鳴り響いた。
シリウスとケイシーはハッとして顔を上げた。
「正午か……」
シリウスが呟くと、病棟の方から一人の看護師が近づいてくることに気がついた。
(さっきの……)
ケイシーは、その看護師に気がついて立ち上がった。
「すみません! お待たせしてしまって……診療を終えた後、疲れていたせいか眠ってしまわれて」
「いえ……今は、大丈夫ですか?」
ケイシーが尋ねると、その看護師は頷いた。
「ええ! 今、目が覚めて。今日はとても気分がいいみたいです。お会いになりますか?」
ケイシーはベンチに座るシリウスに目配せした。
シリウスは静かに頷いた。
ケイシーは少し驚いたように彼を見ると、自分も同じ決意を固めるように短く息を吐き、すぐに看護師に顔を戻して返事をした。
「はい」
「では、ご案内いたします」
看護師が身体を返そうとした時、シリウスが彼女に話しかけた。
「いや……もう少し後にします。すみません、無理を言って」
全身に包帯を巻いたシリウスに、看護師は初め驚いた表情を見せたが、すぐに先ほどのように返した。
「……そうですか? わかりました。では、また後でお声掛け下さい」
看護師は頭を下げ、病棟へと戻っていった。
「会うのか? シリウス」
ケイシーは聞いた。
「まさか……オレじゃない。けど、もう正午だっていうのに、遅いな……」
「……?」
シリウスの発言をケイシーは疑問に思い、首を傾げた。
「あ、いたいた! おーい!!」
向こうのほうから、二人に声をかける者がいた。
二人はそちらに顔を向けた。
「えっ!?」
ケイシーは、その人物を見て驚いた。
「エンジー! ……それに、オズじゃないか!」
ケイシーの目には、並んで歩く二人の姿が映った。
ケイシーは「どういうことだ?」と今にも聞きたそうに、シリウスの方へ振り返った。
それを察したシリウスが、悪戯に笑って答えた。
「オレが呼んだんだ。オズの田舎の電話番号は知っていたし、エンジーも誘って来いよって」
「……っ」
粋な計らいをするシリウスに、ケイシーは一本取られた様子で唖然とした。
「まったく! わかりづれーって、ここ!」
「まさかこんな丘の上だなんて思わなかった」
二人のもとへやってきたオズとエンジーは息を切らして言った。
「歩いて来たのか!?」
ケイシーとシリウスは驚いた。
「ううん。駅からバスで。けど、バス停からちょっと迷ったんだ……」
エンジーは恥ずかしそうに言った。
「ったく、お前の勘ってほんとに当たらねーよな! 入試で絶対ここが出るとか言いながら、全く出ねーんだもん」
「あ、あれは、オズも絶対だって言ってたじゃないか! 僕だけのせいにするなよ!」
「だってお前があんなに自信満々に言うからっ!」
「君だって……っ」
二人が言い争いを始めると、見兼ねたシリウスが止めた。
「おいおい、よせよこんなところで」
「シリウス。この二人、いつもこんな喧嘩してるみたいなんだ。止めるのは野暮だぞ」
以前、オルマンダ家の屋敷で二人に会った時、同じような光景を目にしていたケイシーが、笑いながら言った。
「なるほどな。喧嘩するほど仲がいいってやつか」
シリウスはプッと吹き出すと、ケイシーと笑い合った。
「〜〜〜っ!?」
二人にからかわれたオズとエンジーは、かぁっと顔を赤くした。
「お、お前らこそっ! 二人が仲良くこんなところにいていいのか? 両家の親にバレたらマズいんじゃねーの?」
オズは照れ隠しに、話題の矛先を二人へと向けた
彼女に聞かれ、シリウスとケイシーは目を合わせた。
すると、シリウスがオズに返した。
「いいんだ、今日は。毎年、ケイシーとここで会う約束をしているから」
「……え?」
オズは疑問に思って二人を見た。
「病院で待ち合わせするから、僕も妙だと思っていたんだ。……ねぇ、兄さん。ここってまさか……」
何かしらの推測をしていたエンジーは、それを確かめるようにケイシーに問いかけた。
ケイシーは頷いた。
「ああ。……フランがいる病院だ」
「っ!?」
オズは驚いて病棟の方に目を向けた。
「フランって……ナタリーに嫌がらせをされて、学園を辞めたっていう、白月のクイーンだよな……?」
オズはエンジーに確かめた。
「学園を辞めざるをえなくなったんだ……」
シリウスが答えた。
オズとエンジーはそちらに顔を向けた。
シリウスはうつむいている。
彼の気持ちを察し、代わりにケイシーが話し出した。
「ナタリーに追い詰められたフランは、意識を失ってからしばらく目を覚まさなかったんだ。医者の判断で入院を余儀なくされたが、目を覚ました彼女は、記憶を失ってしまっていた……」
「…………っ!?」
オズは驚いた。
フランの現状を知っていたエンジーはうつむいた。
「二人に頼みがあるんだ……フランに、会ってやってくれないか?」
「……えっ?」
シリウスの頼みに、オズとエンジーは顔を上見合わせた。
「見ての通り、オレはこんな状態だ。全身包帯のヤツが突然現れたら、フランのヤツ、驚いて怖がるだろ?」
シリウスは笑いながら言った。
その笑顔に切なさが混じっていたのは、その場の誰もがわかることだった。
フランに一番会いたいのはシリウスだ。
だが、今の彼には、記憶を失った彼女の前に立つことができない。
守れなかったことを謝りたくても、それは叶えられないものだった。
「…………」
ケイシーはうつむいて聞いていた。
二人に自分の唯一の望みを託すシリウスの気持ちが、彼には痛いほどわかっていた。
「……オレたちが会っても……なぁ……?」
オズは困った顔でエンジーを見た。
エンジーは頷き、シリウスとケイシーに聞いた。
「知らない僕たちが行ったら、彼女、余計に混乱しないか?」
「大丈夫だ。毎年シリウスの代わりに俺が会ってるけど、俺のことも覚えてないみたいだ。だから誰が行っても、今の彼女には、みんな知らない人に見えるんだ……」
ケイシーは二人に笑みを浮かべて言った。
「……彼女の話し相手になってやってくれよ。頼む……」
シリウスは二人に強い眼差しを向けた。
「…………」
オズはその左目を見て、決心したようにエンジーの方に顔を向けた。
エンジーもオズに頷いて返した。
「……わかった。フランに会ってくる」
オズはシリウスとケイシーに言った。
二人がフランの病室に向かい、ベンチには、またシリウスとケイシーの二人だけになった。
「まさか、二人を呼んで、フランに会わせるなんて……」
病棟の方に顔を向けながら、ケイシーが言った。
「彼女の気が紛れてくれたら、それでいい……オレに償えるのは、それくらいだ……」
うつむくシリウスは自身の胸の内を語った。
「記憶が戻らなくても……いいって言うのか……?」
シリウスの方へ顔を向けたケイシーは、少し躊躇して尋ねた。
「……少しずつ……少しずつでもいいから、思い出して欲しいんだ……彼女の負担にならないように……」
シリウスの切実な願いだった。
彼は顔を上げ、病棟を見つめた。
「オズとエンジーを見て、昔のオレたちを少しでも思い出してくれたら……」
「…………」
ケイシーも再度そちらに目を向けた。
オズとエンジーは、病棟の待合室で、看護師が来るのを待っていた。
「……なぁ、ずっと聞こうと思ってたんだけどさ……」
椅子に座っていたオズは、隣に座るエンジーに顔を向けた。
「……?」
エンジーは疑問に思って、オズの方に目を向けた。
「シリウスとフランって…………その……た、ただのクイーンとエースの関係だったのか?」
オズは聞きづらそうに視線をそむけた。
「……それ以上だと思ってるのか?」
「だって、シリウスがあんなにフランのことを想うのって……そりゃ、フランに申し訳ない気持ちはわかるけど……」
オズは動かす自分の足を見ながら言った。
エンジーは視線を自分の手元に戻した。
「二人は想い合っていたんだ。周りも認めるほどの仲だったって……」
エンジーの言葉に、オズは「やっぱりか」と顔を向けた。
「それが、フランを追いつめる原因になるだなんて、その時は誰も思わなかったろうな……兄さんだって、ナタリーとの婚約話さえなければ……こんな地獄みたいな結末にはならなかった」
ある程度のことを、兄から聞いていたエンジーは、深いため息をついた。
初めて聞く事実に、オズは身を乗り出した。
「ど、どういうことだっ!? ケイシーとナタリーが婚約って……っ」
すると、ちょうど看護師が二人を呼びにきた。
「お待たせしました。主治医の許可が得られましたので、部屋までご案内致します」
エンジーは立ち上がって会釈すると、オズに顔を向けた。
「後で話すよ。行こう」
「…………っ」
オズは困惑したまま、看護師とエンジーの後についていった。
看護師はフランの病室をノックした。
部屋の様子をうかがうと、看護師はオズとエンジーを中へ誘導した。
「し、失礼しまーす」
オズは恐る恐る部屋へ入った。
二人は一番にベッドに目を向けた。
が、そこにいるはずのフランの姿はなかった。
「……?」
二人が疑問に思っていると、ベッドの向こうで声がした。
「あれ?誰か来たみたいだよ!」
「本当だ!ねぇ、フラン、お友達かな?」
会話……に聞こえたが、どれも同じ声だ。
二人は確かめるように、ベッドの向こうへ回った。
「っ!?」
二人はハッとした。
フランは部屋の床にペタンと座り込み、両手にクマとウサギのぬいぐるみを持って遊んでいる。
フランはオズとエンジーに顔を向けた。
二人は息を呑んで立ちすくんだ。
「見たことない人たちだ!一体誰かな?」
「ねえねえ、君たち、お名前教えてよ!」
フランは、まるで両手の人形が話しているように動かしながら、二人に聞いた。
その瞳は水晶のように澄んでいたが、かつての彼女が宿していたであろう知性の光は、どこにも見当たらなかった。
「…………?」
オズとエンジーは戸惑いを隠せない様子で互いを見た。
「……時々、小さい頃の記憶に戻ってしまうんです」
後ろにいた看護師が、前を歩いて言った。
「でも、つい最近なんですよ。目が覚めてからは、ベッドでぼーっとしていることが多かったんですけど」
看護師は乱れたベッドを直しながら言った。
「小さかった頃、よほど楽しい思い出が多かったんでしょうね。最近は幼少期に戻って、こんな風に遊ぶことが多くなりました」
看護師は床に散らばったおもちゃを拾った。
「今日はクマちゃんとうさぎちゃんが一緒なのね。良かったわね、フランちゃん」
フランに歩み寄った看護師はしゃがんで彼女の頭を撫でた。
フランは嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、またぬいぐるみで遊び始めた。
まるで本当の小さい子のような頬の赤みは、とても精神が病んでいる人物のものとは思えなかった。
「…………」
オズとエンジーは複雑な思いで、その光景を見つめている。
「お話するといっても、ご覧の状態ですが……どうぞ、彼女と遊んで差し上げてください」
看護師は、畳んだ毛布を両手で持ち、気を利かせて、部屋から出る準備をした。
「は、はあ……」
言われたものの、オズはどうしたものかと隣のエンジーと顔を見合わせた。
「疲れたら眠ってしまうので、その際はお呼びください…………では」
看護師は頭を下げ、病室から出ていった。
「…………」
二人は困惑して立ち尽くしていた。
「ねぇ、お二人は、名前なんて言うの?」
フランはクマのぬいぐるみを二人に向けた。
「そっちのあなたは?」
今度はウサギの方を、オズに向けた。
オズは不意を突かれて、肩を跳ねさせた。
「えっ!? あーっと……オレはオズだ」
オズは顔を引きつらせて笑顔を見せた。
「じゃあ、そっちの君は?」
フランはクマをエンジーに向けた。
エンジーはハッとして、慣れない様子で返した。
「エ、エンジーだよ」
「オズとエンジーだって! フランのお友達かな?」
フランはクマを使いながら、自分に聞いた。
「ううん。知らないわ」
フランは首を横に振った。
「じゃあ、友達じゃないの?」
フランは今度はウサギを動かした。
「…………」
フランは突然シュンとして、力が抜けたようにクマとウサギを落とした。
二人はハッとすると、オズが慌ててぬいぐるみを拾った。
「と、友達だぜ! オレたち、フランの友達だ!」
オズはフランと同じように床に座り、クマのぬいぐるみを揺らして見せた。
「そうだよ! ねぇ、フラン、一緒に遊ぼう!」
エンジーもウサギのぬいぐるみを拾い、オズの隣に座って、それが話しているように動かした。
フランは二人が動かすぬいぐるみを見つめた。
フランは視線を上げ、目の前に座るオズとエンジーを見つめた。
「…………」
どこか見覚えがあるのだろうか……。
彼女の記憶の奥底に光る何かーー。
フランはしばらく二人を見つめると、彼女の瞳に柔らかな光が宿り、段々と笑顔がこぼれ始めた。
「……うん! 私のお友達!」
フランは満面の笑みを、二人に向けた。
オズとエンジーも、フランにつられて笑顔になり、安堵して互いに顔を見合った。
見舞いを終えたオズとエンジーは、シリウスとケイシーのところへ戻ってきた。
シリウスとケイシーは、街の眺めが見える場所に立っていた。
「会って来たぞ」
「フラン、元気だったか?」
オズが声をかけると、シリウスが聞いた。
「ああ。一緒に人形で遊んできたぜ」
「そうか」
照れくさそうに言うオズにシリウスは笑って返した。
「今は幼少期の記憶が戻ってるみたいだ。少しずつだけど、良くなってるそうだよ」
エンジーがシリウスに言った。
少しでも早く、彼に安心してもらいたかったようだ。
「ありがとう」
シリウスは二人に礼を述べた。
彼の安堵した表情を見て、オズとエンジー、そして隣で聞いていたケイシーは笑顔になった。
「あれ? そういえば、シリウス、車椅子は?」
車椅子なしで立っているシリウスを見て、エンジーが聞いた。
先ほど同じことを聞いたケイシーが、彼の代わりに答えた。
「いつまでも頼っていられないって、今日は車椅子なしで来たんだ。シリウスらしいだろ?」
「へぇ! さすがだ…………」
エンジーはシリウスに目をやると、ふと視線を落とした。
その意図を察したシリウスが、エンジーの方に歩み寄った。
「気にすることなんてないんだぜ? エンジー。フランと同じように、オレだって回復に向かってるんだ。来年会う時には、もう包帯も取れてるだろうな」
明るく笑って言うシリウスに元気づけられ、エンジーは彼につられて笑顔で頷いた。
二人を見ていたケイシーとオズも、視線を合わせて微笑んだ。
「あ。そういえば、この春から、二人は同じ高等学校に通うんだったな?」
シリウスがオズとエンジーに聞いた。
「ああ」
「そうなんだ」
二人は頷いた。
「オルマンダのあの会長がよく許したな。なぁ、ケイシー」
シリウスはケイシーに話を振った。
「まぁな」
ケイシーは苦笑いで返した。
「母さんと兄さんとで、父さんを説得してくれたんだ。まぁ、父さんのことだから、僕のこと、きっと口だけだと思ってるんだろうけどね。挫折してすぐ家に帰ってくるとでも思ってるんじゃないかな……」
エンジーはチラッとオズに目を向けた。
「オレに語った夢をすぐに諦めるつもりか?」
悪戯に聞くオズに、エンジーは慌てて返した。
「そんなわけないだろ! 意地でも叶えてみせるさ」
「店を持つことが夢か……かっこいいじゃないか!」
シリウスに言われ、エンジーは照れ笑いした。
「おいおい、あんまり煽てないでくれよ。家でだって、ちゃんとコーヒーを淹れたことないんだからな」
エンジーを見ながら、ケイシーは呆れてシリウスに忠告した。
「お前、ちゃんと働けるのか? なんなら、オレが教えてやってもいーぜ!」
オズも便乗してエンジーに言った。
二人にからかわれたエンジーは「うるさいなぁ」とそっぽを向いた。
楽しそうにエンジーをからかうオズを見ていたシリウスが聞いた。
「オズは陶器作りが好きらしいな。エンジーの淹れたカフェラテを自分の作ったカップに注ぐのが夢なんだって?」
「っえぇっ!?」
オズはかぁっと赤くなって、悪戯な笑みを浮かべるシリウスへと顔を向けた。
「な、なんでそんなこと知って……っ! エンジーお前っ、喋ったのかっ!?」
同じように顔を赤くしたエンジーは、慌てて首を横に振った。
「い、いや……、僕はシリウスには話してないけど……っ」
エンジーはチラッとケイシーに目を向けた。
「悪いなオズ。俺がシリウスに話したんだ」
兄のケイシーには話していたらしく、彼はシリウスと同じように笑いながらオズに言った。
「〜〜〜っ!?」
オズは真っ赤になって隣にいるエンジーを睨んだ。
「そんなに怒るなよオズ。いいじゃないか、これからは二人一緒にいられるんだ」
ケイシーは「なぁ」とシリウスに振った。
シリウスは頷いて二人に目を向けた。
「羨ましいくらいだぜ」
「…………」
並んで笑う二人を見て、オズはふと疑問に思った。
「……お前たち、どっちかが女だったら、オレたちみたいになってたか?」
「…………え?」
唐突な質問に、二人はキョトンとすると、互いに顔を見合った。
「オ、オズ……何を聞いてるんだよ……」
エンジーは呆れた様子で言った。
「だって、わかんねーだろ? 男同士だと親友のままだけど、オレたちみたいに男女だったら、付き合ってたかもしれねーぜ?」
すると、シリウスとケイシーはたまらず、声をあげて笑い出した。
「っ!? な、なんだよっ!?」
オズは眉を吊り上げ、慌てた様子で二人を見た。
エンジーも目を丸くして見ている。
「きゅ、急に何を言い出すかと思えば……っ」
「俺たちが……っ恋人だって……っ?」
二人は笑いを堪えきれずに言った。
「た、例えばの話だ! ちょっと気になったから聞いただけだってのに……そんなに笑うことねーだろっ!?」
オズが膨れるのを見て、ケイシーはとっさに謝った。
「わ、悪かった、オズ…………そうだな……」
ケイシーはシリウスに目を向けた。
目を合わせると、ケイシーは笑いながらオズに返した。
「俺が女なら、フランという強敵には絶対に敵わなかっただろうな」
「……へ?」
オズは拍子抜けした。
隣のエンジーは手の甲を口に当て、クスクス笑っている。
「なっ!? 何言ってんだよっ!? ケイシーっ!!」
シリウスは真っ赤になって怒った。
「冗談だって」と笑うケイシーとの様子を見ながら、オズは呟いた。
「そんなにフランのことが好きだったのか?」
「ものすごく」
ケイシーとエンジーは声を揃えた。
「お前らなぁっ!!」
オルマンダ兄弟二人にからかわれ、シリウスは「もう勝手にしろ!」とそっぽを向いた。
シリウスが取り乱すところを初めて見たオズは、なんだか新鮮な気持ちになった。
彼とは血が繋がっているからだろうか……。
オズは自然と笑顔になり、シリウスに歩み寄った。
「……なぁ、シリウス」
「……ん?」
シリウスはオズに顔を向けた。
「フランと……フランと並んで歩ける日が、早く来るといいな」
「…………っ」
笑って言うオズの顔を、シリウスは見つめた。
「…………ああ!」
シリウスは大きく頷いた。
その決意に応えるように、丘を吹き抜ける風が、四人の背中を優しく押した気がした。
二人を見ていたケイシーとエンジーは、目を合わせると、互いに微笑んだ。
「ぼっちゃま」
その声に、シリウスとケイシーは振り返った。
そこには、互いの家の使用人である、スーツを着た老人とメイド服の女性が立っていた。
「ああ、今行く」
シリウスがメイドの女性に言った。
ケイシーはオズとエンジーの方へ顔を戻した。
「帰るのか?兄さん」
エンジーが聞くとケイシーは頷いた。
「ああ……。オズ。頼りない弟だけど、エンジーのこと頼んだぞ」
ケイシーはオズを見て言った。
「ま、抜けてるとこもあるけどな。その分オレがカバーするぜ!」
オズは「任しとけ!」と胸を叩いた。
腑に落ちない様子のエンジーも視界に入れたケイシーは、クスクスと笑った。
「エンジー。クロスアルド家の血は暴走することもあるから、オズの血が騒がないように見張るんだぞ」
今度はシリウスがエンジーに言った。
「もう慣れたところもあるけど、肝に銘じるよ」
エンジーは横目でオズを見ながら返した。
「暴走なんかしてねーだろっ!」
「よく言うな!」
二人が言い合いを始めそうになったので、シリウスとケイシーは、静かに背を向けた。
「じゃあな、二人共」
「仲良くやれよ!」
使用人と共に、二人は笑い合いながらその場を去っていった。
「あ……じゃ、じゃあなー!」
オズとエンジーは、慌てて二人に手を振った。
シリウスとケイシーは振り返り、二人に向けて手を上げた。
二人を見送ったオズは、視線をそのままにして、エンジーに話しかけた。
「……だいぶ、吹っ切れたみたいだな。二人とも元気そうだ」
オズの言葉にエンジーは一度目を伏せた。
再び視線を上げると、オズと同じ先を見据えて話し出した。
「完全に忘れることは、決してないと思う……けど、あの二人は、毎年ここで再会することを心の糧にしてるんだ。そして、いつかはフランも……」
エンジーは病棟を見上げた。
オズも同様に顔を上げ、二人はしばらく黙った。
オズはハッとして、エンジーに顔を向けた。
「そういや、さっきの話、教えてくれよ」
「……え?」
エンジーは疑問の表情でオズを見た。
「お前のアニキとナタリーの婚約話だよ!」
「あ、ああ……」
思い出したエンジーは、クルッと身体を返して眺めが良い場所まで歩いた。
オズは彼の後についていった。
「まさか、ケイシーとナタリーもデキてたのか?」
「そんなわけないだろ」
エンジーは露骨に「勘弁してくれ」という顔を見せた。
「じゃあ、なんなんだよ!? お前から言い出したんだろっ!?」
オズは怒った顔でエンジーを責めた。
「わかったよ! 話すから! ……僕もそんなに
詳しくは知らないんだけど……」
エンジーは話し始めた。
オズは彼の話に相槌を打ちながら聞いている。
暖かい、ある春の日の午後のこと。
色とりどりの花たちは、楽しそうに揺れていた。
「ワンド&ソード 〜隠された絆の真実〜」
おしまい。
最終回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました!
あまり愛憎劇を書いたことがありませんでしたが、皆様のおかげで、無事に完結に至ることができました。
本当にありがとうございました!




